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【心声(ココヘ)プロジェクト】

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今日の「正義」が明日の「悪事」。明日の「悪意」が未来の「正論」。
今を生きる人が為すべきこと。「今」を「未来」に繋ぐこと。

5月24日。
磯浜の船主会長である、第十一水神丸さんの進水式でした。


船主会長にはさ。
本当に、色々とお世話になったんだ。

今でも思うんだ。
たぶんだけどね。


「この人」が。
あの日、あの時。

「その一言」を言ってくれなかったら。


私はきっと、
もうすでに此処にはいませんでした。


きっとね。

それは2012年の、2月の出来事。
2月14日の、大安の日の出来事でした。

磯浜の漁師さんって本っっっっっ当にね
テレビとか。新聞とかメディアとかがキライで。


でもね。
このブログをずっと見てくれてる人はわかるかもしれないけど
その日。2月14日は
私が【心声プロジェクト】として。
いろんな人たちの応援と、協力を
カタチに出来て。

それを、やっとね。
初めての旗を
【第一山元丸】さんに「福来旗」として
贈ることができた日だったんだ。



港でお知り合いになれた広報山元のIサンにもお願いして。
その頃、山下で
すごく親身になってくれた読売の記者さんにも出会えて。

メディアがキライだって言うことは、知っていたんですけどね。
私はどーーーーーーーーーーーーしても。

「旗を贈りました!!」

っていう、その事実の出来事を
町の人に、遠くの人に、ネットを見れない人に
知って欲しかったのです。




でもねー。
やっぱり漁師さんは漁師さんでカメラとかキライでね。

集まってても、カメラ向けるとアッチ向く。
談笑してても、カメラ近づくと散る。

っていう状況。


まだ、震災の間もない頃の話。
まだ、1年もたってなくて
港には何もなくて。

壊れた建物の鉄骨やコンクリート。
剥き出しになった鉄線。
地割れしたままの、岸壁。

そんな状況で、ようやく秋鮭漁にこぎつけて。

2月になって、
火のない場所で手がガチガチに鳴りながら仕事して。

今は港に自販機があるけど、
その頃は電気も水もなかったから。
休憩なんかは、みんながプレハブにぎゅうぎゅう。


そんなときだったのです。
カメラが嫌で逃げる漁師さんたち。

あーやっぱりかあ。
そう思ってさ。
嫌な想いさせてるよな……って思って。


でも、そんなときだったのです。




「おう、みんな。あづまれ」





船主会長の、そのたった一言のコトバ。



それでみんなが集まってくれて。
広報に載せてもらえて。
読売の記者さんが何度も書き直した原稿を見せてくれて、
無事に、良く15日に記事にしてもらえて。


あの日、あの時。
たった一言の、そのコトバ。


それがあったから。
それがなかったら。


今でもふと、そう思って。


それを、忘れたことはないのです。





「おめーが来るうちは、毎日お菓子買ってきてやる」

そう言って毎日毎日。
甘いお菓子とか。
おにぎりとか。

毎日、くれたのです。


だからすごく、本当に、返せない恩がある人。
すごく、良くしてくれた人でした。



だから、ホントに感謝してて。
初めて、自分の名前で
【心声プロジェクト】ではない自分の名前で
塩釜で稼ぎのお金で、
ノボリを作って貰ったんだ。
(撮影協力:山元支所長)




ノボリも、太陽が上から照らしてるデザイン。
ほまれ屋さんのSさんに、またまた面倒を言い。
素敵なノボリを贈ってくれました。
ほまれ屋さんのSさん、職人さん、
ありがとうございました!

