Chajinの 徒然フォトブログ -30ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

かって京都へ訪れた際、地元の方としばらくお話していて京都の良さを楽しむんだったら
12月下旬においで下さいと言われたものでした。人混みが苦手、落ち着いて景色を
楽しむ私にはこの季節がぴったりです。


東山山頂 青龍殿。




京都市街地を一望できる青龍殿の展望デッキ。




比叡山頂上にはうっすら雪。



賀茂川の上には虹。



京都タワーや京都駅。




南方には遠くに大阪の高層ビル群。

名神高速を天王山へは緩い坂道を進みますが、京都はやはり盆地であることが見て取れます。




青龍殿は大正天皇の即位を記念して北野天満宮前に武徳殿として建立されましたが
平成26年この地に大護摩堂として移転。 国宝「青不動明王二童子像」(通称 青不動)が
奥殿に安置され、手前に複製を祀ってあります。

手前が将軍塚。
桓武天皇が都を定められる折、この山を訪れ、この京都を都とすることをお決めになり、
将軍の像に甲冑を着せて埋め、都の安泰を祈ったと伝えられる。
この後訪れる高山寺の鳥羽僧正絵巻に将軍塚造営の絵図が残されています。







枯山水庭園。




東山から真言宗総本山東寺へ。

大勢の観光でも訪れたことがありませんし、個人的にも二度訪れましたが、周囲も境内にも
駐車場の空きがなく初めての参詣になります。

国宝金堂。

文明18年(1486)に焼失し今の堂は豊富秀頼が発願し、慶長8(1603)に竣工。
金堂の重文、薬師三尊・十二神将のお姿は見事と言うほかありませんでした。








鬼瓦は初めて見かける龍。




東寺と言えば五重塔。
天長3年(826)に弘法大師により創建着手されましたが、4度も焼失し、現在の塔は
徳川家光の寄進により正保元年(1644)に竣工。



年が明けると「癸卯(みずのと う)」であることから、鳥獣戯画で知られる高山寺を訪れました。


栂尾山(おとがのお)高山寺。







創建は寺伝によると奈良時代末、宝亀5年(774)に光仁天皇の勅願により開かれ、
鎌倉時代初めの建永元年(1206)に明恵上人(みょうえが後鳥羽上皇よりこの地を
賜った時からと伝わる。



金堂



仏足石




明恵上人御廟



開山堂




臨済宗、建仁寺、の開祖、栄西禅師が宋から持ち帰った茶の種を明恵上人に与え、
茶樹を日本で初めて育てた茶園です。

栄西禅師は宋で抹茶の製法を学び(現在の抹茶とは異なる)、医薬としての「喫茶養生記」の
著書でも知られる。








この地、栂尾で採れたお茶を宇治産などとは別にして「本茶」と呼ばれたものです。




明恵上人時代の唯一の遺構「石水院」。後鳥羽上皇より学問所として賜った建物とされる。








 



鳥獣人物戯画絵巻。 国宝、平安時代末期から鎌倉時代初期複数の作者により
描かれたとされ、甲乙丙丁の4巻に分かれ甲巻が鳥獣図。

レプリカですがケース内に巻物が陳列されています。













石水院の庭園








私共茶道具店では秋ごろから干支卯に関する茶道具を扱ってきました。

                横物軸


 白楽茶碗鳥獣戯画図                              




 

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当地大垣は朝起きると雲一つない晴天。なじみの濃尾平野の景色を楽しみに岐阜へ出かけ
ました。

初めての岐阜駅前、岐阜シティタワー43の展望台を訪れてみます。
駅前には黄金色に輝く信長像。

11月6日の岐阜信長まつりには、今年、木村拓哉が信長に扮して行列に加わると言うので
岐阜は大盛り上がり。当日は快晴に恵まれ、駅前からの金華橋通りにはかってないほどの
大勢の観客が押し寄せました。その後一週間ほどNHKはじめ日本中のTV、新聞などで紹介され
キムタク効果恐ろし。 地元の私の古巣、岐阜放送(ぎふチャン)の生中継では開局以来の
最高視聴率との報告がありました。




