神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

「ありがとう」の贈り物:

1. こころの灯台「弘法護摩」(毎日実施・要予約)
2. こころの栄養素「オンラインありがとう禅」(毎月二回開催)
3. 運命好転に繋がる「ありがとう断食」(年五回開催)

ソ連の一方的な平和条約破棄により、数十万人の人たちがシベリアに連れ去られた。そこで起きたことは、人類史に残る悲劇だ。それでも中国や韓国と異なって、日本は過去の怨讐を政治の道具にしていない。日本人はお人好しなのかもしれないが、それは一つの国民的善徳だ。

 

ところで、シベリアで亡くなった祖父の護摩供養をされた方がいるのだが、その時、無数の同胞が成仏もできずに苦しんでいるという声が届いた。それで日を改めて、シベリア抑留犠牲者の供養をしたのだが、やはり絶望的な状況にあったようだ。

 

「早く命を果てるは 若き同胞

過酷なまでの今を生きるも 同胞である

すべてを失っても 生きる術は見失うまじと 生きる道を探る」

 

大局の眼を欠いた未熟な政治家たちの判断ミスで、同じ悲劇を招いてはならない。今こそ敵対しない政治手法で、この国の平和と繁栄を維持してほしいものだ。それは数百万人の戦没者の願いでもある。

 

長年、乳がんを患っておられる女性がベストな治療法を求めて、弘法護摩でお伺いを立てられた。命に関わることであり、こちらも緊張して臨んだが、弘法大師の回答は、意外なほど楽天的だった。

 

「雪解けの春到来の心持ちでいなさい

春風が吹き そよそよと揺れる

木の葉のように 身を任せなさい」

 

不安を抱かず、子や孫と戯れる日々の暮らしを楽しむ。痛みをやせ我慢しないこと。どんな薬を選ぶにしても、それが必ず体に効くと確信して使用すること。そして呼吸を整えることが吉だと示された。

 

病院に入院しなくても、これは自分で出来る緩和ケアだ。寿命があとどれだけ残されているか、ということよりも、今の生き方を深めることのほうが大切だ。肉体寿命を長らえても、孤独で貧困に苦しむ生活なら辛い。たとえ癌患者でなくても我々は日々、神仏の眼にさらされている。感謝の一念を忘れてはならない。

 

【弘法護摩1476】

10月25日:オンラインありがとう禅

11月6~8日:幸運を呼ぶ「ありがとう断食」

 

 

亡くなった人に何を供えるべきか。これは多くの人が戸惑いを覚える課題だ。霊界の高みに達した魂には、香りの良い上質の線香一本でよいと思う。むしろ人間が口にするような物は、生臭くて敬遠されるだろう。

 

しかし亡くなって間もなく、あるいは長く供養されたことがなく、いまだに幽界にさ迷っているような魂には、生前の好物やお花など、こちらの思いを形にしてお供えしたほうがいい。弘法護摩にも亡者供養のご依頼が多いが、お布施だけ差し出される場合、何か寂しい気がする。亡者のことをほんとうに思っているなら、饅頭一つでもお供えしてあげてほしい。

 

ふだんご自宅のご仏壇では、燈明と線香、お水を供えればよいと思うが、時々はお餅ぐらいは供えてあげてほしい。霊界の階段を登っていくには、体力がいるのだから、その応援だ。供物を一切不要とする宗派もあるが、それは僧侶の勝手な思い込みだ。そういう原理主義的なことを説く僧侶にかぎって、自分があの世に行ってから、あれを食べたい、これを食べたい、酒も飲みたいと思うのではなかろうか。供物は、心だ。心さえあれば、何を供えてもよい。それが馬糞和尚の見解だ。

 

【弘法護摩1474】

10月25日:オンラインありがとう禅

11月6~8日:幸運を呼ぶ「ありがとう断食」