すっごいすてきに包装してくれたけど、
この通り、写真撮ってみましたYo!
(あんまり見えないけど)



皆さんの応援で作って貰った【心声プロジェクト】の旗はこちら。


定置網漁を専門としてるから。
やっぱり、なんとなく、
秋鮭を入れて貰った。

荒瀬さん、ありがとうございます。


5月には網結屋さんを始めていた私。
この日は副運営委員長さんの船の進水式。


でーすーがー、
知らなかったのでカメラの電池がありまへんでした。


こういう人ばっかり撮っちゃうので↓


※K虎の上に乗っちゃいけません。








後ろのでっかいのは防波堤の
波消しブロックを積み上げたりしてるクレーンで御座います。



そんなわけでこんなに船が増えました。


私が占拠してる網結屋さん作業部屋(2F)からの景色。
船がたくさんです。



最後の旗は3枚セット。
大三丸さんは第11水神丸さんと栄宝丸さんと
なっかよーしなので、
絵柄が少々違う旗をお願いしました。
(荒瀬さん、時間がない中でいつもながらに無理を利いてくれてありがとう!)


大三丸さんの甥っ子さんから、言われました。
「かっこいい旗、ありがとう!」
て。

「いろんな人がステッカーとかかってくれたお金で作ったんですよー」
「私が買った訳じゃないっすから~」

って言ったんだけど。
「でも始めてくれたから。旗、貰ったから。ありがとう!」

って言われてね。ツイッタで。
泣いちゃったわ。
嬉しかった。


いろんな人の協力と応援があったおかげ。
私一人じゃ、無理なことだったから。


本当に。
一緒に応援してくれた人。
遠くから近くから見守ってくれる人。
旗を作ってくれる職人さん。
いろんな、いろーんなたくさんの人がいて。
いろんな絵柄の旗を贈ることができて。

本当に。
すごくね。
嬉しいのです。
本当に、たくさんの人たち、ありがとうございます。



でもね。
とある浜の人。
とある船主が言ってた。
こんな言葉を聞いたことがあった。

「俺は船なんかつくんねくたっていんだ~」
「船なんか辞めたっていんだ~」

て。
別に、私がその人の言葉に突っ込みをいれる権利もないし
良くも知らない人だから「なんで?」とか言えないけどさ。


へーえ。そういう漁師もいるんだ。


で自分の中で終わったけど。
その人はそんなことを言いながら
(聞き耳を立てていたら)
実際は船を作る方向でいたらしい。

私もさ。
案外、いろんな浜をうろちょろしてるので。
偶然聞いたというか。
ついつい耳に入ってきたというカネ。
それが、すげえ自慢げに言ってて鼻についたというカネ。
良くも知らない人だったけど。
聞いてて正直、胸くそ悪かったの。
なんか、余裕ぶってるというカネ。
何でそんなに余裕ぶってるんだろうカネ?と。

