番外 かつては485系電車も疎開留置されていた、九州新幹線全線開業後の鹿児島線川尻信号場のご紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)



 熊本市の西熊本~川尻間にあります、鹿児島線川尻駅北側の熊本駅寄りには、上の画像のように車両留置線が存在しておりまして、上の画像1のように途中から入る形で2本の車両留置線が存在しております。
 
 そもそもこの留置線は、かつて川尻駅ホーム横に存在しておりました留置線が、九州新幹線の工事のために移転を余儀なくされまして、その移転先として存在しております留置線でありまして、名称は「川尻信号場」とも称されている所でもあります。
 
 この留置線は、九州新幹線全線開通前までは熊本駅発着の特急・普通列車などがこの留置線におきまして留置する事がありましたが、全線開業後は特急「リレーつばめ」が廃止された事や「有明」も大幅減便された事もありまして、熊本車両センターで留置するだけの余裕ができている事から、留置する車両がなくなった事もありまして、結局各地の車両センターで収容できない、長期間にわたる保留車両の疎開留置線として引き続き継続するようになったものであります。
 
 
 そんなこの留置線には、九州新幹線全線開業時の平成23年3月ダイヤ改正まで使用されておりました485系電車が、後述のように24年2月まで留置されておりまして、合計22両が留置されておりました。ここからはかつてその「川尻信号場」に疎開留置されておりました485系電車に関しまして皆様にご紹介してまいります。
 
 
 「川尻信号場」に留置されておりました485系電車は以下の通りです。ここでは最終所属先も記載しておりますが、そのほとんどは大分車両センターに所属しておりました「K&H塗装」の3両編成の車両が主でもありましたが、この中には旧・鹿児島総合車両所(現・鹿児島車両センター)所属車も入っておりまして、様々な車両が見られていた事もわかります。
 
 (旧・鹿児島総合車両所(現・鹿児島車両センター)DK16編成)
 クモハ485-8+モハ484-213+モハ485-201+モハ484-301+クロハ481-7

 (大分車両センターDO31編成)
 クモハ485-4+モハ484-205+モハ485-175+モハ484-277+クロハ481-201

 (大分車両センターDO4編成)
 クモハ485-104モハ484-338クハ481-225

 (大分車両センターDO3編成)
 クモハ485-103モハ484-337クハ481-226

 (大分車両センターDO5編成)
 クモハ485-105モハ484-339クハ481-255

 (大分車両センターDO6編成)
 クモハ485-106モハ484-340クハ481-220
 
 
 以下画像は、実際にこの構内に留置されておりました上の表にあります485系電車の姿を平成23年4月に撮影していたものでありますが、画像のように大分・鹿児島所属車でありました485系電車が留置されていた事がお分かりいただけるのではないでしょうか。この時には、他にも南九州では比較的留置の余裕がありました鹿児島車両センターや鹿児島駅構内にも留置されておりましたが、北部九州では結果このように留置に余裕があります川尻信号場に22両が留置される事に至ったのではないかと思われます。
 
 (DK16編成&DO31編成)
 
 (DK16編成)
 
 (DO5編成&DO6編成)
 
 (DO3編成)
 
 
 この6編成22両は、その後以下のような日程でこの川尻信号場より姿を消しておりまして、いずれも小倉総合車両センターへ廃車回送されまして、その後残念ながら解体へと至ってしまいました。しかし、最初の回送は23年12月上旬、最後の編成は24年2月6日に回送されておりますので、それぞれ分かれて廃車回送に至っていた事がわかるのではないかと思います。

 23年12月7日 大分車両センターDO5編成
 23年12月21日 大分車両センターDO3編成+DO6編成
 24年1月10日 旧・鹿児島総合車両所DK16編成
 24年1月23日 大分車両センターDO4編成
 24年2月6日 大分車両センターDO31編成

 
 私自身、このように収めておりましたので、この時の記憶はもちろん存じておりますが、定期列車では平成6年以来485系電車が乗り入れる事がなかった訳ですので、それがこのように保留車として20両以上の車両が留置されていた訳ですから、特に地元の方にとりましては嬉しいのと残念であるのとが複雑にあったのではないかとも思います。考えてみましても、485系電車にとりましては本州乗り入れを行っておりました昭和40年代より熊本にゆかりがあった訳でしょうし、3両編成では「有明」でも運行されていた事から、運行されなくても里帰りができていた事はよかったのではないかとは思います。
 
 
 現在は、この留置線を使用する機会は以降はほとんどないようでありまして、時には保線車両の留置に使用する機会が見られる程度でもあります。それほど熊本車両センターでも留置の余裕が見られるようになった事が伺える所でもありますが、冒頭にご紹介しましたようにかつては熊本駅発着列車も留置されておりましたし、そして485系電車の疎開留置が見られていた訳ですので、その分存在は大きかった事が伺える所ではあります。とにかく、この信号場の存在は薄くなりつつはありますが、タイトルにありますように九州新幹線全線開業後にはこう言った姿は見られていた事を存じていただければとも思います。