川の両岸にある遊歩道に銅像が並んで

 

 

 

 

 

川沿いの公園には散歩をする人や野球のユニフォームを着た少年たちがいます。

 

 

 

 

 

遊歩道に面して交通公園があって

 

 

 

 

子供用の自転車やゴーカート・ヘルメットが並んでいます。

 

 

 

 

 

幼児用のコース

 

 

 

その周囲のコースには信号や横断歩道もあって交通のルールを学びながら遊べる様になっています。

 

 
 
 
 
 

公園の一角には駅があって

 

 

 

蒸気機関車が展示されています。

 

 

 

連結器

 

 

動輪・主連棒・空気圧縮機など足回りの部分

 

 

 

 

 

外から見た機関室

 

 

後ろから見た石炭と水を積んだ「テンダー」(炭水車)

 

 

階段があって機関室に入れます。

 

 

 

機関室

 

 

 

機関士の乗る運転台

 

 

機関車の進む方向(前・後)を決める「逆転機」

 

 

速度を変える「加減弁テコハンドル」

 

 

機関車のみにブレーキがかかる「単独ブレーキ弁」(上)・編成全体にブレーキがかかる「自動ブレーキ弁」(下)

 

 

機関助士席側にある「注水機」(蒸気弁ハンドルは外されている)

 

 

焚口戸(石炭投入口の扉)

 

 

焚口戸の向かい側にあるテンダーから石炭を取り出す部分

 

 

 

近・現代の展示

 

 

蓋付ガラス鉢  明治時代 19世紀末

 

品川硝子製造所の製品と伝わる無色透明のガラス鉢、大型なので家庭用では無く理化学製品として使われた可能性が考えられている。

 

 

金赤色被桜文ガラス花瓶  明治時代 19世紀末

 

 

左 月印 歯みがき粉  明治42年(1909)以降

 

明治商会の製品、名前の通り当時の歯みがき粉は粉末だった。

 

右 化粧水「明色美顔水」  明治18年(1885)発売

 

 

灯油ランプ  明治時代~大正時代

 

 

キング 第2巻 第10号  大正15年(1926)10月1日発行

 

 

左 目黒キネマ名画集 No.1  大正15年(1926)10月1日発行

 

右 週間目黒キネマ 第50号  大正14年(1925)6月26日刊行

 

 

左から

 

品川高等女学校 学徒勤労報国隊腕章  昭和19年(1944)頃

 

 学生は労働力として軍需工場に動員された。

 

愛国婦人会たすき  昭和時代

 

 愛国婦人会とは、傷病兵や戦死者の遺族を扶助するための婦人団体。

 

慰問袋 昭和時代

 

 慰問文(手紙)や娯楽品などを入れて戦場の兵士に届けるための袋。

 

 

防空頭巾  昭和20年(1945)頃

 

 

ゲートル  昭和20年(1945)頃

 

動きやすくするためにズボンの裾と脛に巻きつけた。

 

 

雑嚢    昭和20年(1945)頃

 

布製のカバン。

 
 

防衛食陶製容器  昭和18年(1943)頃

 

 大日本防空食糧株式会社 製作

 

金属は軍需品に優先的に使用されたため、缶の代用として陶製容器を用いた。

 

 

鉄兜

 

 

防毒マスク(市民用)  昭和18年(1943)2月

 

内務省規格品の十七年式防空用防毒マスクで、防火用具の一つとして各家庭に配布された。

 
 

空襲警報サイレン  昭和時代

 

本体後ろのハンドルを回すとサイレンが鳴る、戦時中に航空機による空襲を市民に知らせた道具。

 

 

焼夷弾    昭和20年(1945)

 

昭和20年(1945)5月25日に当時の杜松国民学校(品川区豊町4-24)の校庭に落とされた M69ナパーム焼夷弾の殻。

 

 

国民学校の生徒が疎開先で描いた絵

 

 

 

 

コリントゲーム  昭和9年(1934)頃

 

玉を転がして遊ぶゲームで、右下から棒で玉を突いて穴に入れて得点を競う。

 
 

家庭用映写機  昭和時代 20世紀前半

 

紙製のフィルムを手動で送る家庭用の映写機。

プラグを電灯のソケットに差し込んで紙のフィルムに光をあてて、反射した光をレンズを通して投影する。

 

 

攪拌式電気洗濯機  昭和28年(1953)

 

 松下電器産業株式会社 製作

 

1950年代後半の白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3つの家電製品(三種の神器)の一つ。

 
 

自動炊飯器 第1号  昭和30年(1955)

 

 東京芝浦電気株式会社(東芝) 製作

 

 

8ミリシネカメラ(シングル8)  昭和40年(1965)

 

 キヤノンカメラ株式会社 制作

 
 

マイクロテレビ  昭和38年(1963)

 

 ソニー株式会社 製作

 

当時、世界最小・最軽量のテレビとして開発された。

 

 

品川白煉瓦製造所製の耐火煉瓦  明治時代

 

 

仙台味噌の陶製樽 明治時代

 

八木合名会社が使用していた仙台味噌を入れる容器

 

 

開業当時の品川駅(品川停車場)の模型

 

品川駅は、明治5年5月7日に開業した。

 

日本ではじめて鉄道が走ったのが品川から横浜の間の仮営業で4ヶ月後の9月12日に品川から新橋の間が開通して正式開業となった。

当時の品川駅は現在の駅より約300m南に位置する木造平家造りの駅舎で駅のすぐ隣まで海が広がっていた。

 

