この文章は、2021年12月4日(土)19:00開演のLAVIT『404 NOT FOUND』についての劇評です。
開演前、ピーピーという不規則なリズムの電子音が小さく流れていた。タイトルも『404 NOT FOUND』だし、デジタルな世界が始まるかと思ったら、意外にもLAVIT(ラビ)自身の生声によるアカペラで始まった。LAVITの公演を観るのは3度目だ。ダンス公演は普段演劇ばかり観ている私にはあまり縁がない。ミュージカルを観ることはあるのでダンスを全く見ないわけではないが、必ず言葉がある。歌で始まることで私のようなダンス公演に不慣れなものでも、LAVITの世界に入りやすくしてくれた。
歌は映画『千と千尋の神隠し』の主題歌だった。オレンジ掛かった照明に照らされたLAVITの歌は、普通に言葉を話しているような声のトーンだ。元の歌詞をよく覚えていなくて、果たして既存の歌詞なのかこの公演に合わせた歌詞に作り変えたのかわからなかった。まるでLAVIT自身の言葉のように聞こえたからだ。その言葉は心地よく体に沁みた。
ダンスパートで最初に表現されたのは、パソコン画面でパスワードを入力するがなかなか入れない場面。白抜きでLAVITのマークが入っている真っ赤でゆったりしたTシャツと、サングラスが印象的だ。サングラスには音楽に合わせて文字や模様が映し出されていた。バックのスクリーンにはパスワード入力画面が投影されている。映像は見ていて飽きが来ない要素の一つだった。ストーリーそのものも分かりやすくテンポもよかったので、どんどん引き込まれた。
パスワードを無事に入力するとLAVITは次々と別の世界に入っていく。最初の世界ではスクリーンに投影された数人のダンサーたちと同じダンスを一緒に踊る。また、ビルやネオンが光る外国の街が映し出される。真っ赤な照明の中で戦いの只中にいるイメージの表現では、LAVITが命を落としたかのように見えた。その後、心音をモニターするグラフが独特の音と共にスクリーンに映し出された。LAVITの公演前にアップされたFacebookの記事には近しい人の生死にかかわる記述があった。これはLAVIT自身のことを表現しているのかもしれないと感じた。
衣装も場面ごとに変わっていて、次の場面では白い光の中に白い衣装を着たLAVITが表れた。胸のドレープが悟りを開いた如来の胸元のように見え、その姿は一度消えた命が力強く復活したように感じた。スクリーンにタイトルの「404 NOT FOUND」が映し出されて最初と同じ衣装に戻った。そして冒頭と同じように「千と千尋の神隠し」をアカペラで歌う。歌詞ははじめに歌った部分の続きだった。ただ最初に聞いたときほどの意外性や感動はない。LAVITが伝えたいことはダンスで十分表現されていたし、それを私は受け取れていると思っていた。どうしてここで続きを歌ったのだろう。ダンスを見ることに不慣れな私でも、そのパフォーマンスによって伝えたいことが分かった気がしていた。そのダンスでパワーが入ってくる感覚がとてもよかった。LAVITがかつてはまっていた演出家に表情が似ている瞬間があって、そういうところもちょっとしたツボだった。そうやってLAVITのダンスに入り込んでいく感じが心地よかったのに、ダンスで終わらなかったのはなぜだろう。
LAVITがどうしても伝えたかった言葉を知りたくて終演後にラストに歌った歌詞を確認した。「輝くものはいつもここに わたしのなかに見つけられたから」(「いつも何度でも」作詞:覚和歌子)。LAVITが白い衣装で現れたとき、迷いが消え、前向きに吹っ切れたようなものを感じた。紆余曲折楽しみ苦しみを体験するなかで自分を見失う瞬間があったLAVITが、自分のなかに自分はあったことを明確に表現したと私は捉えた。「404 NOT FOUND(=見つからない)」のではなく、ここにあったのだ。ラストの歌はすでにLAVIT自身が伝えたものをわざわざ言語化した形になった。もしかしたらパフォーマンスだけではメッセージがうまく伝わらない場合もあるかもしれない。だとしても歌で解釈を固定せずに、もっと観客に委ねるという寛容さがあってもいい。自分のなかに輝くものを見つけ前に進んだLAVITなら、観客からの自由な反応も輝きを増すための糧とするだろう。
(以下は更新前の文章です)
開演前、ピーピーという不規則なリズムの電子音が小さく流れていた。タイトルも『404 NOT FOUND』だし、デジタルな世界が始まるかと思ったら、意外にもLAVIT自身の生声によるアカペラで始まった。LAVITの公演を観るのは3度目だ。ダンス公演は普段演劇ばかり観ている私にはあまり縁がない。ミュージカルを観ることはあるのでダンスを全く見ないわけではないが、必ず言葉がある。歌で始まることで私のようなダンス公演に不慣れなものでも、LAVITの世界に入りやすくしてくれた。
歌は映画『千と千尋の神隠し』の主題歌だった。オレンジ掛かった照明に照らされたLAVITの歌は、普通に言葉を話しているような声のトーンだ。元の歌詞をよく覚えていなくて、果たして既存の歌詞なのかこの公演に合わせた歌詞に作り変えたのかわからなかった。まるでLAVIT自身の言葉のように聞こえたからだ。その言葉は心地よく体に沁みた。
ダンスパートで最初に表現されたのは、パソコン画面でパスワードを入力するがなかなか入れない場面。白抜きでLAVITのマークが入っている真っ赤でゆったりしたTシャツと、サングラスが印象的だ。サングラスには音楽に合わせて文字や模様が映し出されていた。バックのスクリーンにはパスワード入力画面が投影されている。映像は見ていて飽きが来ない要素の一つだった。ストーリーそのものも分かりやすくテンポもよかったので、どんどん引き込まれた。
パスワードを無事に入力するとLAVITは次々と別の世界に入っていく。最初の世界ではスクリーンに投影された数人のダンサーたちと同じダンスを一緒に踊る。また、ビルやネオンが光る外国の街が映し出される。真っ赤な照明の中で戦いの只中にいるイメージの表現では、LAVITが命を落としたかのように見えた。その後、心音をモニターするグラフが独特の音と共にスクリーンに映し出された。LAVITの公演前にアップされたFacebookの記事には近しい人の生死にかかわる記述があった。これはLAVIT自身のことを表現しているのかもしれないと感じた。
衣装も場面ごとに変わっていた。心音のモニターの次の場面では、白い光の中に白い衣装を着たLAVITが表れた。胸のドレープが悟りを開いた如来の胸元のように見え、その姿は一度消えた命が力強く復活したように感じた。まるでフィナーレのようだった。スクリーンにタイトルの「404 NOT FOUND」が映し出されると、最初と同じ衣装に戻った。そして冒頭と同じように「千と千尋の神隠し」をアカペラで歌う。
歌詞ははじめに歌った部分の続きだった。ただ最初に聞いたときほどの意外性や感動はない。LAVITが伝えたいことはダンスで十分表現されていたし、それを私は受け取れていると思っていた。どうしてここで続きを歌ったのだろう。ダンスを見ることに不慣れな私でも、そのパフォーマンスによって伝えたいことが分かった気がしていた。ダンスがパワーが入ってくる感覚がとてもよかった。LAVITがちょっと一時期はまっていた演出家に表情が似ている瞬間があって、そういうところもちょっとしたツボだった。そうやってLAVITのダンスに入り込んでいく感じが心地よかった。
