熊本大学ボート部 -2ページ目

夏の思い出

 こんにちは!高校4年生の夏休みを過ごしていた笹倉大翔です。お盆に地元に帰省して、高校生と一緒にボートを漕いでいました。3年前からずっと変わらない夏休みのおかげで、自分が大学生と自覚するのが難しい今日この頃です。

 さて、私は9月3〜7日に戸田ボートコースで行われた全日本大学ローイング選手権に男子ダブルスカルで出場してきました。インカレの振り返りと経験したこと、学んだことを


1.男子ダブルの結果について

2.戸田での生活について

3.他大について

4.最後に


の4章で書いていこうと思います。少々文章が長くなってしまったり、拙い文章で読みにくいとは思いますが、お付き合い頂けると幸いです。




 

1. 男子ダブルの結果について

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私たち男子ダブルスカルは、敗者復活戦負けという結果に終わりました。負けて悔しい思いもすごくありますが、それよりも他のクルーと大差で負けたことで、圧倒的な自分の努力不足を痛感しました。

 

 正直私は、C決勝には上がれるのではないかと、高を括っていました。高校の頃のレースの感覚でそのように考えていました。しかし試合に負け、他のクルーの様子を見て、高校ボートと大学ボートの違いを実感しました。筋力、体力、漕ぎのフォーム、レースの戦略等、レベルの高さに驚きました。のんきに考えていた自分が馬鹿らしいですね。


 インカレを通して、私に足りなかったものがたくさん見つかりました。筋力、戦略、漕ぎのフォーム、挙げ出したらキリがありませんが、1番足りなかったものは体力です。高レートを維持するための体力の無さが顕著でした。今回のインカレではコンスタントレートは34前後でした。高校生時代の2000メートルレースから考えると相当上げたつもりです。しかし、大学レースでは通用しませんでした。私たちの試合の映像を後から見返した時、レート34で漕いでいる自分たちがとてもゆっくり漕いでいるように見えました。後で他大に聞いたところ最低35と言っており、他の艇も大体同じだと思います。私のレース戦略の甘さを認識したと同時に、己の体力の無さを感じました。

 

 これからは水上練と並行して、体力強化重視の陸トレに取り組むつもりです。高レートを維持できるよう頑張ります。





2.戸田での生活について

 私たち熊本大学はボートコースから少し離れた公民館をお借りして生活していました。生活するにおいて食事はとても重要でした。練習や試合で消費したエネルギーを摂るために私は多く食べるようにしていました。漕いで疲れたあとに食べるマネージャーさんのバランスが考慮された料理は美味しすぎておかわりが止まりませんでした。熊大生全員分の食事を毎日作るマネージャーさんには本当に感謝しかありません。食事は自分の体を作る上で大切であるので、これからも練習と同じくらい食事にも力を入れます。そして力をつけて試合に臨みます。


 また、戸田で生活する中でマネージャーさんや支援してくださる方々の偉大さに気づきました。

 マネージャーの先輩はご飯を作るだけではなく、いつもパソコンを開いてインカレ関連のことについて作業されていました。もし先輩がいなかったらここまでインカレはスムーズに進まなかったでしょう。

 OB、OGさん、保護者の方々からたくさんの支援をいただきました。そのおかげで、身体コンディションがとても良い状態でレースをすることができました。

 この大会は色々な人の支援によって成り立ったものです。色々な良い経験をさせていただき本当にありがとうございます。




3.他大について

 私がボートコースに着いて1番に目を奪われたものは艇の多さです。この中で漕げるのかと思うくらい混んでました。インカレクルーだけで200艇以上あるので驚きですね。

 また、他大の部員数にも衝撃を受けました。戸田に来ている部員だけで50人以上いる大学もあるそうです。多いですよね。部の活発化には勧誘が大事だと強く意識した瞬間でした。

 

 さらに、A決勝に上がったクルーのメンバーを見ていると、高校時代に船を競い合ったライバルを数人見つけました。彼らはたくさんの練習を積み重ねてきて、A決勝という舞台に立っているのでしょう。ライバルがより遠くなった悲しさ、そしてそのような状況を作った私の無力さに打ちひしがれています。

