早いもので今日から4月。

 

 

もう今年の4分の1が

過ぎたってことですよねあせる

 

 

 

今年の冬は暖冬だったせいか

 

寒さに耐えて春を待つ・・・

という感覚もないまま

 

気がつけばすぐそこに

春が来ていた気がします。

 

 

 

今日は1日ということで

いつもの神社に”朔日(ついたち)参り”へ。

 

 

ほんの少し前まで

葉が落ちたまま寂しげだった

境内のもみじも春の装いに着替え

 

滴るような新緑の衣をまとって

迎えてくれました。

 

 

 

昨年末、氏子さんのおひとりが

作ってくれたという

朱色の灯篭が新緑に映えて

とても美しい風情です。

 

 

開いたばかりの新しい葉っぱは

やわらかく、しなやかで

赤ちゃんの手のひらみたい。

 

 

境内には桜の木も何本かあり

優しい色合いで

参拝者を楽しませてくれます。

 

 

 

この神社はいつ行っても

心洗われる清らかな場なのですが

 

紅葉の綾錦に染まる晩秋の頃と

新緑と桜色に染まる春の盛り

 

この2大シーズンは特に

甲乙つけがたいほどの美しさです。

 

 

 

この週末で

いつもの散歩道の桜並木も

すっかり満開になりました。

 

 

 

名の知れた桜の名所と違い

たくさんの人から見られることも

褒められることもないはずなのに

 

毎年、咲くべき時期が来たら

ただあるがままに花を咲かせる

名もなき桜の木たち。

 

 

 

そういう在り様に心惹かれ

かくありたいと思うのですが

 

まだまだその境地には程遠い私は

あいかわらず煩悩の川に流され

あっちこっちと右往左往することも

しょっちゅう・・・笑い泣き

 

 

 

とはいえ

今年の春はわりと

穏やかな心持ちで過ごせています。

 

 

例年、この時期は忙しすぎて

疲れ切っていることがほとんどでしたが

 

「もう二度と同じ轍を踏まない!」と

 

最近はあまり予定を

詰めないようにしているおかげで

 

何とか体調を崩さず

元気でいられてるのはありがたいかぎり。

 

 

 

年初に決めた

 

多くを求めず

ゆったりと時間をとって

自分の内側を満たすことを

大切にしよう・・・

 

っていう、

自分との約束を守っていきたいです。

 

 

早いものでもう3月ですね花

 

 

2月までは暖かかったのに

なぜか3月に入ったとたん

急に寒くなりました。

 

 

ここ数日はずっと曇りがちで

風がビュービュー吹いているので

散歩に出る気にもなれずに

家にひきこもっています。

 

 

春のお天気は気まぐれで

意外と大荒れの日も多いですよね。

 

 

 

 

さて、今週の月曜日と火曜日は

久しぶりに古民家の外まわりの

メンテナンスをしました。

 

 

 

元大工さんだったという

お隣のご主人に依頼して

ウッドフェンスや縁側、デッキなどを

作ってもらったのは

古民家を借りた年の秋のこと。

 

(2019年)

 

 

できあがったところから少しずつ

私がオイルステインを塗っていき

古民家らしい落ち着いた色味に

なりました。

 

 

 

 

その後、途中で一度

縁側だけは塗り直したものの

 

お隣との境に立てた

長い長いウッドフェンスは

ひとりでやるには大変すぎて

 

忙しさを言い訳にして

見て見ぬふりをしてるうちに

 

いつの間にか4年半が経ち・・・

 

 

 

そりゃあ

老朽化もするというものですタラー

 

 

デッキの屋根の白い支柱も

すっかり錆びて

ペンキがボロボロ剥げてくるし・・・

 

 

 

いつかいつか・・・

と思いながら

後回しにしていることって

 

目には見えないけど

心に少しずつ澱が溜まるようで

意外とストレスになりますね真顔

 

 

 

 

そんな時に

どういう風の吹き回しか

 

「2月の後半に連休があるから

古民家の塀を塗りにいこうか?」

 

と次女が自ら

手伝いを申し出てくれたのです。

 

 

 

年末に泊まりに来た時から

古民家の外まわりの老朽化が

気になっていたらしく。

 

 

