真言宗豊山派のお寺 福王山弥勒院慈眼寺(じげんじ)

 

 

 

 

広い境内の左側には六地蔵が並んでいます。

 

 

 

奥には石塔・石仏が並んで

 

 

石仏の前には獅子の様な像があります。

 

 

 

地蔵像と六基の庚申塔がが並んで

 

 

 

左の小さい庚申塔には日月・青面金剛像・三猿が描かれています。

 

 

 

その右のひときわ大きな笠付角柱型の庚申塔は日月・青面金剛像・邪鬼、そして三面に各一猿が陽刻されています。

 

 

 

上に猿が座った庚申塔は日月・青面金剛像・三猿の図柄。

 

 

その右の庚申塔は日月・青面金剛像・邪鬼・二鶏・三猿です。

 

 

舟形の石仏などが並んで

 

 

 

 

 

 

並んでいる地蔵尊の右側の像は赤子を抱いた子育て地蔵尊です。

 

 

 

 

庚申塔の前にも地蔵尊が鎮座して

 

 

氷川堂には氷川神社(中野区東中野)の別当(べっとう)職をしたことから「氷川坊さん」と称された慈眼寺第十四代住職、覺順和尚(かくじゅんおしょう)の像が奉られています。

 

 

 

 

観音像の前には竜がいて

 

 

 

 

頭上に馬頭をつけた馬頭観音の角柱部分は道しるべになっていて、左あふめ道(青梅)・右いくさ道(井草)と記されており、もとは青梅街道と石神井道とが分岐する追分の三叉路にあったものです。

 

 

 

 

 

御本尊の聖観世音菩薩尊坐像を祀った本堂の前左右には 除暗鬼が並んで

 

 

 

 

 

 

境内にある金色のパコタにはワットスラケット寺院より寄贈された、カピラバストウにて出土された釈尊のご遺骨一粒が納められています。

 

 

 

 

 

バコタの脇には観音像があって

 

 

 

その横にある水盤には睡蓮の花(造花)が浮いています。

 

 

 

 

 

レジャーでいただきます。

 

 

かき氷器とアイスクリーマー

 

 

かき氷器

 

 

アイスクリーマー

 

 

水筒や弁当箱

 

 

タイガーピックボトル・象印プラボトル PLG-750・ダイヤボトルJPG

 (向かって左から)

 

 

蓋に(方位)磁石が付いたプラスチック製水筒

 

 

おかず入れの付いた弁当箱

 

 

蓋に絵のあるアルミ製弁当箱

 

 

バンビの絵

 

 

プラスチック製弁当箱

 

 

クーラーボックス パナコールド NY-10P

 

 

藤製のバスケット

 

 

給食に関する展示

 

 

アルマイト製食器

 

 

ポリプロピレン製食器

 

 

メラミン製食器

 

 

強化磁器製食器

 

 

昭和20年代の給食

 

メニュー

くじらの竜田揚げ・せん切りキャベツ・コッペパン・脱脂粉乳

 

 

戦後は捕鯨が推進されていたことや低カロリーで高たんぱくなこともあり鯨肉を使ったメニューが人気で、しょうが汁と醤油で下味をつけた鯨肉に片栗粉をまぶし油で揚げた「くじらの竜田揚げ」はかつて学校給食の定番メニューでした。

 

牛乳から脂肪分をぬいた粉ミルクを水でとかしてあたためた「脱脂粉乳」は独特のにおいがあるため苦手な子どもも多かったようです。

 

また主食にパンが出されたことで日本人の食生活を変えたともいわれています。

 

 

昭和40年代の給食

 

メニュー

カレー汁・ソフトめん・きゅうり・牛乳

 

 

「ソフトめん」の正式な名称はソフトスパゲッティ式めんで学校給食向けに開発され、袋から出しためんをミートソースやあんかけなどと絡めて食べました。

一見うどんのようですがうどんに使う粉は薄力粉や中力粉であるのに対しソフト麺では強力粉を使っていて学校給食用としてビタミンなどを添加しており、一度茹でた麺を個別の袋に入れてパッキングしてそれを冷蔵保存したものが学校に運ばれてきて学校で再度蒸し直します。

納品されたソフト麺は学校で再度蒸し直しますので2度の加熱を行なうことになり、2度目はしっかりと温度を上げて蒸しているので麺は伸びに伸びて柔らかくなっており、この柔らかさがソフト麺の特徴です。

 

飲み物は脱脂粉乳から牛乳に切り替わりました。

 
 

平成7年の給食

 

メニュー

ちらし寿司・すまし汁・いちご・牛乳

 
 

昭和 50 年頃にはスパゲティの登場や果物やプリンなどの デザートの登場など、どんどん献立が広がってコッペパンばかりだった給食にごはん給食が始まりました。

 

 

瓶牛乳の蓋

 

 

