意識は心と、

普通に今日本人は考えている。


心は頭脳だという事だ。


♪心と心、意識と意識の間には深くて暗い川がある♪


のに自我を思い切り持ち出している


自我はぶつかり、浮世に修羅を

作るだけなのに

自己実現

自分探し、

充実した自我の実現


自我が相手の自我を

屈服させたとか

ドレイニしたとか

召使のように従順にした


ことの体験など

誰にも一度も生まれてこの方

無いはずだけど


不思議なことには

自我を押し出して


相手は納得して心から

自分と同じ気持ちで

動くようになってる



と事業者でも政治言論でも

不思議なことには

建前が

そのまま実現してると

思って生きてる

不思議なことだ


『そういち』様のブログ今拝読でこんな事を思う。


自己実現は内に向かう事がすくない

他人にしっかり見ることができる成果

を自己実現してる。


自我、自己というのは


自分たち庶民には


抜きがたい幻想だと、

無いと言うのではなくて

自我のあり方について


思い込みが幻想だということ


政治家はこういう幻想を持たない

人種だろう


人種が異なると思う


自我を実現する事が


言論や言葉で無い事を

わきまえてる人種だ


自我を他人に納得させる

共感させることは

不可能だとおもう


政治家は自我を、自己実現を


自己の我執実現が浮世に具現成就

できるのは

金権、権威アラユル権力だと思ってる、


庶民に

戦争は庶民の利益だと


偉いことまでも


思い込ませる事


是は自我では不可能です。


アラユル手立てを


昂じて


何年も


人民を、自分の意のままに


改造する事


意識でできること

心でできること

では無いと思う


西洋では

つい最近まで

心は意識、意識は心


哲学者まで、皆さん是で


いい加減な上っ面な生き方


心は人間世界の基本だろうに。


東洋では

大昔より


こんな風には考えなかった


2000年以上も前から


意識は

五感で感受して人間に作用する働きとは

別にあるものとしてきました、

感覚ですが

西洋では是にきづいたのは

パブロフで有名ですが

つい最近です。


東洋では

この五感を意識とは別だけど身体に作用するものとし

五具の意識とし

五具以外の意識を独頭の意識として


凄い事には古代より


この独頭の意識を

さらに三つに分類しています、

それだけでも凄いのに

ついさいきん西洋では

フロイドあたりで

発見された深層意識

西洋理性では悪魔の心と

世界中で当初は猛反撃されたのでしたが


東洋では紀元0年前後に既に

深層意識の発見が在り

是もさらに細かく分類して

考究し続けています


意識、心は


言葉では表せ無いと言うのが

東洋の思惟ですが


西洋の思惟で


つい最近

脳死が日本の叡智に決定されました


命とは解剖学的に

見ての

対象物としての命だという事です


人間の生きる命は

対象物であると同時に

実存である事

実存が生きる事です、


この実存、命は

言葉で言いあらわせないと


東洋では

伝統的な人間の気分です


せいようりゅうでは


他人のいのちなど

物の数にもならない!

のではなくて

モノなのです。


物の数なのです


だから福島のこどもたちの命、実存

への思いやりなど

起きる事などは

ありえないのです


思いやってください!

なんて

間抜けを皆さん言いますが


思うことが彼らには

頑張っても不可能なのです。


命を数だと


実在する生き物の命

対象としてしか見ることができない人種です


例のごとく、いつものごとく

脱線、支離滅裂ですが


こんなものでしょう

『そういち』様の感想として。