【心声(ココヘ)プロジェクト】

【心声(ココヘ)プロジェクト】

日本海・秋田県←→太平洋・宮城県山元町・磯浜応援


今日の「正義」が明日の「悪事」。明日の「悪意」が未来の「正論」。
今を生きる人が為すべきこと。「今」を「未来」に繋ぐこと。

Amebaでブログを始めよう!

☆☆☆追記☆☆☆

《2018年6月12日~13日の追記》

すごく私的な追記になります。
アレから4年ほどが経ちました。
あの時助けてくれたみなさんは元気かなぁ、と思っております。

そして、目標を達成できたことや磯浜で過ごした日々は、

夢のような日々だったなあ、と改めて感じます。

今日(6/12)は術後3ヶ月目の通院日でした。

私もボランティア活動を終えてからウロウロと港を放浪し、

同年8月26日からまた新たに、海で仕事をするようになりました。

カゴが顔面にぶつかって鼻が折れました。
船での作業中に、左肩に錨綱、右手にカンザシ(イカリに挿す鉄の棒)を持って転んで

右手小指の先っちょを錨に殴打。小指の先っちょ、粉砕しました。

 

2016年の6月2日には長らく続いた左手首の痛みの原因が解明されまして、13日に手術をしました。


【TFCC(三角繊維軟骨複合体)損傷】というやつで、手首のくるぶしみたいなところにある軟骨と靭帯5本くらいの集合体の部分です。


損傷だったので、「これ以上損傷しないように靭帯を守れ!」とのことで、

薬指と小指の神経?がついている尺骨骨切短縮手術をしまして。

チョクッ!と切って、ボルトで固定。ネジ7本!

骨に7つの釘を持つ女になりました。


2017年6月、今度はくっついた骨のボルト抜き。抜釘です。

キレーな青色のプレートと、金色と銀色のネジを先生にいただきました(記念品)


そして2018年の3月にはなんだか「ブチ!」と言いました。

3日後くらいに病院に行ってみたら水?が溜まっていたようで。
はじめは「ガングリオンかな、厄介なところにあるから切除しようか!」と手術。

これが今年の3月12日でした。


前回手術したところの縫い目が痛むことはあっても、

特に「ブチ!」後の痛みも感じなかったので、

また仕事がちょっと落ち着いた6月に手術でも良かったのですが

5月は私が1年の中で1,2を争う楽しい楽しい海上撤去作業がありました。

「ガングリオンなら1ヶ月くらいだね!」と言われたので即・手術をしてもらったわけです。

1ヶ月くらいなら、5月の作業に間に合う!と思って。

「じゃあ、ついでに左手中指のバネ指もやっちゃってください」

と、オプション追加してしまった私。

今思う。

私のバカ。


で、術後は「開けてみないのわからないよねー」と言う事で

全治3ヶ月〜半年。力仕事は半年から。

…という結果に。
TFCC損傷だったのですが、靭帯が切れてて軟骨が裂けてて

その汁が出ていたようです。

わかりやすく(膝で)言えば、

「半月板が裂けて靭帯も切れてました」状態。

なんと間の悪い。
1ヶ月予定が3ヶ月かよ。

ホントに間の悪い。
高3の時にインターハイ予選出発前日に落馬して

腰椎横突起1〜5本を骨折して即入院。留守番。

大学の時、国体予選1週間前、愛馬が殺されて(ヤケになってはいない)

夜に放浪していたら犬が道路に寝ていて、

それを避けて車全損。全身打撲だけど99車。犬は無事。予選は欠場。

 


なんて間の悪い。


目標を達成する手前で、いつも間が悪い。

いつも。いつもだ。いつもいつも。

(実は今回もそういうことはあった。)


そんなことを考えていたら、思いっきりオチマシタ。撃墜。
退院してからは鎮痛剤で廃人に(笑)
血便、ゲロめまい&昨年判明したメニエール症候群。

おまけに自律神経が出張した。

「4月いっぱい休んでいいから、ちゃんと治しなさい」

とシャチョさんから休みもらいました。

ちょうどその頃、芸能人がメニエールで入院してたり、

野球選手が自律神経で野球から離れたりしてた時期。

だから理解してもらえた部分も大きかった。

 

