またしても

間が空いてしまいましたが

こちらのつづきです。

 

 

 

今回はちょっと生々しい表現もある

個人的なセッション記録なので

ご興味のある方だけお読みくださいタラー

 

 

 

 

セッションがはじまり

くみこさんの前に座ってもなお

 

自分が何に困っていて

心のどこを掘り下げたいのか

 

はっきり定まらず

 

どこかやさぐれたような

気持ちでいた私でしたが

 

 

いつの間にか

そういう「今の自分」を

そのまま言葉にしていました。

 

 

 

今の私は

現実的には特に困り事もなくて

 

家族、友人

仕事関係、ご近所さん・・・

まわりの人はみんな優しくて

傷つけてくる人は誰もいない。

 

 

幸せなんだと思うけど…

 

それなのに

どこかいつも寂しくて

虚しくて・・・

 

 

 

そう言いながら

自分の心と身体の反応を探ると

 

出てきたのは

 

「私は今まで誰とも

ケンカしたこともない」

 

「誰にも本音をさらして

本気でぶつかったことがない」

 

 

という想いでした。

 

 

 

クライアントさんたちや

友人たちの話を聴くと

 

外では本心を隠して

そつなくふるまっている人も

 

恋人や夫婦や親子といった

親密な関係の相手に対しては

 

泣きわめき

想いの丈をぶつけ

ぐっちゃぐちゃな自分を

さらしていることもしばしば。

 

 

 

そうすることで

人間関係がこじれたり

事態がより悪化してしまうことが

あるだろうし

 

本人も感情的になったことを

後からすごく恥じたり

後悔することも多いのだろうけど

 

 

そうやって感情のままに

自分をさらけだす

子どものような

無邪気さや素直さを

 

ずっと私は心のどこかで

羨ましく感じていました。

 

 

 

さらにその奥にあるものを

探ると

出てきたのは

 

怒り、悲しみ、怖さ

ネガティブな感情に飲まれて

自制心を失い

 

それを他人にもぶつけることで

事態を悪化させ

自滅していくことへの嫌悪感。

 

 

 

自分の感情を

律しきれない人に対して

 

「バカじゃないの」と

見下してる気がする…

 

 

くみこさんを前にして

そう言った時

 

自分が思わず口にした

「見下す」という表現に

私はとても驚きました。

 

 

そして、それが

意外としっくり来たことにも。

 

 

そうか・・・

 

私は感情的になれる人を

羨ましいと思っていたけど

 

「見下して」もいたのか・・・

 

という納得感のようなものが

ありました。

 

 

 

同時に感じたのは

 

自分の口から出た

言葉と強い口調に滲む

 

抑えきれないほどの

怒りのエネルギー。

 

 

でも、その時点では

自分がなぜそんなにも

怒りを感じたのか

よくわかりませんでした。

 

 

 

湧きあがる感情のままに

自分をさらけだす人に対し

 

余計なこと考えずに

感情を出せるっていいな…と

憧れ羨ましさ

感じている私と

 

人の気持ちも状況も考えずに

自分のことばかり。

バカじゃないの・・・

見下している

 

 

 

「いくこさんの中には

 そんな二人がいるんだね」と

 

くみこさんから言われ

 

改めて私は自分の中の

”分裂した二人の存在”を

はっきりと認識したんです。

 

 

 

さらに私は

自分の感覚に意識を向け

心の中を探っていきました。

 

 

本当はもっと

ありのままの感情を

相手にぶつけてみたい。

 

 

でも・・・怖い・・・

 

受け入れてもらえないかも…

 

嫌われるかも…

 

 

 

その怯えのような感情の奥を

さらにたどっていくと

 

 

どうせ私の気持ちは

誰にも分からない。

 

 

分かるはずがない。

 

 

どうせみんな

自分のことばっかりで

 

人の気持ちなんて深く

理解できない人ばっかり。

 

 

無神経でバカだから!!

