卒論の友ポッキー | 三面鏡7番目に映る

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中国四年目の生活

1217日 ドフトエーフスキの「罪と罰」を読み終える。1124日の卒業試験以来日記を書けなかったのはただの怠慢のためである。試験が受かって以来、残るは卒論のみとなり、授業もなくなった。生活は毎日昼に起きて、128日第一提出日までの卒論を書き、本を読み、ジムで運動して、底抜け沼に飛び込むように眠るだけであった。

 第一提出日の前日、卒論担当の先生に卒論を見てもらうも、全面却下で最終提出日の1228日までに題目も一新するように言われる。担当の先生は一年時の中国語を教えてくださったおじいさんで、彼は口数少ないが生徒への卒論の要求に関しては他生徒とは比べ物にならないくらい厳しい。確かに私の第一回目の中日色彩感覚についての卒論は日本の文献を読んでから翻訳した単なる幼稚な中国語の羅列でしかなかった。んで、、何を今書き進めているかというと、SK-2問題から見た中日輸出入化粧品法規に関しての論文である。来年から化粧品会社に就職だし、貿易に関しての法規に興味を持っても悪いことはない。

 「罪と罰」の感想。初めてドフトさん(勝手に省略)のを読んだけど、心理的複雑さとそれに伴う行動を兼ね備えた人間についての描写がくどくど細かすぎるよおまえ!早く結末を!って渇望するのもいやになるくらい人間描写が真面目に書かれているな、と思った。どうしようもないくずを自分の中の絶対的正義によって殺すことは、私には不可能です。なぜなら私は英雄に憧れたことは一度もないし、ましてや青春期の正義なんてものは存在しなかった。だから、主人公が殺人を犯してから、早く捕まればいいのにとばかり願っていた。万が一実際に私が殺人を犯してしまったら、一秒でも早く公然と捕まり、自分一人で背負う100tくらいの重荷を刑務所のみんなと分ち合いたい衝動に駆られるだろう。最後にラスコーリニコフが警察へ入ったのに、再び外に出て階段を下りてくるシーンにはまさか逃亡するのではないかと残念になったが、、すぐさまソフィ~に目をむけて警察に戻って出頭するので、なんだかソフィ~と一緒に彼の背中を送り出す気持ちで一杯になった。

 ドフトさんの言葉

1、生活は自らの中にあり、外に存在せず。人々の間の人間。いかなる不幸にも落胆しないこと、これが生活の目的。←悲しむのやめよう^-^

2、人間の頭はからっぽであればある程、それを満たそうとする欲望を感じる度合いが少ない。←まだまだ勉強したいと望めることがあるからがんばろう。

3、人間は人に嘘を言われるよりも、自分に嘘をついて、なおかつ自分自身についた嘘をより信じる。←確かに自分への嘘って正当化しないと生きていけないよ。

4、コロンブスの幸福はアメリカを発見した時じゃなくて、発見する3日前に船員が大陸見つからない不安で、一揆を起こした時。←ん~。以下全部、ん~。

5、愛は瞬間的じゃなくて長い間持続するもの。惚れ込むというのは愛じゃない。惚れる行為は恨みながらもできるから。

6、生一本、真面目の中の一つの嘘は大変なことになる。お世辞とは半分以上が本物と思われるもの。

7、健康な人間に幽霊は見えない。地上的な人間だから充実と秩序の中で生きなきゃならない。ところがちょっとでも肉体組織がノーマルな地上的秩序を冒されると、他界の可能性が現れ始める。人はすっかり死んでしまえば、忽ち他界へお引越し~。

1219日 谷崎潤一郎の「卍」を読んだ。文章が関西弁で読みにくい反面、関西弁を使うことによって、登場人物のレズ感、が増すとも言える。谷崎さんが最後に標準語をしゃべる女よりも関西弁をしゃべる女の方が色気があると言っていた。確かに関西弁の幅のある音の中に妖艶さは増すとも言える。でも内容の筋があまりにも通ってない。なぜ主人公らは薬物を飲むのか?首をかしげる所が多い。


12月20日 卒論のため部屋に引きこもり生活が続き、いすに座り通しで、人生においてこれ以上無い程の貧乏ゆすり&唇の皮を指でムキ歯でムキ、指を噛み、髪をくしゃくしゃにしつつ、鼻眼鏡でテクノやら怪しげな音楽と供に取りかかる。いちお終了したが、気難しい先生の審査が待ち受ける。今日も抹茶ポッキーやら普通のポッキー4種類くらい食べた。最近毎日ポッキーを「ポ」の口をしながらほおばらずにはいられない。