―――――――
「もう潮時じゃないかなあ(ニッコリ」


2016年からずっとお世話になってる手の先生。
男と女じゃ筋肉の作りも違うし、

ましてや若い頃からやってたわけじゃないから、

海作業対応機能はついてなかったわけで。

楽しみだった撤去作業(小指折ったやつ)もできず、

なんなんだろう」って思いながら。

間が悪い。
間が悪い。
なんでいつもこうなのさ。

かーーーなり鬱でした。




そんな怪我の経歴を並べてみましたが、

今は元気に生きています。

4月末には、ギプスだったけど

ボラで知り合った栃木の子の結婚式にお邪魔して

その帰り道に、10年位避けていた場所へ行って来ました。

高校のときに、みんなで笑って過ごした場所でした。
何度かブログでも書いた気がしますが、

私は昔、お馬さんと関わっていたんですねぇ。(落馬してるし)


お馬さんはとても素直で純粋。
古くから人間の相棒として接してきたきた動物でもあります。
だからか、人の気持ちがわかるのかな。

ワンコでも喧嘩の仲裁に入ったりするし、

カラスでも顔を判別してついてきては鳴いて呼んでくる。

動物ってホントに人間の動きや感情に敏感。

ホント、コトバなんて要らないんだよね。

そこで友人とその旦那さんに久しぶりに会って。


…とは言っても、

彼らはお馬さんのために自らで集めたお金を各地へ届ける活動をしていました。

磯浜にいた私にも会いに来てくれたし、ボラ中に2回会ったのかな。

それまでは馬を見ると泣いてしまう私だったのですが、

その時、お馬さんに乗せてもらって。

ホースセラピーをしてもらいました。

馬をテレビで見れるようになったのには5年くらいかかった。

乗ったのは、10年以上経ってた。


そんな私の突然訪問に、快く受け入れてくださった。


それで、なんだか元気になってしまったのです。

翌日には「なんか表情が柔らかくなった」とシャチョさんに言われ。
お馬さんの癒やしを改めて感じました。



…と、ここまでが長ーい前置きと、あれからの近況!
(長いのはいつものこと)

 

いつかは追記を、

……と思っていたのですが、なかなか書けるきっかけがなかったのです。

でも、最近になって気づいたのです。
私が【心声(ココへ)プロジェクト】をしていた理由。

行ったこともない、誰も知る人がいない土地へのボランティア。
ボランティアの理由や方法はそれぞれだと思います。

だけど、最近になってようやく気付いたのです。
お馬さんに乗せてもらって、その動物の命の重さを改めて思い出して。
私がボランティアをしたのは、

隊長さんの妹さんと出逢ったことだけ、じゃなかったようです。




「これ以上、大切なものを失いたくない」

その想いは私の中にあった

14年前に失った馬に対する想いでした
腰を悪くし、脚を引きづるようになった大好きだった子は6月2日に召されました。

連れて行かれたのは、たしか朝6時前。

その1時間ほど一緒にいたのです(忍び込んで)

前日の夜に無断でお腹いっぱいにご飯をあげた。

久しぶりに沢山食べられて満足した彼は、子鹿のように座り込んで寝てた。

ゆっくり近づいて撫でていたら、パタンと首が倒れました。

首に潰されて、身動きができなかった。

抜けようにも持ち上げようにも無理。

重い。

オモイ。

シヌ…


――それが、命の重さだと。


そう思って、ただ潰されてました。
命は重かった。
動かなかった。
1人じゃどうすることもできない。

そんなことを考えながら、

「大好きな馬をこのまま見殺しにするのか」

考えながら潰れてました。

金もない。
権力も、チカラも。
たくさん教えてくれた親友でもある。
いつも慰めてもらった。
そんな親友を見殺しにするしかないのか。

私は学生。
金もない。
経営者じゃない。

つれて逃げたい。

どこへ?

どうやって……。

仕方がないのか。
仕方がないんだ。


そんな事を考えて、理由にしました。
「理由」という、
親友を裏切り、見殺しにした。
そんな理屈の「いいわけ」でした。

すべての理由は「いいわけ」で、
「出来るはずがない」は、

「やりもしないで諦めたこと」でしかなかった。

 


犬を避けて、車で自爆したときに夢を見た。

黒い馬が私の前を走っていった。
1度だけ振り向いて、遠くに行ってしまった。

それはきっと、
「彼」だったんだと思う。


人間はきたない
金がすべて
権力がすべて

チカラがほしい
汚い人間の世界で生きるチカラがほしい

喪ってから、ずっと考えていた。
金がすべての人間の世界。
権力がすべての人間の世界。

そんな世界で、君の分まで生きてみよう。
見殺しにした君の分まで、
苦しんでもがいて。
シアワセなんかいらない。
贖罪にはならないのは知っているけど
そんな呪いを、自分自身にかけた。



