今日は、節分


豆まきをして邪気であるを追い払う行事が有名です。

一家の主人や年男が、

福は内、鬼は外

と言いながら家の出入り口と各部屋に炒り豆を撒きます。


各地の神社でも、その掛け声で様々な節分の行事が行なわれるのが恒例となっています。


が、ここ京都の北部、福知山市にある大原神社の場合は異なります。

まず、その掛け声も、

鬼は内、福は外

と普通と反対なのです。


さて、この地方の節分行事は、もう2日夜から始まっています。


2日の夜に『鬼迎え』といって、家庭の鬼(厄)を迎えに行く儀式が行なわれます。


氏子の家を、赤鬼青鬼に扮して金棒まで持った迫力満点の鬼たちが玄関をたたき、

「鬼はおらんか!」

などと奇声をあげ、豆を渡します。そして、

「3日にこれを持って神社に参れ!」

と告げます。

その鬼たちを各家では、お酒を振る舞って歓待するのです。


そしていよいよ3日の当日。

この日は追儺式といって、各家庭から集まった鬼を改心させる儀式が執り行われます。

午後7時から境内で行なわれるということです。


まず、本殿で宮司が、の弓で四方に矢を射ておはらいをします。

そのあと、各家から厄を持ち帰った鬼たちが現れて暴れ回ります。


待ち構えた氏子たちが、

鬼は内!福は外!」

と掛け声をかけながら、豆を鬼たちに投げつけると、鬼たちは本殿に逃げ込み、改心してお多福の顔になって再び現れるというものです。


このあと、境内では福の神になった鬼たちにより、景品付きの福豆が参拝者にまかれます。

また、境内での甘酒の無料接待があるほか、午後6時からは「古神札焼納お火焚祭」も営まれるということです。


赤鬼青鬼に扮し金棒を手に各家庭を回り、酒のふるまいの儀式を始めてから今年で15年目。


鬼役の人は、酒の振る舞いで最後はへろへろになるらしいですが、心待ちにしている家庭が多いので、張り切って押しかけたいと今年も燃えておられたそうです。


想像するところ、ここの宮司さんがの弓で四方に矢を射られるというのは、が昔から邪気を祓い不老長寿を与える植物として珍重されているからでしょうね。


鬼を追い出すだけでなく、改心までさせて仲間に入れてやるこの行事。


同じ節分の儀式にしても、この地方のものは、何だか心がほのぼのあたたかくなり、うれしくなってくる貴重な行事です音譜


いつも唇にうたを

昨日、関東地方はかなりの雪が降った模様です。


昨夜、千葉に住んでいる家族が、携帯で撮った雪景色を送信して来ました。

夜10時過ぎでしたが、かなり積もっている様子が見て取れました。


ここ京都では、毎冬、雪はつき物なのでそんなに珍しくもありません。

が、関東の人たちの、雪が降っただけでのあの騒ぎようは、一体・・・(笑)。


今朝のワイドショーのトップニュースは、どれも都心の雪景色雪

すべって転んで怪我をした人や、追突事故などがあちこちで起こっています。


『首都圏は、雪に対して無防備すぎる!』


そうは言っても、年に何度かしか降らない地域ですから、仕方ないのかもしれませんが・・・。


とにかく、昨日も今日も、ここ京都には、おかげさまで雪は全く降っていません。

寒がりの私は、それだけで儲けたような気分になるのですニコニコ


私は、寒いことが大の苦手。

できることなら、台湾のような南国に行ってずっと暮らしてみたい黄色い花

そうしたら、心まで大らかになれる気がしますドキドキ


でも、この間行った時は、台湾もとても寒かった・・・。


ああ!台湾

あの香辛料の匂いと、スクーターの大群!

