続きの、つづきです。
私の経験や個人的な感想を綴りました。
不快に感じる方は、ページを閉じて下さい。
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たっくんは、
2歳9ヶ月で自閉症と診断されましたが
1歳の頃から、多動は顕著でした。
お腹に妹がいる時も、ゴソゴソ動き回り、
私は大きなお腹で、
追い掛けたり、抱っこするのも一苦労
この大変さは、出産したら終わる
そう自分に言い聞かせながら、
お腹がつっかえて、
自分で靴下を履くのもやっとという状態だったけど、なんとかやっていけた。
そして、
妹を出産して、
我が家は、5人家族になりました。
出産して、身軽にはなったけど、
たっくんの多動は酷くなるばかり
まだ首の座らない妹を、
スリングに入れて、
たっくんを散歩に連れて行くのは危険だった。
妹をベビーカーに乗せても、
ベビーカーで追い掛けたり、ベビーカーでは通りにくい所へたっくんが行ってしまうので、
散歩は諦め、
暫くの間は、引き篭もっていた。
この頃も、辛くて辛くて…毎日が限界。
昼夜問わず妹の授乳とお世話。
睡眠も確保できない。
外にも出られない。
妹の寝ているベビーベッドに、
たっくんがよじ登ろうとしたり、
たっくんの泣き声で、妹が起きて
泣きの連鎖。
妹の授乳中に、たっくんが何度も何度も
テレビのリモコンを持ってくる。
巻き戻し、早送りの要求。
少しでも違うシーンだと癇癪&大泣き!
外にも行けないので
テレビを観せるしかなかった。
当時、お兄ちゃんはお兄ちゃんで
幼稚園で色々あり、
私は、心が落ち着く時間がなく
気が狂いそうだった。
でも、この頃は
診断が下りていなかったので、
【耐えれば、時が解決してくれる。】
と信じていた。
だから、やっていけたんだと思う。
たっくんに自閉症の診断が下り、
一旦は、落ち込んだものの、
週5で通う療育が決まったことで、
これからは、きっと上手くいく!と
前向きに考えていた
…つもりだったけど、
それは、前向きではなくて、
ただの理想・願望だった。
そこが違うと、気が付いていなかった私。
生活の変化はあったものの、
たっくんが変わった訳ではない。
母子分離の療育だったけど、
遠方にあり、送迎は各自でするため
たっくんが療育に行っている間は、
妹と3時間、車内で待機。
(帰宅すると時間が勿体ないのて)
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これはこれで地味にキツかった…
一向に生活は、楽にならない。
問題がすり替わっだけに思えた。
うまくいかない…
前向きになったつもりだったけど、
それはただの理想で、
現実とは、かけ離れていた
私の心は再び【闇】に包まれていく
月日を重ね、妹もだんだん動けるようになり、
見守りが大変になった。
朝、お兄ちゃんとたっくんのお弁当を作ったりとバタバタしている間も
たっくんは、色々やらかしてくれる。
いつもいつも、邪魔してばかり…
手のかかるたっくんを
疎ましく思うように…なってしまった。
ある日の朝、私が準備している間に
うんちを触っていた。
こんな事、しょっちゅうある事なのに、
その日は特別イライラしていて
「もう!いい加減にして!!!!」
「いつもいつも、邪魔なんよ!
あんたなんて、どっか行けばいい!!!」
と怒鳴り、
「生むんじゃなかった!!!!」
とたっくんに言っていた。
それから自分の中の何かが、決壊した…
今まで抑えていたものが、抑えられなくなり
ここに書くのは
躊躇するぐらいの暴言を吐いた。3歳の子に。
最悪な母親。
自分でそう思いながらも、
負の気持ちは溢れ出す。
私がいなかったら、この子は死ぬ。
散歩中に、数分
目を離したら事故を起こすに違いない。
でも、事故を起こすと相手に悪い
だったら崖に突っ込もう。。
そんな風に、思うようになってしまった。
※それは昨年の9/1のブログに書いています
そして…
いつも邪魔ばかりしてくるたっくんを
“足かせ”の様に感じていた。
いつからかは、分からないけど
