【希望FLAG作戦】―完結― | 【心声(ココヘ)プロジェクト】

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今日の「正義」が明日の「悪事」。明日の「悪意」が未来の「正論」。
今を生きる人が為すべきこと。「今」を「未来」に繋ぐこと。

2月14日 大安


今日は、久し振りに風もなく
あたたかな1日でした。


悩みながら、
泥出し作業ボランティアとしての
作業終了時間後に原稿をお願いして廻り、
そこで出逢った方々にお願いして完成した

山元町の方々の直筆のコトバとイラストをまとめた
電子書籍『心声―ココヘ―』。

その収益を町のどこに贈ろうか、
と考えたときに出てきたのはやはり「磯浜」でした。


それまで、作業ボランティアとして関わった方々は
作業する家のある方々、でした。

なかなか踏み込めなかった「磯浜」。
それにも理由がありました。

電子書籍をお願いする時、
家族や友人を失った多くの方々と
お話しさせていただく時間を与えてもらいました。

そんな町の方々と接するとき、
私の中に常にあったのは

どのように接していいのか
どう接するべきなのか

そのようなことばかりが怖かったです。

傷つけてしまわないだろうか、
さらに苦しめてしまわないだろうか

そんな事ばかり考えていました。


けれど、
「行かなきゃどうにもならない」と考え
電子書籍の収益を磯浜に向けることとしました。


作業で関わる方の多くの方は、
山元町のことを紹介してくれました。



山元町はね、
いちごとりんごの名産でね、
「東北の湘南」って言われるくらい
綺麗な海と温暖な気候で、
ものすごく住みやすい町「だった」のよ


そんな紹介をしてもらうたびに、
「磯浜はどうなっているんだろうか」
と考えてきました。


4月30日に山元町に入り、
8月下旬まで町の中で活動していました。

9月に電子書籍が完成し、
目標と覚悟を決めて
ようやく。

ようやく、磯浜に近付いたのはついこの前のことです。


初めての磯浜
東北の湘南。


「だった」


では終わらせたくありませんでした。


震災前の「磯浜」は知りません。
だけどそこは、
私の大事な人たちの思い出の場所でした。


傷つけてしまうかも知れない
だけど、
それを怖がっているのは「私」だった。


私が行っても、何が出来るわけでもなく。
職人仕事の中に 
何も知らない素人が飛び込んでも邪魔になることは知っていた。


だけど、
大漁旗を贈ると決めた以上は、
「大漁旗を作りました、どうぞ」
では終わりたくなかった。


どんな人たちが港にいるのか。
多くのものを呑み込んだ海と向き合っている人間達はどんな人たちなのか。

今も尚、
哀しみを抱えつつ、
海と向き合い、
町の港と海のために戦っている人たちは
どんな人たちなのだろう。


それを、私は知りたかった。

どんな仕事をしているのか
どんな人たちなのか。

それを理解した上で、
私は漠然と旗をつくりたいと思っていました。



9月。
遠くから見て、まだ重機が港の中で稼働していた。

10月。
港にやってきた「変なヤツ」を、一緒に作業させてくれた。
震災後の初漁 にわいた磯浜漁港。

11月。
カッパ一式を与えてくれた感謝。
やる事する事カラマワリながらも漁業を知ろうとしていた頃。
それでもやっぱりまだまだ私にはわからないことが多い。

12月
邪魔にもかかわらず一緒に作業させてくれる感謝。
年末まで時間を共有させてくれたこと。
本当に、感謝ばかりの時間を、漁師さんたちは与えてくれた。



10月に一度、港を離れたときに
御礼として送ったお菓子。



【心声(ココヘ)プロジェクト】-復「港」応援!


その箱に書いた

海上安全
大漁祈願


それが、
久し振りに訪れた磯浜のプレハブ事務所に
飾られているのを見た日。



【心声(ココヘ)プロジェクト】


「これを絶対に旗にする」






そう強く思った日でもありました。



電子書籍だけではお金が足りず、
ステッカー販売を初めて3ヶ月。

ステッカーは600枚以上、私の手元を離れました。

年末に愛媛県松山市の ヨネヤ旗店 さんに
大漁旗の知識もない私の大漁旗案を提出しました。



それがこんな感じでした。


【心声(ココヘ)プロジェクト】


私が磯浜に行ったときしていた
秋鮭漁。

その「鮭」と山元町の「ツバメ」を案として提出させていただきました。

そしてその「鮭」はそのまま使用して下さると言うことで
ヨネヤ旗店さんから聞いてはいました。







ようやく、今日の大安に旗を贈ることが出来ました。
長かったような短かったような。

ここまで、
たくさんの方々に励まされ、
多くの方々に助けていただきました。

「大漁旗を贈りたい」というのは
私の勝手な目標であって
ユメの話でした。


そのユメを、多くの人たちに叶えていただきました。


一人ではここまでできませんでした。



被災しながらもステッカーを購入して下さった山元町の方々。
山元町を訪れる全国からのたくさんのボランティア。
山元町を訪れたことがなくとも、遠くから山元町を応援して下さり郵送販売で購入して下さった全国の皆様。


今も、
直接、頭を下げて廻りたい気持ちで一杯です。



多くの山元町の方々に
このことが報告できるよう、
広報 やまもと さんにお願いしたところ、
このことを記事にしていただけることとなりました。

もうすぐ1年がたちますが、
まだまだ多くの人に山元町を知ってもらいたいと思っています。


今も、哀しみを抱えながら願張っています。
前に進もうと願張っています。




皆様のチカラで磯浜に旗を贈れたこと。
皆様に私のユメを叶えてもらったことは、
私にとっても、これからの「決意表明」になりました。



磯浜が完全復「港」するまで。
たくさんの船が、磯浜に浮かぶまでは
ずっとずっと
磯浜漁港と山元町を応援していきたいと思っています。


そんな一人です。




この度は多くの方々のご支援ご協力のもと、
山元町の磯浜漁港に2枚の福来旗(ふらいき)を贈ることが出来ました。



港を守る人たち。
海と向き合う人たち。
そんな人たちがいる漁港。


とても素敵な人間達です。
おだづもっこな人間達です。
願張って生きている素敵な人たちです。




ずっと応援させてほしいです。






みなさんとつくりあげたこの旗が、
山元町と磯浜漁港の福来旗(お守り)になりますように。




【心声(ココヘ)プロジェクト】


【心声(ココヘ)プロジェクト】




ご協力くださいました山元町の方々。
全国からご協力下さいましたみなさま。
快く対応してくれて、たくさんのお心遣いと日の丸旗をつけて下さいました松山市 ヨネヤ旗店さま。




本当にありがとうございました!!!



2012/02/14 大安