うちの次女ちゃん

普段は超めんどくさがりのくせに

 

ひとたびやる気スイッチが入ると

職人さんのように

自分が納得いくまでやらないと

気がすまない人でして。

 

 

年末に来た時にも

バーベキューをしようと出した

ガーデンテーブルとチェアの

色褪せが気になったようで

 

なぜかいきなりスイッチが入り

 

めちゃくちゃ寒い日だったのに

暗くなるまでひとりで

オイルステインを塗ってくれました。

 

 


そんな頼もしい助っ人を得て

1日目の作業開始。

 

 

まずは裏のデッキの支柱の

ペンキ塗りから。

 

 

最初に支柱のペンキが

ボロボロはがれた部分を

粗い紙やすりでこすり落とします。

 

 

次はマスキングテープ付きの

ビニールをデッキに貼っていく作業。

 

これが地味にめんどくさい・・・もやもや

 

 

でも、この準備をちゃんとしないと

落ちたペンキが付いてしまって

仕上がりが汚くなるので

絶対欠かせない作業なんですね。

 

 

高いところは次女が

脚立に乗って塗ってくれました。

 

 

高所が苦手な私には

本当にありがたい存在ですキラキラ

 

 

 

 

午後からはふたりで

お隣との境の長いウッドフェンスに

オイルステインを塗ることに。

 

 

この時も支柱を立てたブロックに

オイルステインがつかないよう

まずはマスキングから。

 

 

その後、ふたりで場所を分担し

どんどん塗っていったのですが

 

とにかく塗るところが多いし

腕を上げっぱなしで疲れるし

 

素人ゆえに塗りムラがすごくて

何度も同じところを塗り直すはめになり

 

結局、夕方6時になっても

長いフェンスの半分しか

終わりませんでしたアセアセ

 

 

 

 

この日の夜は長女も

赤ちゃん連れで泊まりに来て

久しぶりにみんなで晩ご飯でした。

 

 

翌日の朝、長女が

「私もペンキ塗りしてみたい!」

と言い出し

 

急きょ私が子守りをすることに

なったのですが…

 

娘の赤ちゃんは6か月になり

体重も7キロ越え。

 

 

とっても可愛いんだけど

疲れすぎていた私には

正直、抱っこもつらかった・・・タラー

 

 

 

その間に娘たちは

楽しそうにおしゃべりしながら

着々と作業を進め

 

3時半くらいには

裏のウッドデッキまで塗り終わり

 

なんとかこの日のミッション終了ニコ

 

 

美味しいケーキをおやつに

お互いの労をねぎらい合いました。

 

 

 

 

 

さて、それではいよいよお披露目を。

 

 

懐かしい「劇的!ビフォーアフター」

のテーマ曲を頭の中で流しながら

 

すっかり見違えた古民家の

全貌をどうぞご覧ください(笑)

 

 

 

4年半前

ひとり塗装に疲れ果て

実は塗るのさえあきらめた

未塗装のままのぼろいフェンスが・・・

 

 

なんということでしょう!

 

新品さながらの美しさを

取り戻しているではありませんかキラキラ

 

 

 

色褪せ、苔まで生えて

みずぼらしかった

入り口近くのフェンスも・・・

 

 

 

すっかり美しくなり

最初の頃の輝きを取り戻しました。

 

 

 

隣の猫ちゃんの爪とぎ痕が

あちこちに残った

縁側の目隠しフェンスも・・・

 

 

どこに傷があったのか

わからないほどに

しっかりと塗装され

 

自信に満ちた表情で

来客を迎えてくれますキラキラ

 

 

 

支柱のペンキが剥げまくり

赤さびだらけだった裏のデッキも・・・

(写真を撮るのを忘れてました)

 

 

黒の外壁や焦げ茶のデッキに

真っ白なペンキが映える

なんともモダンな空間に早変わり!

 

 

 

余ったオイルステインを

せっかくだから・・・と適当に塗った

玄関横の壁もこの通りです。

 

 

 

外まわりがきれいになったおかげで

築65年ほどの古民家が

20歳くらい若返ったと思いませんか(笑)?

