哲学的な言い方は自分入門書数冊読んだだけで

よく理解できない事ばかりです。


ノエシス、ノエマとか未だ不明です。


仏教で言う体タイと用ユーのことなりかなと

文脈で思っています。


ということで


人間の見方についてですが


西洋流の哲学では

『実在』と『実存』を分けます。

実存を哲学が考究初めたのは

フッサール、ハイデガーあたりが始まりですが

彼らは自分を実存といっていません。


いずれにしてもつい最近です


東洋は大昔より人間の実存を


是だけを考究し続けてきました。


心が意識自明であるという

ことで

解剖学生理学初期の心理学があります。


東洋では心とは何ぞや

言葉では表せないとしています。


意識、心、言葉はイクオールです。

西洋流においてですが。


これが破綻しています

この世界のアラユル情性が

すべて破綻しています


破綻していると浮世を見るか

破綻していないと見るか


どっちにしても浮世の事実は

一つですが


心をどう見るのか

是によって

人間の

生き方が

まるで正反対になります。


浮世を見るのは心ですから


浮世観がそのまま心なのです。


wanton様の記事は

ショッチュウ削除というのですか

消されています。


拙いという価値判断があるのですね。


拙くない枠の中で

何でもやってくれということです。


価値の基準について


この浮世はマスメディアがリードしていて


マスメディアの存在自体は

否定する事が

拙い浮世です。


存在を盛り上げる枠内でのみ

マスメディアは

いくらでも

どうぞ批判なさってください


マスメディアが安泰である限り

この浮世は

価値判断の基準はマスメディアです。


般若心経では


『遠離一切顚倒夢想』オンリイッサイテンドウムソウ


と是非善悪をあげつらうなと言っています。


葉隠はこの点について具体的に

人間がどうなるのかを

教えています。


「勘定モノはすくたるものなり、勘定は損得の考えするものなれば

 常に損得の心絶えざるなり、死は損、生は得なれば死ぬ事を

すかぬ故、すくたるものなり」と書き出しです。


武士道が潔く腹を切ることを教えてる風に

矮小して読まれてるようですが。

武士に限らず

人間一般の生態の自然を言っています。


明治の大宗教家も同じことを力説しています。

人間死ぬ事が

恐怖の中で一番強烈なのだと


この死の恐怖を持つ人間は

死をおそれ、

財産を失う事を恐れ

権力、名声を失う事を恐れ


すべてがこの安心を求めて

生きるのだと。


善悪では無いのです


こういうものなのです


是は東洋の伝統的な

人間観です。


現代は


死の事を避けています。


死の恐怖で生きる人間であることを避けていながら


現世一本で

生きています


火葬場に勤務し

終えてからも

葬儀に関わり続けて


現代人の強烈な


死の忌避

死者の無視にきづいています。


要するに

他人のことなど

構ってはいない

現世主義なのに


死者のことを

心から思ってるなんてことを

平気で言い合う社会です、


終末、末期医療がむごたらしい

人間のいじめ、医療実験であるのに


アホ政治家のいうことを

非難するためには


医療を決める自由は


あるはずだと


どなたかのブログで

拝見です


何故こういう偽善を言うのでしょう


自由ですか

実験材料に

心電図見ながら

電気ショック与えるのが


死ぬ本人のじゆうですか?


