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三面鏡7番目に映る

中国四年目の生活

 北京ではコートを着てる人がちらほら。25回もの冬の寒さに免疫があるのに、今日外の冷たい空気を吸うと、26回目の未体験ゾーンの到来に、抵抗不可能ながん患者になったような空しさが湧き出した。おうちにこもって村上春樹の「海辺のカフカ」を読み終える。

 春樹の世界に入るのはかなり心地よい。今まで読んだ彼の作品で一番好きなのは「ねじ巻き取りクロニクル」だけど、「カフカ」もなかなかなカフカな少年だった。「カフカ」。。この音の響きが、この本の全てな気がする。カフカ?可、不可??確か??本当??

 と、私の頭の中ではぼんやりと、いや、はっきりと カフカな本でした、と言える。ん~♪満腹(*^-^*)

 10月7・8日 車で日光へそばを食べに行く(実際の目的である観光は悪天候のためできなかったので、せめてもの救いが手打ち蕎麦屋さん)。晴れ/風/雨/葉の舞ういろは坂は連休のため、ものすごい渋滞。夕方戦場ヶ原につくも、寒さと雨風のため自販でお茶を購入して退散。帰路にあった「あんよの湯(足湯)」で少しでも温まろうとつかるも、足以外が寒い上に、出るときに岩場の冷たさで余計に身体を冷やす。夜中に無事帰宅。日光へは今回を含めて3回目になるが、前回の行ったのは8年程前。前々回は小学生の頃。記憶が定かでない。。ん~、日光の観光名所はどんなんだろう??(涙)

 10月9日 10:55発の飛行機で北京へ帰る。この国慶節の連休中、私が日本にいる間に寮の家具交換が行われており、部屋の中は散乱。とりあえず、ジムでヨガってから再帰宅。部屋の掃除に取り掛かると母から電話が鳴る。末期がんのKおじさんが亡くなったとのこと。夏休みに彼に会いに行ったときに、全身で捧げてくれた数々の激励の言葉をいただいていたので、おじさんが死後の世界へ旅立つことは覚悟していた。感嘆無く、涙も落ちずに、ただただ力が抜けた。Kおじさん、俗世以外のどこかでお元気でね。


 会社の内定式のため、池袋プリンスホテルへ。内容は自己紹介・事業説明と懇親会。新規出会った人間との交流は一対一ならまだしも、30数名との顔合わせはなかなか難易度が高い。できるだけ多くの人と話そうと欲張りはせずに、隣の席の子から仲良くなろうとじっくり話す。懇親会では多数の方とも接触し、社員や同期の雰囲気をつかむ。なんだか、みなさん、コットンの綿みたい。ゆったり、柔らかく、でも高機能という印象。とても楽しくて、みなさんと働けることに早くも期待は深まりました。

 10月4日夜、この日はジムで運動して早めに床につき、夜中に誰かの足音で目を覚ます。「ミシッ。ミシッ。」ときしむ音。「ん?父のトイレに行く音?でもドアを開ける音も、トイレを流す音も聞こえない。じゃ、誰?(心の中で)」問うも、返答なし。耳元だったし、私の部屋には私しかいない。んー、なぞ。。。翌日母に「ね、昨日って、おばあちゃんが亡くなった日?私の所に来てたのかな?」と聞くも母は「覚えてない」とそっけなく。私も「そ?」とそっけなく。霊感など無いので。んー、都合の良い解釈をしようと、あれは亡くなった犬であるジュリス、が私の所にいたのかな?と。

 その日は疲れてて、眠ったけど意識はすぐに夢の中でずーっと夢を見ていたような感覚だった。でも、足音は聞こえました。本気で誰?って聞いたのに、応えてくれなかったのは、何者か分からないけど応えたくなかった人?か応えられない者、やはり、、、犬??ということにしておこう。せめて「ワン!」と吼えてくれるとありがたい。