 

 

 

みすぼらしさが嫌で

見て見ぬふりをしていた外まわりでしたが

今では見るたびにウキウキ。

 

古民家への愛情が増した気がしますラブ

 

 

 

やっぱり、家も人も

年を重ねて古くなるほど

小綺麗にしていることが大事なのね…

 

とあらためて思った

古民家メンテナンスでした。

 

今年の冬は本当に暖かく

 

まだ2月だというのに

古民家の周りはすっかり春の景色です。

 

 

先日ふらりと立ち寄った

梅の名所「藤川天神」の臥龍梅

すでに満開になっていました。

(去年より2週間も早い!)

 

 

 

 

さて…

だいぶ時間が空いてしまいましたが

こちらの続きです。

 

人生の質を変えたセッション体験①

人生の質を変えたセッション体験②

人生の質を変えたセッション体験③

 

 

 

セッションの終盤に見たのは

 

白くまぶしい光の中に

浮かんだ神社のイメージと

 

走馬灯のように

次々と入れ替わっていく

いろんな人たちの笑顔。

 

 

 

胸の奥から湧きあがる

幸福感と感謝の想いとともに

 

静かに涙が流れ続けました。

 

 

 

「私はひとりぼっち」

「人は誰も信じられない」

 

という

私が潜在意識の奥でずっと

持ち続けていた古い信念が

 

 

「私はみんなとつながっている」

「信じられる人はたくさんいる」

 

というあたたかな世界観へと

一気にひっくり返った瞬間は

 

 

今までのセッションでは

経験したことのないような

深く感動的な体験でした。

 

 

 

終わった後はボーッとして

心地よい脱力感がある一方

 

目の前がクリアに明るくなり

静かなワクワク感もあり。

 

 

ずっと胸に刺さっていた

太い剣がようやく抜けたような

安堵感もありました。


 

 

セッション中、深い部分に

アプローチしようとしても

心理的抵抗が強くなり

進めなくなることも多かったので

 

今回もどうせ無理だろう…と

半ばあきらめモードで始まった

セッションでしたが

 

まさかのうれしい誤算でした。

 

 

 

この話にはもう少し

続きがありますので

良かったら

もう少しおつきあいくださいウインク

 

 

 

 

セッションの翌日。

 

私は博多で

友人のけいこさんと

会う約束をしていました。

 

 

北九州在住のけいこさんとは

7年ほど前に参加した

先輩セラピストのひろこさんの

ブログお話し会で偶然知り合い、
意気投合。

 

その後も折にふれて

互いの人生を応援し合ってきた

大切な友人です。

 

 

けいこさんは

幼少期からの霊媒体質で

 

亡くなった人の言葉や感情が

勝手に流れ込んできたり

 

神様のメッセージが

和歌として降りてきたり

していたそう。

 

 

私が出会った頃の彼女は

法律事務所に勤める

いたって普通の女性でしたが

 

一緒に旅をした高千穂の地で

突然、亡くなった私の母からの

メッセージが降りてきて

 

彼女はそれを美しい和歌で

伝えてくれたのです。

 

 

そんな天性のヒーラーでもある

けいこさんですが

 

大きすぎる自分の霊性を

うまくコントロールできずに

葛藤してもいました。

 

 

けれども、その後

さまざまな経験を経て

 

自分の持つ力を受け入れ

ありのままで生きていくために

 

米国カリフォルニア州認可の

スピリチュアルスクールで

霊性の扱い方を体系的に学ぶことを決意。

 

 

数か月にわたる

過酷な課題をこなし

ようやく卒業の日を迎えたばかりでした。

 

けいこさんのブログはこちらキラキラ

 

 

 

そんなけいこさんとの

10か月ぶりの再会飛び出すハート

 

 

博多駅近くでランチをした後

一緒に住吉神社に参拝しました。

 

 

 

 

その後

新幹線までの待ち時間に

博多駅近くのカフェで

一緒にお茶をしてた時のこと。

 

 

私が何気なく

前日のセッションの話をすると

 

真剣な表情で

聞いていたけいこさんが

 

「切り離されて

ずっと一人で外側にいた

12歳のいっこちゃんが

やっと大人のいくこさんの中に

戻る時が来たんですね…」

 

と言ったのです。

 

 