あほなこと


ですよ


親しい人を

電気ショックで

最後の最後まで

苦しめて

医者の言う事


本人は苦しい形相をしてるけれど

本人は苦しんでいませんよ


というのを信じる。


これが心の


『信じる』ことの皮相です。


親しき親族の最大の悲劇を

見ながら

ご本人が口も利けないのを

見ながら


こういう医療を

受ける自由があると


あほな政治家の言う事に


翻弄されて駄目ですよ。


般若心経の読ジュお勧めします。


日本は


敗戦前の心を


取り戻さなければ


滅します。


この国のマスメディアの事実を

討論されています。


俵という人が


何故? 何故?を連発しています。


これが

この国の

できレース

マスメディアを

よくあらわしています。



選挙の最中に

小沢さんは関東移住も含意にして

『移住のことも考えていかなければ』


と発言しました。

爺はうかつにも

是は

本気だなと

思いましたが


一向にその後、政権の横暴には

選挙中に関わらず

黙し続け


未だに

誰も移住のことなど


何のこと?で黙しています。


不正、選挙も


口だけの森という人の口上を

ブログで拝見ですが


『今はいってはいけない』という風な事です


確かな証拠がないから


責任ある政党としては


言う事ができない


そうです。


どういうことですかね?


皆さんは何の疑問も無いのですかね。



放射能でむちゃくちゃなこどものことは

言ってはいけない


原発反対はOKですよ


反対!反対!と言わせておけば

ガス抜き効果十分だし


官邸デモsどうぞ


なにを言おうが


原発を推進するのは

動かせないのだから


其のうち時期が来れば


いいようにやるのですよ。



こどもたちは絶望的

泣いていますよ


皆さんが


お遊びしているのを

見ていて。


自分は政治行動も

政治発言も


一切しません


ただ、皆さんが


あほな政治言論を

楽しんでしてるナァと


思ってるだけです。


健康法なのかな

是もと思っています。

何のことやら

気にもせず

今まで何度も繰り返し読む

鈴木大拙の著書で


今夕は

気になってきたところです。


宗教の

信じる、祈るを気にして


本を読み始めた爺ですが。


人が人を信じる


是はどういうエネルギーのもとで

ありえるのか。


西洋哲学では

サルトルは

自我のある限り

周りはすべて敵であるのが存在論の自然であると。

僚友のメルロポンティは

自己の人間を

主体と見るだけでは

サルトルのとおりですから

自己の人間を

主体客体の両義性を持つのだと


考究です。


日本の

親鸞の浄土と穢土のかかわりで

信じる

阿弥陀を信じることで

どうして

救われるのか、成仏できるのか

大拙が素晴らしい解説をしてくれています


相容れないモノが合一、一体となる

エネルギーは

親鸞の場合は

このエネルギーを横超といいます。


禅宗の場合は


見性でしょうか


相容れないモノは

そのまま二つある

横超も同じですが


人間の心の在り方が


隔絶したものを

隔絶したままで

かまわないけれど

同じもの(では無いけれど)

に思ってもかまわない

という気分になる事


これが

親鸞の場合は

安心決定であり成仏です。

禅宗の場合は

見性であり、身心脱落であり、無一物中無尽蔵です。


隔絶する

異なるものが

合一や一体となるには

物理学の考究

よく分かりませんが

ゼノンという学者が

あるものからあるもの

へは異なるのだから

絶対に連続は不可能だといったとか。


物理学者でも説明がつかないで

飛び越えるしかない

といったとか

不思議で面白い事と


爺は危機神学のどういうこと言ってるのか

興味が湧いた夕べです。

ご存知の方が

教えていただけたらありがたいです。

タンポポライオン様の記事

とても

考えさせられる

いい記事ですね。


男と女、仕事の現役とリタイアー


裕福な人と其の日の生活にだけ必死な人



いろいろで


記事のとおりが現実の姿だと

以前より

ずっと思っています。


マスメディア、NHKで生きてる人と

ツイッター、ブログ、ネットで情報集める人

書籍で集める人


いろいろですが


森を見て木を見ない

というのが立場の異なりで

生じることがあるかも?