 もう一度互いに競い合うことができるように、笑って終われるように、それを可能にするのは地道な努力だと信じています。




4.最後に

 このクルーが組めた感謝を。

 

 高校時代から一緒にボートを漕いでいた悠希とダブルで大会に出場したのはこれが初めてです。そしてこれが最後になる可能性もあります。私の腰、悠希の膝、どちらが壊れても二度とこのクルーは組めません。他の艇種で出場することになっても同じです。幼稚園からの友達と大学でダブルを組めるなんて思ってもいませんでした。結果こそ振るわなかったものの、レース自体は全力で漕ぐことができ、本当に良い経験ができたんだとしみじみ思います。

 

 私は全然エルゴは回せませんし、4年間ボートをやっているとは思えないほど漕ぎのフォームだってめちゃくちゃで、腰痛で練習を中断する時もあったりしました。相方と釣り合わないどころか、迷惑をかけまくりな私がこんなことを言うのもどうかと思いますが、大学の初レースでこのクルーが組めたことを良かったと感じています。いい思い出になりました。大人になって、このインカレの思い出話で笑い合えるのを楽しみにしています。

 

 一緒に戦ってくれて本当にありがとう。





 インカレが終わって先輩方がいなくなり、これから物足りなく、物寂しく感じるでしょう。ですが、先輩方の思いを次に繋げるために、安心して任せてもらえるように、前を向いて進んでいかなければなりません。熊大ボート部を、私たち新チームが作り上げていきます。応援して頂けると嬉しいです!


 あと、時々顔を出してくださいね。待ってます!

126

お世話になっております。M1の天本です。

インカレを終え、敗北の虚しさを抱えたまま、このブログを書いています。


まずはじめに。大会の運営に尽力してくださった関係者の皆様、共に戦ってくれた仲間たち、ペアを組んでくれた川口、最後まで応援してくださったOB・OGの皆様、そして借艇や練習試合など多方面で支えてくださった東京経済大学ボート部の皆様、この場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


これは決して引退ブログではありません。インカレの振り返りブログのつもりですが、少し長くなってしまったので3章に分けて綴らせてもらいます。


1. ペア結成から今日までの道のり

2. なぜ、天本一宏は引退しないのか

3. これからの私について




1. ペア結成から今日までの道のり


きっかけは昨年の国スポでした。

「来年はフォアで挑戦したい」という先輩の一言から、4月末に本格的に動き出しました。そのときに声をかけたのが川口でした。医学部で誰よりもエルゴが速く、スイープの経験も豊富な彼なら一緒に戦えると信じたからです。


県選抜が決まってから練習のために組んだペア。それがインカレに挑む今回の始まりでした。


「日本一になるために」

というのを常に意識しながら練習しました。

7分カットを目標に掲げ、よしやるぞと意気込んでいたものの、様々な壁にぶち当たりました。

• 江津湖の分厚い水草にラダーを奪われ、制御不能になったこと。

 大学院生と医学科、互いに時間が足りず、思うように乗艇できなかったこと。

• 実戦経験を積めず、不安を抱えたまま本番を迎えてしまったこと。

他にも天候の問題など色々な障壁があり、十分な乗艇練習ができないまま戸田入りしました。

 そしてその結果、予選1週間前に組んでもらった東経大との並べでは22秒差の大敗。逆風だったとはいえ、ターゲットタイムとは程遠く

「自分たちはまだこんなにも弱いのか」

突きつけられた現実に打ちのめされました。気づくのが遅すぎました。


予選当日。蹴り出した直後、ラダーに違和感を覚えました。それでもなんとかなると信じ込んで発艇地点に向かう。

レースが始まると、やはりうまく艇を制御できず、ただ必死にレーン侵害だけを避けてゴールするしかありませんでした。経験不足ゆえに、自分の判断が裏目に出てしまいました。

