Chajinの 徒然フォトブログ -46ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

7月に山室湿原を訪れお会いした野の花ベテランの方にサギソウが咲いていますよと
教えて頂き訪れてみました。8月の月末でした。

いつも記しますように純白の美しさに惹かれます。






ツルリンドウ



サワギキョウ


緑の苔とキノコが目に留まりました。




今回もお目にかかれましたハッチョウトンボ、2匹いました。 2センチ程のサイズ、先回教えて
頂かなければトンボの仲間とは分かりませんでした。






ミミカキクサ。小さい小さい花です。ハッチョウトンボを見ていた方に教えて頂きました。

野の花好きな方々、お尋ねすると本当に親切に丁寧に教えて下さいます。






この後、ひるがの湿原植物園を訪れました。

4月下旬、ミズバショウを楽しむ湿原です。




入口前には秋の七草が群生しておりました。
この地、海抜1000m程あり、美濃平野地方に比し秋の花々の開花が早くなります。

オミナエシ(女郎花)。



フジバカマ(藤袴)


ハギ(萩)



尾花(ススキ)




マツムシソウ









ここでしか見ることがない珍しいシラヒゲソウ。







ワレモコウですが、こちらは少し長い ナガボノワレモコウ。



ミズギク







コウホネ



コバギボウシ



コオニユリ



近くにお住いの方にお会いしましたが今の季節、春と共に手入れして花々がいっぱい咲いてくれて
いるのにコロナ禍で訪れて下さる方が少なく寂しいと言われておりました。




ひるがの高原を訪れると蕎麦所荘川でそばを楽しむのが慣例です。荘川は高山市になります。

そばの里荘川には満開のソバ畑が広がっていました。












荘川にアユ釣り人、川沿いにソバ畑。




今回は大きな水車が回るそばの里荘川 心打亭。お昼時でしたが5,60人程のお店に
お客様は1家族のみでした。そば処の手打ちそば、美味しく頂きました。






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和歌山城は二度ほど道路から眺めたことがあるのみ、初めての訪問です。

豪雨警報の中、瞬時に降ったり止んだりが繰り返されました。


天正13年(1585)秀吉が紀州を平定し、名高い藤堂高虎らを普請奉行にして造られた近世城郭。
関ケ原合戦の後、元和5年(1619)、徳川家康の十男・頼宜が55万5千石を拝領して入国し
御三家紀州藩が成立しました。

その後、八代将軍吉宗、十四代将軍家茂(いえもち)を輩出しました。

昭和10年に国宝に指定されるも20年7月の和歌山空襲で焼失、昭和33年に鉄筋コンクリートで
再建されたもの。




西の丸庭園。



ここでまた大雨。




御橋廊下
藩主が生活している二の丸と、庭園がある西の丸をつなげる傾斜のある橋。藩主が移動するのを気づかれないために、壁付になっていたという。
江戸時代の図面をもとに復元されているおり、実際に通ることができる。







二の丸跡より裏坂を天守に登ってみました。 
途中に井戸、銀明水。城内に他に40カ所ほどの井戸があるそう。




天守、ここでまた大雨。






  





城内の資料は撮影禁止が多い。



藩主が使ったであろう革製の陣羽織。




嫁入り道具を運んだであろう長持。 




12代藩主、徳川斉彊( なりかつ)画のハッカチョウ図。




天守最上階の外に回廊が造られていて一周することができまし

東方には雨に霞む山の中腹に先に訪れた紀三井寺の大仏殿がうっすら望めました。



乾櫓の西南方向には紀ノ川の河口部、目の前の中央の肌色の建物は和歌山県庁。



直ぐ西には和歌山市役所。



天守内で3,40分過ごした後外へ出ると雨は止んでいました。 天守楠門。









苔むした石垣。最下段の石に記号が見られます。 2000個を超える石垣の石から色々な刻印が
見つかったそうです。










和歌山から奈良経由で名神へ、高速でも豪雨の中をゆっくり走って帰宅しました。

夏休み、非常事態宣言発令中でしたが雨もあって何処も彼処も人混みもなく訪れることができました。


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高野山の山を下って宿泊地の白浜温泉に向かい、まず円月島。
白浜のシンボルとして名高い。島の中央に丸い海食洞があいたユニークな姿が名の由来。
黄昏の美しさで知られますが、この日は夕日の美しさは楽しめそうもない。