というお考えは間違ってると思います。


耄碌爺が

しきりに駄文ばかりしています

自我は反発するのだと。

自我の二人がいて話し合いで

異なる意見が合意できるなんて

嘘ですよ。


と言ってることに直結しています。


だからあえて

いい記事なんだけど

いい記事だからこそ


しつこく駄文します。


自分の見方、観方が正しいと思う

これが自我です。


自我がある限り

異なる自我の他我は人間は受け入れないのです。


受け入れること

相手の話を

よく受け入れて聞きましょうね

和やかに相手の立場に

なって話し合いましょうね。


是で浮世がうまくいく


是は幻想です。


自我のあり方

を東洋の思惟は


とことん追求し続けています。

我執は滅する事が不可能なのです、


我執は相手を軽蔑、馬鹿にするのです。


『八風吹けど動ぜず』

慈雲飲光という禅師の言葉です。


このようには人間はなりがたいのです。


現代日本では

自我のあり方を

まるで反省しないで

自我のぶっつけあいこそ

建設的で

前向きだという


国中の建前です


現実は自我の実現

自我の調整では

動いていません


国内も、世界も、


自我を無我にしたほうがよいことだと


いう風に仏教を皆さんとらえています。


違うのです、


人間の心とは

どういうものか


古代より追求し続けている


仏教に限らず


道教他神ながらの思想も皆同じです。


是を日本人は


最も誇りとしてきた民族ですが


心のことを言うなんて

精神主義で


何の論理も無であるという風な


決め付けが


教育、マスメディアによってなされ続けてきたのです。


世界中で今では

戦前と真逆で


もっとも心を看過する民族になっています。


このことを

今日、

『感性のめいろ様が必死に記事にされています』


日本のマスメディアで

完全に


葬られています。


『明日を信じられる時代になってほしい』さま。


『wanton』様に速報かいせつです。


お二人とも

正しいと感受です、


仕組まれた邦人殺害です。


テロは悪いに決まってるけど!


などという


人は


国際情勢の複雑さを看過です。


中国を機軸に


国際間に緊張を作ることだけで

生き残りをかけています。

戦争が無になれば

アメリカはまもなく

終わりですから。


日本は番頭で国民も国民の税金

もすべてアメリカの有利のため


ささげます、


こんなだ文でさえ


マスメディアと


異なる意見だという理由で


消される心配を


常に持つ自分です。

仏像があって

有名な仏像ですが


珈琲館でアルバイトの方が


卒業論文で

この仏像を提出したのだ


と昨日、聞いた。


宗教の絡みが論文では


あるの?


