Dr.Shuの歴史の流れから読み取る「自然災害と霊魂たちの無念の思い」 | マジョリカの恋するように旅をして

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Dr.Shuの歴史の流れから読み取る「自然災害と霊魂たちの無念の思い」

 

お忙しい中、貴重なお話を伺い、動画にアップさせていただきましたあじさい感謝あじさい

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〈古老の言い伝え〉がまもられていたのか

最近我が国は、自然災害が多く見られます。

これにつきまして、私の見解を述べさせていただきたいと思います。

 

まず台風15号、台風19号、大きな被害を受けられた皆様に

謹んで災害からの復興を祈念いたします。

 

それと同時に長野県で発生しました大変な災害でありますが、

この度の災害ではJR東日本の長野新幹線車両センターが

100台近く水没したという大変な被害を受けました。

 

この車庫があった場所が千曲川を西へ1キロメートル。

まさかこの1キロメートルを千曲川の水位が上がって、

車両センターを襲うとは誰も予想しなかったことですが、

すでにハザードマップ等で示されていたことは事実であります。

 

今ひとつはこの車両センターがあった場所の地名ですが、

赤沼と言って「沼」という名前がついています。

長野県には「沼が」つく地名が多いのですが、

おそらく地域の住民たちは沼という地名がついているところは

湿地帯で、非常に脆弱な地盤であるということは

知っておられたのではないか。

 

そういうことが車両センターを造る設計者の耳に入っていたのかどうか。

そのようなところも問題であると思います。

 

また、最近の自然災害で非常に懸念しますのは、

〈古老の言い伝え〉〈村人の言い伝え〉です。

昔の人が言い伝えていたことがきちんと設計者ないしは

技術者の耳に入っていたのかどうか。

このあたりも懸念がわくところであります。

 

戦いを行った者たちの無念の想い

長野県に甚大な被害を及ぼした台風19号ですが、

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、

昔、名将「武田信玄」という方がおられまして、

千曲川と犀川の中間にある川中島というところで

合戦を行ったわけであります。

 

もちろん地質学上の問題もありますが、

私たちが今考えなければいけないのは

この地で合戦が行われたということです。

 

その合戦を行った者たちの無念の想いと言いますか、

霊と言いますか、スピリットと言いますか、

そういったものが成仏していないのではないか。

そういったところに自然災害が多く発生しているのではないか

ということを、非常に懸念しています。

 

それは、先般起きました首里城の確か5回目の火災ですが、

5回も火災が続いて起きるということは通常では考えられないと思いますし、

メンテナンスをして防災措置は取っておられたと思うのです。

 

ここは沖縄戦があった時の、

陸軍第32軍の司令部が地下にあった場所でありまして、

おそらくその霊魂たちの思いを十分に汲み取って

供養されていないことが背景にあるのではないか。

 

スピリット、霊たちへの供養を忘れていることへの警告

多くの知識人は「非科学的」とおっしゃいますが、

私たちはあまりにも唯物論に囚われて、

スピリット、霊といった者たちへの

供養を忘れていることへの警告ではないのか、

そのように考えるわけです。

 

先ほど申し上げました

「武田信玄」と「上杉謙信」の有名な戦いは「第4次川中島の合戦」です。

どうしてここで両雄が激突したのか。

日本史を静かに眺めてみますと、あくまで私の見解ですが、

あの時代に多くの戦国大名がいて、己の力を誇示しようとして、

彼方此方で戦いを繰り広げていたわけです。

 

その中でも戦上手といわれたこの二人が激突することによって、

それを見ていた他の戦国大名たちは

おそらく争うことをためらったのではないか。

 

この両雄が激突して、やがて両雄が滅んだ後に、

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という順番で、

天下泰平に向けて歴史が流れていったわけであります。

 

私たちは、この戦国時代の武将たちが果たした役割について

もう少し深く認識する必要があるのではないか。

彼らが血を流してくれたおかげで、今日の泰平、

平安の世の中があるのでありまして、

一体何人の方々がそういった人々の無念の思いと言いますか、

生前の行ないに対して、手を合わせる人がいるのか。

このようなことに対して警告が発せられているのではないか。

 