 

仮営業中の運賃・時刻表  明治5年(1872)6月

 

 

仮開業通知  明治5年(1872)5月

 

仮営業に先立って太政官が発行した仮営業通知と工部省が出した乗車運賃・荷物運賃などを記したもの。

品川~横浜間の仮営業当日は品川発が9時と17時、横浜発が8時と16時の1日2往復で運行されて所要時間は35分だった。

 

 

イラストレイテッド・ロンドン・ニュース

横浜駅での開業式の様子  1872年12月21日号

 

開業式の様子を伝えたイギリスの挿絵入り新聞で、新橋を出発した蒸気機関車が横浜に到着して式典に向かう明治天皇御一行の様子が描かれている。

 

 

開業当時の切符(想定復元)

 

当時の切符は一等が白色・二等が青色・三等が淡赤色で乗車区間と等級、注意事項が印字されていて、日本語・英語・ドイツ語・フランス語併記は一等のみで二等と三等は日本語と英語のみの併記だった。

 

 

資料の閲覧所

 

 

 

 

 

品川区立の品川歴史館

 

 

入り口には纏があって

 

 

入ると原始・古代・中世の展示室です。

 

 

粘土や砂を材料にして作られていた竃(かまど)の構造を示す模型があって

 

 

 

近くで見つかった貝塚の標本もあります。

 

 

弥生土器 高坏

 

弥生時代後期(1 ~ 3 世紀)

 

 

常滑焼の大甕

 

15 世紀前半作と推定される知多半島の中世常滑窯の製品

 

 

須恵器 高坏  古墳時代中期(6 世紀前半)

 

食べ物を盛るために作られたと考えられている器

 

 

須恵器 堤瓶  古墳時代中期(6 世紀中葉)

 

液体を携帯するための容器

 

 

円筒形埴輪  古墳時代後期(6 世紀後半)

 

古墳の周囲に並べられた埴輪の一部

 

 

浅鉢形土器片  縄文時代後期(約 4.400 ~ 3.200 年前)

 

 

 

吊手形土器(複製) 縄文時代後期(約 4.400 ~ 3.200 年前)

 

 

法禅寺板碑  室町時代 宝徳4年(1452)

 

 

武蔵国神奈川・品川湊帆別銭納帳(複製)  

  南北朝時代~室町時代 明徳3年~応永3年(1392 ~ 1396)

 

品川と神奈川の湊で入る船から帆の大きさに応じた帆別銭(入港料)を徴収した文書

 
 

展示は江戸時代に入ります。

 

 

高札場模型

 

江戸幕府の法令を一般に広く伝える高札をかけておく場所で、高札に触れられないように一段高く土を盛ってあった。

 

 

肉筆浮世絵「品川御殿山花見」葛飾北斎 画 (複製)

  江戸時代 文政~天保初期頃(1818 ~ 1830年代)

 

東海道品川宿の街並みや品川沖に浮かぶ船を眼下に見る桜の名所・御殿山を描いた肉筆画

 
 

江戸名所図会 巻二 「西光寺」 長谷川雪旦 画

  江戸時代 天保5年(1834)刊

 

江戸時代の西光寺は児桜(ちござくら)や醍醐桜で有名で、桜が満開の時はこの地域で一番の花の名所であるとされている。

 

 

東都名所品川絵柄の浴衣(復元)

 

品川名産だった江戸湾の新鮮な魚介類が描かれ、模様が裏表ぴったりと重なる「長板中型」と呼ばれる手法で染められている。

 

 

漆喰鏝絵「天鈿女命功績図」(あめのうずめのみことこうせきず) (複製)

 

漆喰面の平面に鏝で人物や風景などの形を漆喰で盛り上げて造形して彩色を施した鏝絵で、左の扉には上部に天照大神、下部に天鈿女命を、右の扉には猿田彦命を描いている。

 
 

漁船  ー桁船ー  1/6模型

 

桁網(底引き網)を使用した桁網漁をした漁船。

 

 

 

 

戸越屋敷

 

寛文2年(1662)に肥後熊本藩細川家が下屋敷として幕府から拝領したもので数寄屋造の御殿からの眺望を重視した現在の戸越公園を含む東庭園(33,309坪)を復元した模型

 

 

 

 

 

東海寺境界石

 

三代将軍徳川家光が禅宗の僧侶・沢庵宗彭を招いて建立した東海寺に設置された「東海寺領」銘の境界石。

 

 

寛永時代の御殿山周辺想定復元模型

 

品川御殿や東海寺の図面などの資料から寛永10年(1633)に建てられた品川御殿と同16年(1693)に開かれた東海寺周辺の様子を想定復元した模型。

 

 

 

同神奈川ヨリ異船ノ退帆ヲ観ル図(複製)

 

嘉永7年(1854)に「日米和親条約」を締結したアメリカのペリー艦隊が、横浜から退去する様子を描いたもの。

 

 

旗岡八幡神社大絵馬(複製)

 

  江戸時代 元治元年(1864)

 

中延村の竹屋吉次郎が奉納した幅 1.78m・高さ 1.32m の大絵馬で、猿が神馬を引く「駒曳猿の図」が描かれている。

 

 

妙国寺門前明細絵図(複製)

 

  江戸時代 文化4年(1807)12月以降成立

 

 

街道に並んだ店の名前とその模型で橋がかかっているのは目黒川

 

 

 

 

品川宿にあった宿の模型で二階にある実物大の窓からは人形が一階の展示室を見下ろしています。