LAVITがどうしても伝えたかった言葉を知りたくて終演後にラストに歌った歌詞を確認してみた。その歌詞を見て、おそらく私はLAVITのメッセージを理解できていたと思う。ただ、歌で解釈を固定せずに、もっと観客に委ねた自由な終わり方にしてもよかったのではないだろうか。
この文章は、2021年12月4日(土)19:00開演のLAVIT『404 NOT FOUND』についての劇評です。
スポットライトに照らされて、暗闇にLAVITの姿が浮かび上がる。LAVITは歌い出した。時にたどたどしく歌われるその曲は『いつも何度でも』。映画『千と千尋の神隠し』の主題歌だ。しばらく歌うと舞台中央に進み出る。着用している赤いTシャツには白で、顔のようなロゴマークが入っている。ボトムは黒いゆったりとしたパンツで、指先が黒くなった赤い手袋を付けている。ポケットからメガネのような物を取り出して装着する。グラスには、青色でさまざまな文字が代わる代わる映し出される。背景のスクリーンには、パスワード入力の画面が映し出されている。両手でパスワードを打つLAVIT。何度目かの挑戦で入力は成功し、バーチャル空間へと入っていく。
エレクトリックな音楽が流れ、背景の映像では暗がりの中、白い服を着た6人の人物が円形状になってゆったりと踊っている。輪の中央には大きな器のようなオブジェが置かれている。その光景に見覚えがあるような気がした。画面中の6人のうち一人はLAVITだろうか。映像の人々と同じ振付で、舞台上のLAVITも踊る。しなやかな動きの中で時折、人差し指を前方に指す仕草があった。指先が黒い手袋のせいもあって、銃口を向けられたかのような緊張感を覚えた。
暗転し、映像が変わる。LAVITの服装は、トップスが白のタンクトップと黒のベストに替わっている。高層ビルが建ち並ぶ大都会の映像に合わせて、LAVITの踊りもストリートダンスのように軽やかだ。ところが突然、銃撃戦が行われているかのような音が響く。LAVITは銃を撃ったり、刀をふるったり、武術の構えを取ったりして、目の前に現れているらしい何かと懸命に戦い続ける。しかし、舞台は暗転する。
その後現れたLAVITは上下とも白い服に変わっていた。先ほどの戦闘シーンとは打って変わった緩やかな動きから、どこか儚げな印象を受ける。暗転後、舞台にLAVITはいない。スクリーンには「404 NOT FOUND」の文字が映し出されている。それは、アクセスしたウェブページが存在しないことを示すエラーメッセージ。もうこの舞台上にLAVITは存在しない、ということか。ここで終わるのは寂しすぎる。だが、LAVITは序盤と同じTシャツ姿で現れた。そして冒頭で歌っていた『いつも何度でも』の続きを歌い始める。子どもが歌うように、少し遅れながら。しかしそれは、歌詞を確認し噛みしめるかのように歌っているからだと思えた。この歌にLAVITの思いが載せられている。歌い終えたLAVITに、光が射す。ほっとした。LAVITはここにいる。もしかするとこれまでに「404 NOT FOUND」のそっけない文字だけを残して、舞台から、観客の前から去りたくなってしまった時もあるのかもしれない。それでも今、きっとさまざまな思いを抱いて、LAVITは舞台に立っている。
上演後、関係者に確認したところ、序盤での白い服の6人が踊る映像は、10年前にドラマ工房で開催された「いしかわ演劇祭2011」の記録であった。著者はその演劇祭を観ていた。既視感があったのは間違いではなかった。しかしそんなに前のことだとは思わなかった。「いしかわ演劇祭2011」は東日本大震災と原子力発電所の事故を受け、演劇人として何ができるかを考えて開催された。10年を経て、LAVITがその映像と共に踊る意味を考える。そこに変わらない追悼があることは間違いない。あっという間に時は過ぎていく。その間に記憶から消えてしまうことは多いが、忘れてはならないこともある。それを思い出させてくれるきっかけを、LAVITは用意してくれた。そして10年という時間の中で、LAVITが思考と体験を積み重ね、育ててきた表現を見せる意図もあったのではないか。変わらないものを心の中に持ったまま、変わっていくことはできる。その変化を観客に確認してほしい気持ちがあったのではないか。
テクノロジーの進化による恩恵を受けて、新たな活動形態を得る人間がいると同時に、機械に取って代わられる人間も増えていくだろう。エンターテインメントでも同じだ。人がいなくとも表現物は作られていく。そんなバーチャルな方向に世界は進んでいくのだろう。だからこそ、生身の身体表現は重要度を増していくのではないか。ダンスという表現形態を選んで活動を続けてきたLAVITにも、手で触れられる確かな存在としての自分を見てほしい、そんな思いがあったのではないか。しかしそれは、受け取ってくれる観客がいるからできることだ。誰かの前で表現ができる喜びを胸に抱いた、LAVITのひたむきさが伝わってくるような上演だった。
(以下は更新前の文章です)
スポットライトに照らされて、暗闇にLAVITの姿が浮かび上がる。LAVITは歌い出した。時にたどたどしく歌われるその曲は『いつも何度でも』。映画『千と千尋の神隠し』の主題歌だ。しばらく歌うと舞台中央に進み出る。着用している赤いTシャツには白で、顔のようなロゴマークが入っている。ボトムは黒いゆったりとしたパンツで、指先が黒くなった赤い手袋を付けている。ポケットからメガネのような物を取り出して装着する。グラスには、青色でさまざまな文字が代わる代わる映し出される。背景のスクリーンには、パスワード入力の画面が映し出されている。両手でパスワードを打つLAVIT。何度目かの挑戦で入力は成功し、バーチャル空間へと入っていく。
エレクトリックな音楽が流れ、背景の映像では暗がりの中、白い服を着た6人の人物が円形状になってゆったりと踊っている。輪の中央には大きな器のようなオブジェが置かれている。その光景に見覚えがあるような気がした。画面中の6人のうち一人はLAVITだろうか。映像の人々と同じ振付で、舞台上のLAVITも踊る。しなやかな動きの中で時折、人差し指を前方に指す仕草があった。指先が黒い手袋のせいもあって、銃口を向けられたかのような緊張感を覚えた。
暗転し、映像が変わる。LAVITの服装は、トップスが白のタンクトップと黒のベストに替わっている。高層ビルが建ち並ぶ大都会の映像に合わせて、LAVITの踊りもストリートダンスのように軽やかだ。ところが突然、銃撃戦が行われているかのような音が響く。LAVITは銃を撃ったり、刀をふるったり、武術の構えを取ったりして、目の前に現れているらしい何かと懸命に戦い続ける。しかし、舞台は暗転する。
その後現れたLAVITは上下とも白い服に変わっていた。先ほどの戦闘シーンとは打って変わった緩やかな動きから、どこか儚げな印象を受ける。暗転後、舞台にLAVITはいない。スクリーンには「404 NOT FOUND」の文字が映し出されている。それは、アクセスしたウェブページが存在しないことを示すエラーメッセージ。もうこの舞台上にLAVITは存在しない、ということか。ここで終わるのは寂しすぎる。だが、LAVITは序盤と同じTシャツ姿で現れた。そして冒頭で歌っていた『いつも何度でも』の続きを歌い始める。子どもが歌うように、少し遅れながら。しかしそれは、歌詞を確認し噛みしめるかのように歌っているからだと思えた。この歌にLAVITの思いが載せられている。歌い終えたLAVITに、光が射す。ほっとした。LAVITはここにいる。もしかするとこれまでに「404 NOT FOUND」のそっけない文字だけを残して、舞台から、観客の前から去りたくなってしまった時もあるのかもしれない。それでも今、きっとさまざまな思いを抱いて、LAVITは舞台に立っている。