思い浮かべるだけで、ちょっと切なくなる・・・。


大好きな国、台湾

是非、またもう一度行ってみたいと思います・・・・飛行機


いつも唇にうたを

今日は、朝から雨雨


仕方がないので、傘をさして自転車に乗り(違反になる?)最寄の駅まで。

そこから電車電車と地下鉄地下鉄に乗り継いで京都市役所前まで行きました。


今日は、月ニの声楽レッスンの日なのです。


さて、今日もやはり「水のいのち」の続きの練習。

それにプラスして、私の所属している合唱団が、四月の合唱祭に歌う曲をレッスンしてもらいました。


ソプラノパートは、当たり前ですが高音が数多く譜面に登場します。

が、私はまだ初心者なので、高音のところに来ると変に力んでしまい、すぐ息切れしてしまうのです。


「頭の上の空気を感じて歌う。

しっかり息はお腹に落として。

母音をつなげて発声してみて・・・」


こう先生に指導され歌ってみると、息が途切れないで続くのです。

おまけに、とても楽に歌える。


「先生、すごいです!

ここ、切れないで歌えた!」


と、余りのうれしさに感動してウルウルしていると、


「途切れないこともそうだけど、声もとてもきれいに流れているよ。

ぶつぶつ切って歌うから、息も続かないし音楽的にも美しくない。

音符は、便宜上、一個一個離して書いてあるけど、本来これはつながっているものなの。

音楽とは、音の流れに過ぎないものだからね。」

と、先生。


《音楽とは、音の流れ》


確かに、それはその通り。

前からそれは知っていた。

でも私はそれを今まで、ただ

「頭で知っていた」

だけだったのだということに今、気が付きました。


そのことを踏まえて、音と音のつながりを改めて意識して歌うようにすると、何と音楽が音楽らしく響いてくるではありませんか音譜

歌とは、本来そうあるべきものなのでしょうね。


「ああ!そうか、そうだったのか!」

と、脳が知らなかった事実を新しく知る。

それは、ほんとに素晴らしいこと♪

このごろつくづくそう思います。


閉じられていた扉が、一枚、また一枚と開かれていくような新鮮な驚き。

そしてそのたびに味わう感動。


私は今日もまた、たくさん「知らないこと」を「知っていること」に変えることが出来ました。

明日も今日以上にたくさんの「知らないこと」と出会って、それを一つでも多くオセロのようにひっくり返したい。


死ぬまで勉強、勉強本なのですね。

ずっと子供のように、わくわくして一日一日を過ごしていきたいと願っていますドキドキ


いつも唇にうたを

近ごろ、私の中で以前より歌に向けての思いが深まってきたようで、とてもうれしいです。


いくつかの紆余曲折はあるものの、順調に歌唱力は成長を遂げている模様。


声楽の先生にも、

「楽しんで学んでる人は、成長が早いわ!」

と言われました。


そう、近ごろ歌うことが楽しくて仕方がないのです

身体全体を使って歌うことを教えてもらってから、小さな心のひだまで歌えるようになってきた気がします。


でも、そこまでたどりつくには決して順風満帆なことばかりではありませんでした。

上手く歌えずに、たくさんの人の前で恥をかいたり、指導者に叱咤されて、

『もう歌なんかやめてしまおう』

と何度も悩んだり・・・・。


歌を学び始めて今年でまだ6年目


最初は、ずっと恥をかくことを避けてきました。

そして5年目となる去年、思い切って恥をかくことで自分の実力を試してみたのです。

プライドの塊のような私としては、まさに清水の舞台から飛び降りる覚悟でたくさんの人の前で一人で歌いました。


この経験が、閉じこもっていた私を変えてくれる転換点となりました。

コーラスをしている人間につきものの

「一人で歌えない」

という難関に、とにもかくにも挑戦することが出来たのですから。


結果は、前にも書きましたが非常に好意的に受け止めてもらえ、

「これからが楽しみ。

いい声をしているよ♪」

と褒めてもらえました。


みんなと歌えるだけではダメだ。

やはり一人でも歌う力をつけないと!


このことを最近深く感じます。


と共に、いろんなジャンルの歌を学んでみたいカラオケ


普通のコーラスだけでなく、民謡やシャンソン、ジャズ、ゴスペル、演歌まで・・・。


ロックは無理としても、ほとんどの音楽に興味があります。


ゴスペルは、短い間ですが習っていたことがあり、ジャズはピアノで心得だけですが触れたことがあります。

シャンソンも、人生模様を歌いあげられて本当にステキ!