ラダーを修理して臨んだ敗者復活戦では、序盤から出られる苦しい展開。

それでも「最後まで自分たちの漕ぎに集中しよう」と約束し、コンスタントを伸ばしました。

第3Qまで食らいつき、最後は4着。

敗れはしたけれど、やっと自分たちの漕ぎをぶつけられた感覚がありました。

まさにそれは、私が前回書いたブログで言及した

「Just what we wanted」を体現できたという実感でした。

それでもやはり、虚しさが残りました。

2000mを漕いだのは、まだ3本だけ。

日ごとに少しずつ良くなっていく手応えがあった。伸びしろしかなかった。

それなのに、インカレはたった2本で終わってしまった。

「もっとやれたはずなのに」


その思いだけが胸に残って消化不良を起こす。





2. なぜ、天本一宏は引退しないのか


ボートが楽しいからというのもありますが、それだけで続けられる競技ではないのはボートを長く漕いできた皆様ならよくご存知かと思います。挙げるとキリがありませんが、私にとって一番大きいのは

「同期として共に戦った126期の存在」

です。


これを自分が言うことに若干の抵抗はありますが、はっきり言って126期の功績は偉大です。

(自慢げに語るなよとか言わないでくれると嬉しいです…)

主将の八谷を中心として、コロナ禍で崩壊した部を一から立て直したのは、紛れもなく私たち126期であり、苦しみを共にしながら乗り越え、成長できたことを今でも誇りに思います。

本当に辛かったし、それは皆同じだったと思う。

そんな過去があったからこそ今があるってことを、後輩たちには知っておいてほしい。

最近は、たくさんの部員が楽しそうに活動しているのを見ると、126期の努力が報われたのを感じ、ふと目頭が熱くなることがあります。

そんな幸せを享受できることも、私がボートを続けるための一助になっています。















126期、本当にありがとう。

私にとって日本一の同期です。





















126期ボート部のメンバー?


ここまでバトンを繋いでくれた後輩たちも、どうもありがとう。そして、お疲れ様でした。


高級スイーツを頬張る129期主将




 大学に残された私の使命は、126期が作り上げたボート部が次世代に引き継がれていくのを見守り、支えることだと思っています。私はさほど器用ではないので、漕ぐことでしか部に貢献することができませんが、せめて部の力になればという思いで、明日からもボートを漕ぎ続けます。もしまた部が崩壊してしまったとき、手の届く自分が何もしていなかったら、後悔するに違いない。後悔しないためにも私はオールを持ち続けます。



3. これからの私について


私は大学院生で、もう学部生のようには漕ぎ続けられないという現実から目を背けることはできない。長期にわたる調査や分析作業で、練習から離れる時間もこれから増えていきます。


それでも。

小艇であれ、大艇であれ。私にできる形で、このチームに貢献し続けたい。


最優先はチームが勝つこと。日本一に最も近づける道を、私は全力で後押しします。その判断は現役部員に委ねます。

でも、ものすご〜く欲を言うのであれば、日本一の同期が残してくれたこのチームで、日本一になりたい。


最後に。これからも道具の扱いについては、しつこく言い続けると思います。

艇は、ちゃんと拭いてな。

最後のインカレと、これまでのこと

4年マネージャーの西浦です。


ただいま、インカレからの帰りの飛行機の中でこのブログを書いております。


まずは、今日に至るまで熊本大学ボート部にたくさんのご支援や温かいお言葉をお寄せくださった皆様に、心より感謝申し上げます。日頃より見守ってくださる皆様のおかげで私たちは活動を続けることができております。 本当にありがとうございました。


今回は、インカレの振り返りと引退のご報告を兼ねて、5つのテーマに分けて綴らせていただきます。できるだけ簡潔にお伝えしたいと思っております。

ぜひお付き合いください。


①これまでの4年間のこと

私はこの4年間、マネージャーを続けてきて、ボート部に入部して良かったなと思う瞬間よりも、もう絶対に辞めてやると思った瞬間の方がはるかに多くて、正直苦しかった思い出がたくさんあります。誰かに部活でのことを話すと「なんで辞めないの?」「なんで続けてるの?」と必ず言われました。それくらいにこの4年間はしんどくて、苦しくて、何度部活のことで涙を流したか数え切れません。