2014年夏休みの白浜温泉旅行


千畳敷、砂岩が長い年月の間に波によって浸食されてできた岩畳。














荒波にそそり立つダイナミックな絶壁。 高さ50mの大岩壁が南北2kmにわたって続く勇壮な風景。










白浜の人気スポットは学生さん達の夏休み旅行客ばかりのようでした。
年配者はなるべく近寄らないように。

この後白良浜へ訪れましたが海水旅行客で賑わい、車を駐車できる場所がありませんでした。


白浜温泉、かつては熱海温泉、別府温泉と並んで「日本三大温泉」と言われ、温泉として非常に
歴史が古く、日本三古湯のひとつに数えられた。

この後、こじんまりした和風の温泉旅館へ。
コロナ禍が厳しい中、宿泊は3グループ。館内でも、温泉でも他の方に出会うことはありませんでした。
きれいなお部屋や美しい手入れの行き届いお庭、ゆったり浸かれた温泉、ご主人のおもてなしなど
期待以上の一晩を過ごさせて頂きました。



翌朝、あらためて白良浜(しららはま)へ。
白浜の名の由来とされる長さ640mにわたる白砂の海岸は、関西を代表する海水浴場。.




白良浜の片隅の西行法師の歌碑。










白浜では一部青空も見えましたが朝のTVニュースで和歌山には豪雨警報が発令されていました。


この後雨の中、阪和道を大昔学生時代の夏休み旅行でも訪れた、安珍、清姫伝説で知られる道成寺へ
向かいました。
ところが道成寺参道も駐車場も冠水して通行止めで近寄れず。


次の予定地紀三井寺へ向かいました。

紀三井寺は、今からおよそ1250年前昔、奈良朝時代に作られた古刹です。
那智の青岸渡寺を1番、当地西美濃の谷汲山華厳寺を三十三番満願霊場とする西国三十三か所
観音霊場巡りの第2番札所で救世観音宗本山。

紀三井寺と言えば楼門から231段の急階段があることで知られますが、今回雨足がひどく
たまたま見つけた裏門から山上パーキングまで車で行くことができ、さらに駐車場からは
エレベーターで本堂へ着けると案内頂いてこちらを選びました。




紀三井寺と言われるように境内には三名水井戸がありますが階段途中にあり、今回はお邪魔できません
でした。

紀三井寺のホームページから借用しました。




遠方からも、この後訪れた和歌山城の天守閣からも望めた大仏殿。



本堂には50年に一度開帳される秘仏御本尊十一面観音像と千手観音像。

新設の大仏殿には2008年に安置されたばかり、千手十一面観世音菩薩像。 木造立像では日本最大。
      (ストロボなしで撮影可)



国重文鐘楼




国重文多宝塔








目前に雨で霞む和歌の浦。






この後天気予報どおり、豪雨の中を和歌山城へ向かいます。


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「国の安寧と人々の幸福を祈る一院を」と、弘法大師空海が嵯峨天皇に願い出たのは
平安初期の816(弘仁7)年。この地は、山岳修行に励んだ若い頃、山野を歩き回る中発見した
場所で、高い峰続きで人が通る道もなく、修行の場に最適だと考えた。

高野山。山の名前と勘違いされがちですが、実は高野山金剛峯寺の山号であり、海抜約850mの山々に囲まれた盆地の呼称。


金剛峯寺から1km程の一の橋。そこから約2km、弘法大師御廟まで続く一帯が、高野山二大聖地のもうひとつ、奥之院。参道の両脇に天高くそびえる杉木立の中には20万基以上の墓や供養塔が建ち並ぶ奥之院。

戦国武将から近現代の実業家まで約1200年の間に高野山に心を寄せた人々の思いを感じる。
宗派・国籍を問わずいまも人々を受け入れる。

一の橋。







参道に入ってすぐ、伊達家墓所。 五輪塔や石塔など年月を経て朽ち、苔むして字は読み取れず
説明杭がないと全く分かりません。



加賀前田家墓所。










紀州徳川七代宗将墓所。




武田信玄墓所。




一般の名家であろう墓所も多数。














市川團十郎墓所。入り口付近にはまだ新しい鶴田浩二の墓所もありました。




島津家墓所。




明智光秀墓所。










崇源院(徳川秀忠夫人、浅井長政、お市の方の三女、江ごう)墓所。




追記
  戦国時代武将の墓標、誰が何時建立したのか説明、解説もなく、スッキリしないところですが
  下記の説明文くらいしか見つけられませんでした。

   「高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造り
    の五輪塔が登場したのが室町時代末期。 現在は江戸時代初期
    造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっています。 これは
    徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって
    高野山に墓石を建てたことが大きな要因」 







Panasonic企業廟。多数の大企業の企業廟がありますが、社員、退職社員が亡くなった後、
これらの廟で慰霊されるそうです。



UCCコーヒー企業廟





中の橋の「汗かき地蔵」。
地蔵さんに本当に露がついていて、これは空気中の水分が結露したものですが、高野山の伝承では
高野山の参拝者や、世の人々の罪を背負って地獄の業火を浴びているからと言われるそうです。





