わたしたちは子供の頃から、贔屓はダメとか、みんな仲良く平等に、公平にと教わってきました。
確かに理想的な考えで、ビジネスの場や行政サービスでの対応などでは、不公平な対応は問題になると思います。
ですが、自身のプライベートな時間でも「公平な対応をしなければならない」「平等であるべき」と強固なルールになっていると、なんだか生きづらくなってしまいます。
友達関係も平等であるべき?
友達でも好きな友達、苦手な友達っていますよね。
また、職場でも仲のいい人、ちょっと苦手かもって思う人いますよね。
その苦手な人に2人でお茶やランチに誘われたらどうしますか?
ずっと前の事ですが、当時参加していたコミュニティーのメンバーから、突然メールでランチに誘われた事がありました。
「こないだ○○さんとランチに行ってましたよね。今度は私と一緒に行きませんか?」と。
正直、私はこの方が苦手でしたが、苦手だとバレないように細心の注意を払って接していた結果、どうやら気に入られてしまった様です。
そして、このメールを読んで「どうしよう」と困ってしまいました。
・○○さんと一緒にランチしいていたところを見られているのに、断るのは不公平になる?
・「何で○○さんとは一緒に行って、私とは行けないの?」と言われたらなんて答えたらいいんだろう??
・ここは公平に、1回は行くべき?
・こんな風に言われるなら、もう○○さんともランチに行かない方がいいのかな。
なんて、悶々と考えていました。
皆さんだったら、こんな時どうしますか?
自分はどうしたいと思ってる?
当時の私の頭の中は、相手から「悪く思われたくない」という考えから、相手が納得いく断り方はないか、そればかり考えていました。
そうです、本当は行きたくないのです。
でも向こうは好意的なのに、私はそうでない事がバレたら、「このコミュニティーに居辛くなるかな」「敵意を向けられたら怖いな」という思いがあって、なかなか断ることができませんでした。
そして仕方なく一緒にランチに行くのですが、また無理して相手に気に入られる自分を演じ、自己嫌悪に陥っていきました。
こんな自分が大嫌いと。
これって、自分を全く大事にしていないですよね。
相手の事ばかり考えて、自分の気持ちを押し込めて、ないがしろにしているのですから。
それでも当時は、自分を守るために人に嫌われないようにしている。
自分を守るためには、誰からも敵意を持たれないように振舞うことだと思っていました。
人間関係に好き嫌いはあっていい
冒頭に書いた「贔屓はダメ、みんな公平に、平等に」の考えが強く残っていると、苦手だな、この人嫌だなという感情に罪悪感を持ちます。
この罪悪感があると、自分の気持ちに自信がなくなり、相手の気持ちを優先しがちです。
また、人に対してマイナスの感情を持つことはいけないと思って、ポジティブな感情に変換しようとするのですが、そんなことでは自分を納得させることが出来ません。
感情は「こう思おう」と思って変えられるものではなく、また、そもそも自分の感情にいいも悪いもないのです。
好きな人、嫌いない人がいるのが人として当然の感覚です。
そして、苦手な人と我慢して付き合っていくと、嫌いな人が増えて生きづらくなってしまうのです。
好きな人との時間が幸せにつながる
当たり前の事ですが、好きな人と過ごす楽しい時間が多いほど、幸せを感じますよね。
そのためには、苦手な人との時間は少なくして、好きな人との時間を増やしていくのですが、『平等であるべき』をルールにすると、苦手な人との時間を減らすためには、好きな人との時間をも減らす事が平等なのではないかと考えてしまいます。
苦手な人のために、好きな人との時間を減らすなんて本末転倒ですよね。
自分の気持ちを大切にするためには、少しの勇気が必要な時があります。
苦手な相手から「悪く思われてもいい」「不公平だと思われてもいい」と覚悟を決めて行動する事です。
何となく後ろめたい気持ちになるかもしれませんが、自分の気持ちに正直になる事は、悪い事でも何でもありません。
一緒に時間を過ごしたい相手は、自分で決めていいのです。
まとめ
今回は、「平等でなくてもいい」というテーマで書いてみました。
「平等であるべき」が強い真面目な人ほど、この「べき」と自分の気持ちが対立すると悩んでしまいます。
でも、自分の気持ちを優先していいのです。
私も自分の気持ちを優先するようにしてからは、苦手な人と接する時間が減り、人間関係がとても楽になりました。
そして、そもそも苦手な人から誘われることがなくなりました。
今は、好きな人達との大切な時間を楽しんでいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。