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「自己愛性人格障害」の概念を知ってしまうと

これは社会を良くする、ということではないんだな

ということがわかりました。

 

人が悪くなるのは 社会のせいじゃない… 

 

もちろん環境の要因は大きいけれど 

環境がどのように作用するかは 

人それぞれによって発露が異なる というか

 

もともと生まれ持った性質による というか

みんな同じものを生まれ持ってきている訳ではない…

 

 

 

「社会を良くしたい」という思いで

議員の仕事を取り組んでいるうちに

わかってきたことがありました。

 

そもそも多くの人が「社会を良くしたい」と思っているわけではない

ということを

 

「社会を良くしたい」と誰もが思っているけれど その方法がみんなわからないだけかと思っていたわたしにとって衝撃でした。

 

例えば「地域活性化」にしても その地域に住んでいる人はそれを望んではいない…ということが取り組んでいるうちにわかってきました。

 

「地域の魅力を発信して 訪れる人を増やして かつての賑わいを取り戻し 街に元気を」ということが 地域の人たちは願っているんじゃないか?と勝手に思ってしまっていたのですが やっているうちにわかってきました。

 

地域の人たちは 地域活性化を望んではいない よそものが入ってきてもらうと困る 静かに暮らしたい ほっといてもらいたい…それが 地域の人たちの願い ニーズだったのでした。

 

だから 街はさびれているというか 静寂のある静まりかえった街…なるほど

地域の人たちの願いや 理想が叶った状態が 今の現状であって 何も問題はなかったし、することもなかったんだ…と知りました。地域活性化、なんて余計なおせかっいだったのです。

まことにすみませんでした…という…

 

 

 

小学校の廃校問題にも全身全霊をかけて取り組んで 阻止することはできずとも一年廃校のための準備期間として廃校を延期することが 議員の仕事としてできたのですが (一度通った議案を覆したので これは議員の仕事としては非常に大きなことだったようです)

 

もちろん廃校に反対する人たちからは感謝されましたが、廃校に賛成する人たちからは脅しがあったり散々な目に遭いました。小学校を廃校にしたら、その地域は将来的に廃れてしまうことは目に見えてるのに なぜ市民が廃校に賛成するのか?と思ったのですが

 

市民が廃校を望むというか 

地域が廃れようが何しようが関係ないというか

廃れてしまってもやむを得ない 

という願いが実現してしまっているのでした。

 

市民のニーズに応えるならば、何もしないというか 市長の議案通り、廃校を進めたり、湖岸にリゾートホテル建設など地域の環境を守るというより破壊活動を支持していくことなのだな…

 

琵琶湖に注ぐ川の8割が高島市内の川であり 「琵琶湖源流の郷高島」というキャッチフレーズもあったのに 現在の市長のやっていることは明確で 安曇川上流にゴミ処理施設や産業廃棄物処理場を建設計画… 反対するしかないのですが

 

封建主義の空気が重く残る高島市では 「お上の言うことに反対するとは何事か」と言うセリフが生きているので 反対することは悪いことになっています。

 

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市長選挙に挑戦した奥底の理由

わたしが市議を一期務めた後、2017年市長選挙に挑んだのは 市長選と市議選が同時にあり、 市議として市長が今後進めようとしている政策を知ってしまって、市議として反対するだけでは止めることができない ということがわかってしまったので 市議を続ける意味が感じられなかったのです。

 

今から思えば そんな異常というか過剰な自己犠牲奉仕精神の塊というか 異常な熱意だなと思います。今のわたしなら 市長選挙には挑戦せずに 普通に辞めています。

 

市長選挙に出るくらいだから 相当な野心家とか自信過剰な人だと わたしは思われがちではないかと思うのですが 自分としては 自分がどう思われてもいいけれど 高島市の地域を守りたい それが 市議として知ってしまった人の責任であり 高島のみなさまに知ってもらう、選んでもらわなければならない というように思い詰めていました。

 

その結果 現職市長が当選し、それから4年後 市長の進める方針や政策の結果が出てきてからのの2021年の市長・市議会議員の同時選挙でも 現職の市長が当選されました。

 

今から思えば、わたしの過剰な自己犠牲奉仕精神の根底には 市長選挙への挑戦は 「自分のことなんかどうでもいい」という自殺願望と根底は共通するものがあったな と思います。それは良くないことです。

 

どうなっても構わない 死んでも構わない と自分を全部投げ出してる境地であるのに 何か売名行為とか 言われたりするのをどこからか聞くのは ダメージがありました。

 

 

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わたしに会ったらわかってもらえると思うのですが

わたしに会った人はわたしのことを「明るくてパワフル 笑顔が素敵」とかよく言われがちです。幸せそうなので 幸せな家庭に育って何の苦労もなくまっすぐ育ってきた人のように思われがちです。

 

笑顔が素敵なことに自信はありますが 幸せそうなのは

ずっと「死にたい」と思っていた子ども時代のことを思い出せば

今の環境は天国のようだからです

安心して眠ることができることが 大きな幸せだから

幸せの基準点が低いので 幸せを感じやすいのはあります






「社会を良くしよう!」と思った闇③




「社会を良くしよう!」と思った闇④