それは彼女自身の言葉というより

上の方(私のガイドさん?)から

降りてきたメッセージだったようでキラキラ

 

けいこさん、そういう時の合図として

バーッと鳥肌が立つのだそうですよ。

 

 

 

その言葉に私はハッとしました。

 

 

それは、ずっと探していた

パズルのピースのように

私の心のすきまにぴたりとはまり

 

思いがけない気づきを

与えてくれたのです。

 

 

 

ビリーフチェンジのセッションを

受けるようになって私は初めて

”12歳のわたし”という

インナーチャイルドの存在を

意識するようになりました。

 

 

私にとって、その子は

すごく厄介な子でした。

 

 

大人でも子どもでもない

中途半端な年齢で

 

笑顔の裏で人を見下し

いろんな感情をこじらせて

 

なかなか本心を見せない

反抗的で意固地な子。

 

 

大人の私が

いくら寄り添おうとしても

 

その子が拒絶するから

セッションも深まらない。

 

 

この子のせい

過去の問題解決ができなくて

いつまでたっても

私は幸せになれないのよ!!

 

 

そんなふうに思いながら

 

大人の私は

”12歳のわたし”を

どこか他人のように眺め

 

自分の外側に追い出していた

のかもしれません。

 

 

この子を厄介者扱いし

仲間外れにしていたのは

私自身だったんだ――。

 

 

そのことに気づいたら

すべてが腑に落ちたのです。

 

 


 

後日、それをくみこさんに

ラインで伝えたところ

こんな言葉が返ってきました。

 

「あの時

インナーチャイルドのいくこちゃんが

大人のいくこさんに

両手を伸ばして待っているのが

とっても感じられたよ。

 

やっと受け入れてくれるのね!

って、ほんと〈統合した瞬間〉だった。

 

これからは12歳のいくこちゃんが

いつでもいくこさんのそばにいて

いくこさんと共に楽しい経験をしたり

時にはつらい体験も一緒に

乗り越えていくんだろうね」

 

 

 

それを見た瞬間

 

セッションの時に

くみこさんが私に言った

 

「受け取らないと決めてるのは

大人のいくこさんなんじゃないかな」

 

という言葉の意味がようやく

わかったんです。

 

 

 

拒絶していたのは私の方で

この子はずっと私に受け入れて

もらうのを待っていた。

 

 

”12歳のわたし”が

ずっと望んでいたのは

 

他の誰でもなく

私自身に受け入れてもらうこと。

 

 

悲しみも怖れも怒りも

「ああ、それはつらかったね」と

無条件に受け入れてもらうこと。

 

 

ただそれだけだったんだな…

 

 

 

 

私もセラピストとして

自分で自分を受け入れることや

一番の味方になることの大切さ

を頭では理解してたはずなのに・・・

 

人って自分自身のことは

本当にわからないものなんですねあせる

 

 

 

あれから1か月以上が

たちますが

 

以前はたびたび感じていた

孤独感や虚無感を感じることは

ほとんどなくなりました。

 

 

もちろん、毎日

感情の波立ちは

ないわけじゃないけど

 

海の底は穏やかで

安定している気がします。

 

 

現実が大きく

変わったわけじゃないのに

人生の質が変わったような…

 

 

12歳で生き別れた(?)

インナーチャイルドがようやく

帰ってきたからでしょうか。

 

 

 

 

その影響かはわかりませんが

 

あるクライアントさんから

「前よりもっと母性が強くなって

父性も出てきた感じがします!」

と言っていただき、うれしかったです。

 

 

 

そういえば

博多のカフェでけいこさんが

こんなことを言ってくれたんです。

 

 

「これからは

12歳のいっこちゃんも

セッションのお手伝いをしてくれて

 

クライアントさんたちの

インナーチャイルドと一緒に

遊んでくれるんじゃないかな」って。

 

 

このイメージはとっても素敵で

心強い感じがしました飛び出すハート

 

 

なぜなら、この子は

 

私の人生の中で一番

過酷な時期を生き延びて

命をつないでくれた

私史上”最強のわたし”だからキラキラ

 

 

きっと頼もしいアシスタントとして

私を支えてくれることでしょう。

 

 

 

 

こんなにも長い時間が

かかったけど

 

