私の拙い旅企画をこよなく愛してくれる方から
旅は祈りとブログに書いた言葉に感応してくださった。
多大なご苦労をされ、傷つき、そして立ち直り
生きる意味を見出し、光を紡ぎ続けている。
私が旅企画を続けているのは、
もちろんビルの中の密室より
屋根の無い空と壁の無い大地と無尽蔵の空気と
命のリズムを体感できる川の流れや
海の波を体感できる自然が好きに他ならないが
2012年、
ガンに侵されている体で参加してくださった。
〈この旅で元気に過ごせたら必ず治る〉
4日間本当に元気でモリモリご飯も食べていた。
そしてあるメッセージを受け取った。
私は死にゆくもの、
時々受け取ることがある。
旅はすべての日常から一時離れ、そしてまた日常へ。
帰ってから同じに見える日常であっても
何かが確実に変わっていたりする。
それは生きながらに経験する死と再生。
言葉にならないその何かは、懐かしく原初の記憶を宿す
す べ てなのだと思う。
町田宗鳳氏の『山の霊力』を拝読した。
山は祈りである。山には〈
その(大地の記憶〉を読み取る能力を備えていたからだ。
〈大地の記憶〉は、
それは、樹木、岩、
山中を歩くということは、
全身で読み取っていく作
ー山行の達人 空海ー
片手だけでは拍手できない
片足だけでは歩けない
右足と左足が感応して歩く
ー山行の天才 宮沢賢治ー
そら ね ごらん むこうに霧にぬれている
茸のかたちのちいさな林があるだろう
あすこのとこへ わたしのかんがえが
ずいぶんはやく流れて行って
みんな 溶け込んでいるのだよ
ここいらはふきの花でいっぱいだ
ー山の霊力 町田宗鳳ー
山が祈りであることを理解するならば
その同一線上において
月の満ち欠けとともに潮が満ち、
晴天にいつしか雲がかかり、
植物の芽が吹き、茎が伸び、葉が茂り、
やがて枯れ果て、
その〈いのち〉
2018年夏 長野県にて
夢の中でどこまでも深くしびれるほどの冷たい川の中を泳いだことがある
目が覚めたら、からだが氷のように冷たかった
majolica