上演後、関係者に確認したところ、序盤での白い服の6人が踊る映像は、10年前にドラマ工房で開催された「いしかわ演劇祭2011」の記録であった。著者はその演劇祭を観ていた。既視感があったのは間違いではなかった。しかしそんなに前のことだとは思わなかった。「いしかわ演劇祭2011」は東日本大震災と原子力発電所の事故を受け、演劇人として何ができるかを考えて開催された。10年を経て、LAVITがその映像と共に踊る意味を考える。そこに変わらない追悼があることは間違いない。あっという間に時は過ぎていく。その間に記憶から消えてしまうことは多いが、忘れてはならないこともある。それを思い出させてくれるきっかけを、LAVITは用意してくれた。そして10年という時間の中で、LAVITが思考と体験を積み重ね、育ててきた表現を見せる意図もあったのではないか。変わらないものを心の中に持ったまま、変わっていくことはできる。その変化を観客に確認してほしい気持ちがあったのではないか。
バーチャルリアリティの技術が進化し、コンピュータネットワーク上に作られた空間、メタバースがリアルをも取り込もうとしている現在である。テクノロジーの恩恵を受けて新たな活動形態を得る人間がいると同時に、機械に取って代わられる人間も増えていくだろう。エンターテインメントでも同じだ。人がいなくとも表現物は作られていく。そんなバーチャルな方向に世界が進んでいくとしても、リアルに触れられる存在としてありたい。自分の感じた思いをダンスという形にして差し出したい。でもそれは、受け取ってくれる観客がいるからできることだ。誰かの前で表現ができる喜びを胸に抱いた、LAVITのひたむきさが伝わってくるような上演だった。
スポットライトに照らされて、暗闇にLAVITの姿が浮かび上がる。LAVITは歌い出した。時にたどたどしく歌われるその曲は『いつも何度でも』。映画『千と千尋の神隠し』の主題歌だ。しばらく歌うと舞台中央に進み出る。着用している赤いTシャツには白で、顔のようなロゴマークが入っている。ボトムは黒いゆったりとしたパンツで、指先が黒くなった赤い手袋を付けている。ポケットからメガネのような物を取り出して装着する。グラスには、青色でさまざまな文字が代わる代わる映し出される。背景のスクリーンには、パスワード入力の画面が映し出されている。両手でパスワードを打つLAVIT。何度目かの挑戦で入力は成功し、バーチャル空間へと入っていく。
エレクトリックな音楽が流れ、背景の映像では暗がりの中、白い服を着た6人の人物が円形状になってゆったりと踊っている。輪の中央には大きな器のようなオブジェが置かれている。その光景に見覚えがあるような気がした。画面中の6人のうち一人はLAVITだろうか。映像の人々と同じ振付で、舞台上のLAVITも踊る。しなやかな動きの中で時折、人差し指を前方に指す仕草があった。指先が黒い手袋のせいもあって、銃口を向けられたかのような緊張感を覚えた。
暗転し、映像が変わる。LAVITの服装は、トップスが白のタンクトップと黒のベストに替わっている。高層ビルが建ち並ぶ大都会の映像に合わせて、LAVITの踊りもストリートダンスのように軽やかだ。ところが突然、銃撃戦が行われているかのような音が響く。LAVITは銃を撃ったり、刀をふるったり、武術の構えを取ったりして、目の前に現れているらしい何かと懸命に戦い続ける。しかし、舞台は暗転する。
その後現れたLAVITは上下とも白い服に変わっていた。先ほどの戦闘シーンとは打って変わった緩やかな動きから、どこか儚げな印象を受ける。暗転後、舞台にLAVITはいない。スクリーンには「404 NOT FOUND」の文字が映し出されている。それは、アクセスしたウェブページが存在しないことを示すエラーメッセージ。もうこの舞台上にLAVITは存在しない、ということか。ここで終わるのは寂しすぎる。だが、LAVITは序盤と同じTシャツ姿で現れた。そして冒頭で歌っていた『いつも何度でも』の続きを歌い始める。子どもが歌うように、少し遅れながら。しかしそれは、歌詞を確認し噛みしめるかのように歌っているからだと思えた。この歌にLAVITの思いが載せられている。歌い終えたLAVITに、光が射す。ほっとした。LAVITはここにいる。もしかするとこれまでに「404 NOT FOUND」のそっけない文字だけを残して、舞台から、観客の前から去りたくなってしまった時もあるのかもしれない。それでも今、きっとさまざまな思いを抱いて、LAVITは舞台に立っている。
上演後、関係者に確認したところ、序盤での白い服の6人が踊る映像は、10年前にドラマ工房で開催された「いしかわ演劇祭2011」の記録であった。著者はその演劇祭を観ていた。既視感があったのは間違いではなかった。しかしそんなに前のことだとは思わなかった。「いしかわ演劇祭2011」は東日本大震災と原子力発電所の事故を受け、演劇人として何ができるかを考えて開催された。10年を経て、LAVITがその映像と共に踊る意味を考える。そこに変わらない追悼があることは間違いない。あっという間に時は過ぎていく。その間に記憶から消えてしまうことは多いが、忘れてはならないこともある。それを思い出させてくれるきっかけを、LAVITは用意してくれた。そして10年という時間の中で、LAVITが思考と体験を積み重ね、育ててきた表現を見せる意図もあったのではないか。変わらないものを心の中に持ったまま、変わっていくことはできる。その変化を観客に確認してほしい気持ちがあったのではないか。
テクノロジーの進化による恩恵を受けて、新たな活動形態を得る人間がいると同時に、機械に取って代わられる人間も増えていくだろう。エンターテインメントでも同じだ。人がいなくとも表現物は作られていく。そんなバーチャルな方向に世界は進んでいくのだろう。だからこそ、生身の身体表現は重要度を増していくのではないか。ダンスという表現形態を選んで活動を続けてきたLAVITにも、手で触れられる確かな存在としての自分を見てほしい、そんな思いがあったのではないか。しかしそれは、受け取ってくれる観客がいるからできることだ。誰かの前で表現ができる喜びを胸に抱いた、LAVITのひたむきさが伝わってくるような上演だった。
(以下は更新前の文章です)
スポットライトに照らされて、暗闇にLAVITの姿が浮かび上がる。LAVITは歌い出した。時にたどたどしく歌われるその曲は『いつも何度でも』。映画『千と千尋の神隠し』の主題歌だ。しばらく歌うと舞台中央に進み出る。着用している赤いTシャツには白で、顔のようなロゴマークが入っている。ボトムは黒いゆったりとしたパンツで、指先が黒くなった赤い手袋を付けている。ポケットからメガネのような物を取り出して装着する。グラスには、青色でさまざまな文字が代わる代わる映し出される。背景のスクリーンには、パスワード入力の画面が映し出されている。両手でパスワードを打つLAVIT。何度目かの挑戦で入力は成功し、バーチャル空間へと入っていく。
