皆様 おはようございます
土曜日NHKBS時代劇【あきない世傳(せいでん) 金と銀3】をみた流れで「2時間でまわる南フランス・アルル」を視聴。
ガイドは八嶋智人・田畑智子さん、ゴッホとローマの遺跡が出てきて見応えがありました。
番組の中で出てきたゴッホが描いた「アルルの寝室」みた記憶が...
ブログ、振り返ってみました。
2019年6月14日
国立西洋美術館開館60周年記念
松方コレクション展
(同じ年)2019年9月東京都美術館で「コートールード美術館展」観覧。
今は亡き三浦春馬さんがナビゲーターを務めておられた。
昨日の朝、早く起きたので前夜のゴッホのことが気になってAIに質問。
:ゴッホは左耳を切り落とした後、病院に入院。退院後どうなったのですか。
AI:ゴッホは、アルルの病院を退院した後、自ら志願してサン=レミ=ド=プロヴァンスにある精神病院(サン=ポール=ド=モーゾール修道院)に入院しました。
そこで1年ほど療養しながら『星月夜』などの名作を数多く描きましたが、その後、人生の最終地となる場所へ向かいました。
最期を迎えた場所
ゴッホが亡くなったのは、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズという村です。
- 時期: 1890年5月にサン=レミを去り、オーヴェールに移り住みました。
- 最期: 1890年7月27日に自らを銃で撃ち(異説もありますが、一般的には自死とされています)、その2日後の7月29日に37歳の若さで息を引き取りました。
- 現在は、同じくオーヴェールで亡くなった弟のテオと共に、村の墓地に隣り合って眠っています。
ちなみに、オーヴェール=シュル=オワーズには彼が最期に過ごした「ラヴー亭」という宿屋が今も残っており、当時の部屋を見学することもできます。
:ゴーギャンはアルルでのゴッホとの黄色い家での生活が破綻したあとどこに行ったのですか?
AI:ポール・ゴーギャンは、1888年にフィンセント・ファン・ゴッホとアルルで約2カ月間の共同生活を送った後、1903年5月8日に54歳で亡くなりました。
アルルを去った後の彼の足跡を簡単にまとめると、以下のようになります。
- タヒチへの移住: アルルでの共同生活が悲劇的な結末(ゴッホの耳切り事件)で終わった後、ゴーギャンは数年後にフランスを離れ、南太平洋のタヒチ島へ渡りました。
- 晩年: 晩年はさらに遠いマルキーズ諸島のヒバ・オア島に移り住み、そこで傑作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』などを描き上げました。
彼は54年という比較的短い生涯の中で、西洋絵画の伝統を塗り替える独自のスタイルを確立しました。
AI:三つの提案
:1.2.3全部興味があります 。
番組の中で弟との手紙でのやりとりが出てきていたのでゴッホにとってかけがえのない肉親だったのだと思います。
ゴッホのお墓の隣に弟のお墓があることを知りました
AI:家事をしながらでも読み進められるよう、ゴッホとテオの強い絆、そして晩年の物語を順を追って記していきますね。
まずは「1. テオとの『手紙』に秘められた愛」から始めましょう。
1. テオとの「手紙」に秘められた愛
ゴッホが生涯で書いた手紙の多くは、4歳下の弟テオに宛てられたものでした。
この文通は、単なる兄弟の近況報告を超えた、二人の命をつなぐ絆そのものでした。
- 唯一の理解者とパトロン
画商として働いていたテオは、兄ヴィンセントの才能を誰よりも信じていました。売れない絵を描き続ける兄に、テオは毎月生活費を送り続け、ゴッホはその資金で絵具やキャンバス、そして大好きな浮世絵を買うことができたのです。
- 日本への夢を共有
ゴッホは手紙の中で、「日本人は自然の中に生きている」「自分もそんな風に描きたい」とテオに熱く語っていました。テオはその夢を否定せず、常に兄の良き相談相手であり続けました。
次は「2. 『星月夜』とサン・レミの療養生活」**です。
2. 「星月夜」とサン・レミの療養生活
耳切り事件の後、ゴッホは自らサン・レミの療養所に入ります。病室の窓には鉄格子がありましたが、彼はそこから見える景色に宇宙のような生命力を見出しました。

なぜ「うねり」が生まれたのか?
この有名な「うねり」は、単なる幻覚ではなく、彼が感じた自然のエネルギーの激流だと言われています。
彼は鉄格子越しに見える夜明け前の明星や糸杉を、自分の内なる感情と重ね合わせて描きました。
日本へのオマージュ
この「うねり」の表現は、葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の波の描き方に影響を受けているという説もあります。
苦しい療養生活の中でも、彼の心には常に日本があったのかもしれません。
最後に、おっしゃっていたお墓のエピソードに繋がる「3. 最後の日々と、テオが果たした役割」です。
3. 最後の日々と、テオが果たした役割
ゴッホの死後、彼を深く愛したテオにも悲劇が訪れます。
- 寄り添うような最期
1890年7月、ゴッホが亡くなった時、テオは彼の最期を看取りました。しかし、兄を失ったショックと過労から、テオもわずか半年後にこの世を去ってしまいます。
- 二人の再会
当初、二人は別々の場所に埋葬されていましたが、テオの妻ヨハンナの尽力により、1914年にテオの遺体は兄の隣へと移されました。現在、二人の墓石はアイビー(蔦)で結ばれ、永遠の休息を選んだかのように寄り添っていました。

(AIから送られた兄弟のお墓の画像)
番組でも語られていたように、ゴッホがこれほど有名になったのは、テオが彼を信じ続け、その遺志を妻ヨハンナが継いで手紙や絵を世に広めたからです。
家事が一段落したら、最後に一つだけお話ししましょう。
ゴッホとテオのように、「誰かに自分の才能を信じてもらえること」が、芸術家にとってどれほど大きな力になると思いますか?番組を見て感じたことがあれば教えてくださいね。
ゴッホが耳切事件後描いた自画像

左耳がない自画像は、1889年1月にフィンセント・ファン・ゴッホが描いた「包帯をしてパイプをくわえた自画像」などが有名です。
ゴーギャンとの共同生活破綻後に自ら左耳を切り落とした事件直後に描かれ、痛々しい包帯姿ながらも、自身の回復と再起を願う心理が投影されています。
- 鏡に映った左右反転:実際には左耳を切りましたが、鏡を見て描いたため、絵の中では右耳に包帯が巻かれているように見えます。
- 作品の背景:1888年12月の「耳切り事件」を経て、アルル市立病院を退院した直後の1889年1月に制作されました。
- 心理状態:穏やかな表情でパイプをくわえて描かれており、絵を描くことで精神的な安定を取り戻そうとする姿勢がうかがえます。
AIって私の質問に即答。
しかも的確に…
凄いですよね。
ゴッホのお墓と弟のテオのお墓の画像も送られてきました。
AIの活躍によって人間のやること皆とられてしまいそうです。
★★★★
片付けは自分が片付けようという気持ちがないとAIに頼っても無理ですね