 料理:フライパンでパエリアはホットプレートで作るよりも簡単で、茶碗蒸しと組み合わせも悪くなかった。大好評でした。

 リビングの掃除:母はなんでもとっておきたがる人。10年前の湿布やら、毎年購入して5個くらいづつたまってゆく、ムヒとキンカンなど、全てダンク。は~すっきり~。飲んで帰ってきた父が、「お~すっきりしたな~!」と言う。でも自分的に全然すっきりしてない。実家にいる時はモノが多い家だな、と他人事のように冷めていた。でも中国の寮でひとり暮らししてから、いかに収納が少ない一人部屋でシンプルに生活するかで日々、整理方法を考察する習慣がついてから、日本の実家に帰ってからというもの、親には悪いが、母が私が捨てたトトロやすす渡りの人形を取っておいてくれた、言わばゴミ溜めの中で生活していたものだ、と目からうろこが落ちた。これからも実家を掃除して気力も運も上がるといいな♬

 お料理も掃除も楽しすぎる。うちのおかんは今まで私が料理しようとすると、「いいの、あなたは。今はいっぱいおいしいものを食べて。おいしいものが好きになったら、自然と料理はうまくなるから。」って言って、私にやらせようとしなかった。でも、おかんに、「人に作ってもらうとおいしい!」って言ってもらったり、fatherに「うん、これは、、、、いいよ、うん。。」と文句を言わずにしみじみ食べてもらったときの幸せときたら、今日外は雨かもしれないけど、雨にも負けず、丈夫な我が家であったな、と。


9月28日に日本に帰国。上海経由で7時間の移動中、ダヴィンチコードを読んで過ごす。

9月29日 朝から、おかんのおいしいお味噌汁講座を受けて疲労回復。

9月30日 お兄ちゃんに国慶節の贈り物、月餅を渡しに二子新地の彼んちへ。部屋が102だか103だかうる覚えで、名前の表札も無し。思い切って103へ、ピンポン。反応無し。。ドアポストへダンクして帰ろうかしら。でも間違ってたら、私の粗品が毒入りの嫌がらせ?と取られても寒い。兄にTEL.。溝口でダーツしてるとのこと。おじゃまして、お土産を渡す。久しぶりの兄に会えて、うれしかった。帰宅すると、偶然にもその日に兄がミクシの紹介文を書いてくれていた。家族はテレパシーを感じるんだね~。

10月1日 本日は高橋中華レストランの一日シェフ。朝から小龍包を準備。お昼にままぱぱに与える。肉汁がちゃんと出てくれて良かった。夕方は父と、私の電子ピアノを売りにハードオフへ。二千円返ってきた。そのまま東急へお買い物。夕食は「西紅柿炒鶏蛋」と「八宝菜」を作って召し上がってもらう。夜は杏仁豆腐を。シェフは皿洗いや掃除にも忙しい。家政婦か!?

 一日中、家の食事全てが私にゆだねられていて、父が「あんみつ作って」と言ってきたのに対して、「あんにんいやなら食べなくていいんだよ!」と言うと、「食べる」と言っていた。私はこの瞬間、なんとも言えない満足、主導権を握った、しめしめ。。なんて気になってた。料理って性格変わるかも。

 18日 HSK(中国語の資格)高級の申し込みと、前回四月に受けたときの成績証明書を取りに語言大へ。勉強ゼロで9級だったけど、今の私の中国語は勉強ゼロというよりもマイナスな気がする。もう資格は必要ないが、申し込みだけしておきました。最近喉が痛いので、中華料理の陰と陽のバランスを取り入れた食材を購入。陰のものを調理し、食べてばかりいたら、夜マラソンしても顔が青白いままで、ヨーロッパ人種に驚かれました。

 19日 日本食料理屋、加藤屋にてサンプーの誕生日会。ケーキを食べ過ぎたので、夜中に一人でなわとびをしていると、背後に男が。怖いから走って寮へ駆け込む。目が悪いので、その人が何をしてるのか?何をしようとしてるのか?分からないままだから、まだいい。変なものは見たくないし。前回、書いたしつこい中国人はその後、音沙汰ないので、きっと大丈夫なはず。いちお、周りの友達に報告済み。