エレクトリックな音楽が流れ、背景の映像では暗がりの中、白い服を着た6人の人物が円形状になってゆったりと踊っている。輪の中央には大きな器のようなオブジェが置かれている。その光景に見覚えがあるような気がした。画面中の6人のうち一人はLAVITだろうか。映像の人々と同じ振付で、舞台上のLAVITも踊る。しなやかな動きの中で時折、人差し指を前方に指す仕草があった。指先が黒い手袋のせいもあって、銃口を向けられたかのような緊張感を覚えた。
暗転し、映像が変わる。LAVITの服装は、トップスが白のタンクトップと黒のベストに替わっている。高層ビルが建ち並ぶ大都会の映像に合わせて、LAVITの踊りもストリートダンスのように軽やかだ。ところが突然、銃撃戦が行われているかのような音が響く。LAVITは銃を撃ったり、刀をふるったり、武術の構えを取ったりして、目の前に現れているらしい何かと懸命に戦い続ける。しかし、舞台は暗転する。
その後現れたLAVITは上下とも白い服に変わっていた。先ほどの戦闘シーンとは打って変わった緩やかな動きから、どこか儚げな印象を受ける。暗転後、舞台にLAVITはいない。スクリーンには「404 NOT FOUND」の文字が映し出されている。それは、アクセスしたウェブページが存在しないことを示すエラーメッセージ。もうこの舞台上にLAVITは存在しない、ということか。ここで終わるのは寂しすぎる。だが、LAVITは序盤と同じTシャツ姿で現れた。そして冒頭で歌っていた『いつも何度でも』の続きを歌い始める。子どもが歌うように、少し遅れながら。しかしそれは、歌詞を確認し噛みしめるかのように歌っているからだと思えた。この歌にLAVITの思いが載せられている。歌い終えたLAVITに、光が射す。ほっとした。LAVITはここにいる。もしかするとこれまでに「404 NOT FOUND」のそっけない文字だけを残して、舞台から、観客の前から去りたくなってしまった時もあるのかもしれない。それでも今、きっとさまざまな思いを抱いて、LAVITは舞台に立っている。
上演後、関係者に確認したところ、序盤での白い服の6人が踊る映像は、10年前にドラマ工房で開催された「いしかわ演劇祭2011」の記録であった。著者はその演劇祭を観ていた。既視感があったのは間違いではなかった。しかしそんなに前のことだとは思わなかった。「いしかわ演劇祭2011」は東日本大震災と原子力発電所の事故を受け、演劇人として何ができるかを考えて開催された。10年を経て、LAVITがその映像と共に踊る意味を考える。そこに変わらない追悼があることは間違いない。あっという間に時は過ぎていく。その間に記憶から消えてしまうことは多いが、忘れてはならないこともある。それを思い出させてくれるきっかけを、LAVITは用意してくれた。そして10年という時間の中で、LAVITが思考と体験を積み重ね、育ててきた表現を見せる意図もあったのではないか。変わらないものを心の中に持ったまま、変わっていくことはできる。その変化を観客に確認してほしい気持ちがあったのではないか。
バーチャルリアリティの技術が進化し、コンピュータネットワーク上に作られた空間、メタバースがリアルをも取り込もうとしている現在である。テクノロジーの恩恵を受けて新たな活動形態を得る人間がいると同時に、機械に取って代わられる人間も増えていくだろう。エンターテインメントでも同じだ。人がいなくとも表現物は作られていく。そんなバーチャルな方向に世界が進んでいくとしても、リアルに触れられる存在としてありたい。自分の感じた思いをダンスという形にして差し出したい。でもそれは、受け取ってくれる観客がいるからできることだ。誰かの前で表現ができる喜びを胸に抱いた、LAVITのひたむきさが伝わってくるような上演だった。
この文章は、2021年12月4日(土)19:00開演のLAVIT『404 NOT FOUND』についての劇評です。
LAVITによる公演『404 NOT FOUND』(振付・出演:LAVIT)が12月3〜5日に金沢市民芸術村ドラマ工房で行われた。タイトルになっている「404 NOT FOUND」とは、探していたページがインターネット上に存在しないことを意味するエラーコードだ。例えば、いつも見慣れていたサイトが突然消えて、アクセスできなくなった時などに表示される。表現者にとって、自らの映像作品やファンとの交流記録など、さまざまな思い出を保存してきたサイトがいきなり消失したら、精神的に大きな打撃を受けるのではないだろうか。一方、昨年以降の新型コロナウイルス対策によって多くの演劇関係者たちが公演の中止や延期を余儀なくされた。自己表現の機会を奪われたことにより、自分という存在がこの世にいなくなったかのような苦しみを味わったアーティストも少なくなかったはずだ。LAVITもその一人だ。今回の作品では、コロナ禍の時期に自分が何者なのかわからなくなってしまった体験をアクセス不能のサイトになぞらえつつ吐露した。そしてまた、再び舞台に立てた今、自分は世の中にとって必要な存在なのか、と改めて問いかけているように感じられた。
照明が入ると、赤いスウェットのカットソーを着たLAVITが片隅に佇み、アニメ映画『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」を歌っている。その選曲や童心に返ったような素朴な歌い方から、憔悴し切ったような印象を受けた。LAVITはおもむろにVR(ヴァーチャル・リアリティー)用らしきゴーグルを装着した。このゴーグルは、観客から見ると眼鏡部分がモニターになっていて、そこには「LET'S DANCE」や「KISS ME」といった英語や心電図のような波形などがランダムに表示される。舞台正面の大きなスクリーンに映し出される映像と前面で踊るLAVITのダンスによってこの作品は構成されている。 LAVITがパソコンを操作するような身振りを始めると、背後のスクリーンはログイン画面となる。パスワードを何度か間違えながらもログイン成功。これ以降に繰り広げられるダンスは、会員向けサイトにアップされたコンテンツという設定であろうか。
LAVITと5人の女性ダンサーたちが激しいエレクトロニック・ダンス・ミュージック(capsule「JUMPER」)に合わせて踊る映像がバックのスクリーンに流れる。それは以前の作品(2011年のいしかわ演劇祭で上演されたD.D.D.「ヒトリズム」)なのだが、その映像とシンクロしながら舞台上のLAVITも同じ振付で踊る。仲間たちとの楽しかった時間を懐かしみながら、一人ぼっちの現在を耐えているようにも見えた。場面が変わり、LAVITはアクションゲームの主人公。電子音楽に合わせ、剣を振り回して戦うが、機関銃のようなもので撃たれて倒れ込む。次のシーン、白い薄衣をまとったLAVITの姿は、端正に造形されたギリシャ彫刻のようだ。
やがてスクリーンには「404 NOT FOUND」というエラーコードが表示される。今まで閲覧してきた過去のコンテンツは、すべて消え去ってしまったのだろうか。赤いカットソーの服に戻ったLAVITは、ゴーグルを外し、ゆっくりと舞台前方へ歩み出る。水の音、鳥のさえずり。LAVITは少し上に向かって手を伸ばす。木から果実をもぎ取るような動作。自分が何者なのかを証明してくれるデータがなくなった後、それでも静かで落ち着いた時間が流れているようではある。しかし、LAVITの表情にはどこか寂しげな影が差していると見えたのは私だけだろうか。観客に一礼し、拍手を浴びた後、アンコールに応えるように再び「いつも何度でも」(作詞:覚和歌子)を歌い出す。
