Chajinの 徒然フォトブログ -38ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

本年も根尾の淡墨桜を訪れました。

例年国道ではなく、大野町から根尾まで、根尾川右岸、清流や道沿いの花々を楽しみながら
県道255号を北へ向かいます。
ほぼ一車線道路で点々と集落、家屋もありますが、廃屋があったり、落石注意の看板もある
厳しい道です。


コバルトブルーの美しい川の流れ。



単線の淡墨桜観桜客を乗せた樽見鉄道。淡墨桜へは大垣から終点樽見(たるみ)まで
19駅、1時間ほどです。さらに樽見から徒歩20分程。




初めに目についたのが、田一面のタンポポ。
まさか栽培されている訳でもないでしょうが、この田一枚のみ黄色に包まれていました。





クマバチ。 クマバチは2センチ程、大きいのですがミツバチ科で花蜜や花粉を集め、
おとなしい性格でつかんだりしなければ刺されることはないそうです。









山沿いに山吹の群生。








本当に久しぶりに出会ったアケビの花。




レンギョウ。




カキオドシ



キケマン



廃屋の庭に華やかに咲いていた八重桜。






淡墨桜を訪れましたが1週間遅い感じ。天気都合、休日都合でなかなかベストな日に訪れるのは
難しいところです。

遠方から来られた方々は「残念、残念」の声が多く聞かれました。








散り際に花が薄墨色になることから「薄墨桜」と名付けられましたが、未だ実感したことが
ありません。



2018年、満開の薄墨桜。




淡墨桜の駐車場から残雪に包まれた能郷白山。



温見峠から福井に抜ける国道は冬季閉鎖中で、能郷から能郷白山へ向かってみました。

道沿いにネコノメソウ、カタバミの群生を見つけました。 少し山間地へ行かないと見れない花々です。












いよいよ当地美濃地方は桜の季節も終わりを迎えました。

淡墨桜、夜間照明も行われており、夜出直す積りでもありましたが、時期すでに遅し。
少し先の薄墨温泉にゆったり浸かってから帰宅しました。



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野山の花々が一気に咲きだし、ブログUPも遅れがちになっています。

3月末に訪れたのは可児市土田(どた)の可児川下流域自然公園。 信長の母上の土田御前の
生誕地で土田城址があり、木曽川、飛騨からの飛騨川、八百津方面の可児川が合流する地でも
あります。

山側にカタクリが紫の絨毯のように広がっていました。

関市保木山や山県市大桑の群生地を訪れて来ましたがこの地はスケールが違います。










地下茎は意外と深く、鱗茎の姿がクリの片割れに似ていることからカタクリと呼ばれた。

種子で繁殖するが発芽から開花まで8,9年かかると言われる。

これ程の面積はその昔片栗粉を作るために栽培されたのでしょうか。






春になると一度は出会いたい可憐な春の妖精です。




この地に多く見られたのがオオアライセイトウ(大紫羅欄花)。
 中国原産で江戸時代に輸入され全国に広まったと言われる。







オオイヌノフグリ。
元種のイヌフグリの実が犬のフグリ(陰嚢)の形に似ていることから名づけられた。
この可愛さと名前がどうしても釣り合わない。  道端や畑の畔など何処でも見られます。







公園内の「氷場跡」の石垣。
大正時代には12月に谷水を引き込んで氷が作られていました。
1,2月の寒の時期になると1尺2寸(約40cm)にのこぎりで切り取られて対岸の坂祝へ
船で運ばれ、おが屑を詰めて保存、更に船に乗せて笠松、一宮から岐阜、名古屋へ
運ばれましたが、大正末期、機械で製氷されるようになり役目を終えました。 









この地は日本ライン下り発祥の地としても知られています。

岐阜県美濃加茂市から愛知県犬山市にかけての木曽川沿岸の峡谷の別称。
風景がヨーロッパ中部を流れるライン川に似ていることから、1913年に地理学者の
志賀重昂によって命名された。

かつては、全長13kmにわたって渓流の美しさを味わいながら約1時間半の川下り遊覧が
できる「日本ライン下り」が運行されていたが、営業休止となり、現在はラフティングが
楽しめる。








大脇湊(日本ライン下り発祥の地)跡。 大正13年に名古屋の豪商がこの地に料理館
(北陽館)を作り、地元の三宅徳三郎が船4艘で川下りの営業を始めたのが
ライン下りの始まり。




私が慣れ親しんでいる長良川、揖斐川とは川の流れ、川沿いの景色、暮らしなども
違うような気がします。





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恵那市上矢作町達原、福寿草の里を訪れたのは3月21日(祝)。 満開の観桜のご紹介を
していて遅くなってしまいました。

この地を訪れるのは三度目になりますが、今年の多雪で伊吹のセツブンソウと同じく、少し前まで
雪に包まれていて福寿草の開花も遅れ、咲き始めたばかり。


元々林業の村、長野県に通じる国道418号沿いで、上村川と山の狭いこの地に残る家は三軒程、
点々とする川の上流を含め、今では12軒ほどの集落だそうです。






















イチゲソウ。こちらも咲き始めたばかり。
春の妖精、スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)とも呼ばれカタクリ、
ニリンソウ、イチゲソウ、 フクジュソウなども同じキンポウゲ科です。







