『神曲』の見取り図 | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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ダンテという詩人を知っていますか。
   『神曲』という叙事詩を読んだことがありますか。


 こんな質問をすると、一昔前ならば「無礼極まりない」といってお叱りを受けたことでしょう。『神曲』といえば世界の最高傑作ですから、余程の無教養な人を除いて、知らない人はいませんでした。しかし今日では、大学の文化系の学生諸君に尋ねても、ごく自然な質問になっています。シェイクスピアを知っている人は多いのですが、ダンテを知っている人は驚くほど少ないものです。ましてや、日本語訳でも『神曲』を読んだことのある人は絶滅危惧種ほど貴重な人です。イタリア語の原典となると、イタリア語を勉強している人でも読破することは至難のわざです。私たち日本人が、『源氏物語』や『平家物語』を原文で読むような難しさです。ダンテの時代(14世紀)の言語については、数十回に渡り『神曲』の作品自体を鑑賞したのち、じっくり説明するとして、今回は、ダンテが『神曲』の中で旅した「地獄」と「煉獄」と「天国」の見取り図を説明します。 

地獄の構造
 まず、下に載せましたのはボッティチェリの有名な二作品です。言うまでも無く、上が『春』で下が『ビーナスの誕生』です。この二つの作品は、今まで禁じられていた異教の女神ビーナスを主題としたこと、裸体が理想美だったギリシア・ローマの規範を当てはめたことの二点において、ルネサンスの扉をこじ開けた作品だと評価されています。



 そのボッティチェリが、ダンテの『地獄篇』に感動・共鳴して描いた作品が下に載せた『地獄の地図』です。以後、地獄の構造に言及するときは、この地図を拝借することになります。

ボッティチェリ地獄絵

 ダンテが冥界訪問をする切っ掛けになったのは、暗闇に包まれた森に迷い込んでしまって脱出することができなくなったことです。天国にいるベアトリーチェの依頼で辺獄にいたウェルギリウスがダンテの救出にやってきました。帰り道は猛獣たちに遮られましたので、遠回りにはなりますが地獄、煉獄、天国を巡って帰ることにしました。
 まず地獄巡りの道順をボッティチェリの『地獄の地図』の上に挿入しましょう。



 ダンテと先導者ウェルギリウスは、地獄門をくぐって三途の川アケロンの船着き場に着きます。地獄へ堕ちる亡者たちは渡し守カロンの舟に乗せられて地獄本土に送り込まれます。ダンテは気絶している間に向こう岸に着いていましたので、その渡し船に乗ったかどうかは不明です。上の地図に従って地獄を「下へ下へ」と降りて行くことになります。地獄は環状になった九つの広い圏谷があります。イタリア語では「cerchio(チェルキオ)」と呼びます。第7圏谷は暴力の罪を罰する地獄で、三種類の「円(girone:ジローネ)」で構成されています。第1円では他人への暴力が、第2円では自分への暴力(=自殺)が、第3円では神への暴力が罰せられています。そしてさらに、第8圏谷の中には十カ所の壕があります。それは「悪の袋」という意味の「malebolge(マレボルジェ)」と呼ばれ、それぞれの悪人がそれぞれの仕置きを受けています。一番下の第9圏谷は「コキュトス」とも呼ばれます。私の前回のブログ『あの世のはなし』を読まれた方はお気付きでしょう。ローマ神話のコキュトスは、三途の川アケロンの支流でしたから、キリスト教以前の人たちはカロンの渡し船に乗ってアケロン川を下って、コキュトス川を通って冥界本土に着きました。しかし『神曲』では「氷の圏谷」の名前に使われていて、四つの極寒の湖から構成されています。「カイーナ」では肉親を裏切った者が、「アンテノーラ」では祖国を裏切った者が、「トロメーラ」では客人を裏切った者が、そして「ジュデッカ」では恩人を裏切った者が刑罰を受けています。そして最後に、地獄の最深部に君臨している大魔王のもとに辿り着きます。
 その大魔王を抜けると地獄を出ることになります。次は煉獄島に辿り着いて、その山を登ることになります。地獄と煉獄の接続は、下方へ降り切ったと同時に上に登るのですから、『神曲』の難解事項だと言われています。その謎解きは次回以降にしますが、一応、『神曲』の全世界を下に載せておきます。



