町田宗鳳氏の『山の霊力』森羅万象のすべてが祈り | MAJOLICA

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言葉は詩う如く
動きは舞う如く
想いは祈る如く
如何なるものにも美と調和を見いだし
永久に祝福あれ☆☆☆
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私の拙い旅企画をこよなく愛してくれる方から

旅は祈りとブログに書いた言葉に感応してくださった。

生まれ育った家庭環境、携わった仕事、人間関係において

多大なご苦労をされ、傷つき、そして立ち直り

生きる意味を見出し、光を紡ぎ続けている。

 

私が旅企画を続けているのは、

もちろんビルの中の密室より

屋根の無い空と壁の無い大地と無尽蔵の空気と

命のリズムを体感できる川の流れや

海の波を体感できる自然が好きに他ならないが

2012年、東北へのツアーの参加者のひとりの方が

ガンに侵されている体で参加してくださった。

 

〈この旅で元気に過ごせたら必ず治る〉と言って

4日間本当に元気でモリモリご飯も食べていた。

しかしその願いは叶わなかった。

 

そしてあるメッセージを受け取った。

私は死にゆくもの、肉体を脱いだ人々との言葉を

時々受け取ることがある。

それは大抵夢見の時であったり、目覚めた状態の時もある。

 

旅はすべての日常から一時離れ、そしてまた日常へ。

帰ってから同じに見える日常であっても

何かが確実に変わっていたりする。

それは生きながらに経験する死と再生。

 

言葉にならないその何かは、懐かしく原初の記憶を宿す

す べ てなのだと思う。

 



町田宗鳳氏の『山の霊力』を拝読した。

山は祈りである。山には〈大地の記憶〉というものがある。

古人が山をめぐって数々の神話や民謡を生み出すことができたのは

その(大地の記憶〉を読み取る能力を備えていたからだ。

 

山林の宗教家・空海や、山の吟遊詩人・宮沢賢治などは、

卓越した解読能力を備えていたと言える。

〈大地の記憶〉は、文字では書き記されていない。

それは、樹木、岩、渓流の一つ一つに蓄積されている。

山中を歩くということは、

それら自然の造形物に刻まれている記憶を

全身で読み取っていく作業なのだ。

 

ー山行の達人 空海ー

片手だけでは拍手できない

片足だけでは歩けない

右手と左手が感応して拍手になり

右足と左足が感応して歩く

だから相手が感応するまで祈り続けなさい

 

ー山行の天才 宮沢賢治ー

そら ね ごらん むこうに霧にぬれている

茸のかたちのちいさな林があるだろう

あすこのとこへ わたしのかんがえが

ずいぶんはやく流れて行って

みんな 溶け込んでいるのだよ

ここいらはふきの花でいっぱいだ

 

ー山の霊力 町田宗鳳ー

山が祈りであることを理解するならば

その同一線上において

森羅万象のすべてが祈りであることも気づくはずである

太陽が朝に昇り、夕に沈む

月の満ち欠けとともに潮が満ち、また引いていく

晴天にいつしか雲がかかり、やがて雨が降りしきる

植物の芽が吹き、茎が伸び、葉が茂り、実が稔る

やがて枯れ果て、ついには自ら倒れて大地に還っていく

その〈いのち〉の循環そのものが、祈りなのだ

 

2018年夏 長野県にて

 

夢の中でどこまでも深くしびれるほどの冷たい川の中を泳いだことがある

目が覚めたら、からだが氷のように冷たかった

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