と聞いたら


美術史学だから


「手法」で関わるという事。


お仕事中だからそれ以上

話はできなかったけど。



とても興味がある


美とは何か


彼女はどういう風に

美を捉えているのか


できれば卒論をコピーで

みせてくれないかなぁ

とおもう


たまにしか


アルバイトにこない

真面目一本の女学生


こういう日本人が

昔は

いたのに


とつくづく思う。

に、自分たちが住んでいて

愛だ、人権だと


言い合う軽い日本人です。


福島で誰がどうなろうともいいのです。

命、生活、未来への夢を持ち生きたい心

子供の心など


何か、それより大事なことのためには

なんでもないこと


戦争も同じです、

他国だろうが、日本国民だろうが

人を殺す事が良い事


なにかのために命など屁の喝破です。


死刑も同じです。


理屈がうわまわれば

殺人した人間はh極悪人で

死刑執行は人殺しではない。



こういう社会に日本はみんなで住んでる


アメリカは


他国が不正義であれば


他国民だろうが

あらゆる手段で

人を殺すのがよい事とする国是の国


戦争は正義です。

日本は

この地球上で

最もアメリカに


賛同して

動き続けています。


この国で


人が人を殺す事を


あぁだこうだと


まぁノーテンキな事です。

意識は心と、

普通に今日本人は考えている。


心は頭脳だという事だ。


♪心と心、意識と意識の間には深くて暗い川がある♪


のに自我を思い切り持ち出している


自我はぶつかり、浮世に修羅を

作るだけなのに

自己実現

自分探し、

充実した自我の実現


自我が相手の自我を

屈服させたとか

ドレイニしたとか

召使のように従順にした


ことの体験など

誰にも一度も生まれてこの方

無いはずだけど


不思議なことには

自我を押し出して


相手は納得して心から

自分と同じ気持ちで

動くようになってる



と事業者でも政治言論でも

不思議なことには

建前が

そのまま実現してると

思って生きてる

不思議なことだ


『そういち』様のブログ今拝読でこんな事を思う。


自己実現は内に向かう事がすくない

他人にしっかり見ることができる成果

を自己実現してる。


自我、自己というのは


自分たち庶民には


抜きがたい幻想だと、

無いと言うのではなくて

自我のあり方について


思い込みが幻想だということ


政治家はこういう幻想を持たない

人種だろう


人種が異なると思う


自我を実現する事が


言論や言葉で無い事を

わきまえてる人種だ


自我を他人に納得させる

共感させることは

不可能だとおもう


政治家は自我を、自己実現を


自己の我執実現が浮世に具現成就

できるのは

金権、権威アラユル権力だと思ってる、


庶民に

戦争は庶民の利益だと


偉いことまでも


思い込ませる事


是は自我では不可能です。


アラユル手立てを


昂じて


何年も


人民を、自分の意のままに


改造する事


意識でできること

心でできること

では無いと思う


西洋では

つい最近まで

心は意識、意識は心


哲学者まで、皆さん是で


いい加減な上っ面な生き方


心は人間世界の基本だろうに。


東洋では

大昔より


こんな風には考えなかった


2000年以上も前から


意識は

五感で感受して人間に作用する働きとは

別にあるものとしてきました、

感覚ですが

西洋では是にきづいたのは

パブロフで有名ですが

つい最近です。


東洋では

この五感を意識とは別だけど身体に作用するものとし

五具の意識とし

五具以外の意識を独頭の意識として


凄い事には古代より


この独頭の意識を

さらに三つに分類しています、

それだけでも凄いのに

ついさいきん西洋では

フロイドあたりで

発見された深層意識

西洋理性では悪魔の心と

世界中で当初は猛反撃されたのでしたが


東洋では紀元0年前後に既に

深層意識の発見が在り

是もさらに細かく分類して

考究し続けています


意識、心は


言葉では表せ無いと言うのが

東洋の思惟ですが


西洋の思惟で


つい最近

脳死が日本の叡智に決定されました


命とは解剖学的に

見ての

対象物としての命だという事です


人間の生きる命は

対象物であると同時に

実存である事

実存が生きる事です、


この実存、命は

言葉で言いあらわせないと


東洋では

伝統的な人間の気分です


せいようりゅうでは


他人のいのちなど

物の数にもならない!

のではなくて

モノなのです。


物の数なのです


だから福島のこどもたちの命、実存

への思いやりなど

起きる事などは

ありえないのです


思いやってください!

なんて

間抜けを皆さん言いますが


思うことが彼らには

頑張っても不可能なのです。


命を数だと


実在する生き物の命

対象としてしか見ることができない人種です


例のごとく、いつものごとく

脱線、支離滅裂ですが


こんなものでしょう

『そういち』様の感想として。



考えないのが現実です。


絶対といっていいほど考えなく

なってるのが

マスメディア、教育のせいなのです。


自分で考えるという事は

なににつけ

とても

嫌な事、むづかしいのです。

反面、自由な自分が生まれるのですが


マスメディア、腐った教育で


頭がおかしくなっていて

世間が言う

こう考えろというお膳立てメニューの

どれかを選んで自分の考えにする


是は芯の人間の自由が無になってる情況で


敗戦により


木っ端微塵にされて

以後ずっと奴隷で生きてきた

民族性

其のものです。


寄らば大樹の陰


これが奴隷根性ですが


昔はどうするか

自分で考えあぐねて

いずれかに内応したものだ


今は考える事さえ

しない民族


NHK ,マスメディアの手の内で


ガス抜きをされてるのにきづけない。