私は「たっくんが喋る夢」をよく見ていた。
願望の塊、そのもの。
劇的に、成長するたっくんの夢。
(またこんな夢をみた…)と虚しい気持ちになっていた。
そして別の日の夢で私の醜い本心を知る。
お風呂の浴槽に、たっぷり水を張り
仰向けになっているたっくんを…
浴槽に、沈める夢をみた。
「なんて事をしたんだ」と飛び起きた!!!
夢で良かった…
でも、こんな夢をみるなんて
やっぱり最悪な母親。
夢が衝撃過ぎて、暫く経っても気持ち悪い。
でも、この夢…
何度もみてしまう。
髪がまだ長い頃のたっくん。
たっくんは、私をジーと見つめている
私は、たっくんの両肩を押さえ沈める
たっくんの前髪が、揺れながら沈んでいく
私を真顔で見つめながら…
自分が望んだ妊娠。
不妊外来に通い、思い悩みながらも
やっとの思いで授かった、たっくん。
なのに、
思い通りにいかないからと
我が子を、殺める夢をみるなんて、
最悪
最悪
最悪
自分が、自分で嫌になる。
全てやり直したい。そんな気持ちだった。
夢は、願望の表れともいう。
たっくんが喋るようになる夢なら、
わからないでもないが…
あまりにも身勝手で残酷な夢。
私のような人間が
母親になるべきではなかった
と自分が自分で恐ろしくなっていた。
アメブロで障害児育児をしているママさんのブログを読むのが日課だった私。
子供に障害があっても、
育児を楽しんでいるママさんのブログを見て、
参考になることはあっても、
共感できる部分がない。
読んでいるうちに自分と比べてしまい、
自分が惨めになる。
もう、この人のブログを見るのをヤメよう
と、フォローを解除したりしていた。
生活は楽にならないし、やっていく自信もない。
本当に、崖へ突っ込みたい気持ちだった。
実は、この夢の話を
少し前に、たっくんの事を知っている友人に
打ち明けた事があります。
友人は、ウンウンって聞いてくれた。
私を責める言葉も、無理に励ます言葉も
言わず、とにかく聞いてくれた。
ずっと懺悔したかったこの気持ち。
友人に話して、心が軽くなった。
(勝手な話だけど…)
たっくんを
“足かせ”のように感じでいたけど…
“足かせ”は、
自分自身なのかもしれない。
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私は、責任・使命・義務
そんな気持ちで子育てをしていた。
今まで療育を通じて、沢山の人と出会った。
たっくんが健常だったら
出会わない人達。
良い事も、悪い事も、
知って良かった事も、知りたくなかった事も
色々あったけど、
最終的には、自分を認めてあげることが、
一番大事なんだと、気付かせてもらった。
今まで辛い事が沢山あったけど
過去の自分が、
今の自分に叫んでいる感じがする。
辛かったこと、
苦しかったこと、
悔しかったこと、
涙が止まらなかったこと、
自分の中で、
見て見ぬふりをしないで
ちゃんと受け止める。
決して、過去の気持ちを
有耶無耶にしてはいけない。
私は、辛かったんだ。
叫びたかったんだ。
自分を褒める事も忘れてはいけない
家族も大事。自分も大事。
やっと分かった気がする。
それを色んな人が気付かせてくれた。
世の中には、
私達のような、障害児を抱える家族に
出会わない人もいると思う
私達を、素通りしていく人もいると思う
でも、私達家族に出会ってくれた人には、
私は全力で応えたいし、
私は、その人の事も知りたい。
どうせこっちの世界に来たんなら
もっともっと覗いて、
色んな人と出会いたいと思えるようになった。
過去の自分の気持ちを
ちゃんと受け止め、懺悔して、
自分を認めよう。
そう思いました。そう思えました。
また写メしてしまった。

長くなってしまいましたが…
最後まで読んで下さりありがとうございます。
いつも“温かいコメント”や“いいね”に
心救われています。

障害児育児4年目
ゆる〜く、がんばります!

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我が家の3人きょうだい
よろしくお願いします!