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街もみんな同じ
時が経てば、力はまた満ち、生は何度でも戻って来るに違いない。
LAVITによる公演『404 NOT FOUND』(振付・出演:LAVIT)が12月3〜5日に金沢市民芸術村ドラマ工房で行われた。タイトルになっている「404 NOT FOUND」とは、探していたページがインターネット上に存在しないことを意味するエラーコードだ。例えば、いつも見慣れていたサイトが突然消えて、アクセスできなくなった時などに表示される。表現者にとって、自らの映像作品やファンとの交流記録など、さまざまな思い出を保存してきたサイトがいきなり消失したら、精神的に大きな打撃を受けるのではないだろうか。一方、昨年以降の新型コロナウイルス対策によって多くの演劇関係者たちが公演の中止や延期を余儀なくされた。自己表現の機会を奪われたことにより、自分という存在がこの世にいなくなったかのような苦しみを味わったアーティストも少なくなかったはずだ。LAVITもその一人だ。今回の作品では、コロナ禍の時期に自分が何者なのかわからなくなってしまった体験をアクセス不能のサイトになぞらえつつ吐露した。そしてまた、再び舞台に立てた今、自分は世の中にとって必要な存在なのか、と改めて問いかけているように感じられた。
照明が入ると、赤いスウェットのカットソーを着たLAVITが片隅に佇み、アニメ映画『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」を歌っている。その選曲や童心に返ったような素朴な歌い方から、憔悴し切ったような印象を受けた。LAVITはおもむろにVR(ヴァーチャル・リアリティー)用らしきゴーグルを装着した。このゴーグルは、観客から見ると眼鏡部分がモニターになっていて、そこには「LET'S DANCE」や「KISS ME」といった英語や心電図のような波形などがランダムに表示される。舞台正面の大きなスクリーンに映し出される映像と前面で踊るLAVITのダンスによってこの作品は構成されている。 LAVITがパソコンを操作するような身振りを始めると、背後のスクリーンはログイン画面となる。パスワードを何度か間違えながらもログイン成功。これ以降に繰り広げられるダンスは、会員向けサイトにアップされたコンテンツという設定であろうか。
LAVITと5人の女性ダンサーたちが激しいエレクトロニック・ダンス・ミュージック(capsule「JUMPER」)に合わせて踊る映像がバックのスクリーンに流れる。それは以前の作品(2011年のいしかわ演劇祭で上演されたD.D.D.「ヒトリズム」)なのだが、その映像とシンクロしながら舞台上のLAVITも同じ振付で踊る。仲間たちとの楽しかった時間を懐かしみながら、一人ぼっちの現在を耐えているようにも見えた。場面が変わり、LAVITはアクションゲームの主人公。電子音楽に合わせ、剣を振り回して戦うが、機関銃のようなもので撃たれて倒れ込む。次のシーン、白い薄衣をまとったLAVITの姿は、端正に造形されたギリシャ彫刻のようだ。
やがてスクリーンには「404 NOT FOUND」というエラーコードが表示される。今まで閲覧してきた過去のコンテンツは、すべて消え去ってしまったのだろうか。赤いカットソーの服に戻ったLAVITは、ゴーグルを外し、ゆっくりと舞台前方へ歩み出る。水の音、鳥のさえずり。LAVITは少し上に向かって手を伸ばす。木から果実をもぎ取るような動作。自分が何者なのかを証明してくれるデータがなくなった後、それでも静かで落ち着いた時間が流れているようではある。しかし、LAVITの表情にはどこか寂しげな影が差していると見えたのは私だけだろうか。観客に一礼し、拍手を浴びた後、アンコールに応えるように再び「いつも何度でも」(作詞:覚和歌子)を歌い出す。
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街もみんな同じ
時が経てば、力はまた満ち、生は何度でも戻って来るに違いない。
#劇評講座2021
この文章は、2021年11月27日(土)19:00開演の劇団浪漫好-Romance-『ポケット芝居』についての劇評です。
フランス語には小説を表す言葉としてコント/ヌーヴェル/ロマンの3つの区別があるという。ロマンが壮大な歴史=物語を記した長編小説とすれば、ひとまずヌーヴェルは短編・中編小説、コントは掌編小説、いわゆるショートショートと呼ばれるジャンルとなる(ヌーヴェルとコントの違いには諸説ある)。
演劇にもコントと呼ばれるジャンルがある。お笑い芸人の漫才やテレビ番組でもお馴染みだが、シチュエーションやキャラクターのアイディアが面白く、笑いや社会風刺の要素があり、印象的な結末を迎える短いお芝居のことだ。
劇団浪漫好-Romance-はそんなコントを自分流に「まるでポケットの中に入る様なスケールが小さく、でも何処か身近に感じるお話達」と定義し、「ポケット芝居」と名付けた3つの小品から成るオムニバス公演を金沢市民芸術村ドラマ工房で上演した。
穿った見方だが、劇団名が「浪漫好」なので、浪漫=ロマン=長編小説好きの人たちが敢えて短いお芝居に挑んだとも読めてしまうのが面白い。やはり得意とするジャンルではないからか、ショートショートとしてはアイディアの点でも、印象的な結末という点でも鋭い切れ味はあまり感じられなかった。
第1話目の「冬にはね 数学よりも 物理だね」は、高校生が詠んだ同俳句がドラッグクーン風の俳諧師に激勝されて賞にノミネートされるというコメディ。なぜこの俳句が褒められるのか、その奥に潜むウラが明かされることもなく、特に印象的なオチもないまま終わる。第3話目の「野口と樋口と諭吉」は、消費税が今後30%、50%、80%に上がっていく暗黒の未来を、嫌がる諭吉についてまわる3人の野口英世と1人の樋口一葉による掛け合いとダンスで描くブラックなエンターテインメント。消費税への批判や消費社会への風刺ということは理解できるが、もっと他に表現の仕様があったのではないだろうか。
その中では、第2話「小さな嘘からコツコツと」は笑いの要素はないが、短編として独特の風合いを残す作品だった。仕事もなく、実母にオレオレ詐欺をはたらくまで零落してしまった杉田飛鳥(西村優太朗)。ベンチで一人たたずむ彼に暇人と名乗る若い女性(山崎真優)が声をかける。自嘲気味についつい身の上話をしてしまう飛鳥に対して、暇人は「小さな嘘をこつこつついていけばいい。それが本当になるからから。」と励ます。その言葉を胸に飛鳥は就職も決まり、彼女もできる。そして「友達」である暇人に彼女ができたことを晴れて報告に行く。しかし、なぜかその場は微妙な空気に……飛鳥は自分が本当に好きなのは暇人であると気づくのだが、運命のいたずらか、正体不明だった暇人に警察の手が伸びる……。
社会から一度ドロップアウトした者が、就職して彼女を持つというかつて当たり前だった社会的ステータスを獲得することが当世いかに難しいかということにもしみじみ感涙するのだが、テンポ良い展開の中で、飛鳥と暇人の関係性の微妙な変化が役者の身体を通して感じられたのがとても良かった。特に明るさと絶望が同居する暇人のどこか浮遊感のある姿が印象深いラストシーンを作り出した。