続いて浅野内匠頭の墓所。



空海と仲違いした伝わる天台宗祖法然墓所。




この後、参道が御廟橋に至るまで分かれて、豊臣家墓所、織田信長供養塔があります。

先回大勢の観光のため訪れることができず、岐阜県の住人,道三、信長、光秀時代の歴史好き
にとって、今回の参拝は信長供養塔へ訪れるのもメインの一つでもありました。

ところが左手の参道が最近の豪雨被害のためか通行禁止、立ち入り禁止になっていました。
残念至極ですが諦めざるをえませんでした。


続いて御廟橋から弘法大師御廟をお参りします。 この橋より先は写真撮影禁止になります。


承和2年(835)、弘法大師空海はこの地で禅定(永遠の瞑想)に入った。
都を離れ高野山にこもって4年目の3月15日、弟子たちを集め「自分は21日に永遠の禅定に入り
弥勒菩薩のもとで皆を見守る」と告げ、予言通り入定。
ここではいまも弘法大師空海が生き続けると信仰される。

生き続けているとされる弘法大師空海には、朝食として6時、昼食として10時半、
日に2回の食事「生身供(しょうじんぐ)」が捧げられています。

奥の院の地下には空海が生きて瞑想を続けていると伝わる岩屋の祭壇の前で参拝することが
できますが、今回はコロナ禍のためこちらも封鎖されていました。



最後に信長供養塔へも、弘法大師御廟へも参拝できず、落胆は大きいものでしたが、
境内を車で走っている間雨が降って、歩き出すと全く雨に合わず、コロナ禍が心配な中、参拝客も
嘘のように少なく、ゆったり、荘厳な雰囲気に浸れた幸運にも恵まれた参拝になりました。

この後山を下りて白浜温泉に向かい、次の日は道成寺、紀三井寺、和歌山城を巡る予定です。


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6月中頃から7月、8月上旬まで過去にない熱夏が続き、世の中が大変な時代ですが
おかげさまで私共の店は今までにない多忙な日々を過ごさせて頂きました。
旅行など出づらいためか当店の喫茶部(入店人員は制限してはおります)とテイクアウトを
楽しむ方々にご来店頂いて大忙しでした。例年ですと故郷帰りの関東、関西ナンバーの
車のご来店も多いのですが、皆無に近い状態でした。

お盆過ぎ、例年通りの夏休みを頂いて出かけたいのですが、今年は県知事さんが昨年以来
頑張っておられ、陽性者数も少なく、雨予報で観光客の混雑も少ないであろう和歌山、高野山へ
訪れることにしました。
和歌山県は岐阜県と同じように海に囲まれてはいますが森林面積の割合は76%では全国6位。
岐阜県81%は高知(84%)に次いで、全国2位です。

家内も誘いましたが、昨年3月、コロナ禍ぎりぎりのハワイ旅行で大変な思いをしてから(コロナに
感染したわけではありません)、それ以来、外食も旅行も付き合ってくれません。


高野山の西端の入口、「大門」。元禄元年(1688年)に炎上し、宝永二年(1705)に再建され
重要文化財。













大門の隣から高野山女人道。 高野山では明治初めまで山内は女人禁制で、各所に女人堂が
造られ、高野山を外から参拝しておりました。


女人堂入口からすぐ奥に「お助け地蔵」。




高野山真言宗の本山、金剛峯寺(こんごうぶじ)。かって一度観光バスで大勢で高野山を訪れましたが
奥の院を訪れたのみ、今回初めての参拝です。




金剛峯寺本堂。



屋根の上には桶があり、雨により水をためて火災に備えているそうです。

本堂の石庭。



本堂から正門、鐘楼。




戸板の鶴絵。




本堂内には素晴らしい襖絵が多数ありますが撮影禁止。


4年程前から制作開始され、昨年奉納されたばかりとお聞きした千住博画伯作、「断崖図、滝図」、
撮影OKでした。
















台所








本堂左手、昭和天皇、皇后陛下行幸記念植樹の「高野槙」。(昭和52年4月)


高野槙は悠仁(ひさひと)親王の御印。



 
本堂前で読経されるお遍路姿の女性。 四国八十八箇所参りを成し遂げた後、
高野山の奥の院御廟に詣でて、全ての札所を参ることができたことを弘法大師に報告・感謝をして
満願成就となるとされます。








本堂から少し戻って金堂。





根本大塔




回転宝蔵、下部に突き出た棒を押して回すことができます。





御影堂(みえどう)。
空海入定後に弟子実恵が真如法親王筆の弘法大師御影像を安置したため、御影堂と呼ばれる
ようになった。




この後、一の橋から名高い人々の供養塔に出会いながら奥の院、弘法大師御廟へ向かいます。


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