それでもマネージャーを続けてきた理由として、もちろんみんなを近くで応援したいという理由も大きかったですが、マネージャーを辞めるほどの勇気がなかったからという情けない一因もあります。辞めることってすごく勇気がいることだと思います。辞めることでこれまでの関係が終わってしまうかもしれないし、みんなの姿を遠くからしか見ることができなくなる、そしてわたしがいてもいなくても変わらずに動き続ける部を眺めることは、これまで苦しみながらも続けてきた日々を否定されたようで怖いなと考えていました。だからこそ辞めるという選択をとることはできませんでした。

結果として、自分勝手な理由で続けてきた4年間でした。


②4年生になってからも続けた理由

4年生になってからも続けた理由は、同期の彩水ちゃんと3年マネの愛果ちゃんのためでした。

私はもともと、3年の夏で引退するつもりでいました。教育実習の関係で、3回目のインカレに同行できないことは確定していたので、3年の関西選手権がみんなのレースを直接見ることができる最後の機会になるなと思っていました。そして関選が終わり、8月の菊池での練習も終わり、夏の教育実習と同時にインカレが過ぎて、私も遂に引退かと思っていました。しかし、同期の彩水ちゃんが現役を続けると決めたことを聞いて、彩水ちゃんのラストレースまでは部活に関わろうと決めました。彩水ちゃんのラストレースを直接見たかったことと、強がりで頑固な彩水ちゃんに弱音を吐かせてあげられるのは同期の私しかいないと思っていたからです。

ところが、迎えた秋の加古川レガッタでは、大雨の影響によりマシンローイングという形になり、水上でのレースを見ることはできずに終わりました。さすがにここでもう区切りをつけなければいけないかなと思いましたが、加古川が終わってからは、土日の練習にたまに顔を出していました。3年夏から4年春にかけては実習やインターン、就活で忙しく、正直部活をしている暇はあまりなかったのですが、3年マネの愛果ちゃんのことがとても気がかりで、少しでも支えになれたらと思い、行ける日は行くようにしていました。

けれども実際には3年冬から4年春は数えられるほどしか部活に行くことが出来ず、愛果ちゃんに負担を負わせてしまってとても申し訳なかったなと思っています。冬、すごく辛かったよね。愛果ちゃんの立場、すごく難しかったよね。私が行くことで愛果ちゃんの気が少しでも楽になればと思ってたけど、大して行ってあげることもできず、行ったときも気の利いた言葉はかけてあげられず、ひとりで頑張らせてしまってごめんね。愛果ちゃんが相談したいと思えるような先輩でいられなくて本当にごめんね。弱音を吐かせてあげられなくて、愛果ちゃんがしんどい思いをしていることは分かっていたのに手を差しのべられなくて、心から楽しいと思えるような場所にできないまま愛果ちゃんに託してしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

だからこそ、いろいろ落ち着いてきた4年初夏からは、できる限り部活に行き始めました。1年生もたくさん入部してくれて、マネージャーも増えて、艇庫がすごく賑やかになったのを見て、これで愛果ちゃんも辛くないかな、もう引退しようかなと思っていました。だけど、もう少しだけ続けて、今度こそ彩水ちゃんのラストレースと3回生の後輩のみんなのラストレースを見届けたいなと思うようになりました。

これが4年生になっても続けた理由です。部員のみんなには特に言うこともなく、部活に行ったり行かなかったりしていた私を不思議に思ってた人もいたと思うけど、実はこんなことを考えていました。みんなが何も言わずとも受け入れてくれてありがたかったです。


③ボート部でのわたしのこと

みんな、わたしのことをどんな人だと思っていますか?私は艇庫では全然にこにこしないし、口うるさく言うし、怖い先輩だなあと思ってる人はいっぱいいると思います。私もこんな先輩がいたら普通に話しかけにくいです。

私はマネージャーとして、軽く見られたくないという気持ちが今までずっとありました。ボート部はなんせ小学3年生みたいな人たちの集まりなので、マネージャーがいることに対して感謝の気持ちを忘れてしまう人が多いみたいです。