下高井戸牧場は大正7年、三井合名会社に開設され昭和37年に閉鎖された東京府荏原郡松沢村(現在の世田谷区桜上水)にあった牧場です。

 

 

 

会場の中央部には電気釜・・冷蔵庫などが並んでいます。 

 

初期の炊飯器には保温機能がついていなかったため保温機能つきのものが出てきた頃の呼び分け方で、炊飯のみ=炊飯器、炊飯+保温=炊飯ジャーとされていましたが、80年代以降の電気式炊飯器には保温機能つきがほとんどとなり一般的にこのような呼び分けはしなくなりました。

 

電子ジャーは炊飯機能が無く、炊き上がったご飯を保温するための物です。

 

 

東芝電気釜 ER-6

 

 

ガスター1.2L 炊飯器(ガス炊飯器)

 

 

ナショナル電気炊飯器 SR-2100

 

 

電子ジャー RHS-160JPG

 

 

ナショナル電気炊飯器 SR-1

 

 

冷蔵庫・レンジ

 

国産初の電子レンジが発売されたのは昭和36年(1961)の東芝製で業務用として使われましたが昭和41年(1966)にはシャープから家庭用のものが発売されて昭和55年(1980)には普及率が80%を超えて2ドア式の冷蔵庫の普及によって家庭でも冷凍食品が多く使われるようになりました。

 

なお、電子レンジの代名詞ともなっている「チン」は昭和42年に温め終了を知らせる音として初めて導入されました。

 

 

電気冷蔵庫 NR-830

 

 

電子レンジ ER-604

 

 

 

おいしいくらし(企画展)の入り口

 

 

会場には調理用品等が並んでいます。

 

 

明治から大正にかけて、洋食が広まって行きました。

 

 

まかない貼

 

 

レシピメモ(ホットケーキ)

 

 

台所道具から調理道具へ

 

土間と板張りの床で構成されていた江戸時代までの台所から間取りが改善されて、窓を大きくとった明るい空間で立って調理作業を行う「立働式」の台所が取り入れられていき台所の改善が進みました。

 

 

ワッフル焼き器

 

 

 

焼き型

 

 

パン焼き器

 

 

アルミ製ヤカン

 

 

製粉器

 

 

ホーロー製湯煎鍋

 

 

ジャー等

 

まだ冷蔵庫が一般の家庭には無かった明治41年(1908)ドイツのテルモス社の製品で「魔法瓶」「真空瓶」と呼ばれる製品が東京の日本橋にあった日本銃砲店え販売され(寒冷地での狩猟の際に重宝された。)、大正元年(1912)には国産製品も発売されて水筒だけでは無く持ち帰り用のアイスクリーム容器や保温ジャーなどにも使われました。

現在はステンレス製になっていますが、当初の内びんはガラス製でした。

 

 

エヴェレストジャー2号型

 

 

タイガージャー

 

 

持ち帰り用アイスクリームポット

 

 

 

コーヒー用ポット

 

山に行くときなどにラジュースと共に持って行きました。

 

 

トースター SK-150A

 

 

マヨナイザー(マヨネーズ調理器)

 

 

マヨナイザーの使い方などが書いてあります。

 

新鮮な卵の黄味だけをコップに入れ、20~30回ハンドルをまわして下さい。

次に漏斗より少量ずづつのサラダ油を落としつ々かきまぜ、固くなりましたらビネガーでいくらかゆるめに加減し乍ら、塩又は胡椒で味を付け攪拌致しますと、たやすくおいしいマヨネーズソースが出来上がります。 (一部抜粋)

 

 

自動式ゆで卵器

 

 

ミキサー MX-410G

 

 

ジューサー EJ-377

 

昭和30年(1955)に初めて発売されたジューサーは、搾った後の滓の処理が以外と面倒でしたが昭和38年(1963)には搾ったカスが自動的に集められ、連続で早くジュースが作れる連続自動型ジューサーが発売されました。

 

 

ジュウーサー (手動のようです。)

 

 

ハンドジューサー

 

 

ナプキン

 

 

ティーセット・ピックル皿

 

 

ウォーマーなど

 

 

富士コンロ

 

 

電気ウォーマーHZ92

 

 

象印アプリポット BC-1000

 

 

電気ウォーマー NK-91

 

 

ガステーブル GT-2A2L・ホーロー鍋

 

 

タイガー魔法瓶 「セフティー」

 

 

電気ホーコー(火鍋)NB-602

 

火鍋(ホーコー)とは中華料理の鍋料理で電気火鍋では中央の円筒内より電気で加熱し、その上にアタッチメントを取り付けることでお燗もできま した。

当時の広告写真などからは寄せ鍋やおでんでの利用が紹介されています。

 

 

かつお節削り器 カーク C3 型

 

 

電子ジャーSK200

 

 

ジャー幸 花のシリーズ