三面鏡7番目に映る

三面鏡7番目に映る

中国四年目の生活

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日本に着くと、北京に帰国したいという思いに。絶対もいちど中国に住みたい!今だけそう思うのかな?

4年間、あっという間だったが思い返すと空気の入る隙間もない缶詰のように甘いのやら辛いのやらが一緒くたに詰まっていた。

中国、時に憎たらしいけど人間的で温かい国、私の恩師。

中国で出会った人に、中国の生活を支えてくれた日本のみんなに、

ありがとうございました!




1230日(雪)前門へチャイナドレスを作りにバスへ乗ると、「携帯を失くした」とおばさんの叫び声でバスは警察が来るまで1時間ほど停車することに。乗客の中で文句を言う人は少なく、床に携帯が落ちてないか探す者ばかりであった。日本だったら、忙しい人ばかりなのでわざわざ一人のおばさんのために時間を費やさない。が、おばさんの叫び声とともに、混んでる車内の後ろの方から乗客の数名が「誰かおばさんの携帯に電話すればいい」、と提案する声が聞こえてくる。おばさんの顔さえ見てないのに、こんなに協力的な中国人に温かさを感じる。

  雪と言うこともあり、チャイナドレス屋さんはがらがら。北京唯一の国有企業のオーダーメイド屋さんで、一階で生地を選び、二階で寸法を測る。お店に到着した時点でへとへとで店員のせっせと寸法を測るのに身を任せてしまった。店を出た時点で卒業式以外では二度と着る事の無いチャイナドレスを作ってしまった自分に気づく。帰り道、寒さの中バスを待つ。足先は感覚無し。友達のくれたdoveのチョコレートを一かけ味わうと、甘さのうずの中に今日一日の出来事も滑り落ちてとろけ消えた。

1231日 体の異変のため病院へ。保険で交通費が支払われるため、タクシーでもうすぐ離れる北京の街並みを見送る。以前は幽霊屋敷のように明かりの灯らない高い建物にも明かりがちらほらあり、北京の不動産投資の溝も埋まってきたことを実感する。

11日 昼間スーパーへ買い物に。夜手洗いで洗濯していると二階から「警察呼んで!」と叫び声が。行ってみると、韓国人男性がロシア人にぼこぼこにされている。周りは見てるだけ。男の顔面は腫れ上がり、鼻血が流れる。私は急いでマキロンを探しに部屋へ。ガラクタを引っ掻き回してマキロンを取り出し、急いで持っていく。血を見るのは慣れてるはずなのに、恐怖を感じる。走って激しくなった動悸と同時に恐怖で息をきらす。自分にできること、自分にできること。。急いでビーチサンダルのまま外にでて、路肩の溶け残った綺麗な雪をかき集めて、ジップロックに詰めて、持って行く。「これで冷やして」と。

彼は、見知らぬ私に「鼻血が止らない」と訴える。無差別に人にすがる彼の気持ちは痛々しく私に突き刺さる。私は看護婦じゃないからどうしたらいいか。自分の無力さに腹が立つ。あとはあとは。。自分にできること。。部屋に駆け戻ってヒエピタを取り出す。急いで彼の鼻に貼る。あとはあとは、自分にできること。彼は震えていたから、手を握る。そのうち周りの韓国人が彼を病院へ連れて行く。私は一階に戻ってさっさと洗濯物の続きを済ます。部屋に戻ってベッドに座って、雪でかじかんだ自分の手を見て、冷たい暴力という恐怖をかみ締める。

