木村グロースようこのStoryも
第六話目
若さと勢いの一点集中で
突き進んできた人生に
徐々に暗雲が立ち込め始めます。
ここまでのストーリーを見逃した方は
こちらからどうぞ
↓↓↓
↓それでは第六話、お付き合いください![]()
職場も家庭も「お役目モード」
ロシア人コミュニティの
『コネ』で入った会社は、
輸入ガニを築地市場に卸す
ロシア人ファミリー企業。
役員を除き、社員は私ひとり
唯一の日本人である私の業務は、
オフィス関連のこと、ぜ~んぶ!
副社長の子供のベビーシッターから、
給与支払い、人事、
総務、経理、ビザ申請、
病院の付き添い通訳・・・
なんでもござれ
日々、「えぇっ!そんなことも~?!」
という業務のオンパレードでしたが、
頼りにされていることが
とっても嬉しくて
築地近くのオフィス内は小さいけど
温かな「ロシア社会」でした
一方、家庭では、
ロシア人夫が日本社会で自立しようと、
色々なことに挑戦していました。
家庭では、
夫が「挑戦したい」ことは
全力で応援!
会社では、
唯一の日本人社員として
ろくに休暇も取らずフルタイム。
(夜中でも電話がかかってきた・・・
)
私の心はいつの間にか、
エネルギー切れを
起こし始めていました。
私の本当に望むことって?
当時、私の中で
子供が欲しい!という思いが
強くなった時期がありました。
ですが、夫はまだ若く、
子供を作ることに難色を示します。
それでも、
私が落ち込む様子を見て、
それなら、としぶしぶ同意。
半年以上トライしましたが、
子供を授かることは
できませんでした。
この頃から私は、
家にいることが苦しくなりました。
今思えば、
二人の人生に関わる
大切なテーマについて、
しっかり話し合うことに
時間をとらなかったこと。
将来のことを、
楽しく語り合うことも
なかったこと。
お互いの仕事について
相談しあうことも
なかったこと。
こんな風にして、
夫婦間の溝が
徐々に深くなっていきました。
当時出張で訪れたペテルブルグ。
寒さが心に沁みました。
ハッとした母の一言
そんなある年の秋、
私の両親が東京に遊びに来ました。
観光の合間、
母と二人になった時、
『笑顔がないね・・・』
その一言が、
胸に刺さりました。
そうか、私はここ数年、
そんなに暗い顔をして
過ごしていたのか。
同時に、夫も
妻のことを
幸せにできていない
という辛い気持ちを味わっていたことに
ようやく気が付いたんです。
その後、夫と話し合いました。
離婚、という言葉が出たのも、
その時です。
彼はまだ日本で頑張りたかったので、
永住権を取得したら別れよう、
という話で合意しました。
そこから、
永住権取得の手続きを開始。
辛い作業ではありましたが、
お互いが別々の道を歩くための
最後の共同作業です。
永住権取得を待つ時間は、
私にとって大切な時間になりました。
というのも、この時に初めて
コーチングというものに
出会ったからです。
・ 自分が大切にしたい価値観は何か
・ どんな未来を手に入れたいのか
・ 苦しかったのはなぜなのか
コーチと一緒に、
ひとつずつ掘り返す作業を
繰り返します。
徐々に、
自分の軸を取り戻せるような、
ココロが自由になっていく感覚がありました。
後悔先に立たず、
とは言いますが、
もっと早くコーチングに
出会っていたら、
自分のことを
常に後回しにすることなく、
夫のことも、自分のことも、
両方一緒に大切にすることが
できていたかもしれません。
離婚などに至らず、
幸せな結婚生活が
続いていたかもしれません。
この時の体験が、
後にコーチングを学ぶ
大きなきっかけになりました。
・・・
申請から3か月後、
夫は無事に永住権を取得し、
私たちは別々の道を
歩み始めたのでした。
ストーリーは、
次回七話に続きます。