 

 

という激しい怒りがぐっと

湧きあがってきました。

 

 

 

それは、さっき

「見下す」という言葉を

口にした瞬間に出た

怒りのエネルギーと同質のもの。

 

 

「どうせバカだから。

分かるはずもないよね」

と相手を見下すことで

自分が上に立ち

 

下から突き上げてくる怒りを

必死に抑え込んでいる。

 

 

 

激しい怒りと衝動、

それを抑えようとする強い力。

 

 

互いが拮抗して

「無」になっているような

 

静かで激しい怒りと哀しみ。

 

 

 

それは

父が自死した時から

 

そして

鹿児島に来てからの

私が感じていた

本物の感情と感覚でした。

 

 

 

 

12歳の女の子をひとりで

父の検死に立ち合わせた警察。

 

 

私たち子どものことは

そっちのけで

葬儀の段取りや

その日に食べるもの・・・

現実的なことばかり

しゃべっていた父方の親戚。

 

 

「〇子(母)の方が残ってたら

こんなことにはならなかったのにね」

などと、暗に父のことを非難していた

母方の伯母たちのおしゃべり。

 

 

ありきたりな慰めや

的外れな激励を口にする

大人たち・・・

 

 

 

 

そんな中で私は

1度も泣かないまま

 

父の葬儀、転校

鹿児島への引っ越しなど

目の前のタスクを平然とこなし

 

鹿児島に来てからも

淡々と新しい中学校に通い

 

「素直な優等生」として

先生たちからも好かれていたけど

 

 

心の奥底では

 

「本当の私」を見抜けない

まわりの人間すべてを

 

無神経でバカな人たち

 

と見下すことで

 

激しい憤りを抑圧していたなんて。

 

 

 

★断っておきますが

 父方の親戚も母方の親戚も

 みんないい人たちで

 現実にはとても良くしてくれました。

 

 そのおかげで今の私がいるのも

 本当なんです照れ

 

 

 

でも、その頃の私に

寄り添ってくれる大人や

話を聴こうとしてくれる大人は

ひとりもいなかったし

 

 

学校の友達は

いい子たちだったけど

みんなが子どもに見えて

深い話なんてできると思えなかった。

 

 

 

その頃からずっと私は

誰のことも

信じてなかった

のだと思います。

 

 

 

こんなにも強烈な

他者への不信感

激しい憤りを抑圧していれば

 

どれだけ人と仲良くなっても

そこには真の安心感なんてないから

 

腹を割ったケンカもできないし

 

どこかよそよそしく感じて

寂しいのも虚しいのも

 

当たり前だよな…ショボーン汗

 

 

とようやく腑に落ちました。

 

 

でも、これ

セッションの時には

そこまで言語化できてなくて

 

ここ何日もブログを書いたり

消したりしながら

やっとわかったことです。

 

 

 

ちょっと話がそれますが

 

セッションの時に必要なのは

こうした思考による分析ではなくて

 

瞬間的に湧きあがってくる

感情や身体感覚です。

(強烈なものもあれば

 すごく微細なものもある)

 

 

これこそが

傷ついたインナーチャイルドが

その時に感じていたもの。

 

 

この感覚と感情を

丁寧に丁寧に拾っていくと

それまで心の奥底に隠されていた

深い気づきへと導かれます。

 

これは

頭での理解とは全く違い

 

身体の奥から勝手に

湧き上がってくる

 

体感レベルでの深い気づき

なんですよ照れ

 

 

 

 

さて

私のセッションの話に戻りますと。

 

 

まったく悪気なく

(むしろ本人は善意のつもりで)

無自覚に傷つけてくる

”だれか”に対する激しい憤りを

 

「どうせバカだからわからないでしょ」

 

と相手を見下すことで

何とか抑え込み

 

常に平常心を装っていた

12歳の私。

 

 

 

強いエネルギー同士が

拮抗する重苦しい感覚の次に

湧いてきたのは

 

誰ともつながれず

世界にひとりぼっちでいる

 

心もとなさと孤独感でした。

 

 

 

長くなったので次につづきますね。

(多分、また時間がかかります汗