観桜三昧 お城シリーズ その3  令和4年4月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

清洲城、模擬城は平成元年に造られたばかり。
JR東海道線の列車の窓からいつも見ており、いつのまにか、お城が新しく造られていました。








先回は休館日でしたが今回は天守まで登ることができました。

南方は名古屋駅周辺の高層ビル群。



北方は五条川に架かる橋。橋の北の桜に覆われている部分が清洲城址です。








五条川に架かる橋から清州城。








天守から望む五条川北側の城址は、東海道線、新幹線により分断されています。



線路下、電車が通る轟音でお子さんが怖いと泣き叫ぶ先に分断された清洲公園があります。

信長像は1560年(信長27歳)、今川義元を桶狭間で討った桶狭間の戦いへの
出陣をイメージして昭和11年にこの地に造られたもの。

平成24年、模擬城敷地に平成4年に造られた濃姫像を寄贈の清洲公園の信長像のそばに
一緒にしてあげたいとの要望が多々あり移設されました。








濃姫は、桶狭間の戦いに出る信長を見送るような目線に配置されました。




この地のすぐ南、五条川沿いの堤防には清洲城と新幹線の通過を写真に収めようと10数人の
カメラマンが立ち並んでおられましたが、この像を眺める方は私以外にありませんでした。

やはりこの地も花より団子状態でした。



桜の花が咲いたら花弁の中央は白、日にちが経つにつれ赤くなり、散ることになりますが
古木に三種が並んでいました。







信長は那古野(なごや)城から清須城にうつり、更に小牧城、岐阜城、安土城と遷って
いきますが、
光秀に急襲されて本能寺で自害した後、清須城で秀吉が開いた清須会議、織田家後継者
および遺領の配分を決定することを目的に開催され、集まった織田家家臣は柴田勝家、
丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人。
秀吉は大徳寺で信長の葬儀を行い、安土城に墓所を設け、賤ケ岳の戦いで柴田勝家を滅ぼす
など天下取りをスタートした地でもあります。

その後、慶長15年(1610)、家康は五条川の度々の氾濫などから、清須城の廃城と
名古屋城築城を命じ、町の建物、機能をすべて移転する「清州越」を行いました。


この後、名古屋城は桜が散っているとの情報で最後は犬山城へ向かいました。




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