私は”12歳のわたし”との

仲直りをあきらめず

 

一緒に幸せになるための

努力を続けてきたのは事実だから

 

この長いまわり道もきっと

意味があったのだと思いたいです。

 

 

 

 

私のインナーチャイルドとの

邂逅の物語はこれでおしまい。

 

 

長いシリーズを

ここまでお読みくださり

本当にありがとうございましたキラキラ

 

誰にでもきっと

 

「これがあったから今の自分がいる」

「ここが人生の分岐点のひとつ」

と思えるような

 

忘れられない体験がいくつか

あるんじゃないかと思うのですが

 

 

私にとって

今回のセッションと

その後のさまざまな流れは

 

そういうインパクトをもつ

とても大きなできごとでした。

 

 

 

こちらの続きです。

人生の質を変えたセッション体験①

人生の質を変えたセッション体験②

 

 

 

セッションが進むにつれ

 

母に次いで父を自死で

亡くした"12歳のわたし"が

 

(父自身を含む)

周囲の大人たちを

 

「人の気持ちを考えない

 無神経でバカな人たち」

と心の奥で見下し

 

他者やこの世界に

激しい憤りと不信感を

持ち続けていたことに

 

私は深く気づいていきました。

 

 

 

それを言葉にして

くみこさんに伝えるうち

 

しだいに

湧きあがってきたのは

 

誰とも繋がれない

心もとなさと深い孤独感・・・。

 

 

 

これは私にとって

何十年とつきあってきた、

馴染み深い感覚ですが

 

この時に感じた感覚は

もっともっと深くてリアルでした。

 

 

 

目を閉じたまま

その感覚に身を置き

 

「世界でひとりぼっちという

感じがする」と口にすると

 

くみこさんが動いて

何かをしている気配がしました。

 

 

 

「目を開けてみて」

と言われて目を開けると

 

私の目の前に

3つのイスが並んでいました。

 

 

 

イスを指さしながら

「お父さん、お母さん、弟さん」と

くみこさん。

 

 

 

それを見たほんの一瞬

家族4人でいた頃のことが

思い出されました。

 

 

 

4人家族と自分の居場所。

 

 

ずっとずっと前、

確かにそれは実在したけど

今はもうなくなって

もう2度と戻ってくることはないもの。

 

 

チクリと

胸が痛みました。

 

 

 

「それは今はもうないし、

もう戻ってくることはない」

 

と言った私に

 

 

くみこさんは

「そうなんだね…」

静かに言い、少し考えてから

 

4つのイスから離れた位置に

新しいイスを置くと

 

それを横から眺める

”第3ポジション”のイスに

私を誘導しました。

 

 

 

私の斜め前に

ポツンと置かれたイスは

 

家族とも人ともこの世界とも

切り離された”12歳のわたし”。

 

 

 

 

それをただ眺めていると

 

 

12歳の子どもが

 

怒り、悲しみ、恐れ

罪悪感、自責感、孤独感

不安、恥の感覚・・・

あらゆるネガティブな感情を

 

まだ未熟な精神力で

必死に抑え込んでいることが

なんとなく伝わってきたんです。

 

 

素直に感情を出せない

こじれた複雑さも・・・

 

 

 

「この子、すっごくこじれてるね」

 

 

「すごく怒ってて、誰の言葉も

受け取ろうとしない気がする」

 

と私が口にすると

 

 

くみこさんはこう言いました。

 

 

「そうかな。

私にはそう思えないけど」

 

 

「受け取らないと決めてるのは

大人のいくこさんなんじゃないかな」

 

 

 

え?

と内心驚きました。

 

 

 

私には

目の前のイスに座る子が

いろんな感情をものすごく

こじらせて、不信感でいっぱいで

 

今更、何しても遅いよ!

 

とあらゆるものを

拒絶しているように見えるんだけど?

 

 

受け取らないと決めてるのは

大人の私?

 

(私の心の声です)

 

 

 

その時はくみこさんの

言っていることが

よくわかりませんでした。

 

 

 

そんなはずない。

 

 

この子が拒絶するから

私がどれだけ頑張っても

何も変わらないし、

私の苦しみはなくならないのに

 

 

受け取ろうとしないのは、

その子じゃなくて、私なの?