 20日 盧溝橋へ。バスで魏公村西口ー六里橋ー抗日彫塑園。抗日記念館は16:00で閉まっており、夕日に染まる盧溝橋でたそがれようと、遅めに出たので間に合わず。盧溝橋は門票10元。盧溝橋第一小学校のお子様の下校時間と重なり、橋の上を黄色い帽子の軍団と一緒に通りました。橋の下に見えた、戦車?(鉄の塊)は日中戦争がここで始まったのだということを主張するわけでもなく、石ころのように普通に転がっていた。そんな風に見えたのは、遠くに見える高速道路の車の往来が盛んで、時間は昔を風化するのに十分なほど経っていて、自分が時間の隙間に残されたような感覚に陥った。

盧溝橋から見える景色は、[にこたま]の橋から見る[246]と変わらない。ぼーっとしてたら、蛍光黄色の物体が、宙をいったん落下して、また羽ばたいて舞い上がりを繰り返して勢い良く大パノラマをぱらぱら飛んでいた。よーく、見ると真黄色のセキセイインコでした。野生化したのか、一羽で広範囲をさ迷うピーちゃん(勝手に前飼っていたインコの名前を授ける)は、私は北京現存の最古の橋と言われている盧溝橋、またマルコポーロが「東方見聞録」で「きわめて美しい橋!」と賞賛しようが盧溝橋なんかよりも、ずーっとドキドキしました。

 私はこの病気だと思います。4年前から、突然瞼がお岩さんより腫れて、数時間で治る。瞼の水分の流れが滞っている。ネットで調べると、これはアレルギーとのこと。原因は不明。食事療法でいうとマドンナやマイケルジャクソンが取り入れているマクロビオティックが良さそう。病気君も私自身だから、うまく付き合いたい。デートの時や会社に勤務中には活発にならないでおくれ、と言いたいけど。

 話は変わるが、胸くそ悪いメールがきました。「あなたと○ッ○○するぞ、○○(私の名前)」と携帯に中国語で下品なメール。それは以前からしつこい中国人男性であった。精神が病んでてかわいそうだし、なにしろ私自身が気味悪いし、怖かった。ストーカーされてないだけましだけど、でも以前一度、力づくで部屋に入られたし、イギリスに行くと言いつつ私の近所に引っ越してきたし、道でよく会うし。とにかく敵の行動は計り知れない。もし私に何かあったら「候」君のしわざです。

 

 まず、表紙をめくって、吉本ばななってこんな人だったんだ?と驚く。彼女は頬骨までを覆うあられちゃんのようなまん丸メガネをかけ、なんとも垢抜けない風貌でした(今の彼女はそうではないのかもしれませんので、失礼)。

 19~25くらいの青春期の年代の主人公の親や恋人など大切な人の「死」の絶望を深い霧の森の中をさ迷う少女のような、童話的・むしろファンタジックな響きで描かれて周りの同年代の大切な人間と関わることによって徐々に克服していく物語だと思いました。雰囲気はおセンチメンタルなんですけど。なぜ童話?と感じてしまうのか。。それは登場人物が非現実的だから。たとえば、女子高生の恋人を失った悲しみのあまりに、彼女のセーラー服を着て暮らす純粋な少年であったり、愛妻を亡くして自分が悲しみでいっぱいの人間になるよりも、女性として明るく生きるように整形して女性になった夫であったり、彼らがスパイスとなっている。

 キッチン、という題名の通り、悲しみを乗り越えるときにはおいしい食事が必要なんですね。出て来た、カツ丼や、魔法瓶に入ったプーアール茶などなんとも生生しく、湯気が見えましたよ、私には。

 「運命ははしごなんだ。決して踏み外せない」という言葉が好きでした。運命を受身な感じでなくて、慎重に一歩一歩はしごを登らないと、簡単に落ちてしまうという感じ。自分から責任もって、幸せを逃さない努力をしてくような、前向きな言葉に思えました。とは言っても、ささいな行動で私ははしごから数段落ちてる時もあるような気がしますけど。

