グロース暢子のStoryも
今日で七話目
お付き合いくださって
本当にありがとうございます

そろそろお疲れ気味のあなた~
ここからがオモシロイ展開ですよ!
第1~6話を見逃した方は
こちらからどうぞ
↓↓↓
第二話 【一点集中のすごい効果】
第三話 【日本の首都でロシア漬け】
第四話 【新米日本語教師のアメとムチ】
第五話 【自分のことは後回し】
第六話 【母の一言で気付いた一番大切なこと】
日々の暮らしを楽しむ
無事に永住権を取得した
ロシア人(元)夫は、
親友の住む京都へ。
ロシア人観光客に
特化したガイドとして
本格的に活動し始めます。
私もその頃、
カニの輸入卸売会社から
サロン用スキンケア商品メーカーへ
転職!
未知の分野でしたが、
社長やマネージャー
同僚に恵まれて、
すっかり疲れた心の
リハビリをしつつ、
日々の暮らしを楽しむ
ことができるように
なっていました。
ロシア資本の会社では何かというと乾杯!
出会いのきっかけ
さて...
再婚相手となる
現在のドイツ人夫との出会いは
実はそこから少し時間を遡ります。
きっかけは、
共通の友人
その友人の子供の
誕生日パーティーでした。
当時の彼は、
前妻さんと娘と別居中。
結婚生活で苦しい思いを経験し、
そのせいで女性全般に対して
大きな不信感を抱いていました。
誕生日会で紹介された時も、
【女なんて信頼できない】オーラを
ガンガンに出していたことを
覚えています
その時点で、彼は在日10年。
日本語もペラペラで、
私の印象は、
気難しそうなドイツ人
その後、友人達の集まりで
顔を合わせるたびに、
少しずつ打ち解けてきた彼。
ドイツの家族のこと、
日本の家族のこと、
仕事のこと、
これまで学んできた言葉のこと、
暮らした国、
ありとあらゆることを
時に笑いながら、
時に涙を流しながら、
沢山たくさん
語り合う仲になりました

コミュニケーションは言葉
私達を結び付けたのは、
この人なら話が分かってもらえる
自分はこの人の言うことが分かる
深いところで、
お互いにそう感じていたことだと
思っています。
ふたりとも大学で言語学を学び、
様々な国で暮らしてきて、
コミュニケーションは言葉
という信念を共有していたこと。
それぞれの両親が、
【絆の強い夫婦】の
お手本になっていたこと。
そういう価値観が
似ていました。
その後、同棲を始め、
いつかは
一緒に家族を作ろう
と、話すようになりました。
移住&結婚のきっかけは3.11
2011年3月11日。
東日本大震災が発生した時、
私たちは東京にいました。
続いて起こった
福島第一原発事故。
娘の健康を第一に考えた彼は、
当時5歳の彼女を連れて、
実家のベルリンに
一時帰国することに。
この震災が、
私たちの人生を大きく変えました。
ベルリンから東京に戻った彼と、
将来について真剣に話し合いました。
2~3年後には、
二人でヨーロッパに
移住したいね
という、
これまでのラフな計画は、
この10月には
ベルリンに移住する!
という突貫計画に変更。
「再婚」が具体的になったのも
移住を決めたからでした。
私のドイツ在住ビザ申請は、
日本で結婚してからの方が
ドイツでの手続きがラク。
よし、それなら
ドイツに行く前に
結婚しよう!
というわけで、
2011年9月5日
東京の区役所に
婚姻届けを提出
婚姻届けの承認欄にサインしてくれた
友人、同僚と一緒に、
こぢまりとした食事会で
お祝いしました。

これまでドイツという国には
1ミリも縁がなかった私が、
こうしてドイツ人と出会い
ベルリンに引っ越すことなる。
縁って、本当に不思議です。
ドイツ語ゼロの私と、
20年近くドイツ国外で暮らしだった夫。
新天地で二人がゼロから
生活を築いていったストーリー。
次回、八話に続きます。
また明日、お楽しみに♡