武田信玄の「信玄堤」は受け流しの攻法

自然現象というものは、

おそらく人間の頭で考えた唯物科学だけでは謎が解けません。

その背景にあるスピリチュアルな意味をしっかり受け止めないと、

こうした災害は、今後2度も3度も起きるのではないか、

そのように思われます。

 

しかしそうした甚大な被害を及ぼした台風19号ですが、

長野県の中でも無事で安全な場所も何か所かありました。

その代表的なものが長野県の南部の下の方にある釜無川です。

 

ここは武田信玄が「信玄堤」といって、

川の流れを流れに真っ向から戦うのでなく、

一旦受けて、そして軽く逆転させて勢いを落として、

また元の本流に戻す「受け流しの攻法」を用いて

川の氾濫を防いだわけです。

 

この釜無川の「信玄堤」は無事であったことが報告されていました。

武田信玄が生きた時代から既に500~600年も経っているわけですが、

いかに武田信玄という方が、自然現象の力を巧みに用いて受け流しを成し得たか。

まさに治山治水の国土交通大臣のような見識を持っておられた方だということが、

この一つの事業を見てもわかります。

 

もちろん唯物科学は必要でありますが、

合わせて武田信玄が造られたような「信玄堤」

これは相手の力を一旦受けてそして回転させながら逆流させて、

また戻すという日本の武道でいうと合気道に近いような技法を用いたわけです。

 

力を柔らかく受け止めて逆に動かす法隆寺の「心柱」

これと同じような思想は法隆寺にも見られます。

法隆寺と言いますと、1300年前にできた

日本の建築様式で五重の塔というのがありますが、

五重の塔はしばしば我が国を襲った未曾有の地震にも耐えて残っています。

 

何人かの建築家が調べてみますと

法隆寺の真ん中に「心柱」というものがあり、

この「心柱」は他の構造物から完全に独立しており、

例えていうと1本の棒がまっすぐ立っている状態です。

 

ここに横揺れの地震が来ますと、

「心柱」は逆方向の動きをして地震を相殺してまた元に戻る。

耐震構造上、地震の横揺れに抵抗するのではなく揺れを受け流していく。

来た力を柔らかく受け止めて逆に動かす。

 

これも武田信玄の「受け流しの攻法とよく似た思想だろうと思われます。

これは現在でもスカイツリーに利用されているということで、

古来の人々が自然と一体になって考え出した智恵というものは、

現代科学をも凌駕しているというおそるべき精密さであります。

 

柔らかく受け止めて柔らかくはね返す「和の心」

さて2011年には東北大震災が襲ってまいりました。

この時も古文書の中に、869年、平安初期の貞観時代に

東北沿岸部を津波が襲って1000名近くの溺死者が出ました。

そうしたことから、おそらく地域の何人かが、

海岸沿いに非常電源を置くのは危険だと進言したと思います。

それが果たしてしっかり技術者の耳に入っていたのかどうか。

 

科学というものはそろそろ自然の前に首を垂れて謙虚にならなければいけない。

 

そんな時期に来ているように思います。

いきなりスピリットといっても抵抗がある方もいらっしゃると思いますが、

 

まず唯物科学というのがあって、次に武田信玄のような「受け流し」

柔らかく受け止めて、柔らかくはね返していく「和の心」

 

「大和だいわ」と申しますか、「大和やまと」の心というのは、

相手から来た力に対して正面から抵抗するのではなくて、

円運動を描きながら緩和させてそして中和させていく。

これこそが「大和だいわ」の精神なのではないか。

 

このように手を実際輪(和)のように動かしていくという発想が、

武田信玄にしましても五重塔にしましてもその背景にある考え方であります。

 

この和の心をまず取り戻して柔軟な精神に到達する。

しかるのちに〈死者の霊〉に対して心から手を合わせ供養していく。

そのような柔らかさというものが今日私たちに求められているのではないか、

そんな気がいたします。

 

武将の怨念が渦巻く場所が浄化されている?!

