(劇評・12/15更新)「ここにあなたがいるから」大場さやか | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2021年12月4日(土)19:00開演のLAVIT『404 NOT FOUND』についての劇評です。

 スポットライトに照らされて、暗闇にLAVITの姿が浮かび上がる。LAVITは歌い出した。時にたどたどしく歌われるその曲は『いつも何度でも』。映画『千と千尋の神隠し』の主題歌だ。しばらく歌うと舞台中央に進み出る。着用している赤いTシャツには白で、顔のようなロゴマークが入っている。ボトムは黒いゆったりとしたパンツで、指先が黒くなった赤い手袋を付けている。ポケットからメガネのような物を取り出して装着する。グラスには、青色でさまざまな文字が代わる代わる映し出される。背景のスクリーンには、パスワード入力の画面が映し出されている。両手でパスワードを打つLAVIT。何度目かの挑戦で入力は成功し、バーチャル空間へと入っていく。

 エレクトリックな音楽が流れ、背景の映像では暗がりの中、白い服を着た6人の人物が円形状になってゆったりと踊っている。輪の中央には大きな器のようなオブジェが置かれている。その光景に見覚えがあるような気がした。画面中の6人のうち一人はLAVITだろうか。映像の人々と同じ振付で、舞台上のLAVITも踊る。しなやかな動きの中で時折、人差し指を前方に指す仕草があった。指先が黒い手袋のせいもあって、銃口を向けられたかのような緊張感を覚えた。

 暗転し、映像が変わる。LAVITの服装は、トップスが白のタンクトップと黒のベストに替わっている。高層ビルが建ち並ぶ大都会の映像に合わせて、LAVITの踊りもストリートダンスのように軽やかだ。ところが突然、銃撃戦が行われているかのような音が響く。LAVITは銃を撃ったり、刀をふるったり、武術の構えを取ったりして、目の前に現れているらしい何かと懸命に戦い続ける。しかし、舞台は暗転する。
 
 その後現れたLAVITは上下とも白い服に変わっていた。先ほどの戦闘シーンとは打って変わった緩やかな動きから、どこか儚げな印象を受ける。暗転後、舞台にLAVITはいない。スクリーンには「404 NOT FOUND」の文字が映し出されている。それは、アクセスしたウェブページが存在しないことを示すエラーメッセージ。もうこの舞台上にLAVITは存在しない、ということか。ここで終わるのは寂しすぎる。だが、LAVITは序盤と同じTシャツ姿で現れた。そして冒頭で歌っていた『いつも何度でも』の続きを歌い始める。子どもが歌うように、少し遅れながら。しかしそれは、歌詞を確認し噛みしめるかのように歌っているからだと思えた。この歌にLAVITの思いが載せられている。歌い終えたLAVITに、光が射す。ほっとした。LAVITはここにいる。もしかするとこれまでに「404 NOT FOUND」のそっけない文字だけを残して、舞台から、観客の前から去りたくなってしまった時もあるのかもしれない。それでも今、きっとさまざまな思いを抱いて、LAVITは舞台に立っている。
 
 上演後、関係者に確認したところ、序盤での白い服の6人が踊る映像は、10年前にドラマ工房で開催された「いしかわ演劇祭2011」の記録であった。著者はその演劇祭を観ていた。既視感があったのは間違いではなかった。しかしそんなに前のことだとは思わなかった。「いしかわ演劇祭2011」は東日本大震災と原子力発電所の事故を受け、演劇人として何ができるかを考えて開催された。10年を経て、LAVITがその映像と共に踊る意味を考える。そこに変わらない追悼があることは間違いない。あっという間に時は過ぎていく。その間に記憶から消えてしまうことは多いが、忘れてはならないこともある。それを思い出させてくれるきっかけを、LAVITは用意してくれた。そして10年という時間の中で、LAVITが思考と体験を積み重ね、育ててきた表現を見せる意図もあったのではないか。変わらないものを心の中に持ったまま、変わっていくことはできる。その変化を観客に確認してほしい気持ちがあったのではないか。

 テクノロジーの進化による恩恵を受けて、新たな活動形態を得る人間がいると同時に、機械に取って代わられる人間も増えていくだろう。エンターテインメントでも同じだ。人がいなくとも表現物は作られていく。そんなバーチャルな方向に世界は進んでいくのだろう。だからこそ、生身の身体表現は重要度を増していくのではないか。ダンスという表現形態を選んで活動を続けてきたLAVITにも、手で触れられる確かな存在としての自分を見てほしい、そんな思いがあったのではないか。しかしそれは、受け取ってくれる観客がいるからできることだ。誰かの前で表現ができる喜びを胸に抱いた、LAVITのひたむきさが伝わってくるような上演だった。