それから学生を終えて
文字を書く仕事をして
初めて外国に1人で行ってみて
日本語すっぽり忘れて、
1冊の本に出逢った。

それが隊長さんの本。
海軍兵学校の夏休みの帰郷に、

磯浜で妹と遊んでいた隊長さん。

そして偶然、妹さん夫妻に逢った。

「来年の春にお祭りがあるから、遊びにおいで」

それが震災の年だった。


そこからは自分でも不思議な年月だった。
「何故、自分は今、此処に居るんだろう?」
ふと、思うときもあった。
訪れたこともない町。
知らない港。

其処でボランティア活動という自己満足をこなして、

不思議に思うことが何度もあった。


今、14年の呪縛が解けて思うことがある。

「もうこれ以上、大切なものを失わせたくない」

ソレは、

「今、動かなきゃいけない」

という想いだった。

今じゃなきゃ。
できないんじゃない、やるんだ。
やれないんじゃない。
やってみろ、動いてみろ。
出来なかったら、それはそれ。
もう2度と「やらない」後悔をするな。

「大切だったものを失った哀しみを知っているなら、

 もう“何もしなかった”という後悔することはするな」


出来ることを探す。
できそうな事を、やれる事を。

そんな想いで、

【心声(ココへ)プロジェクト】のドルトさんは生まれました。

ボランティア中の、
「何故、今、此処に居るのだろう」。

その疑問は、無意識のうちに自分では気づいていたようです。

「守りたかった子がいた」
「でもいろんな言い訳を付けて動かなかった」
「そんな想いは、もうしたくない」

何度か、ブログに書いた気もします。
無意識に知っていたんでしょうね。
でも、意識的に認識したのは今年の手術後でした。

癒やされると知っていながら、

いつでも触れ合える場所を知っていながら、近づけなかった場所。

触れ合いたいと思っても、

その罪悪感から避けていた場所。

それに気付いたのは、あれから14年。
ボランティア活動を終えて4年。

 

あの頃とは、馬術のルールもちょっと変わり、

ヘルメットも変わり

(最近は自転車のヘルメットみたいなヤツです。私のはひと昔前のベルベット笑)、

いろんなものが変わっていました。

 


最近では、キネシオテープインストラクターの方にもお会いしました。

彼女はお馬さんに対するホーステーピングをする方です。

勿論、人間にも対応しているので私もやってもらいました。

手術後、手のひらを床に90度の姿勢で着く事ができなかったのですが、

テーピング後はそれも出来ました。

現在、中指のバネ指も手術したあとなのですが

3週間くらい前に握力測ったところ11.6kg(笑)

6/12の時点でも、頑張って握ったら

うあああいってえええー!(中指」

となったにも関わらず16.7kgです(笑)カヨワーイ

今になって、ホーステーピングインストラクターさんに出逢い、

あなたのような人があの時居てくれたら」

と、軽々しく言ってしまった私ですが、それすら、

罪悪感だけを背負ったまま「彼」と馬から逃げていたのは

自分自信だったことに気付きました。

ここまで、馬の話ばかり書いてしまいましたが、

きっと「彼」とのことがなければ私は此処に居ませんでした。



隊長さんの本に出逢わなければ。
妹さん夫妻に出逢わなければ。
「彼」との別離がなければ。

ブログでも
「人間キライ」
「権力、キライ」
「銭金、大キライ」

とか書いてたような気がします(笑)

全部全部、繋がっていたようです。


ここにきてやっと、自分自身でそのことに気付けました。

2018年6月2日。
1年で最も嫌いだった日です。
私は懐かしい場所の、馬たちがたくさんいる馬術競技会の会場に居ました。

たくさんの馬と人を見ました。
懐かしい人たちにも出会いました。

実は、毎年6/2はズル休みとかしてひきこもってました(笑)

誰にも会いたくない日でした。

でも、その呪いも今年ようやく解けたようです。

自分自身でかけた呪いでしたが、
14年。長かったな。



今は普通に仕事をして、撤去作業も3回だけ参加できて。
船上カメラマンになって、初めて1人で船を運転して帰ってきてみたり。
県庁でプレゼンをしてみたり。
(採択!)