マネージャーがみんなのためにしてくれることは当たり前じゃないです。マネージャーとして必要最低限しなければならないことはあれど、私たちが+‪α‬でしていることはみんなのことを応援したいという気持ちからです。その気持ちがあるから必要以上のことまでしてあげたくなるし、その気持ちがなかったら必要最低限のことをするだけでも正直苦痛です。

だから、後輩マネージャーのみんなが選手たちから軽く見られないように、マネージャーなんだからやって当たり前だと思われないように、応援したいという純粋な気持ちから選手を支えられるように、選手には厳しい態度でいたつもりです。選手をサポートすることは誰かに強制されてすることではないです。搾取される必要はないし、+‪αを誰かに指示されてやる必要もないです。マネージャーが必要最低限のことしかしないときは、ただ手を抜いているわけではなくて、あなたたちを応援できなくなったときです。

だから、マネージャーには感謝の気持ちを忘れずに、マネージャーのこともちゃんと気にかけてあげてください。マネージャーは選手のみんなが思ってるより孤独です。また、何でも屋さんではないし、裏方でもないです。日本一を目指す仲間として一緒に歩んでほしいです。


④インカレ期間中のこと

まず、このインカレ期間中はこれまでのものとは比べものにならないくらい楽しかったです。そこは前置きした上で読んでほしいのですが、私自身大会で遠征をする度に体調を崩していること、男子選手ばかりの中2週間うまくやっていけるか不安だったこと、サポートもマネージャーも私ひとりだけで務まるかどうか心配だったこと、たくさんの不安要素が重なり、戸田入り1週間ほど前から蕁麻疹が治まらず、風邪も長引いてしまっていました。体調不良に悩まされ、戸田入り前から既に不安100%だったなあと思います。戸田で練習している期間中も、選手に迷惑をかけたくないな、失敗したくないなと毎日考えて、その日うまくいかなかったことが夜ごと頭をぐるぐる回っていました。

そんな中、体調不良もあって心に余裕がなく、一度だけ部屋で大号泣してしまいました。夜中に電話に出て慰めてくれた彩水ちゃん、その後話を聞いてくれた人たちはありがとう。

私は、みんなに迷惑をかけたくないという気持ちがすごく大きくて、完璧主義だから失敗したくなくて、がっかりされたくなくて、どんどん自分を追い詰めていたなと思います。だから、最後くらい完璧なマネージャーでいようとすることをやめました。最後なんだからみんなと楽しもう、もともとインカレのクルーにマネージャーは付けないとされていたんだから、私がいるだけで助かるでしょ、とそれくらいの気持ちに切り替えて、残りの期間を過ごすことにしました。それからもたくさん失敗はしたけど、みんな笑って許してくれて、カバーしてくれました。くだらない見栄を張ってないで、みんなのことを素直にもっと頼ってみても良かったんだなと気づきました。

でも、アラームをかけずにお昼寝をしていてフォアの予選の蹴り出しに間に合わなかったことや、準々決勝で慈音くんの靴をびしょぬれにしたことは大反省しています。ごめんね。

大会が始まってからは、各クルーの蹴り出しやレース結果、レーススケジュールのSNS更新に出艇帰艇のサポート、伴チャリに伴走車、ビデオ撮影、写真撮影など、大会中のことは全部私ひとりでしないといけないと思っていました。けど実際は、みんなが当たり前のように手伝ってくれて、レースを終えて疲れてるのに伴走してくれたり、ごはんも一緒に作ってくれたり、一つひとつがとてもありがたかったです。なんでも私ひとりで頑張らないといけないと思ってたけど、みんなが自然に、当たり前みたいに手助けしてくれて、本当に救われました。

