NO.2515 引退したキハ66・67系気動車を求めて(その3最終回・川尻信号場疎開留置車両編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでは、NO.2511NO.2512の2回に分けまして、去る6月30日をもちまして引退しました、キハ66・67系気動車の疎開留置の模様をご紹介しましたが、この2回では八代駅構内に留置しました2ユニットに関しましてご紹介しておりました。

 

 長崎地区で活躍しておりましたキハ66・67系気動車は、末期は8ユニットが運行されておりましたが、これら気動車も最新鋭のハイブリッド気動車でもありますYC1系気動車に置き換わっておりまして、この8ユニットは引退しました翌日の7月1日には3本に渡りまして熊本県内に疎開回送が行われておりました。

 

 そして、2ユニット(6番ユニット・8番ユニット)が上の画像にあります八代市の八代駅構内、そして残り6ユニットに関しましてはこの後ご紹介しますように熊本市の川尻信号場に疎開留置されておりまして、今後「呼び出し」がありましたらこれらユニットが動く事にもなるようでありますが、その「呼び出し」も廃車回送になるのかと言う所でもあります・・・。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、その熊本市の川尻信号場に留置されている姿を去る7月5日に八代訪問時と同じく収めておりましたので、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 八代での撮影を終えまして、これから熊本へと北上しますが、今回の行程では番外でもご紹介しましたように、途中宇城市の松橋駅で一旦下車しまして、「松橋産交」と呼ばれますバス発着所の撮影を行っておりました。

 

 また、この松橋駅では熊本→八代間の短区間の運行であります4099レの通過シーンも収めておりました。この日の牽引機はED76 1022号機でありまして、その後ろにはその下の画像からもわかりますように、小豆色の「JRF」コンテナの姿が見られておりまして、コンテナ自体は満載となっておりました。

 

 (「JRF」コンテナ満載)

 

 

 松橋での撮影を終えますと、熊本市内へと北上します。その下の画像では、三角線との分岐駅でもあります宇城市の宇土駅でありますが、この駅は1面3線となっておりまして、注目する所では左側の通過線ではありますが、現在定期列車では貨物列車しか使用する事がありません。けれども、かつては特急列車の通過線として使用されておりましたので、使用される列車が少なくなっているのも残念でしょうか。

 

 (左側の線路が通過線)

 

 

 松橋駅から10分ほどで、列車は川尻駅にやってまいりました。ちょうど川尻駅には三角線の三角行きの列車が停車しておりまして、乗車列車が川尻駅に着いた直後に発車していきました。

 

 (川尻駅駅名標(駅板))

 

 この川尻駅は、現在は2面2線のホーム配置となっておりますが、以前は中央の部分にも線路が入っておりまして、2面3線のホーム配置となっておりました。しかも、現在九州新幹線の高架橋となっている部分にもかつては留置線が設けられておりましたが、新幹線工事に伴いまして後述のように川尻信号場に移転しておりました。

 

 (八代方)

 

 (熊本方)

 

 その川尻信号場は、川尻駅の熊本駅寄りの所から見る事ができております。それほど近い位置に信号場という名目で残されている事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 

 さて、これからキハ66・67系気動車を求めまして、川尻駅を出まして、川尻信号場へと向かいます。その下の画像では、川尻信号場を見渡せる橋から撮影したものでありますが、画像のように留置されている姿を見る事ができております。

 

 (川尻信号場を見渡せる橋(河尻神宮北側にある橋)より撮影)

 

 

 そんな川尻信号場は、番外及び先述のように、かつて川尻駅ホーム横に存在しておりました留置線が、九州新幹線の工事のために移転を余儀なくされまして、その移転先として存在しております留置線でありまして、この留置線は、九州新幹線全線開通前までは熊本駅発着の特急・普通列車などがこの留置線におきまして留置する事がありましたが、全線開業後は特急「リレーつばめ」が廃止された事や「有明」も大幅減便された事もありまして、熊本車両センターで留置するだけの余裕ができている事から、留置する車両がなくなった事もありまして、結局各地の車両センターで収容できない、長期間にわたる保留車両の疎開留置線として引き続き継続するようになったものであります。

 