 

いろんな経験をさせてもらっています。

そして、「とりあえず記念に」と取得した

小型船舶免許1級の更新時期です。

 

ペーパーではなく、ちゃんと活用してきた4年間でした。

 

 

そして今は、一つ目標が出来ました。

今、とてもほしい資格があります。

実は去年、1回落ちました。笑

 

絶対に自分には無関係と思っていた資格。

だけど、今はこれがどうしてもほしい。

 

26まで遊べ。

40まで学べ。

60までに達成しろ。

 

昔ひいた、怖いおみくじ(当たるから怖い)に書かれていたモノです。

 

学ぶことは沢山あって、

いろんな先輩方の長年の知識を、

「うちではこうやっていた」「うちでは~」

と、いろいろな方向から教えてもらえます。

 

経験を教えていただける環境にいるのは、

すごくシアワセな事です。

 

今日(6/13)も、熱い陽射しと突然の風にやられながら

陸で作業をしつつ

何でも無い日常の風景で

何でも無いいつもの光景で。

 

おつかれさま~

また明日!

 

と、いつもと同じ日常です。

そんな穏やかな日々を過ごしながら

漁師になって4年目。

 

ボランティアを終えて4年目。

自分自身の、「心の声」に気づくまで、

14年かかりました。

 

人間は嫌いだけれど、それも漠然としていました。

出会った町の人、港の人、ボランティアの人々。

とても良い人ばかりでした。

 

名声がほしい人。

銭金に流されて大切なものを売ろうとする人。

 

そういう奴らにも出会いました。

そういうのが、私が嫌いな部類のニンゲンでした。

 

いつか、会社を持てたらいいなと思います。

これは資格を取得してからだけど。

遅いかもしれないけど、

ハリボテのペーパーカンパニーじゃない会社を持ちたいなと。

 

今は漠然とですが、そう思っています。

ほしい資格は法律関係です。

まさか私が法律に興味を持つとは。

人生とはわからないものです。。。

 

(学ばなきゃと常々チェックしていたのは著作権くらいだったので…)

 

あと、またお馬さんに関われる日々が来ればいいなと。

密かに、そう思っています。

 

おそらく、ドルトとしてブログを書くのはこれが最後になります。

14年の長い時間は、私にとっては懲役のようなモノでした。

その中でも、懲役を過ごして、今はなんだか世界が変わった気分です。

(ヘルメットが変わったように…)

 

そして長らく所持していた【心声(ココヘ)プロジェクト】の通帳は

3月末にギプスで解約してきました。

 

残金は1万2千円ほどでしたが、

こちらはまだ現金で所持しています。

(通帳を探したけど長らく掃除してないので埋もれてしまった。

 発見次第、また追記しちゃうかもです…)

 

このお金は町のために集まったものなので、

やっぱり町に返したいのです。

そこら辺はT子さんやH元さんに相談中です。

 

もうひとつ、以前作った電子書籍ですが

本日から無料公開とさせていただきました。

 

ご購入してくださった皆様、ありがとうございました。

もう通帳もないし、お金を集めることもないので

無料公開とさせていただきます。

 

ですが、著作権は放棄していないので

無断使用や転載はやめてください。

これは注意書きでも何でも無く、

とても悲しく辛い時期に

その「声」を預けてくださった町の方のものです。

その方々の気持ちを考えてください。

 

ただ、これからは

募金作品ではないので

「あの日」や「あのとき」の声を

いろんな方々に知っていただければ、と思います。

 

まだ当時は電子書籍はメジャーではなかったですが

今なら少しは、読んでくれる方もいるかもしれません。

 

山元町へ訪れる機会がある際には

是非、ご一読していただけると幸いです。

少しでも知ってもらい、

今、この復旧から

復興へとカタチを変えつつある現在。

 

あの時の町の方々の苦しみや哀しみを

少しでも感じて、その上で交流していただければ、と思います。

 

 

パブーのブクログ

【心声―ココヘ―】http://p.booklog.jp/book/32957

 

※forkNの方はですね。ID&パス忘れまして問い合わせ中です!