ココに一緒に書くコトじゃないかもしれないけど。
私はね。それ聞いて、ムカムカしてた。




そして、甥っ子さんのツイートでちょっと泣いたあと。
その後で(こっそり)見たんだよね。
甥っ子さんのツイート。


「じいちゃんの船が、無くならないで復活してくれて、嬉しい」


あの言葉。
私は絶対に忘れない。


忘れられないんだ。


良くも知らない漁師が言ってた言葉にイライラしたことはあったけど。

大三丸さんの甥っ子さんのその一言で、
浄化されたというか。

一瞬、
「そういやそんなこと言ってたどっかの浜の漁師もいたな―」
とか思い出したんだけどさ。

でもね。

甥っ子さんの、たった一言の
とっても純粋なその言葉でさ。
すごく癒されて。
涙が出た。



船の維持って、すごく大変だと思う。
きれい事じゃなくて、お金の方も。
漁に出る天候もそう。
今は油が高騰してるから尚更。
口で言う以上に、すごく大変だと思う。

だから船を買うって言うのは、
すごい覚悟だと思う。
勇気だし、勝負なんだと思うんだ。


だけどそこにあるのはさ。

大三丸さんの甥っ子さんみたいな
とっても純粋な想いだったり。
親族縁者からの期待や応援だったり。
伝統、風習、歴史。
様々な感情。

いろんな。
人間として大切な。
人が生きていくうえで繋げていく、大切なもの。

そういうのが、
船にはたくさん詰まってると思うんだ。



「なにをー! この一般人が!」

って言われるかもしれないけどさ。
言いたきゃ言え言え。


でもね、私は忘れないよ。
絶対に忘れない。

って。
そう思って。

甥っ子さんの言葉に、
更にかなり泣いたんだ。実は。

そういう純粋な「復活してくれて嬉しい」っていう
甥っ子さんの、たった一言の、純粋な想い。

そういうのを、(文字で)見てね。
すごく、気が晴れたというか。

私があのとき感じた見知らぬ漁師に対するいらだちは
どーでも良かったんじゃないかって。


だって、その「ホントは船なんかいらねー」とか言ってた漁師にはさ。
その甥っ子さんみたいな純粋な想いや感情や、
歴史とか伝統とか、そういうのが感じられなかったんだろうなって。


ならば仕方ないなって思ってさ。
逆に不憫ですなって思ったりしてさ。


だから実は、
「こっちがありがとう」って言いたいくらいに感謝したんだ。
大三丸さんの甥っ子さん。

「くだらない他人の台詞に感情がぐらついてた」っていう。
そういう、
関係ないことに、振り回された自分がヴァカだなって。

(甥っ子さんは私より年上で御座います)





だからね。

進水式ってさ。
いろんなコトを考える。
一般人だけどさ。私。


でも、そういう純粋なヒトの感情を見たときにね。

「ああ、希望だなあ……」

って。
単純な私は、そう思ってしまうのです。




旗を贈ることを可能にさせてくれたみなさん。
本当にありがとうございます。

4月8日。
塩釜にお休みを戴きまして来た日。

妙見(みょうけん)丸さんの進水式です。


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↑まだ準備をしているの旗飾り中。


すごく天気の良い日でした!
春の良い日。
青空いっぱいの、カラフルな旗たち。
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おっと、モデル歩きなダンディが写っていた!
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私が言っていいのかどうなのか、
よくわからんけど、言っちゃうけど!

妙見丸さんは、第一山元丸のお父さん。

震災直後、
漁師さんたちがみんなで漁出でたり
「共同使用船」としていた船、【第一山元丸】は、
震災の3ヶ月前?くらいに進水式を終えた
「妙見丸」さんだったのです。

まだ新しい船で、被災にあって。
田んぼの中にまで流されたけれど
磯浜の港に戻ってきた、たった一隻の船。

みんなの船が失われて、
港に戻ってきた妙見丸さん。

だから、妙見丸さんは進水したばかりの自分の船の名前を変えた。
生まれ変わった船の名前は、【第一山元丸】。


それが、磯浜でたった一隻の希望の船として
震災後、傷ついた漁師さんたちを乗せて
再び、海に向かうようになる。

妙見丸さんは第一山元丸のパパだけど
「みんなの船がないから」
って。

そう言って、船を手放して
みんなで使用する「共同使用船」にしたそうです。


だから今度の船は、
今まで「第一山元丸のパパ」だった妙見さんの、
これから長く付き合っていく新しい、自分の妙見丸さん。



(なんだか上手く説明できないのが悔しいんだけど)


妙見丸パパさんは、
いろんな人のことを考えてくれる人なんだなーって思う。

あの人のこと、この人のこと。
あっちのこと、こっちのこと。

そういう風に、みんなのことを色々見て、
考えてくれる優しい人だなって。

私はそう思った。
最近、特にね。


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でもね妙見さん。
あんまりね。
ブログとかTwitterとか
見ないでくださいね!!!!!!!!!!!!!!!!!


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恥ずかしいので。笑


でもね。
ほめてくれたり、怒ってくれたり。

そういうのは、(怒られてても)
すごく嬉しかったりします。


私はね。




これからは「第一山元丸のパパ」じゃなく、
新しく生まれた妙見丸さんと一緒に

健康に気を付けて、
休肝日もしっかりとっている妙見丸さん。

これからも元気に、
海を護ってくれるといいなあって。



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そう思っています。