九頭神廃寺史跡公園&宇山1号墳〜枚方史跡ウォーク〜 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

9月末に参加した


大阪府立近つ飛鳥博物館主催の


歴史ウォーク「枚方の古墳・史跡をめぐる」



京阪電車牧野駅スタートしてランニングキラキラ

牧野阪瓦窯跡&牧野阪古墳跡を見学したあと



九頭神廃寺跡へ行きました。


九頭神廃寺は枚方の歴史講座などを受けると

よく出てくる史跡です上差しキラキラ



九頭神廃寺クズガミハイジ

7世紀後葉にあったとされる古代寺院。

古くから古瓦が出土することで知られ、「ドンドン山」や「金堂」など古代寺院を思わせる字名があり、ドンドン山からは明治時代に銅造誕生釈迦仏立像が発見されています。


※『図録考古資料でみる枚方の歴史』より

銅造→どんぞう→ドンドン?に変化したのかな?

大阪人の雑な感じが伝わります爆笑(笑)


塔跡の可能性がある瓦積みの基壇、寺域の北西部では正倉院に相当する仏具などを納めた施設、倉垣院(そうえんいん)と推定される建物跡が見つかっています。

寺域の西側の豪族の居館跡と考えられる大型掘立柱建物跡からは、和同開珎11枚と鉄製小札転用人形が見つかっています。


小札は甲冑を構成している小さな短冊状の板のことで、 


※画像はお借りしました

それを転用して地鎮用の人形を作っているそうです。
このような地鎮祭用人形はは長岡京とここだけでしか見つかっておらず、都城のような儀礼が行われていたと考えられていますびっくりハッ


史跡は

普通の住宅地の中に

九頭神廃寺史跡公園として整備されてます。

よくよく見たら


地面に柱跡、建物跡が描かれています。

倉垣院の倉庫跡だそうですウインクキラキラ


縁の草むらには




発掘した当時の写真などが展示されてます。


小札転用人形が見つかった豪族居館跡は



今は府営住宅になっています。


また、遺跡の北600メートルのあたりには

宇山1号墳という直径13メートルの円墳があり、

横穴式木室という特異な埋葬施設と

木棺直葬が並列したものがみつかっていますウインク


※『図録考古資料でみる枚方の歴史』より

横穴式石室の代わりに木材を使用した両袖式プラン。壁際に幅20〜30cmの溝が掘られ、その溝内に50数カ所の斜方向に入る杭状の痕跡がありました。
鉄鏃、須恵器、銀象嵌が入った鍔をもつ大刀、土師器、刀子、鐙などが見つかっています。


7世紀初頭の築造で

九頭神廃寺の前身寺院と同時代と考えられて

遺跡との関わりが注目されています。



九頭神廃寺のことはよく耳にしてたけど

まさかこんなにちゃんとした史跡公園として

整備されていたとはびっくりキラキラ

枚方市、、やるな!

恐れ入りましたー。。お願いアセアセアセアセ

 歴史ウォークの続きはこちら下矢印

 



 こちらにもう少し詳しく書かれています下矢印