オムニバス公演のラストは全ての登場人物が舞台上に出てきて、星野源の“SUN”をフルコーラスに合わせて踊る(振付:吉田莉芭)というハッピーな大団円となった。第1話と第3話にもう少しショートショートしての切れ味があれば、客席で一緒になって踊る人たちの後塵を拝することもできたかもしれない。パラレルワールドにいるような不思議な感覚の中で、ただただ暇人を演じた女優さんの満面の笑顔から目が離せないのだった。
小峯太郎(劇評講座受講生)
この文章は、2021年11月27日(土)19:00開演の劇団浪漫好-Romance-『ポケット芝居』についての劇評です。
フランス語には小説を表す言葉としてコント/ヌーヴェル/ロマンの3つの区別があるという。ロマンが壮大な歴史=物語を記した長編小説とすれば、ひとまずヌーヴェルは短編・中編小説、コントは掌編小説、いわゆるショートショートと呼ばれるジャンルとなる(ヌーヴェルとコントの違いには諸説ある)。
演劇にもコントと呼ばれるジャンルがある。お笑い芸人の漫才やテレビ番組でもお馴染みだが、シチュエーションやキャラクターのアイディアが面白く、笑いや社会風刺の要素があり、印象的な結末を迎える短いお芝居のことだ。
劇団浪漫好-Romance-はそんなコントを自分流に「まるでポケットの中に入る様なスケールが小さく、でも何処か身近に感じるお話達」と定義し、「ポケット芝居」と名付けた3つの小品から成るオムニバス公演を金沢市民芸術村ドラマ工房で上演した。
穿った見方だが、劇団名が「浪漫好」なので、浪漫=ロマン=長編小説好きの人たちが敢えて短いお芝居に挑んだとも読めてしまうのが面白い。やはり得意とするジャンルではないからか、ショートショートとしてはアイディアの点でも、印象的な結末という点でも鋭い切れ味はあまり感じられなかった。
第1話目の「冬にはね 数学よりも 物理だね」は、高校生が詠んだ同俳句がドラッグクーン風の俳諧師に激勝されて賞にノミネートされるというコメディ。なぜこの俳句が褒められるのか、その奥に潜むウラが明かされることもなく、特に印象的なオチもないまま終わる。第3話目の「野口と樋口と諭吉」は、消費税が今後30%、50%、80%に上がっていく暗黒の未来を、嫌がる諭吉についてまわる3人の野口英世と1人の樋口一葉による掛け合いとダンスで描くブラックなエンターテインメント。消費税への批判や消費社会への風刺ということは理解できるが、もっと他に表現の仕様があったのではないだろうか。
その中では、第2話「小さな嘘からコツコツと」は笑いの要素はないが、短編として独特の風合いを残す作品だった。仕事もなく、実母にオレオレ詐欺をはたらくまで零落してしまった杉田飛鳥(西村優太朗)。ベンチで一人たたずむ彼に暇人と名乗る若い女性(山崎真優)が声をかける。自嘲気味についつい身の上話をしてしまう飛鳥に対して、暇人は「小さな嘘をこつこつついていけばいい。それが本当になるからから。」と励ます。その言葉を胸に飛鳥は就職も決まり、彼女もできる。そして「友達」である暇人に彼女ができたことを晴れて報告に行く。しかし、なぜかその場は微妙な空気に……飛鳥は自分が本当に好きなのは暇人であると気づくのだが、運命のいたずらか、正体不明だった暇人に警察の手が伸びる……。
社会から一度ドロップアウトした者が、就職して彼女を持つというかつて当たり前だった社会的ステータスを獲得することが当世いかに難しいかということにもしみじみ感涙するのだが、テンポ良い展開の中で、飛鳥と暇人の関係性の微妙な変化が役者の身体を通して感じられたのがとても良かった。特に明るさと絶望が同居する暇人のどこか浮遊感のある姿が印象深いラストシーンを作り出した。
オムニバス公演のラストは全ての登場人物が舞台上に出てきて、星野源の“SUN”をフルコーラスに合わせて踊る(振付:吉田莉芭)というハッピーな大団円となった。第1話と第3話にもう少しショートショートしての切れ味があれば、客席で一緒になって踊る人たちの後塵を拝することもできたかもしれない。パラレルワールドにいるような不思議な感覚の中で、ただただ暇人を演じた女優さんの満面の笑顔から目が離せないのだった。
小峯太郎(劇評講座受講生)
この文章は、2021年11月27日(土)19:00開演の浪漫好 -Romance- 『ポケット芝居』についての劇評です。
浪漫好 -Romance- 『ポケット芝居』は3本の短編からなるオムニバス公演だった。ポケット芝居とは当日パンフによると「まるでポケットの中に入る様なスケールが小さく、でも何処か身近に感じる“お話達”」とある。舞台壁面中央では縦長方形のスクリーンになるように黒いカーテンが開けられており、ここには開演時にキャストやスタッフ名のオープニングムービーが映された。上手には事務机が一台と、椅子が二脚置かれている。
一話目は「冬にはね 数学よりも 物理だね」。この俳句を作った生徒・平田(岡島大輝)を教師(横川正枝)が呼び出した。俳句を適当に作ったことで平田が怒られていると、教師に来客がある。レインボーカラーのアフロヘアーに派手な衣装を着たその人はブリトリー佐々木(秋山アレックス)。俳句コンテストの偉い人であった。教師は生徒達の俳句をコンテストに送っていたのである。そしてまさかのコンテスト大賞を、平田の適当な句が受賞するというのだ。納得がいかない教師とブリトリーの間で、俳句バトルが勃発する。
続いては「小さな嘘からコツコツと」。無職で金がなく、母親に詐欺まがいの電話をしてしまった杉田飛鳥(西村優太朗)。自責の念に駆られて公園を歩く彼に、暇人(山崎真優)と名乗る女性が声をかけてきた。希望を失って自暴自棄の飛鳥に暇人は、小さな嘘をついていくことを提案する。嘘も本当になるというのだ。半信半疑ながら母に「就職が決まりそう」と電話をした飛鳥は、しばらくして本当に就職を決める。暇人にそそのかされて願った通りに、恋人(守伽奈恵)もできる。その頃公園では、刑事(青野英敏、西田直也)が誰かを探しているようだ。しばらくして暇人に借りた本を返そうと飛鳥は、恋人と公園を訪れるのだが、そこに暇人の姿はない。
最後は「野口と樋口と諭吉」。お札を擬人化した作品だ。消費税が8%から10%に上がり、一万円札の福沢諭吉(平田渉一郎)には千円札の野口英世が付いてくることになった。うざったい野口を嫌がる諭吉。しかし消費税がまた上がってしまう。野口は3人(杉山佑介、岡島大輝、秋山アレックス)に。野口たちへの対応で疲れ果てた諭吉の前に、樋口一葉(横川正枝)が現れる。そう、消費税が50%になってしまったのだ。
以上、3作品が上演されたのだが、オムニバスと言われても、何か共通項があるのではと勘ぐってしまった。1作目と2作目にお茶のペットボトルが登場することしか筆者は見つけられなかった。関連はなくともよいのだが、3作を貫く存在があると、個々の物語により強い意味が出せたのではないか。
3本の上演が終了後、キャストが全員舞台に登場した。終演のご挨拶かと思いきや、鳴り出した音楽は星野源の『SUN』。軽快な曲に合わせ、キャストたちは踊り出す。観客には手拍子を求め、そして振付も一緒にと促される。笑顔で踊るキャストたちを観ながら、これでまとめていい感じに持っていってしまうのは力技が過ぎないかと感じてしまい、手拍子はできても振りはできなかった。
全体的に素直でストレートな表現がされている芝居だと感じられた。彼らは懸命に演技で語りかけてきていた。自分たちの思いを届けようと全力を尽くしていた。笑ってもらおう。何か感じてもらおう。その気持ちは伝わった。しかし、ラストの大団円で一緒になって踊れるほどの高揚感や没入感を筆者は持てなかった。
