「壁」に「ドア」を開けて
思いっきり自分らしく生きることを

選択した女性を伴走しています


異文化コミュニケーション歴20年

 🇩🇪ベルリン在住ライフコーチ

    木村グロース暢子(ようこ)です
 

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『グロース暢子』って一体だれ?

 

それを知っていただくために、

今日から10話に渡って、

グロース暢子ストーリーを

お届けしていきたいと思います。

 

お付き合いいただけたら嬉しいです照れ

 

 

 

「おねえちゃん」アイデンティティ

 

1978年11月6日
鳥取県の産院で
長女として生を受けました。
 
父と母は、大学時代のサークル仲間。
 
お見合い結婚が半数以上を占めていた
昭和50年代に、恋愛結婚で結ばれた
両親のもとで育ちました。
 
一人目の弟が生まれたのは
その2年後ですから、
物心ついたころから『おねえちゃん』
 
4歳のとき、何を思ったか、

それまで『ヨーコちゃん』と呼んでいた弟に

『今日からおねえちゃんと呼んで』と指示。

 

ことばが表す人間関係

そして自分の役割について、

意識し始めた頃でした。

 

 

 

 

 

 

異国の地への憧れ

 

ピンポーンと呼び鈴が鳴れば、

即座に母親の後ろに隠れるような

引っ込み思案の子でしたが、

 

父が話してくれる異国のおはなしには、

興味がつきませんでした。

 

教育熱心だった母のおかげで、

 

音声が出る英語教材が身近にあり、

 

オモシロイ音で話をする別の世界

 

に憧れを持つようになりました。

 

 

 
 
 
「名前」とココロ
 
 
引っ込み思案だった私が、
大きく変わったきっかけは、
小2の担任の先生です。
 
クラス全員の生徒を、通常の
苗字+「さん」ではなく、
下の名前で呼び捨て。
 
子供の心をしっかりとつかむ
熱い先生でした。
 
「あなたのことを見てるよ」
「大切に思っているよ」
 
この気持ちを、
呼びかけることばで伝えられる
 
それがしっかりと
身体に沁み込んだ時代でした。
 
 
 
 
決めることと辞めること
 
 
幸いなことに、両親の方針は
『やりたいことはやらせる』が基本。
 
小学校、中学校時代を通じて、
ピアノ、バレエ、剣道、そろばんなど、
これは挑戦したい!ということは
やらせてもらいましたが、
 
『もう十分やったから』と
辞める時期を決めるのも、
自分の責任でした。
 
 
後に、最初の結婚⇒離婚を
経験することになりますが、
 
『親がどう思うか』を全く気にせずに
自分の意思で決定できたのは、
幼少期の両親の教育方針の
おかげだったと思います。
 
 

引っ込み思案だった私は、

 

・おねえちゃんだという自覚

・まっすぐに生徒に向かう先生

そして、

・自分の決定に責任を持たせてくれた

両親の教育方針

 

のおかげで、

自分なりのセルフイメージ

固めていくことができました。

 

 

つづきの第二話は、

【的当て】に夢中になった

弓道女子高校時代と、

 

日本語を忘れて帰ってきた(!?)

カナダ留学体験についてお届けします。

 

お楽しみに!

 

 

 

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