大相撲優勝力士の額と手形が並んで

 

 

二人の力士が改札口を出て行きます。

 

 

改札を出ると「力相撲」と書いた像があって

 

 

ここは JR の両国駅です。

 

 

通りには土俵入りの像と手形があって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先に門が見えて

 

 

緒宗山 無縁寺 回向院 の参道が続いています。

 

 

 

 

 

日本の国技である相撲は江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっており、その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和五年(1768)のことで寛政年間を経て文政年間にいたるまで勧進相撲興行の中心は回向院とされて来て、天保四年(1833)より回向院は春秋二回の興行の定場所となって明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間「回向院相撲の時代」が続きました。

 

昭和十一年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立した「力塚」の碑

 

 

大きなイチョウの根本にある万霊供養の塚の上には聖観世音菩薩立像が立っています。

 

 

 

 

 

慈母観音像

 

 

回向院の成り立ちが人間はもちろん生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くものであった事から、境内にはさまざまな動物の慰霊碑・供養碑があって

 

 

 

 

 

 

 

動物供養の卒塔婆も立っています。

 

 

犬猫の供養塔

 

 

 

江戸時代より行われてきた水子供養の塔の周りには沢山の水子地蔵が並んで、風車が風に廻っています。

 
 
 
 
 
 

江戸時代に義賊といわれた鼠小僧次郎吉(俗名・中村次郎吉)の墓は鼠小僧が長く捕まらなかったので勝負運や金運があるとされ、現在パワースポットとして人気でその軽やかな身のこなしから「するりと入れる」、つまり志望校に入学できるとゲンを担いで合格祈願のスポットとしても多くの受験生が鼠小僧のお墓を訪れています。

 

墓の前にはお墓を守るために建てられた「お前立て」という柔らかい石があって準備されている「欠き石」(小さな石)で願いを込めながら削って持ち帰りますが、全国から金運アップを願う人々が石を削って持って帰ったので現在のお前立ちは平成に入ってからもう5代目となったそうです。

 

 

 

 

境内では、猫が寛いでいました。