12日 病院へ。

13日 卒論の直しが必要とのことで学校へ。明日までに直して提出。

14日 卒論提出する。天成市場で買い物。帰り道で駐車中の二手回収おじさんに家まで送ってもらい、コピー機を5元で売る。

15日 抜缶(吸い玉)をしに病院へ。中医の先生に中国最後の思い出に、背中に吸い玉のあざをこしらえてもらう。

1月7日 病院

18日 引越しの準備

19日 病院

110日 DVDを買いに「鼓楼」へ

111日 チャイナドレスの寸法を測りに「前門」へ

112日 衣類など荷物2箱船便で郵送。病院

113日 買い物「天成」へ

114日 「鼓楼」→「中村関」

115日 帰国まであと5日 動物園市場へ 

116日 病院

117日 卒業式予行。父母来中。

118日 卒業式

119日 「川底下村」へ

120日 完全帰国

 24・25日と卒論のため部屋で過ごす。友達が最後の中国でのクリスマスだから遊びに行こうという誘いも断り、だめだし連発してくれる気の利いた先生を恨みながら、パソコンに向かう。中国人の女友達が彼氏の不満を抱えて、部屋に突入してくる。座りとおしで血の滞った今の私には彼女の「彼氏どうしよ!?」という生き生きした感情をかいま見ることで現実の世界を見る。そんな彼女と夜中に一緒にお風呂に入ったり、洗濯したりしてクリスマスはあっという間に終わっていた。朝に卒論もなんとか書き終えた。  26日 先生に卒論をメールで送ったにもかかわらず、返信なし。昨晩追いつめて卒論に取り組んでた興奮が冷めず、朝3時間ほど目をつぶった後、街をふらつく。意識が朦朧とした中、街中でダンプ松本二人組みのような中国人女の子VSおじさんの激しい喧嘩をクライマックスまで眺める。ダンプ松本がおじさんに言ってやったぞ!と言わんばかりに帰る勇ましいうしろ姿と共に、私も家路に身を向けた。
 卒論のことで張先生に会いに行くも、またもや駄目だしの嵐に、寝起きの傘無しの私に嵐は吹き荒れるばかりであった。午後、年賀状とプレゼントを買いに出かけた。

  今年はどうやら豚年である。グーグルのイメージ検索で「豚」と入れると、豚肉ばかりである。ナマの豚くんは6ページ目まで出る様子はない。そこで「pig」と打つと、いたいた、ナマ豚くん。日本人の食の欲望は恐ろしい。外人はまだ豚、と言って浮かべるのはお肉でなくて、あくまでもありのままの豚君ということなのか!?

  それにしても豚のセルライトは凄まじく立派で、豚君いわく、私美意識??そんなものは雨戸を収める暗闇にポイよ!と言っているようだった。さっそく絵の具でお絵かき。本日、豚バラ 時々 ぶた腹。

卒論のことで張先生に会いにいくも、昨夜送信した卒論を先生は見ておらず、明日までに見ておくから、今日は帰りなさい、とのこと。早く終わらせたいのに><むさ晴らしに部屋に戻って絵の具を取り出す。赤い絵の具で思い切りグロテスクな絵を書いてやろうとしてたのに、かちんこちんに固まってる。ということで、卒論進歩無しの思い切り凹んだ自分に見合う真っ黒からすにしようとしたけど、ぺんぎんに見えてきたのは気のせい!?だよね。

1217日 ドフトエーフスキの「罪と罰」を読み終える。1124日の卒業試験以来日記を書けなかったのはただの怠慢のためである。試験が受かって以来、残るは卒論のみとなり、授業もなくなった。生活は毎日昼に起きて、128日第一提出日までの卒論を書き、本を読み、ジムで運動して、底抜け沼に飛び込むように眠るだけであった。

 第一提出日の前日、卒論担当の先生に卒論を見てもらうも、全面却下で最終提出日の1228日までに題目も一新するように言われる。担当の先生は一年時の中国語を教えてくださったおじいさんで、彼は口数少ないが生徒への卒論の要求に関しては他生徒とは比べ物にならないくらい厳しい。確かに私の第一回目の中日色彩感覚についての卒論は日本の文献を読んでから翻訳した単なる幼稚な中国語の羅列でしかなかった。んで、、何を今書き進めているかというと、SK-2問題から見た中日輸出入化粧品法規に関しての論文である。来年から化粧品会社に就職だし、貿易に関しての法規に興味を持っても悪いことはない。