そんな観客をも感動させ、芝居に熱中させるにはどうすればよいだろうか。少し引いてみることなのではないかと思う。ちょっと後ろに下がり、少し離れた位置から情報を差し出せば、何がそこにあるのかとより興味を惹かれるのではないか。そのためにもう少し情報や設定がほしい。俳句の偉い人はどんな俳句を詠み、何を面白いの基準にしているのか。暇人さんはなぜいつも公園に来ているのか。消費税増を今取り上げた理由は何か。いろいろな疑問があった。例えば2作目なら、暇人さんが持っていた本を、もっと使ってもよかったのではないか。なぜ本を持っているのかはラストで理解できたが、より効果的な使い方は考えられる。冒頭で本の一部を読んでみるなどしてもよかったかもしれない。全てを説明すると今度はうるさくなってしまうのでバランスが難しいが、「そういうことか」と観客の気を惹いてほしい。そこから観客が「だからこうかな」と自分なりに想像する余地を与えてほしい。
ポケットに入るような、小さな物語たちである。しかしそれを表現する俳優たちは、溢れんばかりの熱量を持っていた。その熱を大切にしながら、けれどよりよい状態で観客に届くように。細部に気を配り、小さな物語を濃密にすることはできる。
(以下は更新前の文章です)
浪漫好 -Romance- 『ポケット芝居』は3本の短編からなるオムニバス公演だった。ポケット芝居とは当日パンフによると「まるでポケットの中に入る様なスケールが小さく、でも何処か身近に感じる“お話達”」とある。舞台壁面中央では縦長方形のスクリーンになるように黒いカーテンが開けられており、ここには開演時にキャストやスタッフ名のオープニングムービーが映された。上手には事務机が一台と、椅子が二脚置かれている。
一話目は「冬にはね 数学よりも 物理だね」。この俳句を作った生徒・平田(岡島大輝)を教師(横川正枝)が呼び出した。俳句を適当に作ったことで平田が怒られていると、教師に来客がある。レインボーカラーのアフロヘアーに派手な衣装を着たその人はブリトリー佐々木(秋山アレックス)。俳句コンテストの偉い人であった。教師は生徒達の俳句をコンテストに送っていたのである。そしてまさかのコンテスト大賞を、平田の適当な句が受賞するというのだ。納得がいかない教師とブリトリーの間で、俳句バトルが勃発する。
続いては「小さな嘘からコツコツと」。無職で金がなく、母親に詐欺まがいの電話をしてしまった杉田飛鳥(西村優太朗)。自責の念に駆られて公園を歩く彼に、暇人(山崎真優)と名乗る女性が声をかけてきた。希望を失って自暴自棄の飛鳥に暇人は、小さな嘘をついていくことを提案する。嘘も本当になるというのだ。半信半疑ながら母に「就職が決まりそう」と電話をした飛鳥は、しばらくして本当に就職を決める。暇人にそそのかされて願った通りに、恋人(守伽奈恵)もできる。その頃公園では、刑事(青野英敏、西田直也)が誰かを探しているようだ。しばらくして暇人に借りた本を返そうと飛鳥は、恋人と公園を訪れるのだが、そこに暇人の姿はない。
最後は「野口と樋口と諭吉」。お札を擬人化した作品だ。消費税が8%から10%に上がり、一万円札の福沢諭吉(平田渉一郎)には千円札の野口英世が付いてくることになった。うざったい野口を嫌がる諭吉。しかし消費税がまた上がってしまう。野口は3人(杉山佑介、岡島大輝、秋山アレックス)に。野口たちへの対応で疲れ果てた諭吉の前に、樋口一葉(横川正枝)が現れる。そう、消費税が50%になってしまったのだ。
以上、3作品が上演されたのだが、オムニバスと言われても、何か共通項があるのではと勘ぐってしまった。1作目と2作目にお茶のペットボトルが登場することしか筆者は見つけられなかった。関連はなくともよいのだが、3作を貫く存在があると、個々の物語により強い意味が出せたのではないか。
3本の上演が終了後、キャストが全員舞台に登場した。終演のご挨拶かと思いきや、鳴り出した音楽は星野源の『SUN』。軽快な曲に合わせ、キャストたちは踊り出す。観客には手拍子を求め、そして振付も一緒にと促される。笑顔で踊るキャストたちを観ながら、これでまとめていい感じに持っていってしまうのは力技が過ぎないかと感じてしまい、手拍子はできても振りはできなかった。
全体的に素直でストレートな表現がされている芝居だと感じられた。彼らは懸命に演技で語りかけてきていた。自分たちの思いを届けようと全力を尽くしていた。笑ってもらおう。何か感じてもらおう。その気持ちは伝わった。しかし、ラストの大団円で一緒になって踊れるほどの高揚感や没入感を筆者は持てなかった。
筆者が感情表現に乏しいという事実はあるのだが、さて、そんな観客をも感動させ、芝居に熱中させるにはどうすればよいだろうか。少し引いてみることなのではないかと思う。押しを強く距離を詰め過ぎると、相手は自分のパーソナルスペースを侵されたように感じてしまう。だがここで少し距離を取ってみることで、相手は安心するかもしれない。ちょっと後ろに下がり、少し離れた位置から情報を差し出せば、何がそこにあるのかとより興味を惹かれるのではないか。そのためにもう少し情報や設定がほしい。俳句の偉い人はどんな俳句を詠み、何を面白いの基準にしているのか。暇人さんはなぜいつも公園に来ているのか。消費税増を今取り上げた理由は何か。いろいろな疑問があった。全てを説明すると今度はうるさくなってしまうのでバランスが難しいが、「そういうことか」と観客の気を惹いてほしい。そこから観客が「だからこうかな」と自分なりに想像する余地を与えてほしい。
ポケットに入るような、小さな物語たちである。しかしそれを表現する俳優たちは、溢れんばかりの熱量を持っていた。その熱を大切にしながら、けれどよりよい状態で観客に届くように。細部に気を配り、小さな物語を濃密にすることはできる。
浪漫好 -Romance- 『ポケット芝居』は3本の短編からなるオムニバス公演だった。ポケット芝居とは当日パンフによると「まるでポケットの中に入る様なスケールが小さく、でも何処か身近に感じる“お話達”」とある。舞台壁面中央では縦長方形のスクリーンになるように黒いカーテンが開けられており、ここには開演時にキャストやスタッフ名のオープニングムービーが映された。上手には事務机が一台と、椅子が二脚置かれている。
一話目は「冬にはね 数学よりも 物理だね」。この俳句を作った生徒・平田(岡島大輝)を教師(横川正枝)が呼び出した。俳句を適当に作ったことで平田が怒られていると、教師に来客がある。レインボーカラーのアフロヘアーに派手な衣装を着たその人はブリトリー佐々木(秋山アレックス)。俳句コンテストの偉い人であった。教師は生徒達の俳句をコンテストに送っていたのである。そしてまさかのコンテスト大賞を、平田の適当な句が受賞するというのだ。納得がいかない教師とブリトリーの間で、俳句バトルが勃発する。
続いては「小さな嘘からコツコツと」。無職で金がなく、母親に詐欺まがいの電話をしてしまった杉田飛鳥(西村優太朗)。自責の念に駆られて公園を歩く彼に、暇人(山崎真優)と名乗る女性が声をかけてきた。希望を失って自暴自棄の飛鳥に暇人は、小さな嘘をついていくことを提案する。嘘も本当になるというのだ。半信半疑ながら母に「就職が決まりそう」と電話をした飛鳥は、しばらくして本当に就職を決める。暇人にそそのかされて願った通りに、恋人(守伽奈恵)もできる。その頃公園では、刑事(青野英敏、西田直也)が誰かを探しているようだ。しばらくして暇人に借りた本を返そうと飛鳥は、恋人と公園を訪れるのだが、そこに暇人の姿はない。
