最後の1日をどのようにお過ごしでしょうか?
お蕎麦食べますか?
にわかに流行ってる年越しうどん派かな?
ブログは変わらず夏の旅
年内に書き終わらせるためかなり長文です
平泉、平泉っ!芭蕉、芭蕉っ!
と静かに騒いで御朱印いただいたり
かにばっと、という美味に出会ったり、
そんな岩手から素直に南下しまして
はい、
またやって来ました
宮城県松島!
日本三景の松島!
もう、、20回くらい来てんじゃないかしら
東日本大震災の津波による塩害で伐採され
新たに植えられた杉たちも
すくすく成長しています!
今回は瑞厳寺界隈は軽く流して
※外国人観光客がたくさんでした!遠くからありがとう!
松島の外れにあります雄島という小さな島へ!
松島の多島海の島の1つです。
赤い橋を渡ると
石碑が乱立!
ここは【奥州の高野】とも呼ばれ
たくさんの僧や巡礼者が訪れて修行したそうです。
石碑の他に僧がこもって修行した岩窟がたくさん残っていて
修行の面影がうかがえます。
奥の細道で芭蕉が訪れてからは
多くの文人、俳人が訪れたのか
句碑や歌碑もたくさん建てられています。
芭蕉の句碑もあります。
芭蕉にとって憧れの松島、
奥の細道の序文にも
松島の月まづ心にかかりて、、
とあるように、
奥の細道の旅の目的の1つでもあったのに
実際に来てみると
感動のあまり句が読めなかった
とのこと。
しかし、
句を読まないことで感動を表す
究極ではないでしょうか!?
弓の名人が弓を極めると、もはや弓を使わずとも鳥を落とせる、、っていうのがありましたよね(笑)
うん!読めた!
お天気だったこともあって
美しく輝く松島の海っ!!
しかし
雄島と聞いてもしやあの歌の?
あの悲恋の歌の雄島?
と気づかれる方がいるかもしれません。
はい、
百人一首
見せばやな
雄島のあまの 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色は変わらず
の雄島です。
雄島の漁師の袖はいくら袖が濡れたとしても袖の色が変わることはないでしょう。しかし、あなたを思うあまり血の涙を流した私の袖は色が変わってしまったのです。
血の涙っ!!!
悲痛すぎます。。。
このキラキラの海がね、
赤く染まってみえますね
どこを探してもこの歌の歌碑はないの。
誰か建ててっ!
駐車場になぜか
契りきな、、の歌碑もあります。
周りが墓地になってまして、、坂の上の突端の墓地、、うん、古墳の気配がしますよね
で、ここからが本題!!
2011年の東日本大震災で
海側の低地にある沖の石は津波によって水没。
そして
数メートル高台にある
末の松山は、、津波からまぬがれた。
末の松山の少し手前で止まったそうです。
で、もう一度百人一首を見てみると
わが袖は 塩干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね 乾く間もなし
と
契りきな かたみに袖をしぼりつつ
末の松山 波越さじとは
乾く間もない沖の石
と
波を越さない末の松山
歌の通りだったんです。。
当時と海水面の高さや海岸線も違うだろうし、周りに住宅地がある現在とは環境も違うので、まったく同じ条件で無いにしても、、。
ここは10年以上前にも一度来てまして
その時はただ、
近くに歌枕があるなぁ
くらいにしか思わなかったけど
震災後に来てみると
全然見え方が違いますね
わすが数メートルの比高、
約1000年の時を経て
歌い継がれる歌の意味
うーん、、震えました
そして
自然環境と人間の関わりに興味を持つきっかけになったのも
百人一首だったなぁと。
心情を月や花や雲など自然のものにに例える表現方法に感動(小・中・高校学生時代)
歴史と自然環境(大学時代)
芭蕉の旅と俳句(大学卒業後)
昔の人々は自然のことをどう感じていた、どう付き合っていたのだろう(旅の20代)
古墳と石材の関係(学びの30代)
と
約30年をかけて自分の中で熟成されてきたことの
原点に戻ってきたなぁと。
40代になりまして、、また原点に(笑)
そして、
今年は新元号令和となり
その出典が万葉集からってことで
いつも以上に七五調の世界と向き合う1年となったかな
不思議な1年だな。
また午後にこの旅のラストをアップ予定。
なんとか年内に書き終えたいー!!
続く。
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