わたしがずっと関心があった

「日本の自殺率」日本では毎年2万人以上の人が何十年も自殺で亡くなっているんだけれど…内戦など戦争や災害で2万人の人が亡くなったら大きな記事やニュースとして取り上げられるだろう…決して日本は平和ではなくて戦争状態と言えるとブログなどでたびたび主張してたんやけど

 

どうして多くの人は諸外国に比べて日本の自殺率の突出した高さの問題をあまり気にしないのだろうか?と長年疑問に思っていたのだけれど

 

それはわたし自身が子どもの頃苦しくてずっと「死にたい 死にたい」と思っていたからなんだな 自分ごととして考えていたからだとわかる

 

多くの人は「死にたい」と思ったり、自殺をしようとは思わない 他人事だから ということがわかる

 



 

わたしは9才の頃から自殺を試みています。10~20代にかけては常に「死にたい」と思っていて 突発的に衝動が強くなることが何度もありました。

 

「死にたい」と思うことが、今思えば 自然で当然なのですが 「死にたい」と思っていた当時は なぜ「死にたい」という思いが出てくるのか わからなかったです。

 


 

 今になって やっと なぜ若い頃「死にたい」「死にたい」と思っていた原因と理由がわかります。

 

 

 何度 橋の上から飛び降りようと考えたか リストカット 首を吊ろうか 薬を飲む 様々な自殺手段を考えて 考えるだけではなくて 実際 どの方法も半分実行しています。半分で終わっているので 今 生きています。

 



「死にたい」と思うことは 

自分のせいで 

自分の中から自然に

勝手に浮かんできてしまう

ものだと思っていたのですが 


今 思えばそれは 

全然そうじゃない。

 

 





家では 食事は宗教的な菜食主義ということで成長期に肉は与えられず

勉強をすれば「勉強なんかできてもどうしようもない」と蔑まれ

 

箸の持ち方が悪い

「ただいま」を言わなかった 

というようなことで3時間以上正座を強要されて 

「ごめんなさい」と謝っても「本当に謝っていない!」と言われて許されないし 

 

 最終的に「お前は人の気持ちがわからない 異常だ おかしい 人間ではない」と罵られるという連日のお決まりコースの虐待

 

それが「当たり前」の日常でした。


「わたしはおかしくて 人間じゃないんだ 人間になりたい」とか当時本気で思っていました。



そりゃ死にたくもなるわ…



「死にたい」自殺衝動は今思えば 異常な環境に対しての正常な反応だった



 

 自分が欲しいと思うおもちゃを買ってもらえたことはなく クリスマスは毎年がっかりしていました


テレビはNHKのみ

習いたい習い事はさせてもらえず 

習いたくもない習い事を「やめたい」と何度言っても続けさせられる 習い事の帰り道に変質者に遭ったことを訴えても「お前が悪い」と言われて一人で通わされ続け

 

 昔はおもちゃが買ってもらえないことなどは家に「お金がない」からだと思っていたけれど、そうではなかった

 

単に子どもが喜ぶ顔が見たくなかった 

喜ばせようとは全く考えていなかった

むしろ子どもががっかりしたり

悲しんでいる顔が見るのが嬉しかったんだな

ということにつきる。

経済的理由ではなかった

 








自由にできることはチラシの裏に絵を描くくらいなことで 絵を描くのが好きとか上手とか とは違っていたかもしれない

 

 わたしは小さい頃から占いが好きだと思っていたけれど 


 占いは生きるために必要というか

「未来への希望」を得るために必要としていたのだなと今はわかります

 

 自分は勉強ができる、勉強が得意だと思っていたけれど


 わたしにとっては学校が唯一のくつろげる

ほっと安心できる場所だったからだ…と今は思います。

 

 今になって やっと 子どもの頃 重い小児喘息とアトピー性皮膚炎、副鼻腔炎を長い間患ってきた理由がわかる。

 便が出ないのが当たり前で 肩が凝っていることが当たり前で肩が凝っていることに気がつかない状態

 家でゆっくりくつろげた試しがなく いつ怒鳴られないかビクビク恐れていたからだなぁと思う


 学校から家に帰りたくなかった 小学校から帰る道のり 帰りたくなくてゆっくりゆっくり歩いたり、学校に戻って また歩いたり…

 

 



 

 好きだ と思っていたことも 


「世の中を良くしたい」と思って異常に熱心に取り組んだことも


病弱だったことも

運動が苦手なこと 勉強がよくできること


わたしだと思っていたこと全部 

アイデンティティ全て 

なんというか…虐待からきているな…と 思って

 

虐待からきていることではなくて

自分が生まれ持ってきたもの

好きなもの 

本当に自分がしたいものはなんだろう?と

自分に 問いかけて今、取り組んでいる

 





 西原理恵子さんの娘さんが何度も自殺衝動を起こして「死にたい」「死にたい」と思うのも、わかる…西原理恵子さんもまた自己愛性人格障害の傾向が強い人だと推測できる


自己愛性人格障害の人は外面が非常に良いので、周囲のほとんどの人に対しては丁寧であったり、魅力的な人物であることが多いそう


支配するターゲット、対象に対してだけ 酷いハラスメントを 周囲にわからないように ふるまう…という驚きの天然の狡猾さ


だから、ターゲットの被害が周囲にわからないから ターゲットは孤立をさらに深める…という恐ろしさ


西原理恵子さんは自分の子どものうち お兄さんの方を可愛がって勉強ができなくても「バカな子ほどかわいい」アメリカに留学させたりして、妹さんの方が小さい頃は勉強が良くできたのに「女に学問は必要ない」行きたい学校に行かせなかったり…寵愛する子と搾取する子 兄弟間で対応を分けていることがわかる


隠れてやる、周囲にわからないようにやる 

というのがイジメの手口


 学校や会社でのいじめやハラスメントは問題になりやすいけれど 家庭内での虐待はなかなか表には出てこない…「虐待を防止しよう!オレンジリボン活動」なんかやっても何にもならない






 子どもを産んでから、これで生きていられるというか子どもを育てるために生きる理由ができて自殺しないで済んだので わたしにとっては本当に良かった。

 何度目かわからないけど自殺衝動があった時期に子どもを授かったので わたしにとっては子どもは神様、救世主だ。

 子どもが生まれてからは「死にたい」と思ったことがないので 本当 助かった。




 

 



「社会を良くしよう!」と思った闇①



「社会を良くしよう!」と思った闇②



「社会を良くしよう!」と思った闇③



「社会を良くしよう!」と思った闇④