最後は「野口と樋口と諭吉」。お札を擬人化した作品だ。消費税が8%から10%に上がり、一万円札の福沢諭吉(平田渉一郎)には千円札の野口英世が付いてくることになった。うざったい野口を嫌がる諭吉。しかし消費税がまた上がってしまう。野口は3人(杉山佑介、岡島大輝、秋山アレックス)に。野口たちへの対応で疲れ果てた諭吉の前に、樋口一葉(横川正枝)が現れる。そう、消費税が50%になってしまったのだ。
以上、3作品が上演されたのだが、オムニバスと言われても、何か共通項があるのではと勘ぐってしまった。1作目と2作目にお茶のペットボトルが登場することしか筆者は見つけられなかった。関連はなくともよいのだが、3作を貫く存在があると、個々の物語により強い意味が出せたのではないか。
3本の上演が終了後、キャストが全員舞台に登場した。終演のご挨拶かと思いきや、鳴り出した音楽は星野源の『SUN』。軽快な曲に合わせ、キャストたちは踊り出す。観客には手拍子を求め、そして振付も一緒にと促される。笑顔で踊るキャストたちを観ながら、これでまとめていい感じに持っていってしまうのは力技が過ぎないかと感じてしまい、手拍子はできても振りはできなかった。
全体的に素直でストレートな表現がされている芝居だと感じられた。彼らは懸命に演技で語りかけてきていた。自分たちの思いを届けようと全力を尽くしていた。笑ってもらおう。何か感じてもらおう。その気持ちは伝わった。しかし、ラストの大団円で一緒になって踊れるほどの高揚感や没入感を筆者は持てなかった。
そんな観客をも感動させ、芝居に熱中させるにはどうすればよいだろうか。少し引いてみることなのではないかと思う。ちょっと後ろに下がり、少し離れた位置から情報を差し出せば、何がそこにあるのかとより興味を惹かれるのではないか。そのためにもう少し情報や設定がほしい。俳句の偉い人はどんな俳句を詠み、何を面白いの基準にしているのか。暇人さんはなぜいつも公園に来ているのか。消費税増を今取り上げた理由は何か。いろいろな疑問があった。例えば2作目なら、暇人さんが持っていた本を、もっと使ってもよかったのではないか。なぜ本を持っているのかはラストで理解できたが、より効果的な使い方は考えられる。冒頭で本の一部を読んでみるなどしてもよかったかもしれない。全てを説明すると今度はうるさくなってしまうのでバランスが難しいが、「そういうことか」と観客の気を惹いてほしい。そこから観客が「だからこうかな」と自分なりに想像する余地を与えてほしい。
ポケットに入るような、小さな物語たちである。しかしそれを表現する俳優たちは、溢れんばかりの熱量を持っていた。その熱を大切にしながら、けれどよりよい状態で観客に届くように。細部に気を配り、小さな物語を濃密にすることはできる。
(以下は更新前の文章です)
浪漫好 -Romance- 『ポケット芝居』は3本の短編からなるオムニバス公演だった。ポケット芝居とは当日パンフによると「まるでポケットの中に入る様なスケールが小さく、でも何処か身近に感じる“お話達”」とある。舞台壁面中央では縦長方形のスクリーンになるように黒いカーテンが開けられており、ここには開演時にキャストやスタッフ名のオープニングムービーが映された。上手には事務机が一台と、椅子が二脚置かれている。
一話目は「冬にはね 数学よりも 物理だね」。この俳句を作った生徒・平田(岡島大輝)を教師(横川正枝)が呼び出した。俳句を適当に作ったことで平田が怒られていると、教師に来客がある。レインボーカラーのアフロヘアーに派手な衣装を着たその人はブリトリー佐々木(秋山アレックス)。俳句コンテストの偉い人であった。教師は生徒達の俳句をコンテストに送っていたのである。そしてまさかのコンテスト大賞を、平田の適当な句が受賞するというのだ。納得がいかない教師とブリトリーの間で、俳句バトルが勃発する。
続いては「小さな嘘からコツコツと」。無職で金がなく、母親に詐欺まがいの電話をしてしまった杉田飛鳥(西村優太朗)。自責の念に駆られて公園を歩く彼に、暇人(山崎真優)と名乗る女性が声をかけてきた。希望を失って自暴自棄の飛鳥に暇人は、小さな嘘をついていくことを提案する。嘘も本当になるというのだ。半信半疑ながら母に「就職が決まりそう」と電話をした飛鳥は、しばらくして本当に就職を決める。暇人にそそのかされて願った通りに、恋人(守伽奈恵)もできる。その頃公園では、刑事(青野英敏、西田直也)が誰かを探しているようだ。しばらくして暇人に借りた本を返そうと飛鳥は、恋人と公園を訪れるのだが、そこに暇人の姿はない。
最後は「野口と樋口と諭吉」。お札を擬人化した作品だ。消費税が8%から10%に上がり、一万円札の福沢諭吉(平田渉一郎)には千円札の野口英世が付いてくることになった。うざったい野口を嫌がる諭吉。しかし消費税がまた上がってしまう。野口は3人(杉山佑介、岡島大輝、秋山アレックス)に。野口たちへの対応で疲れ果てた諭吉の前に、樋口一葉(横川正枝)が現れる。そう、消費税が50%になってしまったのだ。
以上、3作品が上演されたのだが、オムニバスと言われても、何か共通項があるのではと勘ぐってしまった。1作目と2作目にお茶のペットボトルが登場することしか筆者は見つけられなかった。関連はなくともよいのだが、3作を貫く存在があると、個々の物語により強い意味が出せたのではないか。
3本の上演が終了後、キャストが全員舞台に登場した。終演のご挨拶かと思いきや、鳴り出した音楽は星野源の『SUN』。軽快な曲に合わせ、キャストたちは踊り出す。観客には手拍子を求め、そして振付も一緒にと促される。笑顔で踊るキャストたちを観ながら、これでまとめていい感じに持っていってしまうのは力技が過ぎないかと感じてしまい、手拍子はできても振りはできなかった。
全体的に素直でストレートな表現がされている芝居だと感じられた。彼らは懸命に演技で語りかけてきていた。自分たちの思いを届けようと全力を尽くしていた。笑ってもらおう。何か感じてもらおう。その気持ちは伝わった。しかし、ラストの大団円で一緒になって踊れるほどの高揚感や没入感を筆者は持てなかった。
筆者が感情表現に乏しいという事実はあるのだが、さて、そんな観客をも感動させ、芝居に熱中させるにはどうすればよいだろうか。少し引いてみることなのではないかと思う。押しを強く距離を詰め過ぎると、相手は自分のパーソナルスペースを侵されたように感じてしまう。だがここで少し距離を取ってみることで、相手は安心するかもしれない。ちょっと後ろに下がり、少し離れた位置から情報を差し出せば、何がそこにあるのかとより興味を惹かれるのではないか。そのためにもう少し情報や設定がほしい。俳句の偉い人はどんな俳句を詠み、何を面白いの基準にしているのか。暇人さんはなぜいつも公園に来ているのか。消費税増を今取り上げた理由は何か。いろいろな疑問があった。全てを説明すると今度はうるさくなってしまうのでバランスが難しいが、「そういうことか」と観客の気を惹いてほしい。そこから観客が「だからこうかな」と自分なりに想像する余地を与えてほしい。
ポケットに入るような、小さな物語たちである。しかしそれを表現する俳優たちは、溢れんばかりの熱量を持っていた。その熱を大切にしながら、けれどよりよい状態で観客に届くように。細部に気を配り、小さな物語を濃密にすることはできる。