 

 8月30日~9月6日まで、北海道旅行。札幌・小樽・知床・ニセコを周りました。小・中と仲の良かった友達に13年ぶりに再会してスーパーベッピンな彼女と子供と小樽へ行ったり、世界遺産の知床で大好きな湿地帯を歩いたり、一人でモレエ沼に釣りしに行ったり、普段ストレス無いけど北海道の自然と道民に癒されすぎて、心も体もフレッシュ、フレッシュ、フレーッシュ♪(松田聖子)でした。

 9月7日 予備校時代の友、Nちゃんとランチでフランス料理を食べました。トマトの中身をくり貫いて、その中にお肉が入って、ポテトっぽい甘いソースとトマトベースの酸っぱいソースをかけたおいしい料理と、なっちゃんとのヨガ話でお腹が膨れました。お料理は普段中国で、油っこい中華の腹休めで自分のお腹に入る淡白なものをざっと作るくらいだけど、広くて火力の強いガス(業務用)のあるキッチンでああいう料理を作りたいです。

 9月8日 北海道の自動車旅行がネバネバあとを引き、一人で海へドライブ。打ち寄せる波をぼけーっと見てきました。それにしても湘南の海は北海道とは違い、新鮮なにおいとはかけ離れてました。嗅いで、嗅がぬふり(見て見ぬふりの嗅覚バージョン)の難しさとやら。。

 9月9日 ジムでヨガ・ピラティス・バレエをして、夜遅くにみけちゃんとカッパ寿司へ。

 9月10日 北京へ帰国。両親に朝から私のスーツ選びに付き合ってもらいました。「これ、いや」「かわいい」とあれこれいう娘が着替え室を何度も行き来してる姿をいやな顔せず、真剣に見ていてくれました。途中、ブラが透けてる、と父に言われて、この人の口から「ブラ」という言葉が発せられたときは、耳を疑いました。結局、スーツ二着買ってくれました。そして空港へ送ってもらい、出発ゲートで行って来ます、と別れて荷物検査して階段を下るときに上を見上げたら、さっき別れたはずの両親がガラス張りの向こうで笑顔でこっちを見ていた。こんな私を最後まで見てくれるのは両親しかいないし、愛されすぎて怖いと思った。今日両親が死ぬんじゃないか、って不安になりました。そのくらい、あの笑顔が良かった^^

 9月11日 授業開始。2ヶ月まる空きだった私の中国耳はなんとか機能してくれていたので、日本語耳を捨て、中国語に漬かる準備ができました。

 なんだか今年は「チーズケーキ」が私のストーカーです。1、今日は同級生のdちゃんが日本から私のために「かごチーズケーキ」(東急デパ地下の限定品)を買ってきてくれました。2、今年は実家で母が三回手作りのものを作ってもらった。3、kちゃんの結婚式のアイスもチーズ味。4、仲良しの子とチーズケーキを一緒に食べて、もっと好きになったし><好きだけど、普段そこまで自ら食べないものが、押し寄せてくるということは、、なんだか霊的なものも感じました。もしかして、おばあちゃんのしわざ?

 来月3日に会社の内定式があり、ちょうど中国の国慶節の1週間の休みとかぶるので9月30~10月7日まで日本に行くけど、会いたい人に会えるのかしら。

 荻窪のいとこの歯科医院で最後の治療を行ってから、いとこの息子の引きこもりについて相談されたのでお話しました。帰宅途中の渋谷で薬局に寄ろうと交差点を渡っていると、ペットにつなぐの縄を引いているおっさんに目が留まる。犬好きの私は何犬だろう?と興味深深に首輪へ目を落とす。なんと無理やり引きずられているのは、皮付きトウモロコシであった!

 日本に帰ってきたかいがあった! 

 どうして?????????????????????????????と私は彼の後を100M程追いかけてから、さっ、っと方向転換して何事も無かったかのように今来た道を戻り、電車に乗って帰りました。