2船目の福来旗 5月31日《第二山元丸》 | 【心声(ココヘ)プロジェクト】

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今日の「正義」が明日の「悪事」。明日の「悪意」が未来の「正論」。
今を生きる人が為すべきこと。「今」を「未来」に繋ぐこと。


実は4月下旬頃、
2隻目の船が磯浜にやってきました。

その船は 第二山元丸。
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第一山元丸とは違う、「ドライブ船」って言う船です。


実はこの船にも旗を作る予定だったのですが、
かなり遅れておりました。
(おまけに、私は仕事で進水式見れなかったし・・・泣)



そして先日、第二山元丸の旗を船主さんにお渡ししました。

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宝船の帆に「第二」の山元丸。
前回の第一山元丸の旗にて鮭を描いたところ

「コイツ、雄だどれ!」

といわれたので敢えて雌を……。



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雌♀→卵(イクラちゃん)←高価
雄♂→身
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……というわけで、雌は嬉しいのです。





今回もステッカー及び電子書籍の募金での制作です。

贈・宮城県山元町磯浜港 復「港」応援
  心声プロジェクト企画賛同有志 一同

とさせていただきました。
今後もずっと贈呈者名はこれでいきます。



おかげさまで、
現在、ステッカーも再注文です。

手持ちにあった1600枚が全てなくなったって言うのは本当にビックリです。(私が

車中泊時代の電子書籍制作過程の支出が一番厳しかったかもです。
(ソレが出費の元なんだけど。←コピー代とかチラシ代とか主に紙代。反省





そして、この前、ぼそぼそと呟いていたことがあります。



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「縁」って、実際会った人とか行ったことのある町だとか、思いでの場所だとか、そういうのばっかり「縁」みたく思っちゃうけどもっと簡単なものだと思う。

例えば、離れてるけど名前が一緒の町だとか、同じ部活の知らない学生が頑張ってる町だったりとか、たまたま「○○の湘南」とか言われてたりとか。すげー遠いことっぽく思えるけど、たまたま同じ島国で同じ人種だったとか。


「縁」ってのは偶然のこじつけ。そのこじつけの想像を、どこまで膨らませて自分と近くするかの距離感だと思う。たったそんだけだと思う。その共通点を探し て近める距離が「縁」。生きてる中で「無縁」てのはない。必ず偶然がこぎつける。うまいこと繋がるもんなんだな、「縁」ってのは。


それを自分で「縁」として発見しちゃえば、ホントの縁だと思う。動けばホントの関わりが生まれるし、それが膨らんで広がっていく。「縁」っていうか、「円(輪)」になるんだな。ステキだわ。

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そんなことをふと思ったのです。
言ってしまえば、

山元町や亘理で出逢った人、
Twitterで出逢った人、
このブログで出逢った人、
ぜーーーんぶ偶然。

以前、動画を作った際 、その曲をお借りした
作曲演奏者である三木あずささん(ブログ→空模様、心模様 )
このブログで出逢った人。

Amazonほしい物リストを立てたときに、まだお逢いしたことのない
たくさんの人が物資を贈ってきてくれたのもネットを通じてだったりする。


あの呟きも、ある方が「山元町」と関わっているという事を知ってのものでした。
山元町を知ったのは去年の頃。
震災報道にて、
自動車学校の遺族のお話と
その自動車学校のある町の名前が記憶残っていたから、だそうでした。


「あ、見たことある」
「あれ、聞いたことある」
「それ知ってる」

それが、縁になるっていうだけなのだと思います。
「絆」だとか「縁」だとか、言葉にしたらたいそう立派なモノだと思うのです。

私が山元町で活動したのもそう。
磯浜で活動しているのもそう。

ただ、自分が読んだ本の主人公の遺族の思い出の場所だった、っていうだけで。

それをご立派に言えば「縁」。
言ってしまえば「偶然」
たまたま、です。

(「たまたま」って「偶々」って書きますしね)


去年は、良く「縁だなあ」って思う事がありました。
そりゃあ、山ほどありました。

だけど、自分が動けば輪が広がるように
縁も偶然も自然と広がるモノなんだなーと思うようになりました。


特別な事じゃないと思うんです。
毎日生きていて、毎日過ごしていて。

何かの偶然は山ほど有るだろうし、
予想もしなかったビックリイベントに遭遇するかも知れません。
その「偶然」が「縁」であるかどうかは置いといて。

それに気付くかどうかって言う部分が、
「貴重だなあ」と今は思っています。


「当たり前のことに気付く」ってこと。

その当たり前は、

例えば、
朝起きて、蛇口をひねったら水が出た。
出ることが「当然」と思っているから感謝なんてしません。
そんな感じ。


突き詰めれば、
朝起きて、目が覚めた。
もう一度、朝が来た。「今日」が来た。


結局はそれだけだと思うんです。

最近はとことん「それ」を思う。
前々から思ってはいたんだけどね。

すごく「生きている」って言う感覚。


まあ、こういう事を言うと
「●●じみている」って言われるんだけどさ。
仕方ないじゃん、そういうめんどくさい人間なんだからさ(´皿`)


そしてもう一つの呟きの詳細。↓

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漁師さんから面白い話がきた。福来旗の出張話(笑) 勿論快諾でしょ! こうやって子供たちにも縁が生まれる。いつか、「あの時のあの町のあの旗の港だ!」っていって子供たちが遊びに来てくれるといい。大人が持ち帰った縁を子供に伝える。素晴らしい縁です。

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これ、週末に里帰りをしていたときのこと(一昨日)。

そう、福来期の出張。
これは、山元町にボランティアに入っていた東京のある先生が、
役場の方に問い合わせをして漁師さんに連絡がいったそうなのです。


内容は、

ボランティアで入っていた先生が、学校行事で大漁旗を掲げたいから貸してくれないか


と言う話。
何の行事に使うのかはまあ、季節柄、想像も付くんじゃないでしょうか。
(本当は詳しくは知らないのだけど←)


んでも、こうやって大人が作った「縁」を、その大人が持ち帰って
子供達に「縁」の種がまかれるわけです。

その子供達が、

あの時の
あの町の
あの旗の港だ!


っていう思い出になって記憶になって、
それがどこかの片隅にでも埋まっていたら、
何か、偶然の瞬間に

【山元町】 【磯浜】

っていう「縁」の芽がプワッと芽吹くんじゃないかなーって。

芽吹くのが何ヶ月後かはわからないし、
何年かかるかもわからない。
芽吹かないかも知れない。


んでも、そういう「縁」の種をまく大人は素敵だなと思う。
「見ざる聞かざる面倒よこすな」って時代だと思う。
だけど「山元町」を紹介したいという先生と、
その先生の意見に賛成してくれた他の先生方、学校。

そういう大人達のいる環境は、すごく素敵な場所だと思う。



「知ってもらう」っていうことはものすごく大きいこと。
だから、新聞欄の広告はものすごく高額。
メールのSPAM送信者もね。


だから、そういう記憶の縁をまく大人は素敵。
だって、将来の日本と付き合っていくのは子供達だから。


とある関西の人も言ってた。

「俺は、これから子供達のために頑張ってる」
「子供らの笑顔のために頑張る」
「俺たちの代で起きた日本の悲しみを、子供達が苦しんで背負うものじゃない」


って。
そんな、大人達が頑張る姿も、
きっと未来の「縁」に繋がって行くんだな。


記憶って、すごいからね。

頑張る大人の姿見て、
子供たちは未来の日本の力に変えてくれる。


そんな子供らに、恥じずに生きたいわ。