わがままを言ったら、1回くらいはみんなのレースをレンズ越しではなく、直接目で見たかったな。いつも撮影してるから、実は見たことないんだよ。いつか見れたらいいな。

引退直前に気づくのは遅かったけど、私はこれまでもみんなのことがなんやかんや大好きだったよ。とてもそうとは思えない態度を取った日もあったと思うけど、みんながたくさんの人から応援されるチームでいるために私は必死でした。これまで口酸っぱく言ってきたことの真意がどれくらい伝わっているかはわからないけど、同じ目線で頑張ってくれる選手のみんな、近くでサポートしてくれるマネージャーたち、支えてくれる友達、OBOGや保護者の方々、応援してくださるすべての皆様に愛されるチームでいてほしいという思いでこれまでみんなにいろいろなことを言ってきました。正直うるせえなと思ったこともあると思うけど、インカレ期間中のみんなを見ていたら、入部間もない頃と比べてかなり鍛えられてたよ。さすが上級生だね。関わってくださるすべての人から愛されるチームになってね。

そして、インカレ期間中たくさん私のことを笑わせてくれてありがとう。私は艇庫ではにこにこしないし声を上げて笑っていることなんて選手の前ではほとんどないと思います。だから、特にダブルの1年生は私が喜沢でけらけら笑ってるのを見てびっくりしたかな。みんながたくさん楽しいことをしてくれるから、私のこともちゃんと仲間に入れてくれるから、この2週間は本当に楽しくていい思い出になりました。わたしのごはんを食べる度に煉獄さんになってくれたみんながすごく愛おしかったよ。



⑤これからの熊本大学ボートのこと

ボート部は現役のみんなが主役だから、他の誰のものでもなく現役のみんなのものだから、誰かに言われたこと、不本意なことに100%従う必要はないと思うけど、みんなのことを思って声をかけてくれる人たちの言葉や思いにはちゃんと耳を傾けて、大切にしてほしいなと思います。嫌なことを無理に受け入れる必要は無いけど、応援されるチームでいるための努力はこれからも続けてほしいなと思います。わたしもこれからはみんなのことを遠くからしか見ることができなくなるけど、近くにいなくても応援したいと思っていただけるような、そんなチームでいてほしいなと思います。



最後に、お世話になった2025インカレメンバーに一言書いて終わりたいと思います。


天本さん

インカレ期間中、私のことを妹みたいに可愛がってくれてありがとうございました。色紙の言葉すべてが嬉しかったです。ハニワくんのTシャツ大事にしてね。



忠政くん

最初は不安だったけど、忠政くんをキャプテンに選んで本当に良かったよ。これからもたくさんの人から愛される人でいてね。今度知育菓子一緒に作ろうね。



慈音くん

インカレでは、ごはん柱を後輩に少しずつ託す様子が見れて安心しました。たまには雑用を人に押し付けよう。買ってきてくれたヘアバンド毎日つけるね。



律人

たくさん支えてくれてありがとう。こそこそするのが下手すぎてサプライズ全部気づいてたよ。ごはんいっぱい食べて、健康でいてね。



大陸くん

ぽんこつでかわいいところをたくさん知れて嬉しかったよ。お誕生日おめでとう。新キャプテンとして、大陸くんらしく頑張ってね。



俊介

最後までツンデレだったね。私のこと嫌いじゃないのはちゃんと伝わってたよ。先輩たちがいなくなって寂しくなったときは、素直に甘えたらきっと喜んできてくれるはずだよ。



大翔

これからの成長がすごく楽しみです。まだ時間はたくさんあるから、焦らずに日々を大事にしてね。ごはんたくさん食べてね!


悠希

ものすごく良い人だなあと思ってました。年上の女の人に騙されたらだめだよ。それと、雑用はみんなに振らないと慈音くんみたいになるよ。


はるきひろと写真なくてごめん!


川口さん

このブログ読んでるのかな?インカレ期間中の川口さん本当に面白かったです。打ち上げ来てくださいね。




4年間お世話になりました!

みんなのことが本当にかわいくて大好きだよ。




マネージャー、決意表明

マネージャーの木本です!