 おそらくパブーのみにすると思います。

 それもまた追記になるのかな……^^;

 

 

 

いつも通り、長たらしくなりましたドルトのブログですが

とりあえずは、長い長い追記はここでおしまいです。

 

最後に、応援してくれた山元町の人たち。

ステッカーを購入してくれた多くのボランティアの皆さん。

一緒に旗を作ってくれた、沢山の方々。

 

本当にありがとうございました。

 

そして、

港とのご縁をくださった343空A-15の青年隊長。

 

高校の時、馬と触れ合う癒やしを教えてくれた

同い年のノーザンクラウン(旧名:スカレット)と、

 

14年間の学びの時間を与えてくれた親友、

コーザンユウタ。

 

 

【心声(ココヘ)プロジェクト】は、私にとって

本当の自分と向き合う時間でした。

 

関わってくださった皆様に、沢山の福が来ますよう。

 

変わらぬ風景。

変わらぬ日常。

それがとても尊いモノであると言うこと。

 

改めて、感謝致します。

 

 

了。

 

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宮城県山元町 磯浜漁港復「港」応援
【心声(ココへ)プロジェクト】

Dort und Hier.


MAIL:kokoe-project@live.jp
BLOG:http://s.ameblo.jp/kokoe-project/

*★**★**★**★**★**★**★**★**★*

《2014年07月13日に下書きにしてたやつ》


総括のくせに2万文字超えた。
ので追記。
(しつこいけども、あとがきではない。)






私が一番最初に使った、

【磯浜復「港」】

ていうコトバ。


それって、震災の年に「秋鮭漁始まったよ!」って教えてくれた漁協のお姉さんから連絡を戴いて。
それで、何か励ましに……とか思って、魚のカタチをした最中のお菓子を送ったのです。


箱のふたに、箱の裏に、
港のことも
漁師のことも、
被災の苦しみも何も知らない私が。

ただただ、

「頑張って欲しい」
「願張って欲しい」 という、

言葉では簡単な、短いメッセージ。



それを見つけたのは、港に潜伏を始めた頃。




プレハブの中に、
「震災後の秋鮭漁」と言う新聞記事と共に。



雑で、
きったねー字で。

でも、
貼っててくれて。



それを見て。
私はコレを、布にしたいって思った。







「本物の、旗にしたい」って。


そう思ったんです。





その夢は、叶いました。
多くの皆さんが、一緒に叶えてくれました。


私も、今まで報われないこととかたくさんありまして。
下宿してまで部活して、インターハイ予選前に腰椎横突起左1~5本骨折したりして。

明日出発するっていうのに、病院で粋なり車いす持ってこられたりして。


「はいい?」


ってなったりした。
あの時は涙も出なかった。
あの時の予選会場は、イワキホースパーク。
原ノ町にある馬事公苑です。
へえ、落馬しました。
自業自得でやんす。

だから、「報われるって何だろう」ってよく考える。




…と、なんだか愚痴まみれの下書きを発見。
これは2018年6月13日野津行きに続きます。笑
 

《2014年7月4日》


ちょうど昨年の今頃。
カニさんを獲っていた時期。

「来年の今頃は、もう此処には居ないんだろうなあ……」

って考えていて。
みんなに旗を贈れて、
みんなの船が港で元気に動いてて。

そういうのを想像して、
ちょっと寂しく思ったりもするんだけど
それがすごく楽しみで。

「いろんな人にお世話になったからなあ」
「あ~、最後に【心声(ココヘ)プロジェクト~あとがき~】とか書こう」
「ちょっと、(今だって充分長くなるくせに)長くなりそうだから今から文章考えておくかな!」

て。
下書きを書き始めた。

心声プロジェクトを始めようと思ったきっかけ。
その活動が、募金詐欺扱いで誰も信用してくれなかったこと。笑
初めて、電子書籍に協力してくれた亘理荒浜の漁師さんが甥っ子である長瀞のママ。
秋田で応援してくれる人が居ないかと思って、うろうろしたこと。
山形の鶴岡で、店舗を回って電子書籍のポスターを貼って貰えるところはないかな~って思って探していたときに入ったセブンイレブンのおばちゃん。「あら!大漁旗を贈るの~?ステキね!」って言ってくれたことにすごく元気をもらえて。
ダメ元で入った鶴岡の水族館さん。「いいよ、館長に聞いてみるから」と言ってくれて。そしてそれを漁師さんのトモダチさんが水族館に遊びに行った際に「ポスター貼ってた!! あの子だな!」と報告してくれたり。
ふらりと入ったスーパーで、チラシを見せたとたんに泣いてくれた子。「私、山元町に住んでたことがあって……」て。
ずーっと長いことポスターとステッカーを貼ってくれていた鶴岡上州屋さんの(今はわからないけど当時は)副店長さんは「あそこらへん、良く釣りに行ってた んだよ。磯浜、釣師、相馬港って。ヒラメとかカレイとかね」って。応援するよっていってくれて。ホントに、ふらっと立ち寄ると「え!まだ貼ってくれて る!」て驚く。

