杉並区高円寺南にある曹洞宗のお寺「萬壽山 松應寺」

史蹟 正五位佐藤信渕大人之墓所
江戸末期に生産の増大に重点を置き肥料と品種の改良・天然資源を開発して新しい事業を興し、富を増やして庶民の生活を向上させる積極的な経済論を主張して「農政本論」「経済要録」など多くの本を著し、当時は世に受け入れられなかったが明治新政府は信淵の理論を農政の基本にして行政を行って大きな成果をあげ、その功を賞して正五位を追贈された幕末の大農政学者である佐藤信渕 (1769 ~ 1850年) の墓所の石碑です。

山門脇には松應寺の縁起
当寺は、万寿山と号する曹洞宗の寺で、現在の本尊は聖観音坐像です。
寺伝によると明暦2年(1656)年5月、浅草森下町(現・台東区寿二丁目)に開創されました。
開山は大松寺(現・北区西ヶ丘1丁目)5世の悦州舜喜大和尚で、開基は雪岩長卯大和尚です。
山門に掲げる万寿山の山号は江戸時代の高名な書家高玄融の筆によるものです。
江戸時代の当寺は、与力・同心なの檀家寺として栄えましたが、墓地が狭小になったことや寺院の維持発展のため、大正7(1918)年6月に現在地に移転して来ました。
当寺の歴史については、昭和20(1945)年の戦火で本尊であった釈迦牟尼仏をはじめ、寺宝・寺録などの全てを焼失したため全焼し、本尊はじめ、寺宝・寺録などの全てを消失したため、詳細は明らかではありません。
現在の本尊は、禅宗様式の濃い仏像ですが、藤原時代の様式を模したと思われるふっくらしたお顔に特徴があります。
なお、当寺には「農政本論」「経済要録」「開国要論」等を執筆した江戸時代の農政学者佐藤信淵(さとうのぶひろ)(嘉永3(1850)年没)の墓(杉並区登録史跡)があります。
令和6年3月 杉並区教育委員会



境内に入ると小さな地蔵像が並んで



石造の五重塔


地蔵と犬の像




本尊の木造聖観音を安置した本堂


葉に埋もれた観音像

石灯籠

本堂前の植木と石塔


本堂の脇には無縁塔があります。






境内にある願王殿には日を限定して開運を祈願する日限開運地蔵尊立像 (造立年不詳)が祀られて






その脇には大正時代造立と思われる月輪を背にして錫杖を右手に持ちニ幼児を左手に抱えた地蔵菩薩と合唱した小さな地蔵菩薩が並んで


三体の地蔵菩薩像の区切られた両脇にはそれぞれ名札が置かれた六地蔵が祀られています。
鶏亀地蔵・陀羅尼地蔵・陀羅尼地蔵
宝性地蔵・地持地蔵・法性地蔵


堂内には本棚とベンチがあって

絵馬も掛かっています。