初めて見たキバナセツブンソウ。販売もされている洋種。







家の庭にある背の高いフクジュソウは在来種、自生ではなく植えられた花だそうです。






ここから国道418号を長野県境から飯田へ向かいました。国道と言っても急峻な山と川の間の
一車線の道です。

県境には教えて頂いたとおり、山水が滴る「福寿の清水」がありました。柔らかい、美味しい水でした。






清水のすぐ隣、この橋が岐阜、長野県境になります。




長野県側ではしばらく廃屋が続きました。



飯田に至る国道153号の治部坂峠は高度1100mほど、この日も残雪の
ファミリーゲレンデで楽しむ方が多くありました。

何軒もあるそば屋さんの中から、こちらの店へ。 (ぶざか)




美味しい蕎麦でした。少食の私はこれで満腹。 








少し下って阿智から妻籠宿、中津川へ向かいます。

大昔の話になりますが、東京に住まう頃、先輩からただ同然でポンコツ車、いすずベレットを
譲り受け、同僚と彼方此方出かけました。箱根、甲府のブドウ狩り、日光、泊りでは磐梯の
紅葉、五色沼、千葉の海岸などなど。  幕張へ潮干狩りに行ったほどですから遠い昔。

同僚が飯田が実家で、夏休みなど、飯田で友達を下ろしてまだ中央高速が開通する前、
飯田から阿智、山越えで妻籠、中津川から岐阜へ帰ったものです。
その頃は妻籠宿を訪れる余裕もありませんでしたし、観光化もされておりませんでした。


妻籠宿










桝形




桝形の上にある延命地蔵堂。






桝形の途中にある宿。




桝形の東方出口。




土産物屋さん。





本陣跡




岐阜の東濃と同じく、ひな祭りは旧暦で行われ、この日も休憩所にお雛様が飾られていました。








飾られたお雛様の多さに圧倒され、訪れている方はお子さんも含めどのように並べたのだろう、
と言われておりました。








こちらから大垣へ帰りますが懐かしい道筋でした。




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4月4日、幾度も訪れてはいますが、近隣の桜満開のお城景色を楽しみ、最後は犬山城。

織田信長の叔父である織田信康によって創建され、室町時代の天文6年(1537)に建てらた
現存する12天守の中で日本最古の木造天守です。

12天守の内、青森の弘前城、愛媛宇和島城、岡山備中松山城は未踏です。
一番近い備中松山城はいつか訪れてみたいところです。


西側から。木曽川沿いの高さ88m程の丘に建てられた平山城ですが、北は木曽川、東西は
急峻で入城は南のみという防御に優れた城でもあります。







南の空堀










本丸入口の城門は模擬再建ですが、くぐるとお城は桜に包まれていました。




南北の大きな唐破風。






お城に入るのに20分近く行列で待ちました。 コロナ禍の中、怖いところもありますが、
せっかくで諦めて帰る訳にもいかず。

行列中の写真。



急階段、それぞれ5分ほどは待たされ、人があふれて写真も撮れませんが、最上階です。
順番に早く、と言われつつ、外の展望回廊へたどり着くことはできました。








西方、山頂に岐阜城。およそ直線距離12kmほど。




東は犬山成田山。



東北は木曽川上流。右岸は岐阜県、鵜沼町。昔は名鉄犬山線と狭い国道が同じ橋にありましたが
手前に道路占用橋が造られました。
この地で犬山鵜飼が開催されます。




南の城下町通。名鉄犬山駅からの通路でもあり、土産物店やテイクアウトの店が建ち並び
こちらも観光客には城同様の人気です。





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清洲城、模擬城は平成元年に造られたばかり。
JR東海道線の列車の窓からいつも見ており、いつのまにか、お城が新しく造られていました。








先回は休館日でしたが今回は天守まで登ることができました。

南方は名古屋駅周辺の高層ビル群。



北方は五条川に架かる橋。橋の北の桜に覆われている部分が清洲城址です。








五条川に架かる橋から清州城。








天守から望む五条川北側の城址は、東海道線、新幹線により分断されています。



線路下、電車が通る轟音でお子さんが怖いと泣き叫ぶ先に分断された清洲公園があります。

信長像は1560年(信長27歳)、今川義元を桶狭間で討った桶狭間の戦いへの
出陣をイメージして昭和11年にこの地に造られたもの。

平成24年、模擬城敷地に平成4年に造られた濃姫像を寄贈の清洲公園の信長像のそばに
一緒にしてあげたいとの要望が多々あり移設されました。








濃姫は、桶狭間の戦いに出る信長を見送るような目線に配置されました。




この地のすぐ南、五条川沿いの堤防には清洲城と新幹線の通過を写真に収めようと10数人の
カメラマンが立ち並んでおられましたが、この像を眺める方は私以外にありませんでした。

やはりこの地も花より団子状態でした。



桜の花が咲いたら花弁の中央は白、日にちが経つにつれ赤くなり、散ることになりますが
古木に三種が並んでいました。







信長は那古野(なごや)城から清須城にうつり、更に小牧城、岐阜城、安土城と遷って
いきますが、
光秀に急襲されて本能寺で自害した後、清須城で秀吉が開いた清須会議、織田家後継者
および遺領の配分を決定することを目的に開催され、集まった織田家家臣は柴田勝家、
丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人。
秀吉は大徳寺で信長の葬儀を行い、安土城に墓所を設け、賤ケ岳の戦いで柴田勝家を滅ぼす
など天下取りをスタートした地でもあります。

その後、慶長15年(1610)、家康は五条川の度々の氾濫などから、清須城の廃城と
名古屋城築城を命じ、町の建物、機能をすべて移転する「清州越」を行いました。


この後、名古屋城は桜が散っているとの情報で最後は犬山城へ向かいました。




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