●前提の違い
ADHDの私が長年生きてきて、
はっきり分かったことがある。
それは、人間関係のストレスの多くは
「性格の違い」ではなく、「前提の違い」
から起きているということ。
私はこれまで、「ちゃんと伝えれば分かってもらえる」
と思っていた。
だから、できるだけ具体的に言葉にしてきた。
「それはやめてほしい」
「こうしてもらえると助かる」
「このやり方だと私はうまく対応できない」
曖昧にすると混乱する。
だからこそ、はっきり伝える。
これはADHDの私にとって、ただの“わがまま”ではなく、
生きていくための必要な工夫だった。
でもある時、気づいた。
この「具体的に伝える」という行為が、
相手によっては「うるさい」「細かい」
「指示が多い」と受け取られていることに。
●なぜ思っていることを
そのまま伝えては行けないのか?
正直、最初は意味が分からなかった。
お願いしているだけなのに。
自分が困らないように説明しているだけなのに。
なぜ、それが否定的に返ってくるのか。
でもそこで、ようやく理解した。
そもそも前提が違う。
相手は「察する」「空気を読む」「なんとなく合わせる」ことを前提に生きている。
私は「言語化する」「明確にする」「ルール化する」ことで生きやすくなる。
この時点で、もう使っているOSが違う。
だから、どちらが正しいかではなく、
単純に「互換性の問題」だった。
ここに気づいてから、私はやり方を変えた。
まず、伝えることはやめない。
これは自分を守るために必要だから。
ただし、伝え方を少し変える。
「○○してください」ではなく、
「○○してもらえると助かります」
「○○までにお願いします」ではなく、
「○○までにお願いできるとありがたいです」
同じ内容でも、受け取り方は変わる。
それでもなお、
「うるさい」と返ってくる人がいる。
ここで、昔の私は踏ん張っていた。
どうにか分かってもらおうと説明を重ねる。
言い方を変えて、例を出して、理解を求める。
でも今は違う。
そこで、線を引く。
「ここから先は、入れない」
それは拒絶ではない。
切り捨てでもない。
ただの“境界線”である。
なぜなら、それ以上関わると、
確実に自分が削られるから。
ADHDの私は、
一度ストレスがかかると回復に時間がかかる。
頭の中で反芻が止まらない。
言われた一言がずっと残る。
エネルギーが一気に持っていかれる。
だからこそ、
「削られる関係」を放置することが、一番のリスクになる。
ここで誤解してほしくないのは、
相手が悪いと言っているわけではないということ。
長年そのやり方で生きてきた人は、
そのスタイルが“当たり前”になっている。
人の話を受け取れないのではなく、
受け取る必要性を感じていないだけかもしれない。
そしてそれは、外から変えられるものではない。
心の扉は、外からは開かない。
どれだけノックしても、
どれだけ正しいことを言っても、
内側から開ける意思がなければ、開かない。
●誰にでも分かってもらおうとすることをやめた
誰にでも話せば
分かってもらえるわけではない。
闇雲に心の扉を
開けようとすることを
やめた。
その代わり、
最初から「開ける気のある人」とだけ関わる。
こちらの言葉を受け取ろうとする人。
違いを理解しようとする人。
歩み寄る余地がある人。
そういう人だけを、自分のテリトリーに入れる。
その結果どうなったか。
人間関係の数は減った。
でも、圧倒的に楽になった。
静かで、無駄な消耗がなくて、
自分のエネルギーを守れるようになった。
◾️まとめ
ADHDの私にとって大事なのは、
「誰とでもうまくやること」ではない。
「自分が壊れない環境を選ぶこと」である。
そのための境界線は、
わがままではない。
生きるための設計である。