 「罪と罰」の感想。初めてドフトさん(勝手に省略)のを読んだけど、心理的複雑さとそれに伴う行動を兼ね備えた人間についての描写がくどくど細かすぎるよおまえ!早く結末を!って渇望するのもいやになるくらい人間描写が真面目に書かれているな、と思った。どうしようもないくずを自分の中の絶対的正義によって殺すことは、私には不可能です。なぜなら私は英雄に憧れたことは一度もないし、ましてや青春期の正義なんてものは存在しなかった。だから、主人公が殺人を犯してから、早く捕まればいいのにとばかり願っていた。万が一実際に私が殺人を犯してしまったら、一秒でも早く公然と捕まり、自分一人で背負う100tくらいの重荷を刑務所のみんなと分ち合いたい衝動に駆られるだろう。最後にラスコーリニコフが警察へ入ったのに、再び外に出て階段を下りてくるシーンにはまさか逃亡するのではないかと残念になったが、、すぐさまソフィ~に目をむけて警察に戻って出頭するので、なんだかソフィ~と一緒に彼の背中を送り出す気持ちで一杯になった。

 ドフトさんの言葉

1、生活は自らの中にあり、外に存在せず。人々の間の人間。いかなる不幸にも落胆しないこと、これが生活の目的。←悲しむのやめよう^-^

2、人間の頭はからっぽであればある程、それを満たそうとする欲望を感じる度合いが少ない。←まだまだ勉強したいと望めることがあるからがんばろう。

3、人間は人に嘘を言われるよりも、自分に嘘をついて、なおかつ自分自身についた嘘をより信じる。←確かに自分への嘘って正当化しないと生きていけないよ。

4、コロンブスの幸福はアメリカを発見した時じゃなくて、発見する3日前に船員が大陸見つからない不安で、一揆を起こした時。←ん~。以下全部、ん~。

5、愛は瞬間的じゃなくて長い間持続するもの。惚れ込むというのは愛じゃない。惚れる行為は恨みながらもできるから。

6、生一本、真面目の中の一つの嘘は大変なことになる。お世辞とは半分以上が本物と思われるもの。

7、健康な人間に幽霊は見えない。地上的な人間だから充実と秩序の中で生きなきゃならない。ところがちょっとでも肉体組織がノーマルな地上的秩序を冒されると、他界の可能性が現れ始める。人はすっかり死んでしまえば、忽ち他界へお引越し~。

1219日 谷崎潤一郎の「卍」を読んだ。文章が関西弁で読みにくい反面、関西弁を使うことによって、登場人物のレズ感、が増すとも言える。谷崎さんが最後に標準語をしゃべる女よりも関西弁をしゃべる女の方が色気があると言っていた。確かに関西弁の幅のある音の中に妖艶さは増すとも言える。でも内容の筋があまりにも通ってない。なぜ主人公らは薬物を飲むのか?首をかしげる所が多い。


12月20日 卒論のため部屋に引きこもり生活が続き、いすに座り通しで、人生においてこれ以上無い程の貧乏ゆすり&唇の皮を指でムキ歯でムキ、指を噛み、髪をくしゃくしゃにしつつ、鼻眼鏡でテクノやら怪しげな音楽と供に取りかかる。いちお終了したが、気難しい先生の審査が待ち受ける。今日も抹茶ポッキーやら普通のポッキー4種類くらい食べた。最近毎日ポッキーを「ポ」の口をしながらほおばらずにはいられない。

 10月31日 ハロウィーンなので、Tちゃんと二人で久しぶりのクラブ↑、TAKUへ赴く。目的は大音量の音楽と普段ジムでやってるダンスの実践、ついでに痩せること。着いた瞬間、お酒を一杯飲んでから2時間ぶっ通しで踊り狂い、2時頃に帰宅。健康的なクラブ↓活動でした。

