ヒヤヒヤの粟倉瓦窯跡と禁野上野古墳〜枚方歴史ウォーク〜 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

9月に参加した大阪府立近つ飛鳥博物館主催の

枚方歴史ウォーク、、

なかなかブログが書き終わりません。。

スピードアップだっランニングアセアセアセアセキラキラ!!


120mもの大きさの牧野車塚古墳を訪れたあと



続いて訪れたのは


粟倉瓦窯跡。。あわくらがようあと


瓦窯跡なんていう立派な遺跡名ですが

ここ遺跡だったのびっくりハッ!!?

地元住民もきっと知らないような

住宅地に残された三角形の小さな公園。

その名も小規模公園87(笑)


しかも、、


雨、ザーザー降りガーンガーン傘ガーンガーン

足元は


草ボーボー。。やしの木やしの木やしの木アセアセ


大阪府内各地や近隣の県からの参加者の皆様、

楽しめてるかなー、、キョロキョロアセアセ

大丈夫かなー、、チューアセアセ

と枚方市民としてヒヤヒヤする遺跡でした(笑)


遺跡について少し詳しく書くと下矢印

平安〜鎌倉時代に操業した2基の窯が見つかっています。
面白いことに、この窯の構築に縄目のついた古瓦使われていて、この周辺に古代寺院があったのでは?とされていて、近くに粟倉(おぐら)神社があることからも、嵯峨天皇ゆかりの「粟倉寺」ではないかと言われています。

なにげに古くまで遡れる歴史ある地域なのね〜ウインク


瓦窯跡らしく


台地の縁辺部、

斜面にあるのがよくわかりますね上差しキラキラ


ちなみにこの写真の右側の住宅の奥が右矢印

コマツの巨大な敷地でして

敷地との境の段丘崖から古墳時代終末期の

横穴墓が
10数基見つかっています

枚方にも横穴墓あったんやー。




続いて


関西外国語大学の陸上部のグランド、

立派やなーびっくりキラキラ

と感動しながら横を通過して

奈良、平安時代の百済王氏の居館跡、

禁野本町遺跡へ。

この禁野本町遺跡は百済寺跡と合わせて

また後日詳しく書くとして

続いて訪れたのは



禁野上野古墳、跡。

うん、はい、、墓です。墓地ですお願い


墓の奥の緑もりもりの場所に

かつて古墳がありました。

いきなり墓に連れてこられて

皆様ちょっとポカーンとされてました。イヒうずまき

※古墳があった場所はお墓になっているところが多いので、参加者の皆様も理解してくださっていることをひたすら祈りました。


禁野上野古墳きんやうえのこふん
古墳時代後期の全長40mの前方後円墳。
埋葬施設、その他、、不明。

不明って!調査してくれーー!心の声。


このすぐ近くに枚方市民病院があるのですが

そのすぐ近くに白雉塚古墳というのもあったそうです。


白雉塚古墳はくちづかこふん
6世紀後半頃の直径3mの円墳。
全長8.5m、玄室長3.8mの横穴式石室。
石室内から凝灰岩の石片が見つかっているものの、石棺には十分な量ではないことから、木棺があったのではとされています。
大正2年に調査が行われて、多数の出土品が発見され、東京国立博物館に寄贈されました。
その後、昭和に消滅。
副葬品は鉄鏃、鉄槍、鹿角製刀子、轡・杏葉など馬具、玉類(銀・琥珀)、小環付銅釧、須恵器、土師器。

石室材が市民会館の裏に置かれているそうなので、

帰りに寄って見に行きました。


ちゃんと調査されないままなくなってたり

調査されたのが大正時代だったり、、

枚方の古墳てわりとそうやねん。悲しいねんぐすん

続く。。

 続きはこちら下矢印



歴史ウォークその1 

歴史ウォークその2