2020/09/01に書いた記事です。

私にとって【9月1日】は、忘れられない日

育児から、障害児育児となった日

 

上矢印前回のつづきです。



たっくんの“逆さバイバイ”を見てから、

私は、ますます検索魔となっていった。


誤診や劇的に成長を遂げたエピソードを
何度も何度も、読んだ。



実は、たっくん
1歳の時は“普通のバイバイ”をしていた。
バイバイニコ



それが、いつしか反応が悪くなり、
下矢印

気がつくと“逆さバイバイ”に変化していた。
下矢印

現在は、“逆さバイバイ”もしません。


これは典型的な折れ線型自閉症?!
※出来ていた事ができなくなる。発達に後退がある

※因みに、たっくんは1歳半健診ひっかかってません

たっくん、それは乗り物じゃないよ

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私は、完全に「自閉症」という言葉を
意識するようになり


「たっくん!ありがとうだよ!言ってみて」


私の目の前に、たっくんを座らせ
物を渡し、「ありがとう」とお辞儀をして見せる。


でも、たっくんは目の前の私を見ておらず

すぐ立ち上がって、どこかに行こうとする


「たっくんもやってみて!こうだよ!」
再びお辞儀をして見せるが、反応は無い。


私は、だんだん焦ってくる


「たっくん!お願いだからやってよ!」

「ありがとうだよ!分かる?」



でも、やっぱりたっくんは反応が無い。

ドコを見ているのかさえ分からない。



私は耐えられなくなり

「なんで…なんで、分からんのんよ!」



まだ赤ちゃんだった妹とたっくんの前で

泣いた事もあります。




今、考えると…
そんな事をしても意味が無いけど


当時の私は、発達が皆に追いつくよう
必死でした。






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たっくん2歳、
妹は、まだ数カ月の赤ちゃんだった頃、

ママ友に誘われ、育児サークルへ行った


妹を抱っこ紐に入れ、たっくんと手を繋ぎ、
駐車場から玄関まで移動するだけで大騒ぎ!

※たっくん、この頃から初めての場所は苦手でした。


何度ここに来ても、駐車場から玄関までスムーズに移動が出来ない。



毎週ある育児サークルだったので、

いつからか職員の方が
駐車場まで迎えに来てくれるようになった。


私は周りのお友達の様子が気になり、
ママ達とお喋りどころじゃない。



お喋りが上手な子、ママに甘える子、
お友達と喧嘩しちゃう子

色んな子、“普通の子”



たっくんは…

ずっと泣いているか、
泣き止んでも、すぐに外へ出ようとする。



皆と違う。“普通じゃない?”


普通って…何??

それが分からないけど、やっぱりたっくんは皆と違う。


私は、職員の方に発達の相談をした。


職員の方から、
児童発達支援センターへ再度連絡してみては?と言われた。

※以前電話した時、3歳まで様子見と言われていた



私は、センターへすぐ電話をした。

最近のたっくんの様子を伝え、
育児サークルの職員の方から連絡するように言われたと伝えたら、


発達検査と療育相談を受けることに…


そして、


2歳9ヶ月の時、自閉症と診断された。


薄々、分かっていたけど、
やっぱり信じたくなくて、診断を聞いた日は

泣きながら運転して帰った。


私の中で積み上げてきた、
理想の5人家族像が、ガラガラと音を立てながら崩れ落ちていくようだった。。



それからは、絶望しかなく…

誤診である事を願った。


以前ネットで何度も読んでいた
劇的に成長を遂げたエピソードを

毎日毎日読んだ。何度も何度も。



たっくんが3歳になったら、
入園させるつもりだったので、就園先を探していたけど、


診断がつくと、

今までこちらが選ぶ立場だったのに、
立場が逆転し、

幼稚園から選ばれるようになり、
立て続けに3つの園から入園を断られた。



お先真っ暗。


とは、この事だ。


絶望、それしかない。

悲観するなという方が無理だった。



でも、こんな私だったが
就園先が見つかると、

前向きに考えよう!と思うようになった






が!



それが、いけなかった。



本当の【闇】は、これからだった…

つづきます。