 

 

 

いまひとつ

納得がいかない私に

 

くみこさんは

そのイスに座るよう促しました。

 

 

 

「エンプティ・チェア」は

(=空(から)のイス)

もともとゲシュタルト療法

(心理療法)の手法で

 

カウンセリングやコーチング

もちろんビリーフチェンジでも

よく使われます。

 

 

ある人に見立てたイスに座ると、

その人物と一体化したように

不思議とその人の感情や言葉が

浮かんでくるんですよ。

 

 

 

 

”12歳のわたし”の

イスに座った私は

 

湧いてきた感情や感覚

そこからの気づきなどを

そのまま口にしていきました。

 

 

 

ただ目を閉じ

自分の内側に集中していく

マインドフルネスの時間。

 

 

 

この時の意識は

瞑想時のトランス状態に近く

 

思考による防衛が薄まって

 

ふだんは無意識下に隠されている

記憶や本音が浮かんできます。

 

 

 

今までの私は

 

セッション中

こんなふうに

無意識の深いところへ

アクセスしようとすると

 

思考が働きだして

ぐるぐると

違うことを考え始めるか

 

解離してしまい

頭が真っ白(無)になって

感情も感覚も感じなくなるか

 

のどちらかだったのですが

 

 

今回のセッションでは

そのどちらでもなくて

 

ただ自分の内側から

湧いてくるものに自然と

身を任せることができました。

 

 

いつもよりずっと

集中できている感じが

うれしかった。

 

 

 

無意識の領域に深く

アクセスできている時ほど

 

夢うつつというか

 

半分、夢の中にいるような

不思議な感覚になります。

 

 

 

夢の内容を正確に

言語化するのは難しいと

言われますが

 

私もこのセッションの後半に

夢うつつの中で

自分が何を言ったのか

今はもう思い出せなくて

 

ここにも書けないのが残念です。

 

 

 

でも

そこで出てきたことこそが

 

抑圧されてきた

”12歳のわたし”の本心であり

 

ずっと分離されていた

インナーチャイルドの声

だったのだと思います。

 

 

 

たったひとつ

はっきりと覚えているのは

 

最後に自分の口から出た

 

 

「どれだけ私が拒絶しても

 それに負けずに差し出される

 強い愛がほしい!!」

 

 

という言葉。

 

(こんな冷めた私の口から

愛って言葉が出るなんて・・・と

もうひとりの私が驚いてましたあせる

 

 

 

その瞬間を逃さず

くみこさんが私の両腕に

押し込んだ

大きくて柔らかいクッションを

抱きしめたとき

 

 

突然目の前にパーッと

白くまぶしい光が差し込み

 

その光の中にふわっと

いつもの神社が浮かんだのです。

 

いつも行く近所の神社の正面からの風景でしたキラキラ

 

 

次に

白くまぶしい光の中に

次々と浮かんできたのは

 

家族や友人や親せきや

ご近所の人たち・・・

 

私の人生でかかわってきた

たくさんの人たちの笑顔でした。

 

 

 

人が死ぬ前

それまでの記憶が

走馬灯のように蘇ると

言いますけど

ちょっとそれに近い感じですキラキラ

 

 

 

いろんな人の笑顔が

浮かんでは消え、

消えては浮かぶたびに

 

その人たちが今まで

私のためにしてくれたこと

与えてくれた愛情や優しさが

思い出されて

 

胸がいっぱいになり

 

ただただ感謝があふれました。

 

 

 

目の中に白い光を感じながら

静かに涙が流れ続けて

しばらく止まりませんでした。

 

 

 

今までだってずっと

まわりの人からたくさんの

優しさと愛情をもらっていたのに

 

心の底ではそれを

信じていなかった自分。

 

 

口では「ありがとう」と

受け取っておきながら

心の中では拒絶していた自分。

 

(ぜんぶ無意識ですけどね)

 

 

 

それが次々と

反転していったんです。

 

まるで

オセロが黒から白へ

パタパタとひっくり返るように。

 

 

 

12歳の時から

私の人生を縛ってきた

 

「私はひとりぼっちで

誰からも愛されていない。

 

人の優しさも愛も

その時だけのことで

すぐになくなってしまう。

 