 11月1日 朝から、公園にて隣人の髪の毛を切る。ついでに首も切っちゃった。血は出てないけど、痛そうで。

 11月2日 一昨日から、ものもらいの始まりのような症状が出た。コンタクトは着けたくなかったので、ジムには行かず、校内をマラソン。

 11月3日 最後の漢語の授業。宿題は完璧。でも10分遅刻。気合が入ってるんだか、入ってないんだか。。4年から担任になった王先生にはお世話になったが、授業数が少なすぎて、感動無し。昨晩のマラソンが響き気管支がおかしい。北京の冷たい汚染外気を肺に入れすぎた模様。

 自分で髪を切る。というのも、ここ数日髪の毛を切りたくてたまらなかった。夏休みに伸ばしっぱなしにした髪の毛には夏休みの思い出が詰まっていた。これが最近、後ろ髪を重く引っ張る。前だけ見ないと、常に新鮮でいたいから、思い切って、Tシャツ一枚で鏡の前に向かい、ばっさり切った。

 失敗した。ん~、仕事する頃には、伸びるさ。その頃には、最後の北京生活で楽しんだ思い出エッセンスの詰まった髪の毛でいられると願っています。

 それにしても、若いときは髪の毛は長く!が女の子の証だと思ってたけど、短くても女の子でいられるようにしたい。再度、鏡に映る自分の髪は、毛並みの不ぞろいな私の愛犬、ジュリ君のとかぶっていた。

 大量の髪の毛を捨てた共同ごみ捨て場を翌日見たら、自分のうしろ姿の頭、一個分が丸々ごろんと落ちていた。さよなら、私のカタマリ。

 義和団の乱を想像しやすくさせた印象的な事実について書きたい。義和団の乱は「清末におけるキリスト教布教・列国」対「宗教的な義和団」について、言う。更に言えば、義和団や宗教的武術団体が山東省に押し寄せて列国に反乱を起こすというもの。

一、当時、宣教師は道に溢れた孤児を孤児院に入れるといった名目で連れて行って、彼らの肝臓を売っていた。

二、八カ国連合軍が天津から北京間移動の際に、ロシア人は婦女暴行をたくさん行ったが、日本人は悪事はほとんどはたらかず、真面目に仕事?をした。

三、扶清滅洋(清を助けて列国をぶっ潰す)義和団の中には女性だけのグループが存在。その名も「紅灯照」。女首領の名は「黄蓮聖母」。彼女は元は辻占いだとも、売春婦だとも呼ばれる。

四、義和団をプッシュしていた西太后は光諸帝の愛妃、珍姫を八カ国連合軍が攻めて来て、自分たちが逃げる際に邪魔くさいので井戸に放り込んで殺した。詳細は日本に帰ってから、浅田次郎の「珍姫の井戸」を読もう。

 この、タイトルについて高校生の頃は得意で、人間関係に見切りをつけたら、すぱすぱ大根のように切り捨てて、へたも皮も未練はなかった。

 今は一期一会を大切にしたいと思うがばかり、逢う人は全て運命じみたものさえ感じる。(無宗教の弱み)これは離れたい人からも、なかなか離れられなくなって困る。自分の弱さを知ったり、他人の暖かさをありがたいなどと感じてしまえるような幸福人になった。これは相当危険。日本で社会人してたときと、同じ。平和ボケして、そのうち取り残されるんじゃないか。。小さい頃、遊んだ  砂山の真ん中の棒になった気分。みんなが順番に両手で砂を掻き取って、最後の少しだけの砂に立つ自分がもうすぐ倒れるような。

 幸せ山があるとしたら、頂上にまっしぐらに登ろうとするといつか崩れてしまいそう。別の山へ逃げなくてはならない気がする。

これが、たまに浮上する私の臆病のかけら。