初めて港に入ってきたとき。
初めて磯の漁師さんに出会ったとき。
役場の人に「漁師さんに会ってみたい?怖いよ~?」と脅され。

初めて踏み込んだ港。
初めて見た漁。
地割れした岸壁。
建物の残骸。
剥き出しの鉄骨が刺さっている壁。
砕けたテトラ。
電気も水道も、何もない
そんな場所で。

そこで頑張っていた漁師さんたち。


それを思い出して、いろいろと。

悔しかったり哀しかったり、
「なんで!!!」てこともたくさんあって。

でも、みんなでワイワイする瞬間とか
つらいのに、大変なはずなのに笑っている漁師さんたちを見て。

ソレを思いだして。

哀しかったことも悔しかったことも楽しかったことも。
ぜーんぶ【あとがき】にしようと思ってたんだけど。


結局、去年の今頃は下書きを何度も保存してた。

足、裂けたなあ。
痛かったなあ。
来年は居ないだろうなあ。
……居たかったなあ。

とか思ってたらさ。
なんだかとても哀しくなっちゃって。

大好きな場所で
大好きな人たちがいて。
みんなが頑張ってた。
それを見て、たくさんの元気を貰った。
勇気も、チカラも。
いろんな時間を貰って。
思い出も感情も。
ホントに多くのモノを。


でも、それを伝えきれない私。
そんな自分が、すごく悔しくて。

情けないと思ったり。
チカラが欲しいと思った。
すごく思った。


そんなことを考えていると、
結局さ。

【あとがき】なんか書けなくてさ。


「ちょっと落ち着いて、思い出に出来たら書くべな!」


と、意志決定。
下書き保存。


(あっ だからコレは後書きではないの。長いけど)



いろんな人たちに助けられて。
自分一人じゃ出来ないことを、多くの方々が助けてくれた。

県外の、お逢いしたことのない方々。
ボランティアで訪れた人たち。
そして、大変な中なのに、ボラごときの私が作ったステッカーを
お金を出してまで買ってくださった山元町の人たち。


何て言っていいんだろう。
何かさ。
苦しいんだよね。
いろんな人たちが助けてくれたこと。
賛同してくれて、一緒に応援してくれたこと。
それってとってもすごいことだって。
すごくそう思うんだけど、
私自身は、その人たちに何も返すことが出来ない。
申し訳なくて、でもすごく、嬉しくて。


本当に、いろんな人たちに助けて貰った。

ブログをチェックしてくれる人。

Twitterで気軽に話をしてくれる人。

そしてTwitterで
ドルト=長身、イケメン、正義感の強いライター♂
……という幻想を抱いてくれた人。グハハ

欲しいモノリストを見てくれて、すぐに贈ってくれる人。

郵送振り込みしてまで、ステッカーなどを買ってくれた人。

個人的に、いろんな相談に乗ってくれる人。

ネットで知り合って、色々お話ししてくれる人。

初めて行った牡鹿半島と、
仲良くしてくれるパパが漁師の女の子。

ふと会った時に、「よーう」って気軽に声を掛けてくれる人。

「元気なのー?今どこ居るんですか?」って電話くれる町の方。

「車中泊は身体を悪くするからちゃんと真っ直ぐになって寝なさい」と言ってくれて、寝床を貸してくれる角田のKさん。……の親切も聞かずにまんまとヘルニアになった私。

フェレット2号が虹の橋に行ってしまったとき、たくさん慰めてくれた人。

カラーコピーの印刷を100枚も(無理言ってごめん)を郵送してくれた人。

ボラで出会って、そこから「何でコイツはステッカーを売って大漁旗を作ろうとしているんだろう?」って、私のブログを最初のページから読んでくれたという強者は、私の知らないところで、50枚近くのステッカーを友人・知人に紹介してくれてそれを売ってくれた、お金を預けてくれたT13さん。

「お店に置いてもらいたいけど、マージンがなあ……」と考えていた私に、「うちの店で置くよ」と言ってまとめ買いしてくれたKさんとK店長。
(共に大阪!)