(以下は更新前の文章です)


 スポットライトに照らされて、暗闇にLAVITの姿が浮かび上がる。LAVITは歌い出した。時にたどたどしく歌われるその曲は『いつも何度でも』。映画『千と千尋の神隠し』の主題歌だ。しばらく歌うと舞台中央に進み出る。着用している赤いTシャツには白で、顔のようなロゴマークが入っている。ボトムは黒いゆったりとしたパンツで、指先が黒くなった赤い手袋を付けている。ポケットからメガネのような物を取り出して装着する。グラスには、青色でさまざまな文字が代わる代わる映し出される。背景のスクリーンには、パスワード入力の画面が映し出されている。両手でパスワードを打つLAVIT。何度目かの挑戦で入力は成功し、バーチャル空間へと入っていく。

 エレクトリックな音楽が流れ、背景の映像では暗がりの中、白い服を着た6人の人物が円形状になってゆったりと踊っている。輪の中央には大きな器のようなオブジェが置かれている。その光景に見覚えがあるような気がした。画面中の6人のうち一人はLAVITだろうか。映像の人々と同じ振付で、舞台上のLAVITも踊る。しなやかな動きの中で時折、人差し指を前方に指す仕草があった。指先が黒い手袋のせいもあって、銃口を向けられたかのような緊張感を覚えた。

 暗転し、映像が変わる。LAVITの服装は、トップスが白のタンクトップと黒のベストに替わっている。高層ビルが建ち並ぶ大都会の映像に合わせて、LAVITの踊りもストリートダンスのように軽やかだ。ところが突然、銃撃戦が行われているかのような音が響く。LAVITは銃を撃ったり、刀をふるったり、武術の構えを取ったりして、目の前に現れているらしい何かと懸命に戦い続ける。しかし、舞台は暗転する。
 
 その後現れたLAVITは上下とも白い服に変わっていた。先ほどの戦闘シーンとは打って変わった緩やかな動きから、どこか儚げな印象を受ける。暗転後、舞台にLAVITはいない。スクリーンには「404 NOT FOUND」の文字が映し出されている。それは、アクセスしたウェブページが存在しないことを示すエラーメッセージ。もうこの舞台上にLAVITは存在しない、ということか。ここで終わるのは寂しすぎる。だが、LAVITは序盤と同じTシャツ姿で現れた。そして冒頭で歌っていた『いつも何度でも』の続きを歌い始める。子どもが歌うように、少し遅れながら。しかしそれは、歌詞を確認し噛みしめるかのように歌っているからだと思えた。この歌にLAVITの思いが載せられている。歌い終えたLAVITに、光が射す。ほっとした。LAVITはここにいる。もしかするとこれまでに「404 NOT FOUND」のそっけない文字だけを残して、舞台から、観客の前から去りたくなってしまった時もあるのかもしれない。それでも今、きっとさまざまな思いを抱いて、LAVITは舞台に立っている。
 
 上演後、関係者に確認したところ、序盤での白い服の6人が踊る映像は、10年前にドラマ工房で開催された「いしかわ演劇祭2011」の記録であった。著者はその演劇祭を観ていた。既視感があったのは間違いではなかった。しかしそんなに前のことだとは思わなかった。「いしかわ演劇祭2011」は東日本大震災と原子力発電所の事故を受け、演劇人として何ができるかを考えて開催された。10年を経て、LAVITがその映像と共に踊る意味を考える。そこに変わらない追悼があることは間違いない。あっという間に時は過ぎていく。その間に記憶から消えてしまうことは多いが、忘れてはならないこともある。それを思い出させてくれるきっかけを、LAVITは用意してくれた。そして10年という時間の中で、LAVITが思考と体験を積み重ね、育ててきた表現を見せる意図もあったのではないか。変わらないものを心の中に持ったまま、変わっていくことはできる。その変化を観客に確認してほしい気持ちがあったのではないか。

 バーチャルリアリティの技術が進化し、コンピュータネットワーク上に作られた空間、メタバースがリアルをも取り込もうとしている現在である。テクノロジーの恩恵を受けて新たな活動形態を得る人間がいると同時に、機械に取って代わられる人間も増えていくだろう。エンターテインメントでも同じだ。人がいなくとも表現物は作られていく。そんなバーチャルな方向に世界が進んでいくとしても、リアルに触れられる存在としてありたい。自分の感じた思いをダンスという形にして差し出したい。でもそれは、受け取ってくれる観客がいるからできることだ。誰かの前で表現ができる喜びを胸に抱いた、LAVITのひたむきさが伝わってくるような上演だった。