民謡は、この京都に専門の合唱団があり、とても実力があって、私は一時真剣に入団を検討したことがあるのです。


私の声のタイプとしては、声楽の先生は、

「高らかに歌い上げる音楽が向いている」

と、オペラの曲を練習させてもらっています。


が、民謡のろうろうと歌い上げるのにも、とても心惹かれるものがあります。

歌を学んでいる皆さんは、こういうことで悩まれたりされることはないのでしょうか?


自分の「歌力(うたぢから)」をアップさせるためなら、どんなジャンルの音楽にも挑んでみたい!

そして、もっと自分の歌の力をいっぱい引き出してくれる素晴らしい指導者と巡りあいたい!

(決して今の先生が不満という訳ではないのですが、私は欲が深いものですから)


初めて自転車に乗れた子供の頃。

うれしくていつまでもいつまでも自転車をこいで走り続けた・・・。

そんな止めようとしても止まらないひたむきな情熱が、いま私の中で歌に向けて吹き上げてくるのを感じているのです。ドキドキ


この情熱、いつまでも失わずに大切に抱き続けていきたいと思っています。音譜


いつも唇にうたを

このところ、他人に誤解され傷つけられたことにずっと悩んでいました。


が、今朝の朝日新聞に、その回答を与えてくれるような記事が載っていました。

今をときめく勝間和代さんの

「人生を変えるコトバ」

というコラム。

一部引用させて頂きます。

  

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  かつてビジネスの先輩に、

 「こちらのことをよく理解しようともせずに、嫌ったり批判したりする相手にどう対応

 すればいいでしょうか」

 と質問をしたことがあります。すると、とても明確な答えが返ってきました。

 

 「そういう人たちに理解してもらおうとする努力は必要だが、それは一人一人に個  

 別に反論などの対応をすることではない。

 その時間をもっと自分が努力すると成果を得られる本業につぎ込むことで、結果

 的に相手の誤解を解き、認めてもらうようになることがより重要です」


 他人の悪意が一定割合、存在するのは避けようがありません。

 その悪意へ過剰に反応してしまうと、自分の大事な時間を失うことになります。


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このケースは、私の場合とは少し違うのですが、同じなのはその傷ついたことに必要以上にこだわってはいけないということ。


人は、一人一人が違う人格なので、必ず感情の齟齬が生まれ、誤解も生じる。

そのことに余り深く囚われすぎて傷つき足踏みしていると、そこには何の進歩も生まれない。


そういう時は、一度その問題から離れ、自分の出来ることを頑張り、成長を遂げられるよう努力する。

そうすることで、誤解された人に見直してもらうようにするべきだ、ということです。



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そのことを考えていたら、ふと昔見たドラマの主人公の台詞を思い出しました。


それは、内容はうっすらとしか覚えていないのですが、破天荒そのもので、しかし落ち目の男性スターのTVドラマ。

が、情けないことに、主演の俳優の名前も覚えていません(涙)


彼は、今は落ち目のスターなのに(落ち目でも『スター』というのでしょうか?)、むかし人気のあった頃とおなじように王様気取りで振る舞うためみんなの持て余し者。

結果、周囲の人間は非常に迷惑をこうむっている。


しかし、彼にはなにか妙に人をひきつけるところがありました。

後輩のスターが彼を卑怯な手を使って罠にはめ、陥れようとした時にも全く怒らずに淋しげにこう言うのでした。


「小さく、まとまんなよ!」


私は、特にその主演俳優のファンでもなく、そのドラマが好きな訳でもなかったのですが、何故かその言葉だけは、今も胸に焼き付いて離れないのです。

その主人公が、私利私欲とは無縁の、大らかなふところの深さを持った人物として描かれていたからでしょうか?

それが私に、自分に欠けているものを改めて思い出させてくれたから・・?


今も、何かの拍子にふっとその言葉が浮かんでくることがあるのです。


「小さく、まとまんなよ!」


私は小さく、まとまってしまっては、いないだろうか・・・・。


そう、少し他人に誤解されたくらいでこの世の終わりのように落ち込むのは、小さ~い人間の証拠でしょうね。

もっと広い視点をもって、物事を大局的な見地から見つめられるような、懐の深い人間にならなければ・・・・。


でないと、また自分から言われる気がします。


「小さく、まとまんなよ!」


と・・・・・。

いつも唇にうたを