「毒親に育てられた子どもは 大人になって毒親になる」という説が当たり前のように言われたりするけど それは呪いだと思ってる。
「毒親、虐待は連鎖する」という言葉がまた次の世代の呪いになるから わたしは使わないようにしてる
親から虐待を受けていたから、
子どもに虐待をするのは
「当然、仕方がない」んじゃない
虐待したいとは思わない人は
虐待されて育てられた人にも多いはず
辛い思い虐待されて育ったからこそ
同じ目に遭わせるまい!と決意してる人は多いはず
自分の身内、子どもを苦しめたいと思う一定数の人「自己愛性人格障害」の人がいるということを 知ることが大事 混同しないことが大事
自分の親と同じように自分の子どもを育てる人もいるだろうけれど、
自分の親と同じ行動は、自分の子どもには決してしない!と心に決めて 自分の子どもに接している人の方が多いんじゃないかとTwitterを見て思う。
「毒親に育てられたから自分も毒親になってしまうかもしれないから、子どもを産んで育てることが怖い」という人もTwitterで見かけるのだけれど 毒親・自己愛性人格障害の傾向を持つ人なら、そもそもそんなことを考えないと思う。
わたしは 自分が経験した辛かったこと、イヤだったことは子どもには絶対にさせない!
その子が欲しいと思うもの、したいと思うことを思う存分させてやる!と心に決めていたし 実際そのようにした。
子どもが小さい頃はたくさん遊具のある公園や琵琶湖に連れて行って一緒に遊んで、わたしの中の子どもも喜んだ。
滑り台をすべることなんて大人ひとりではなかなか恥ずかしいけれど、小さい子どもと一緒にすべるなら堂々とすべれる。
本当 自分が子どもの時にできなかったこと、したかったことを自分の子どもと一緒にできたことは わたしの中の子どもにとって癒しになった。
わたしは子どもたちにおもちゃをたくさん買ったけれど、それは子どものためじゃなくて わたしの中にいる子どもを満足させる行為だったかもしれない とは思う
わたしは 今 犬と猫を飼っていて その存在に非常に深く癒されている
犬も猫も子どもの頃から飼ったことはなくて その存在の偉大さを今まで知らなかった。むしろ飼うまでは 犬や猫をかわいがる人のことをアホかとさえ思っていました。ところがです
ただ無防備に安心して寝ている姿を見ているだけで幸せな気持ちになってしまう
窓の外を見る犬を後ろから抱っこしていると小さい頃にこんな風に抱っこされたかったな という思いに気づくというか
深い癒し、安心 嬉しい 幸せな気持ちに包まれます
自己愛性人格障害は人格(パーソナリティ)障害の一つであって、
人格(パーソナリティ)障害にはいくつか種類がある。
毒親・自己愛性人格(パーソナリティ)障害の人に育てられたから、自己愛性人格(パーソナリティ)障害になってしまうのではなくて それはたまたま親と同じ資質、性質があったからそうなったんじゃないかと思う。
親とは異なる資質、性質を持って生まれたら 他の人格(パーソナリティ)障害を抱えることになるだろう。
わたしの人格(パーソナリティ)障害の傾向は「スキゾイド」というものが当てはまっていて、初めてその存在をして傾向を読んだ時は驚いた…これはわたしのことだなと思ってる
毒親・自己愛性人格(パーソナリティ)障害の人に育てられた子どもは発達障害のような行動を表してしまう…何らかの人格(パーソナリティ)障害を抱えてしまう…という情報をTwitterから得た。
なるほどな 遺伝的な発達障害(特性)を持って生まれてきたのではなくても発達障害のような行動…確かにあった 小学校の頃 忘れ物や遅刻も多かった。
…幼稚園の頃からそうだった 親が朝に起きていないので、幼稚園はいつも遅刻で 帰りのお迎えは忘れられていて、いつも一人で幼稚園の庭に残っていた。ことを覚えてる
過去記事
「社会を良くしよう!」と思った闇①
https://ameblo.jp/kumagai-momo/entry-12810073334.html「社会を良くしよう!」と思った闇②
「社会を良くしよう!」と思った闇③
「社会を良くしよう!」と思った闇④