盤珪禅師は万人に「不生の仏心」が備わっていると説いた。それは無意識の中の根源的良心のことなので、それを持ち合わせない人はいない。ところが生きているうちに、すでに完成形である仏心を損ねるようなことをやってしまうのが人間の愚かさである。
寿命にせよ病気にせよ、迫り来る死を拒否することも不徳となる。死と抗(あらが)ってはならない。従容として、それを受け入れ、静かに懺悔と感謝の時間とする。それで人生の完結となる。動植物の命をいたずらに奪うことも大きく徳を損ねることになるので、決して老木などを無意味に切り倒してはいけない。無惨な死が待っている。私はそれを何度か目撃している。
自己中心的な、あるいは反対に自己否定的な生き方をすることも不徳だ。それは自分の魂を汚す行為だからだ。本人は自分の習性に気づいていない場合が大半だが、天界の備忘録にはしっかりと記録されているので必ずその結果は出る。
他者に怒りの感情を向けることも不徳だ。怒りの原因は、たいてい自分にあるのだが、それに気づかないまま怒りの毒を振り撒けば、わが身に還ってくる。体調不良の原因も、しばしばそこにある。理由は何であれ、悲しみを引きずることも不徳の一つだ。悲しみを乗り越えていく強さを神から求められているのだ。せっかく頂いた「不生の仏心」を殺めることなく、人生を全うする。そこに人としての全責任がある。