販売を手伝ってくれた社協さん。
日の出町の方々。
そして山下駅前の橋元商店さん。

チャンスを伺い、花善で集まっているボラさんに押し売り。
(買ってくれた皆様有り難う。)

そして私の行動範囲外で、
一生懸命ステッカーを紹介してくれて売ってくれたKYMZ氏。

ボラバスの中でステッカー販売を許してくれたMr.Run.様。


「動画作りたい!」と閃いて、今でも思うほど、バカなお願いをしたというのに快く大切な思い入れの曲を貸して下さったAさん。


そしてとってもつらい時期に、私に絵手紙というカタチで電子書籍の原稿を預けてくれた山元町の方々。(こっちも後書きページ作らなくては!まだまだ書くコトが止まらない)




(言っていいのか悪いのか)
仙台●●地の友人が買ってくれて、配ってくれたり。

(懐かしくも言っていいのか悪いのか)
社協ボラ時代に毎日顔を合わせていた
さわやかイケメンな愛知県の●●●さんがブログを発見してくれたり。
(H&KのG3A3買いました★)


ふとしたときに、電話をくれる優しい声の准尉。
(ココははっきり言う。あなたみたいな上司が欲しいです)





自衛隊風呂で一緒になった、
名前も知らない荒浜に住んでいたというおばちゃん。

角田の銭湯で車中泊時代に
顔見知りになってお話ししたおばちゃん。

そういえば、●●の湯で女子風呂には行っていたら
殿方がガラリと入ってきたときもあった。
(マンガだったらたらいを投げるのだけれど)
「ココ、男湯だよね?」
「女湯です」
「男湯……だよね?」
「女 湯 で す!」
といったらトットコ逃げてったおっちゃん。
(あの時の私は超冷静すぎて自分で引いた。実話)



いきなり現れた変なボラの私に、
漁師のカッパ装備を授けてくれた漁協のお兄さん。

クリスマスイブなのに、
資材を運んでくれた福島の相馬原釜漁協のおじさまたち。

クリスマスプレゼントにした応援資金を預けてくれた
福島郡山工場のみなさん。

塩釜を出るときに「暇なときは普通に遊びにおいでー」
って言ってくれた職員さん。

いろんな話をしてくれた次長さん。

本当にお母さんみたいな、
塩釜で出会った「塩釜のママ」たち。

「困ったことがあったら言うんだよ」
と言ってくれるスーパーお姉さん。

「1人で抱え込まないのー」と言ってくれたMr.K&W

ずっとブログを書かずに病んでる理由を話して、
電話くれたりメールくれたり。



こんな私と繋がってくれる、
すげえ器量の大きな、たくさんの人々。






なんかね、ほら。
ほらほら。

書ききれなくて。
どんどん出てきて。
まるで蜘蛛の子を散らすように。泣
ぶわーっと、思い出して思い出して、
すごいたくさんの人たちが助けてくれたんだなって。


つくづく、思って。
どうすりゃいいんだって。
こんな恩なんか返せねえよって。

鼻水ばかりがテッシュを消費していくのだ。泣
書ききれなくて、悔しいのだ。


だから【あとがき】はまだ書かない!
(まだ書くつもりかよ!と思うかもしれないが!)


今回の【総括】は、
いろんな人が、たくさんの人たちが
遠くから、近くから、町の中から
「磯浜の漁師さんを応援する」っていう気持ちが
こんな感じでカタチになったよ!


って言う、福来旗、見本!


磯浜の新造船に、
みんなで作って、みんなで贈った旗は
こんな感じだよ!


っていう。


最後の。
とりあえずは最後のね。

『漁師さんの新造船に、全員に福来旗を贈る!』

っていう目標の、終了。
の1ページにしたいと思いやすっ!




では征きます!!!!!!!!!!

===============

 1枚目【第一山元丸







2枚目【第二山元丸





3枚目【第三山元丸



4枚目【くまの丸



5枚目【海星丸



6枚目【共徳丸



7枚目【金比羅丸



8枚目【明神丸



9枚目【海幸丸



10枚目【栄寿丸



11枚目【第三水神丸



12枚目【恵比寿丸



13枚目【妙見丸



14枚目【大三丸


15枚目【第十一水神丸



 



 16枚目【栄宝丸




磯浜の16隻の船主へ。




贈:宮城県山元町磯浜港 復「港」応援

    心声プロジェクト企画賛同有志一同




【計16隻、17枚】


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福来旗製作、ご迷惑のご協力!


