まるで五大元素をテーマにしたかのような2日間でした。
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宗鳳和尚関連ブログ
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護摩法要 強烈な浄化と真なる祈り
3月24日(日)伊豆半島へ
●室岩洞 伊豆半島の西部や南部には、太古の海底火山の噴出物が広く分布しています。長い海底火山の時代の後、伊豆全体が隆起、陸上に姿を現し、その後の浸食により今の姿になったため、本来は地下に埋もれていたはずの美しい内部構造を直接見られるようになりました。
宗鳳和尚が月参りを欠かさない烏帽子山の頂に鎮座する雲見浅間神社。
勇んで階段を登っていくとすぐに拝殿が現れた。どうやらそこには神様がお留守のようだった。さらに石段を登ろうとしたのだが、見上げてみると何百段もあってまったく上が見えない。一瞬ためらったが、お参りとあらば多少の苦行を厭うわけにはいかない。足を踏み外せば下まで一気に転げ落ちそうな急な階段を息を切らしながら登っていくと、女宮(中之宮)があった。……辛抱強く登っていくとやがて神々しい磐座が現れた。ここからが神籬だと思ったので、「六根清浄、懺悔懺悔、感謝感謝」と声に出しながら登っていった。それがご神域に入る時の私なりの流儀だ。そしてついに本殿に達した。板戸は閉まっていたが、鍵は掛かっていない。開けてみると、大人が3人ほどしか座れない狭い板の間の奥に、さらに板戸があった。御神座を守る「開かずの戸」であり、後で知ったことだが、宮司も開けたことがないそうだ。
祀られているのは、富士山の山神であるコノハナサクヤ姫の姉君にあたるイワナガ姫だ。妹のコノハナサクヤ姫を祀る浅間神社は全国に千三百もあるというのに、イワナガ姫を主祭神として祀るのは、西伊豆の雲見浅間神社と東伊豆の大室山浅間神社、岐阜市の伊豆神社の三社しかない。
神話とは関係なく、私がイワナガ姫に惚れ込んでしまったのは、参拝するたびに、いろいろと生活に即した知恵を授けてもらえるからだ。思い悩むことがあっても、まるでカウンセラーのようなアドバイスを受けることがある。…ありがとう寺の境内に神社を造る話しが持ち上がったので、私はすぐにその祭神をイワナガ姫にしようと決めた。それにはまず神社にお祀りするご神体が欲しいと思ったので、雲見にで掛けたおりに、神社の近くに転がっていた綺麗な小石を拾ってイワナガ姫にお伺いを立てた。
「この石をご神体とさせてもらっていいですか?「ダメです。木目のある美しい石を探しなさい」…とりあえず神社の背後にある鳥帽子山の頂上に登ってみることにした。…何となくご神体がそちらにあるように思った。…掘り起こしてみると果たして木目らしきものがある両手でその石を神社の方に掲げ、「これでよろしいでしょうか?」と聞いてみた。「よろしい、それを千貫門の潮で浄めなさい」
「異界探訪・第二章」より
宗鳳和尚は直感であの岩の突端のところまで行って(断崖絶壁)磐長姫の御神体の石を掘り起こしました。
宮司様も開けたことがなかった開かずの間だった本殿。今は宗鳳和尚と知里さんが月参りでとっても綺麗に。磐長姫様、本日は私たちも一緒にお詣りさせていただきました。お神酒と美味しい桜餅と知里さんがお抹茶をたててくれました。
●千貫門 千貫門には岩の中央部分に波で削られてできたトンネル(海食洞(かいしょくどう))があり、巨大な門のように見えるその姿は烏帽子山山頂にある雲見浅間神社の門に見立てられ「浅間門」と呼ばれていましたが「見る価値が千貫文(せんがんもん)にも値する」という意味から「千貫門」と呼ばれるようになりました。
宗鳳和尚と知里さんは、私たちを雲見浅間神社へ連れていくために
おいそがしい中、なんと前日に、お掃除、お花と、お供えをしに
お詣りに行かれてたのです。(片道3時間)ありがとうございます。
その際磐長姫から、御神体(石)を今回同行する私たちに
見せてもよいとの許可がおりたのだそうです。
そして雲見浅間神社の本殿の中でお詣りさせていただいた時
本殿の中がぱつぱつでちょうどなんです人数が....磐長姫は誰が
お詣りさせていただくのかもわかっていたかのようです。
美しい妹を妬んだ磐長姫様。
地元には烏帽子山で富士山をほめると怪我をするなどの言い伝えが残っています。
しかし磐長姫様は本当はとても美しい女性だったかもしれません。
この日は知里さんから宗鳳和尚の若かりし頃の尋常でないご苦労をされたお話も伺いました。
ここでは詳しくは書けませんがまたいつかお話できるといいなと思います。
宗鳳和尚の“ ありがとうと笑顔” は.....だからこそなのです。
数えきれないほどありがとうを唱え忘れがたき2日間をともに過ごさせていただきました。
次回の異界探訪はどこに連れていってもらえるでしょうか。
ありがとう寺を中心に、異世界が広がっていきます。
ー山行の達人 空海ー
片手だけでは拍手できない
片足だけでは歩けない
右足と左足が感応して歩く
ー山行の天才 宮沢賢治ー
そら ね ごらん むこうに霧にぬれている
茸のかたちのちいさな林があるだろう
あすこのとこへ わたしのかんがえが
ずいぶんはやく流れて行って
みんな 溶け込んでいるのだよ
ここいらはふきの花でいっぱいだ
ー山の霊力 町田宗鳳ー
山が祈りであることを理解するならば
その同一線上において
月の満ち欠けとともに潮が満ち、
晴天にいつしか雲がかかり、
植物の芽が吹き、茎が伸び、葉が茂り、
やがて枯れ果て、
その〈いのち〉
町田宗鳳和尚(まちだ そうほう)
1950年京都生まれ。14歳のおり、家出をして仏門に入る。以来20年間、京都の臨済宗大徳寺で修行。34歳の時寺を離れ、渡米。のちハーバード大学で神学修士号および、ペンシルバニア大学で哲学博士号を得る。プリンストン大学助教授、シンガポール国立大学准教授、東京外国語大学教授、広島大学大学院総合科学研究所教授を経て、現在は広島大学名誉教授、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授、都留文化大学特任教授、天台宗僧侶。研究分野は比較宗教学、比較文明論、生命倫理学。「人類は「宗教」に勝てるか」など日本語や英語の著書多数。年間を通じて、「ありがとう禅」「ありがとう断食セミナー」「心のケア合宿」などを主宰。
撮影 高島敏子