神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

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機能不全家庭に育ち、長じては不幸な結婚をし、職場でもイジメを受け続け、経済的困窮の中、子供たちとも疎遠になりつつある。聞くだけでも陰鬱になる話だが、そういう女性が転機をもとめて弘法護摩に臨まれた。さて、どういう霊示があるのか、私にも予測がつかなかったが、弘法大師はいつも前向きだ。

 

「おのれを阻むものは、おのれ自身である.... 不幸の枯葉は粉々になって落ち、腐葉土となる」

 

大きなトラウマになっている過去の記憶が、降り積む枯葉のように腐葉土になるというのだから、ありがたい話だ。さらに励ますだけではなく、具体的に幸福への道筋を示された。この方が実際に幸運をつかみ、いつか満面の笑みで再訪される日が待ち遠しい。ちなみに魔女によれば、私はタダの濡れ落ち葉で、腐葉土にはなっていないらしい。(笑) 【弘法護摩1370】

 

盤珪禅師は万人に「不生の仏心」が備わっていると説いた。それは無意識の中の根源的良心のことなので、それを持ち合わせない人はいない。ところが生きているうちに、すでに完成形である仏心を損ねるようなことをやってしまうのが人間の愚かさである。

 

寿命にせよ病気にせよ、迫り来る死を拒否することも不徳となる。死と抗(あらが)ってはならない。従容として、それを受け入れ、静かに懺悔と感謝の時間とする。それで人生の完結となる。動植物の命をいたずらに奪うことも大きく徳を損ねることになるので、決して老木などを無意味に切り倒してはいけない。無惨な死が待っている。私はそれを何度か目撃している。

 

自己中心的な、あるいは反対に自己否定的な生き方をすることも不徳だ。それは自分の魂を汚す行為だからだ。本人は自分の習性に気づいていない場合が大半だが、天界の備忘録にはしっかりと記録されているので必ずその結果は出る。

 

他者に怒りの感情を向けることも不徳だ。怒りの原因は、たいてい自分にあるのだが、それに気づかないまま怒りの毒を振り撒けば、わが身に還ってくる。体調不良の原因も、しばしばそこにある。理由は何であれ、悲しみを引きずることも不徳の一つだ。悲しみを乗り越えていく強さを神から求められているのだ。せっかく頂いた「不生の仏心」を殺めることなく、人生を全うする。そこに人としての全責任がある。

今回の台湾旅行は驚きの連続だったが、最終日も驚愕の体験が待っていた。台北にある道院を訪問したところ、御本尊の「至聖先天老祖」が祀られている内陣を御開帳して頂いた。老子にも見える人間の写真のようなものがご神体だったが、そこから強烈な気が放たれていた。

 

至聖先天老祖」とは簡単にいえば、宇宙神らしいが、うちの魔女は、そこに「永遠のいのち」を感得し、涙が止まらなかったそうだ。近代的なビルの中にある祭壇なのだが、巨樹や巨岩が放つような強い気を感じて驚いた。

 

二人の人間が左右から支える棒が、砂の上に文字や絵を描き出すフーチという神事についても説明を受けたが、一種の自動書記である。そこに老子やイエスの言葉まで示されるらしいが、どこか弘法護摩にも通じるようで、大いに共感するものがあった。視察後に広東料理店でご馳走になったが、今回の旅を締めくくるに相応しい宴となった。