そういう眼で見ていきますと、

地震にしてもあるいは台風などの災害にしましても、

日本列島を横切る中央構造線と呼ばれる線がありますが、

熊本あたりから諏訪湖を通って茨城の方まで抜けていきます。

ほぼこの線上を台風や地震が浄化して動いているように思われます。

 

特に台風15号19号では、茨城や千葉に甚大な被害をもたらしましたが、

このあたりは昔、下総の国とか日立の国とか呼ばれまして、

ちょうど1000年くらい昔に平氏一族が内紛を起こしました。

 

その内紛の中から平将門というリーダーが出ました。

そうしてみると武将の怨念というものが渦まいている場所、

そうしたところがかなりの被害を受けております。

 

したがって防災上は先ほど申し上げました〈和の精神〉で

現代技術をもう一度柔軟な眼で見直すと同時に、

そうした過去生きた先人たちがこの地でどのような暮らしをしたのか、

どのような思いで生活をされていたのか、そこに思いをいたす。

 

家を建てるにしても、工場を建てるにしても、あるいは道路を造るにしても、

その土地にどのような人が従来住んでおられたのか、

その人々に手を合わせて感謝する気持ちを取り戻すということが、

絶対に必要であろうと思います。

 

光秀の墓は何度建て直してもヒビが入って割れる !

よく知られた例で言いますと、

高野山の奥の院に行く途中に20万基ほどの墓がありまして、

その中に秀吉、信長、光秀の墓があります。

 

高野山というところは非常に素晴らしいところでして、

敵味方関係なく両方の武将を弔っていますが、

今もってその明智光秀の墓は何度建て直してもヒビが入って割れる。

そんな話が地元では有名です。

このようにみますとやはり心から供養することがぜったい必要なのではないか。

 

中央構造線を浄化する役目をもって生まれた役小角

その中で思い出しますのは一人の修験道の行者ですが、

その方は「役小角※」とおっしゃいます。

634年から701年にかけて生きておられました。

 

※役角(えんのおづの)役行者(えんのぎょうじゃ)ともいう

飛鳥時代の呪術者。日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされている。

 

役小角が奈良の葛城山や吉野山で修行されて

「孔雀明王秘法」というあらゆる苦難やマイナスのカルマを

すべてプラスに変えるという素晴らしい秘法を

わずか17歳で修得されたと記録に残っております。

 

これもやはり中央構造線上にありまして、

役小角はちょうど中央構造線のど真ん中に生を受けて

修行なさったわけであります。

 

葛城山や吉野山で、役小角は知ってか知らずか、

中央構造線を浄化する役目をもって

この世に御生れになったのではないかと思われるわけです。

 

役小角を受け継いだのが弘法大師空海

その役小角の思想、あるいは力を受け継いだのが「弘法大師空海」であります。

空海はやはり中央構造線が走る四国に八十八ケ所を建てられた。

役小角や空海が生きていた時代は、人民は正しく理解できませんが、

死後何百年も経ってから二人の業績を振り返ると、

役小角や空海が成さんとしたことがおぼろげに視えてきます。

 

つまり中央構造線沿いに結界を張って、

その場所を浄化なさっていったのではないかと想像ができるわけです。

 

このあたりは約7000万年昔に太平洋の方にあった大陸が

どんどん移動してぶつかってできた溝です。

それだけ巨大なパワーを持っている場所です。

 

そういう意味で生きている間は役小角や空海は正しく理解されなかったですし、

科学者からみると頭がおかしいのではないかと言われるかもしれませんが、

歴史を追って眺めていくと役小角や空海が成さろうとしたことがはっきり視えてきます。

 

もう一度整理しますが、

 

科学を捨てるという意味ではなく、唯物科学は唯物科学で大事にしながら、

もうひとつ柔軟な〈和の発想〉特に武田信玄が行なったような〈受け流し〉

その上に霊魂というものに対して、先祖たちに対して、先人たちに対して、

 

畏れ敬い、心から手を合わせる

 

こうした心構えというものを

今こそ真剣に考えなければならないのだろうと思います。

 

インタビュー by majolica

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書籍

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2020年2月に発売予定

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