●愛媛県松山市 ヨネヤ旗店さん

●愛媛県松山市 荒瀬染物店さん

●仙台市若林区 ほまれ屋 さん、ダンディ紳士Sさん


「旗」のことを全く知らない私に、

様々なことを教えてくださった3店舗様。


たくさんのご迷惑、

納期間近のご協力、

複雑絵柄のご尽力……


言い尽くせない。

本当に、ありがとうございました。


===============

 

「できるわけないよ」もあった。けど、
「できるかもしれない」とも思えて進んでこれた。
それが、ようやく


「できた!」
 という事実と、
 
「“達成すること”ができた!!」
と言う想いと。  

いろんな人が、いろんな気持ちをくれて。
いや、いろんな気持ちを貸してくれて。  
預けてくれて。
そういうのが、いろいろ
本当に、いろいろで。


まだ自分の中で、整理がつかない感じです。
でも、忘れることだけはないのです。
ご協力いただいた皆さん、応援してくれた皆さん。
一緒に、旗を作ってくれて。
応援してくれて。

本当にありがとうございました。


1人じゃ無理で。
でも1人じゃなかった。

すごくたくさんの人が出てきて。
助けてくれて。

イイ時間だったなって。


震災ボラだけど、
私の人生の中では、
すごくそう思う「一瞬」でした。



あー。もうだめね。

長らく文字を書いてないのでね、
まとめらんねーわ。



やっぱり下書きは必要だったみたい。
反省。

このままじゃ永遠に終わらないので。笑



それでは。


……あっ

そうだ、私が此処に来た流れ。

さらっと。



震災の前の年。4年前。オリンピックの年。
ちょいと日本語を忘れて。
文字の仕事をもっかいやりたいと思って。
ある一冊の本を読みました。
その青年は日本兵の隊長さん。
海軍航空隊でした。


詩も書いててね。
すごく綺麗な日本語で。
その彼の文字に惹かれて、
お墓にまで参った。

ら、

妹さん夫婦に会った。
(お墓で逢った人、第一号♪だそうで)


そこで仲良くして貰って、
いろんな話を聞かせて貰って。


「来年の春、お祭りをするから遊びにおいで」
と言われたのが震災の年でした。

だからなの。私が此処に来たのは。
妹さんが、お兄さんと一緒に遊んだ海。


ただそれだけ。


たったそれだけの理由で、
人間って動くんだなって。
自分でも結構、
今、思えば、驚く。


4年前、本を読んでなければ。
お墓に行かなければ。
妹さんに会わなければ。
私はボランティアなんかするような人間じゃないから。
宮城にも居ない。
磯浜にも、来ることはなかった。


でも、動いた理由は、
それだけだったんだよね。


「思い出の場所」だって。


今もある、日本が
「日本」として続いている「日本のために」戦って
太平洋に消えたお兄さん。


海って、繋がってるからさ。
きっと、見守ってくれてますよね?って。
見てくれてるよね、って。


そう思えてさ。

「護ってくれよ!!」
とお墓に文句を言いに行ったときもあった。

愚痴りに行ったり。
お礼を言いに行ったり。

(注:他人の家系のお墓です)





でもさ。
そういう理由で動いただけの私だけど
いろんな人がね、
一緒に応援してくれて。

すごく、チカラになりました。

本当に、
みなさんのおかげです。

どうか、みなさんにも
たくさんの幸福がありますように。
夢が叶いますように。


この浜で作った福来旗が、
みなさんにとっても、チカラになるよう。


たくさんの幸福を運んでくれる
宝船になるよう。


関わって応援してくれた皆さんを
いつまでもずっと、
遠くからでもずっとずっと。

力強く、優しく、
幸福へと導いてくれるような


大きな優しさで
護って、包み込んでくれるような。


そんな、
「福来旗」になりますように。





皆さんと一緒に、
たくさんの旗を作ることが出来ました。




本当に、

本当にありがとうございました!




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宮城県山元町 磯浜漁港復「港」応援
【心声(ココへ)プロジェクト】

Dort und Hier.

(=YUKA TOSHIMA)

MAIL:kokoe-project@live.jp
BLOG:http://s.ameblo.jp/kokoe-project/

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