誰も何も信じられない!」

 

という呪いのような

古い信念が

 

 

「私はまわりの人から

愛されていて

私もその人たちを

愛している。

 

そして、離れていても

すべての人たちと

いつでもつながっている」

 

という新しい信念へと

書き換わった、この瞬間。

 

 

 

世界観ががらりと変わるような

幸せな体験でした。

 

 

 

 

次回へつづきます。

またしても

間が空いてしまいましたが

こちらのつづきです。

 

 

 

今回はちょっと生々しい表現もある

個人的なセッション記録なので

ご興味のある方だけお読みくださいタラー

 

 

 

 

セッションがはじまり

くみこさんの前に座ってもなお

 

自分が何に困っていて

心のどこを掘り下げたいのか

 

はっきり定まらず

 

どこかやさぐれたような

気持ちでいた私でしたが

 

 

いつの間にか

そういう「今の自分」を

そのまま言葉にしていました。

 

 

 

今の私は

現実的には特に困り事もなくて

 

家族、友人

仕事関係、ご近所さん・・・

まわりの人はみんな優しくて

傷つけてくる人は誰もいない。

 

 

幸せなんだと思うけど…

 

それなのに

どこかいつも寂しくて

虚しくて・・・

 

 

 

そう言いながら

自分の心と身体の反応を探ると

 

出てきたのは

 

「私は今まで誰とも

ケンカしたこともない」

 

「誰にも本音をさらして

本気でぶつかったことがない」

 

 

という想いでした。

 

 

 

クライアントさんたちや

友人たちの話を聴くと

 

外では本心を隠して

そつなくふるまっている人も

 

恋人や夫婦や親子といった

親密な関係の相手に対しては

 

泣きわめき

想いの丈をぶつけ

ぐっちゃぐちゃな自分を

さらしていることもしばしば。

 

 

 

そうすることで

人間関係がこじれたり

事態がより悪化してしまうことが

あるだろうし

 

本人も感情的になったことを

後からすごく恥じたり

後悔することも多いのだろうけど

 

 

そうやって感情のままに

自分をさらけだす

子どものような

無邪気さや素直さを

 

ずっと私は心のどこかで

羨ましく感じていました。

 

 

 

さらにその奥にあるものを

探ると

出てきたのは

 

怒り、悲しみ、怖さ

ネガティブな感情に飲まれて

自制心を失い

 

それを他人にもぶつけることで

事態を悪化させ

自滅していくことへの嫌悪感。

 

 

 

自分の感情を

律しきれない人に対して

 

「バカじゃないの」と

見下してる気がする…

 

 

くみこさんを前にして

そう言った時

 

自分が思わず口にした

「見下す」という表現に

私はとても驚きました。

 

 

そして、それが

意外としっくり来たことにも。

 

 

そうか・・・

 

私は感情的になれる人を

羨ましいと思っていたけど

 

「見下して」もいたのか・・・

 

という納得感のようなものが

ありました。

 

 

 

同時に感じたのは

 

自分の口から出た

言葉と強い口調に滲む

 

抑えきれないほどの

怒りのエネルギー。

 

 

でも、その時点では

自分がなぜそんなにも

怒りを感じたのか

よくわかりませんでした。

 

 

 

湧きあがる感情のままに

自分をさらけだす人に対し

 

余計なこと考えずに

感情を出せるっていいな…と

憧れ羨ましさ

感じている私と

 

人の気持ちも状況も考えずに

自分のことばかり。

バカじゃないの・・・

見下している

 

 

 

「いくこさんの中には

 そんな二人がいるんだね」と

 

くみこさんから言われ

 

改めて私は自分の中の

”分裂した二人の存在”を

はっきりと認識したんです。

 

 

 

さらに私は

自分の感覚に意識を向け

心の中を探っていきました。

 

 

本当はもっと

ありのままの感情を

相手にぶつけてみたい。

 

 

でも・・・怖い・・・

 

受け入れてもらえないかも…

 

嫌われるかも…

 

 

 

その怯えのような感情の奥を

さらにたどっていくと

 

 

どうせ私の気持ちは

誰にも分からない。

 

 

分かるはずがない。

 

 

どうせみんな

自分のことばっかりで

 

人の気持ちなんて深く

理解できない人ばっかり。

 

 

無神経でバカだから!!

