かっては滝行も行われたという、山門の横にある「不動の滝」
深大寺のそば祭りで打ち立てのそばを献上するという「そば守観音」
大黒天と恵比寿尊が並んだ福徳尊の横には龍虎の石像も立っています。
疫病を除き、魔事を遠ざける効能のある神とされている深沙大王を祀ったお堂。
唐の玄奘三蔵が経典を求めて天竺に赴く途次の砂漠での難を深沙大王が救ったという説話があり、堂内には玄奘と向い合って鬼神の姿の深沙大王像が描かれている十六善神図が掲げられているそうです。
坂を登った墓地にある地蔵堂にはお地蔵さまと六道地蔵が並んでいます。
小路にお地蔵さんが点在する「地蔵の里」
お地蔵さん以外の石仏もあって
御供物があるのは延命地蔵
坂を降りた所にあって健康運のスポットと言われている石造りの延命観音の祠
不動堂に隣接してある、東京都名湧水47選に選ばれた水が龍の口から流れる不動の瀧。
山門から東に80メートルほど離れたところにある不動堂の前に光昇地蔵尊の祠があって、大聖不動明王の額がかかったお堂の脇には小さなお堂もあります。
参道の入り口に戻って、近くにあるのは深大寺水車館
明治末期に地元の人びとが水車組合を作り、お金を出し合って建てた水車小屋が市内で最後まで残っていた跡地に建設されたといいます。
水車小屋の内部
太平洋戦争直後までの農村の生活を物語る実物資料が展示された展示回廊
水気が多く人の体が深く沈み込む湿田で体を冷やさない様にはいて稲刈りなどをしたカンジキと呼ばれる「田下駄」でカンジキに付けたシュロナワを腰に結びつけて、歩くたびに縄を引き揚げて歩行したと言います。
稲刈りが終わった田に11月中旬に麦のタネをまく時に固くなった土を細かく砕くのに使用したフリマンガ。
両手で取ってをつかんで左右にふって作業するのでこの名前になりました。
肥料づくりの道具
梅雨時や秋の長雨の畑仕事など、雨季の長時間労働で風邪をひかないために着たという「カヤミノ」
ワラミノは濡れると重くなるので水はけの良い茅で作られていて、深大寺では大正五年まで着用されていたそうです。
同じく大正時代まで使われていた「わらじ」
踵にピタリとつくので吐き心地が良く麦踏みや旅などに適していたが、水に濡れるとひもが切れやすくまるので遠くへ行く時には何足も用意」しなくてはならなかったと言います。
草履は本来は足を前に伸ばして足の指に芯となる縄をかけて作るものでしたが、足のかわりになる突起が先端についた草履編み台ができて正座したままで編めるようになりました。
シノダケで円筒形に編み筒のなかにはコシタという反しをつけて中に入った魚が出られないような仕掛けになっている自家製の漁具「ドウ」
昔の消防に使われたポンプ式放水具の「竜吐水」