明戸古墳。筑波石とはなんぞやと考える。 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

今回の関東滞在は

いくつかの古墳を巡りましたよ爆笑キラキラ

今日ご紹介するのは千葉県市川市にある

明戸古墳!


これまで巡った弘法寺古墳、法皇塚古墳とともに

国府台古墳群を構成する前方後円墳です!
  




里見公園という江戸川沿いの公園のなかにあり

川沿いの駐車場に車を停めて車


階段を登ったところにあります!


そう、河岸段丘を感じながら階段を登るんです。

ぷるぷる震える足が河岸段丘をとらえておりますw


公園入口。


思ったよりも広い公園です。

江戸川が見渡せる絶景公園目キラキラ



入口のわりと近くにある高まりが


明戸古墳です!

手前が前方部、奥が後円部。



全長40mの前方後円墳。

周辺から採取された埴輪から

6世紀後葉につくられたと考えられています。



後円部には、

黒雲母片麻岩製の板石を組み合わせた

2基の箱式石棺があります。






説明看板には黒雲母片麻岩の筑波石とありますが

市川市のホームページには
 


筑波山産出の緑泥片岩とあり

同じ筑波山の変成岩ながら微妙に違う表記なのよ。

調査報告書あるのかな?

先日書いたこちらで紹介した論文では、変成岩として変成の段階(紅柱石に代わり珪線石、菫青石が出現)で分類されてて、私がまだ勉強不足のもう一歩奥の議論がされてましたえーん(泣)


また、この明戸古墳は天保年間に書かれた

『江戸名所図会』でも紹介されており


棺から甲冑太刀、金銀の鈴、陣太鼓、土偶人?が

見つかったと書かれております。


では、ぐるりと周りをまわってみましょう!


前方部西側上矢印


前方部端上矢印


東側から上矢印


前方部の上上矢印


里見公園内には石棺の蓋石とされる石が


夜泣き石伝説として伝わっております。


国府台の合戦で北条軍に破れた里見軍の里見弘次の娘さんが父を弔うためここを訪れ、悲しみのあまり泣き続けて息絶えてしまったそう。いつの頃からか、この石から夜な夜な泣き声が、、というお話。


古墳の石棺の蓋であり、他にも言い伝えが残る石。

とにもかくにも、

地元の方に大切にされ残されている石だもの

ちゃんと手を合わせておかないとですねお願い


めちゃめちゃ急な別の階段から下って


古墳巡り終了!!

国府台古墳群の3基の前方後円墳を

これで全部巡れたわ〜爆笑キラキラ


オマケ。古墳にて。



   里見公園


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これまで巡った古墳一覧 

茨城県自然博物館で筑波山の地質を学ぶ



 10年前の今日のブログ

これくらい分かりやすい地質の教科書があればええねんけど。