西方は東海道線大垣方面、まだこの日は雪のない伊吹山。



遠くには雪の能郷白山、左右の直線は長良川堤防、道路は忠節橋通り。




左のビルは柳ケ瀬再開発ビル、その後ろが高島屋岐阜、その奥のビルが移転した岐阜市役所。




金華山頂の岐阜城、後方は雪が少し被る御嶽山。

左手前の山の上がかってプラネタリウムがあった水道山公園。
紅白の岐阜放送テレビ塔、その左上がNHK岐阜のテレビ塔。





今回は時間の都合でロープウエイで金華山へ。
岐阜公園は紅葉に包まれていました。









信長祭りの前日には木村拓哉と伊藤英明が岐阜城へ登り、特別に夜も夜景を楽しんだ
ようです。




城内の実物大信長像。(複製)
信長が本能寺の変で亡くなった後、大徳寺に信長の菩提を弔う位牌所として総見院が
建立され、一周忌法要が天正11年(1583)6月に一周忌法要が行われ、その為に
制作されたと伝わる。




天守から東方、長良川の上流。  少し雪に覆われた御嶽山と北アルプス。




真下は長良橋。




西方、長良川の金華橋、その奥が忠節橋、 伊吹山。




手前は司町、岐阜県庁、岐阜大学病院跡に建設された岐阜市役所。 右隣の低層の建物は
岐阜メディアコスモス、岐阜市立中央図書館。




西南、木曽川の流れと多度山。




南は名古屋駅前の高層ビル群。 右手前は木曽川公園のツインアーチ138。







金華山から私が生まれ育った町、お墓参りを兼ねて山県市大桑、大桑城址へ。

岩村城、苗木城、などと共に歴史好きには人気の城址になりました。




NHK大河で「麒麟がくる」が放送された時に観光客が増え、登山道には階段や
ロープが整備され、楽に登れるようになりました。 




城主、土岐頼芸が斎藤道三の幾度もの攻撃で逃げ落ちる時、この井戸に金鶏の置物を隠したと
伝わり、この山を「金鶏山」とも呼ばれました。私たちは単に「城山」と呼んでおりました。

頂上下の「切井戸」。井戸は此処しかないので上の台所へ運んだと思われ、子供のころ
数度訪れた大昔から変わらず。








井戸のそばには崩れた石垣跡。



数年から発掘調査が行われてきました。




城跡。




土岐頼芸城址、裏面を含め、苔と風化で読み取れず。



407,5m、古城山(金鶏山)三角点。




見晴らしの良い場所にミニチュア城。






目の前は私が生まれ育った大桑の集落。中央遠方の山頂にかすかに岐阜城を望む。

土岐家が美濃を収めて大桑は古来美濃の中心地、我が祖先も百姓侍と思われる。
村には市場、柏野(かやの)、市洞、斧田、雉洞など集落があり、我が家の近くには
「高札」と言う地名もありました。
私が子供の頃でも年寄りは頼芸を「土岐の殿様」と呼び、道三に攻められ、兵糧攻めにされた
際には米を流して、下から水を流したように見せたなどの伝説を聞かされ、
攻めあぐた道三軍に城山裏、青波地区の御婆さんが下から火を付ければ簡単に落とせると
教え、その通りになったことから、大桑と青波は400年も経っても仲違いをして結婚などは
決して許されなかったと聞かされたものでした。











クリスマスイブの本日、全国的にも多雪被害のニュースが続いていますが、
朝、当地も今年初雪、10センチ程の積雪がありました。







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お伊勢参りは例年、正月、1月の混雑を避けて2月に訪れていますが、今年は12月に
訪れました。今回も奥方同行。 大垣からは車で二時間半ほどの距離になります。

まず豊受大神宮(とようけだいじんぐう)、外宮から。内宮創建から500年後に迎えられ、
衣食住をはじめあらゆる産業の守り神。




正宮。 天照大御神のお食事を司る神、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を
おまつりしています。




古殿地(遷宮前の正宮の地)前の大杉。 遷宮は20年に一度、先回は平成25年秋。



土宮(つちのみや)