 

 

という激しい怒りがぐっと

湧きあがってきました。

 

 

 

それは、さっき

「見下す」という言葉を

口にした瞬間に出た

怒りのエネルギーと同質のもの。

 

 

「どうせバカだから。

分かるはずもないよね」

と相手を見下すことで

自分が上に立ち

 

下から突き上げてくる怒りを

必死に抑え込んでいる。

 

 

 

激しい怒りと衝動、

それを抑えようとする強い力。

 

 

互いが拮抗して

「無」になっているような

 

静かで激しい怒りと哀しみ。

 

 

 

それは

父が自死した時から

 

そして

鹿児島に来てからの

私が感じていた

本物の感情と感覚でした。

 

 

 

 

12歳の女の子をひとりで

父の検死に立ち合わせた警察。

 

 

私たち子どものことは

そっちのけで

葬儀の段取りや

その日に食べるもの・・・

現実的なことばかり

しゃべっていた父方の親戚。

 

 

「〇子(母)の方が残ってたら

こんなことにはならなかったのにね」

などと、暗に父のことを非難していた

母方の伯母たちのおしゃべり。

 

 

ありきたりな慰めや

的外れな激励を口にする

大人たち・・・

 

 

 

 

そんな中で私は

1度も泣かないまま

 

父の葬儀、転校

鹿児島への引っ越しなど

目の前のタスクを平然とこなし

 

鹿児島に来てからも

淡々と新しい中学校に通い

 

「素直な優等生」として

先生たちからも好かれていたけど

 

 

心の奥底では

 

「本当の私」を見抜けない

まわりの人間すべてを

 

無神経でバカな人たち

 

と見下すことで

 

激しい憤りを抑圧していたなんて。

 

 

 

★断っておきますが

 父方の親戚も母方の親戚も

 みんないい人たちで

 現実にはとても良くしてくれました。

 

 そのおかげで今の私がいるのも

 本当なんです照れ

 

 

 

でも、その頃の私に

寄り添ってくれる大人や

話を聴こうとしてくれる大人は

ひとりもいなかったし

 

 

学校の友達は

いい子たちだったけど

みんなが子どもに見えて

深い話なんてできると思えなかった。

 

 

 

その頃からずっと私は

誰のことも

信じてなかった

のだと思います。

 

 

 

こんなにも強烈な

他者への不信感

激しい憤りを抑圧していれば

 

どれだけ人と仲良くなっても

そこには真の安心感なんてないから

 

腹を割ったケンカもできないし

 

どこかよそよそしく感じて

寂しいのも虚しいのも

 

当たり前だよな…ショボーン汗

 

 

とようやく腑に落ちました。

 

 

でも、これ

セッションの時には

そこまで言語化できてなくて

 

ここ何日もブログを書いたり

消したりしながら

やっとわかったことです。

 

 

 

ちょっと話がそれますが

 

セッションの時に必要なのは

こうした思考による分析ではなくて

 

瞬間的に湧きあがってくる

感情や身体感覚です。

(強烈なものもあれば

 すごく微細なものもある)

 

 

これこそが

傷ついたインナーチャイルドが

その時に感じていたもの。

 

 

この感覚と感情を

丁寧に丁寧に拾っていくと

それまで心の奥底に隠されていた

深い気づきへと導かれます。

 

これは

頭での理解とは全く違い

 

身体の奥から勝手に

湧き上がってくる

 

体感レベルでの深い気づき

なんですよ照れ

 

 

 

 

さて

私のセッションの話に戻りますと。

 

 

まったく悪気なく

(むしろ本人は善意のつもりで)

無自覚に傷つけてくる

”だれか”に対する激しい憤りを

 

「どうせバカだからわからないでしょ」

 

と相手を見下すことで

何とか抑え込み

 

常に平常心を装っていた

12歳の私。

 

 

 

強いエネルギー同士が

拮抗する重苦しい感覚の次に

湧いてきたのは

 

誰ともつながれず

世界にひとりぼっちでいる

 

心もとなさと孤独感でした。

 

 

 

長くなったので次につづきますね。

(多分、また時間がかかります汗