 まだ万有引力の存在が知られていなかった時代に、ダンテは体感引力を知っていたようです。地獄の最深部は地球の中心部で、そこまでは生身の人間は「下に降りる」と体感します。地球の中心部を通過すると、次は煉獄と天国に向けて「上に昇る」と体感することになります。ダンテは『地獄篇』第34歌で、その難問を苦心して解決しようとしています。早く知りたい人は、すぐ原作を読んでください。読む時間のない方は、私のこのブログがその箇所に辿り着くまでお待ちください。
 さて次に、ダンテとウェルギリウスは煉獄に着きました。いったん地獄へ堕ちたら最後、二度と出ることのできない場所です。煉獄へ行くことができる人は、遅かれ早かれ天国に受け入れられる人ですから、直接、天使の舟で煉獄の港まで送り届けられます。しかしダンテたちは地獄から入るという異例の経路を取りました。「暗く丸い穴状の道を登った」とあるだけで、それ以上の明確な描写はありません。それは地獄から煉獄に抜ける極秘の通路で、特別な状況以外は通行禁止か封鎖されているようです。

煉獄の構造
 天使が操舵する舟に乗せられて煉獄についた死者たちは、山を登りながらこの世の七種類の罪業の垢を完全に落とします。厳格に言えば、この世で犯した一つ一つの罪を完全に浄めるまでは次のステージに登ることができないのです。浄めなければならない汚れとは、下の画像に挿入した七種類です。




 それぞれの汚れを浄める空間のことを「環道」と呼びます。原典のイタリア語では‘cornice(コルニーチェ)’と言います。英語訳の‘terrace(テラス)’と言った方が日本人にはイメージが鮮明になります。この世の汚れが多すぎると地獄へ行くことになりますから、煉獄に来ることができたということは、その汚れは許される範囲の多さだったということです。それでも浄化に時間が掛かっている人がいます。『神曲』に名前が登場する人物で最も浄罪に手こずっている人物はローマの叙事詩人スタティウスだと思われます。彼は96年に死んでから1300年の時点で、まだ煉獄で汚れを浄めているのですから、1200年以上も留まっていることになります。煉獄の最上階には「エデンの楽園」があって、この世の汚れを完璧に浄化した人だけが、天国へ昇るまでのひとときを過ごします。そして、いよいよ憧れの定住場所になる天国へ昇天します。

天国の構造
 この世で挙げた善行に従って適切な天界に住むことになります。『神曲』で使われている天国の構図は、言うまでもなく地球を中心にしてすべての天体が回る天動説です。すでに天動説は、ピタゴラス(紀元前582~496)やアリストテレス(紀元前384~322)も想定していました。しかし学説として完成させたのはプトレマイオスだと言われています。(下に添付しました図像を参照してください。)天体・惑星の名称は、すべてローマ神話の神の名前から付けられています。その暗黙の〈しきたり〉は、1930年にアメリカの天文学者クライド・トンボーが新(準)惑星を発見してローマ神話の冥界神「プルート(冥王星)」と名付けるまで続いたようです。2004年3月にNASAが発見した(準)惑星にはイヌイットの伝説上の美しい女神から「セドナ」と名付けられましたので、現代ではその伝統は薄れているようです。



 上のプトレマイオスの天体図に宗教的意味を与えたのがトマス・アクィナスだと言われています。理解し易くするため、それを図像化したものを下に載せておきました。



 ダンテは、『天国篇』の構造をアクィナス神学を基にして築き上げたと言われています。第1天界の月天から第9天界の原動天まで順に連なっていて、ダンテもベアトリーチェの先導で順に昇って行きました。その順位は、この世で行った偉業の偉大さも関係してはいますが、やはり偉業の種類の方が優先しているようです。たとえば水星天には、そのローマ神メルクリウスの神的役割である「コミュニケーション、文字・数・度量衡の発明、商業の守護神」に因んで、この世で人の役に立った人がいます。たとえば『ローマ法大全』を編纂したユスティニアヌスなどがその代表者です。また愛と美の女神ウェヌス(英語:ビーナス)の名に因んだ金星天は、若い頃は放蕩生活をしていたが悔い改めて有名な司教になったフォルケがいました。さらに火星天は軍神マルスから名付けられているように、神のために戦った騎士や十字軍で功績を挙げた戦士がいました。そしてそれらの上層部には、至高天に入るための資格審査をする恒星天と、天使たちの詰め所になっている原動天があります。その更に最上層部には、ダンテが最高聖者と評価している聖者たちが至高天にいます。そしてダンテは、至高天の頂点に存在する三位一体の神の姿を光の形で見て、『神曲』の全行程を終えました。
 次回は、地獄巡りに出発します