義和団の乱 | 三面鏡7番目に映る

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中国四年目の生活

 義和団の乱を想像しやすくさせた印象的な事実について書きたい。義和団の乱は「清末におけるキリスト教布教・列国」対「宗教的な義和団」について、言う。更に言えば、義和団や宗教的武術団体が山東省に押し寄せて列国に反乱を起こすというもの。

一、当時、宣教師は道に溢れた孤児を孤児院に入れるといった名目で連れて行って、彼らの肝臓を売っていた。

二、八カ国連合軍が天津から北京間移動の際に、ロシア人は婦女暴行をたくさん行ったが、日本人は悪事はほとんどはたらかず、真面目に仕事?をした。

三、扶清滅洋(清を助けて列国をぶっ潰す)義和団の中には女性だけのグループが存在。その名も「紅灯照」。女首領の名は「黄蓮聖母」。彼女は元は辻占いだとも、売春婦だとも呼ばれる。

四、義和団をプッシュしていた西太后は光諸帝の愛妃、珍姫を八カ国連合軍が攻めて来て、自分たちが逃げる際に邪魔くさいので井戸に放り込んで殺した。詳細は日本に帰ってから、浅田次郎の「珍姫の井戸」を読もう。