 そんなこの留置線には、九州新幹線全線開業時の平成23年3月ダイヤ改正まで使用されておりました485系電車が平成24年2月まで留置されておりまして、合計22両が留置されておりました。まさに、この時も運用を終えた事を伺わせておりましたが、その後これらも廃車回送の上小倉総合車両センターで解体された事は正直残念ではあったようにも思います。

 

 (「K&H」編成)~先頭、クハ481-226

 

 

 そんな九州を代表していた車両も留置しておりました川尻信号場でありますが、ご紹介しておりますように今回6ユニット12両がこの信号場内にあります留置線に入っておりまして、今後「呼び出し」があるまでこの信号場内に入ったままになります。

 

 では、ここからは川尻信号場内に入っておりますユニットをご紹介してまいります。まずは3番ユニットでありますが、反対側では痛みが見られておりますこのユニットではありますが、こちら側では痛みは見られていなかったことがわかります。そんなこのユニットと言いますと去る6月27日~28日に運行されておりましたリバイバル「ながさき」に入っていたユニットの一つであった事は記憶にも新しい所でもあります。

 

 

 こちらは「国鉄急行色」の110番ユニット+1番ユニットであります。このユニットは、6月30日の最終運行253D時にはキハ66 110・キハ67 1の先頭に「ありがとう」の幕を掲出しまして運行されていた事が記憶に新しい所ではありますが、この「国鉄急行色」の組み合わせでの留置の姿もまさにそのままと言う印象でもありましょうか。

 

 (110番ユニット)

 

 (1番ユニット)

 

 「SSL塗装」の3番ユニットと、「国鉄急行色」の110番ユニットとの連結面です。よく見ますと幌も付けてありまして、通り抜けも可能になっていることもこの姿から伺えるのではないかと思います。

 

 これら3ユニットの全体の姿です。やはり「国鉄急行色」であります2ユニットの姿が目立っている事もお分かりいただけるのではないかと思います。そしてこの撮影直後、キハ40系気動車(キハ147形)によります三角線からの熊本行きの列車が通過しておりまして、先輩の姿をこの列車も拝見しながらしばらく動かないといけない事もわかるような姿のようにも思います。

 

 (キハ147形気動車による熊本行きが川尻信号場を通過)

 

 

 一方、北側にも同じく3ユニットが留置されております。まず以下画像が2番ユニットでありまして、先述のように6月27日~28日に運行されておりましたリバイバル「ながさき」で3番ユニットとともに組んでいたユニットでもあります。この2番ユニットと言いますと、オリジナルシートを最後まで保った車でもありましたが、そういう特徴がある車もいずれ姿を消すことになると思いますと残念でもありましょうか。

 

 

 こちらは、12番ユニットであります。最終日に後述の7番ユニットとともに組み合わせておりましたが、このユニットの特徴と言いますとイメージカラーであります橙の「ハウステンボス塗装」をまとったのが特徴でありました。本当に、「国鉄急行色」の2ユニットも目立っておりましたが、この12番ユニットもよく目立っていたのではないかと思います。

 

 

 そして、こちらが7番ユニットであります。この7番ユニットと12番ユニットが最終日ペアを組んでおりましたが、このペアと言いますと、昨年12月の一時離脱時にもペアを組みまして直方車両センターに留置されていたのが記憶に新しい所ではありましたが、最後にまたこのペアを組んでくれているのも粋な計らいとも言う所でもありましたでしょうか。

 

 

 そんな中、今度は815系電車運行の八代行きがこの信号場を通過していきました。このように、頻繁に通過していく姿が見られてはおりますが、先述のキハ147形気動車とともに「先輩、お疲れさまでした」とささやいているようにも思ったほどでした。

 

 

 今回まで、3度にわたりまして「キハ66・67系気動車を求めて」といったタイトルでご紹介しましたが、かつては485系電車も疎開留置されていた場所に見られるようになった事は良かったように思います。ただ、それは今後廃車回送もここからであるかもしれないという事を印象付ける事にもなりますので、もう動く事はできないのかなとも思う所でもあります。とにかく、これでキハ66・67系気動車を求める事は終わる事にもなりますが、今後復活がもしかしたらあるのでは・・・とも思いつつ、とにかくとりあえずはこれら留置されている8ユニットに対しましてお疲れさまと言いたいと思います。