タンポポライオン様の記事

とても

考えさせられる

いい記事ですね。


男と女、仕事の現役とリタイアー


裕福な人と其の日の生活にだけ必死な人



いろいろで


記事のとおりが現実の姿だと

以前より

ずっと思っています。


マスメディア、NHKで生きてる人と

ツイッター、ブログ、ネットで情報集める人

書籍で集める人


いろいろですが


森を見て木を見ない

というのが立場の異なりで

生じることがあるかも?

というお考えは間違ってると思います。


耄碌爺が

しきりに駄文ばかりしています

自我は反発するのだと。

自我の二人がいて話し合いで

異なる意見が合意できるなんて

嘘ですよ。


と言ってることに直結しています。


だからあえて

いい記事なんだけど

いい記事だからこそ


しつこく駄文します。


自分の見方、観方が正しいと思う

これが自我です。


自我がある限り

異なる自我の他我は人間は受け入れないのです。


受け入れること

相手の話を

よく受け入れて聞きましょうね

和やかに相手の立場に

なって話し合いましょうね。


是で浮世がうまくいく


是は幻想です。


自我のあり方

を東洋の思惟は


とことん追求し続けています。

我執は滅する事が不可能なのです、


我執は相手を軽蔑、馬鹿にするのです。


『八風吹けど動ぜず』

慈雲飲光という禅師の言葉です。


このようには人間はなりがたいのです。


現代日本では

自我のあり方を

まるで反省しないで

自我のぶっつけあいこそ

建設的で

前向きだという


国中の建前です


現実は自我の実現

自我の調整では

動いていません


国内も、世界も、


自我を無我にしたほうがよいことだと


いう風に仏教を皆さんとらえています。


違うのです、


人間の心とは

どういうものか


古代より追求し続けている


仏教に限らず


道教他神ながらの思想も皆同じです。


是を日本人は


最も誇りとしてきた民族ですが


心のことを言うなんて

精神主義で


何の論理も無であるという風な


決め付けが


教育、マスメディアによってなされ続けてきたのです。


世界中で今では

戦前と真逆で


もっとも心を看過する民族になっています。


このことを

今日、

『感性のめいろ様が必死に記事にされています』