最近スティッチの可愛さに気づきました。今まで何らかのキャラクターを可愛いと思ったことがなかったし、あるキャラクターが社会現象になっても鼻で笑うタイプだったのですが、スティッチは可愛いですね。なんとなく最近おぱんちゅうさぎ好きの友人の言い分がわかり始めました。


さて、ここからはボート部のマネージャー業について書きたいと思います。

偉大なマネージャーの先輩が引退(?)されてから、はや半月ほどになりました。現在は、艇庫飯の準備や、ビデオ撮影、SNS管理、会計、大会の申し込みなどなど多くの業務を1年生で回し始めました。もちろん分からないことだらけなので先輩方には色々と質問しちゃっていますが。

やってみて思うことは、この量、この責任感の仕事を先輩方はあの少人数でやられていたのか!?ということです。もし、自分たちが大会の申し込みや、車の手配、必要なお金の計算、体育会に出す書類などの、どれかひとつでも、うっかりで忘れてしまえば漕手に迷惑をかけてしまいます。漕手をサポートするはずのマネージャーが逆に足を引っ張ってしまうことになります。こんな仕事を約3年間も続けてこられた先輩方には頭が上がりません。

私は、今までどちらかと言うと人に迷惑をかけてしまう側の人間だったので、今1度気を引き締めなければ、と思っています。幸い、私には同期のマネージャーが2人もいます。2人と手を取り合いながらどうにか頑張っていきます。


また、先日私にとっても初めてのボートの大会がありました。当日はマネージャーと漕手は別行動。審判の手伝いに駆り出されていたマネージャーは、公平性を保つため漕手の応援をすることが、かないませんでした。しかし、1日目の午後と2日目は、ゴール目の前という最高の位置で審判の手伝いをすることができ、漕手の最後の頑張りを間近で見ることができました。感動!喜び!悔しさ!どの感情もその場で声に出すことはかないませんでしたが、私の心の中ではそれらの感情がうずまき、目には少し涙の膜が張っていました。これがボートか、これが大会か、と胸を打たれました。ほんとにみんなかっこよかったです。某部員から「大会中の私はまじでかっこいいよ」と聞いていましたが、まじでした。こんな人たちのサポートを日々の部活からできていることが誇らしくなりました。


私はまだまだボートの知識が浅いですし、正直マネージャー業もまだ私にできることがあるんじゃないかと思うので、この熊大漕艇部の力になれるように精進していきたいと思います!

大変なことが多いですが、ボート部に入ってよかった、少しは部活の役に立てた、と4年後胸を張って言えるように頑張ります。


最後に祖母の家の猫を載せます。

体重10キロ。名前はチビです。何があっても動じず、外を見つめる仙人のような猫です。








コッコファームレガッタを終えて(8/25)

皆さんお久しぶりです、熊本大学1年漕手の富山慶次郎です。先日のコッコファームレガッタではたくさんの応援ありがとうございました。

私は新人シングルでの出場ということで、非常に緊張していましたが、結果としては優勝することができました。これまでの努力や同期、先輩方からのアドバイスに支えられての優勝だと思います。ありがとうございました。景品の写真です!



さて、コッコファームを終えて次はフォアに乗り換えになります。内心ビビりまくっている私ですが、今回の経験が活きてくれることを願っています。まじで。

ボートを始めて四カ月経ったいま、思うこととして、もし始めていなかったら私の大学生活は自堕落なものになっていたことだろうということです。こんなにも恵まれた大学生活が送れるのはボート部に入ったからっていうのがすごく大きいです。交友関係も広がり、ただ大学に行くだけじゃ得られないような経験を積むことができています。実に素晴らしい。

今後の課題としてはフィジカル面、そして安定した漕ぎの習得の2つです。

フィジカル、やはりフィジカルは全てを解決します。シニアの部門を見ていましたが、体つきも違いますし、明らかタイムも違います。精神面での支えにもなっていることでしょう。今大会私は非常に緊張し、弱気になっていたところもあったため、そこをなんとかしたいなと思います。

また今大会では波が高くなったりして、オールが弾かれ、結局パドルが入らずutに変更して逃げた場面が多かったです。今後競技を続けていくうえでこのスタイルじゃ限界があります。体幹や腹筋トレーニング、リギング調節で安定した漕ぎを習得したいです。

何事にも勝負事になるとマジになっていた小学生の頃のハングリー精神をもう一度復活させる時が来たのかもしれませんね。やってやろうじゃありませんか!

最後に先日帰省した際の実家の愛猫まるちゃんを紹介します。かわいいですね。