風宮(かぜのみや)











五十鈴川に架かる宇治橋。神宮の表玄関。








川辺に四季桜が咲いています。





五十鈴川御手洗(みたらし)。今まで見たことが無いほど美しい川の流れでした。








紅葉の残る時期でした。

ことしも各地の紅葉を楽しみましたが、神宮のもみじのサイズが他所に比し小さいことに
気付かされました。
内宮は2000年前の創建と伝わりますので、古来、自然のもみじが引き継がれて
きたのでしょうか。







御手洗から正宮へ至る参道はこの時期ながら高校生の修学旅行客ほかの大混雑で、
人混みを避けて川沿いの森の道を進みました。

風日祈宮(かざひのみのみや)手前の五十鈴川に架かる橋。


風日祈宮、風の神を祀る別宮。
鎌倉時代、元寇を神風を吹かせて日本を守った神と伝わります。







正宮。 階段から上は撮影禁止です。





正宮の裏手、荒祭宮(あらまつりのみや)。





戻っておはらい町へ向かいましたが、歩くのもままならないほどの食べ歩き客などでで
ごった返し、入り口の赤福で土産を買ったのみ。

岐阜県でもこのところコロナ陽性者が爆発的に増えており、人混みには怖くて近寄れません。

車で少し離れた猿田彦神社へ。
猿田彦大神は「みちひらきの大神」と言われ、学業や仕事を良い方向へ導いてくれるとの
言い伝えがあります。




神社裏の神田。初めて訪れました。




江戸時代に一世を風靡した「お伊勢参り・おかげ参り」は二見ヶ浦で身を清め、外宮、内宮を
参拝し、最後に朝熊岳に登るというものでした。


あまり信仰心もない私ですが、神宮の森を訪れると心静まり、新たにして頂けるようです。


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今年も各地の紅葉を楽しませて頂きましたが、12月に入り伊吹山に初雪があるなど
冬枯れの季節になりました。

今回は貯水量日本一のロックフィルダム、揖斐川上流の徳山ダムを訪れました。
1957年(昭和32年)に事業が計画されてから様々な異論や反論もあったものの
2008年(平成20年)に完成。










旧徳山村の家屋すべてが湖底に沈みました。
私も存じ上げる父のいとこの方が村の寺院に嫁がれましたので、単に景色が素晴らしいと
言うだけでは見れない景色です。
今もダム湖に林立する枯れ木も痛々しく見えます。







湖を進むボートは観光はありませんので、ヘルメットを被ったダム管理の方のようでした。




幾つもの谷。




ダム湖の奥には厳しい林道を進むと名高い福井県境の冠山があります。

 2013年の冠山登山。

今回も林道を福井へ抜けるつもりでしたが福井側は通行止でした。
冠山に登る時間は十分ありましたが、先の登山の時も山道で、2年前にもすぐ先の福井県側の
林道で熊に遭遇しておりましたので怖くて無理です。 









戻ってダムの最上流。








山の上からダム湖まで流れ落ちる「千丈滝」。
ダムに沈む前のずっと下まで流れるこの細長い滝の景色は素晴らしかったことでしょう。








山々はすっかり冬枯れ。




更に下って1989年に旧藤橋村が建設した「プラネタリウム」で、外見を彦根城に似た天守風にし藤橋城と名づけた。





公園内のアマゴ食堂でお昼ご飯。

 上高地の明神の山小屋で、歩き疲れて毎回頂くイワナ定食のおいしさにはかなわないか。





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豊田市足助の香嵐渓の紅葉を楽しんだ後、飯田街道を奥に進み、数度訪れた茶臼山へ向かう
途中、こちらも愛知で紅葉スポットベスト5に入る豊田市稲富町の大井平公園を訪れました。

明治33年、この地の古橋家が公園化したもので、春は桜、初夏はシャクナゲ、秋は紅葉の
名所として賑わう。




























山道には紅葉の落ち葉が降り積もっていますが、それでも木々にはきれいな紅葉。


































今年の紅葉巡りはこれが最後になりそうです。



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