淡路島で出会った自然、名店、神社仏閣などを日記に綴っています。大阪で育ち、大学時代は京都ですごす。同志社大学卒業後、東京勤務のサラリーマンをしていましたが早期退職しました。2022夏から淡路島での生活が始まっています。
自然農での畑を始めて2ヶ月が経過しました。一か月目は、畝立て。運動不足、体力がない中での畝立ては、なかなかハードなものだった。二か月目は、支柱を立てたり、育苗した苗を順番に定植少しずつ収穫も始まりました。現在の畑の様子。草が生い茂る中で、野菜が育っています。👇手前がジャガイモ、支柱のところには、トマト、バターナッツかぼちゃを植えています。スイートコーン👇じゃがいもも元気に育っています👇お試し出荷用に一株収穫👇葉は生い茂っているけど小さい。ジャガイモは、葉が黄色くなっった収穫時なので、まだ青々しているから、まだちょっと早かった。あと2~3週間したら収穫できるでしょう。収穫したてのジャガイモは、手で洗っただけで、皮がとれるという発見。ほくほくしてとても美味しい。少しずつ収穫が始まりました水菜👇水菜もしっかりとした味がします。無農薬野菜は、独特の苦みがあってこれが美味しい。バターナッツかぼちゃが元気に育っています👇バターナッツかぼちゃは、大阪にいるときに㈱マイファームの貸農園で育てて今回が三代目です。自家採取した種で育てるからか、発芽率もほぼ100%だし、根つきもよくとても元気に育つ。バターナッツかぼちゃは、見た目が可愛くて、調理しやすく、とても美味しくて、簡単に育ついいこと尽くしの野菜です。👇大玉トマト今年は大玉トマトにチャレンジしている。大玉トマトは、収穫までたどりつくのが難しいと聞くが今のところ元気に育っている。ミニトマトも、もちろん育てています。こちらは、ズッキーニ👇最初は、弱弱しかったけど力強くなってきました。植え付けたばかりのシシトウ👇ナス、バターナッツかぼちゃ、トマトを撮影👇ナスは、根つきがよくない。これからがんばってくれるか。畝ごとの作付け予定👇自然農を始めて2ヶ月が経過して試行錯誤しながらも野菜たちが大きくなってきて、少しずつ収穫も始まっている。この畑は、何年も農薬が施されていなくて、草が旺盛で、昆虫もミミズもカエルもトカゲなどの生物が活発に活動している。ミミズが土を耕して草や昆虫の亡骸が養分になり微生物が土を豊かにする野菜の葉をたべてしまう虫もいるが、てんとう虫やカエルがそれらを食べてくれるからさほど大きな被害にはなっていない。完璧に人間がコントロールしなくても生態系のなかでそれをしてくれる。そもそも肥料を使わないから虫が過度に発生していない。都会では野菜が高騰していると聞く円安、原油高の影響で肥料や農薬が高騰しているから野菜の価格に上昇圧力がかかっている。ここでは、肥料も農薬も使うことがないからその影響がない。淡路島は、玉ねぎが有名です玉ねぎ畑に農薬をまくのをよく見かける。玉ねぎだけが枯れない農薬をまいている。科学の進化で玉ねぎだけが生き残る薬が開発されている。農薬をまいた畑には、微生物が育たないから土が枯れる。土が枯れるから肥料が必要になる。肥料を与えるから虫がたくさん発生する。その虫を防ぐため農薬が必要になる。科学によるコントロールを始めるとそれをし続けなくてはいけない。草が生えるとすぐに除草剤をまくことになる。それで土地が砂漠化してしまう。農薬で砂漠化した土地に草が旺盛に生えるようになるには、かなりの年数がかかるという。農薬や化学肥料は、1億2千万人の日本人に食を安定的に供給するのに必要なことなのは理解している。僕は農家ではない。慣行農法を学んだこともない。供給責任もない自由な立場。だから好きにできる。好きにできるから好きにする。同時に淡路島という土地の懐の深さを感じる。自然農は、周囲からの風当たりが強いと聞く。慣行農法をされている方は、草を生やすだけで嫌悪感を示すと聞く。でもこの場所では、周囲の人たちが理解をしてくれる。慣行農法をしている方が、好きにしたらよいと声を掛けてくれる。そして、この場所を貸してくださったヤギ牧場のオーナーさんは、すでに無農薬で最高に美味しい野菜を10年以上前から作られている。僕が試行錯誤しながらやっているのを見守ってくれる。ここには、自然農をする環境が整っている身体が喜ぶ野菜を作る環境が整っている今日もお読みくださりありがとうございました。
しまなみ海道の愛媛から3番目の島「大三島」にある大山祇(おおやまづみ)神社ガイドブックでは、数センチ分しか扱われていないけど、なんか気になって、今回の愛媛松山の最終目的地としました。この参道の写真でそのシンとした空気感が伝わると思います。大山祇神社のご祭神は大山積大神。大山積大神は、木花開耶姫( このはなのさくやびめ )の父神で海上安全の守護神。日本の国土全体を守護する神であって古代より日本総鎮守とされており、朝廷を始め、国民の崇敬は篤かった。明治以降は国弊大社となり四国で唯一の大社として崇敬されている。とのこと。来てみてわかるこのすごさ。きれいな参道を進んでいくと左側になにやら雰囲気を感じる早足になって駆け寄ると天然記念物!日本最古の楠!樹齢3000年!すごい木があってさらに進むとここにもすごい木が👇近づいていくとここの天然記念物!樹齢2600年!さっきの木は、寿命を迎えているようだったがこちらは青々と葉が茂っている。ここに2600年間生きている木。その横には、初代総理大臣、伊藤博文手植えの木👇ここまで来て、本殿の写真を撮っていない。。。神社から出て少し先に奥の院があるということで行ってみることにそうするとここにも👇天然記念物!樹齢3000年!生樹の御門と書いてあります。そして木の中を通ることができるので通ってみたそして、この日は、到着時間が遅くなっていて閉館していたが、ここの宝物館が実はすごいところだったみたいです。宝物館全国の国宝・国の重要文化財の指定を受けた武具類の約8割が、ここ大山祇神社宝物館に保存展示されています。甲冑の保存は全国一で、日本最古の平安中期の鎧をはじめ、鎌倉期~戦国時代まで各時代の代表する名品が展示されています。故に、当地大三島は「国宝の島」とよばれています。事前に良く調べずにいったけど、大山祇神社すごいところでした。時間が遅かったため社務所も宝物館も閉まっていた。再訪することになると思います。【公式】大山祇神社|大三島宮愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央、大小の島々に囲まれた瀬戸内海国立公園の中心、さらには愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、芸予諸島最大の島である大三島の大山祇神社です。御祭神は大山積大神一座。天照大神の兄神に当たらせられます。oomishimagu.jp【愛媛松山編】は、今回で終了です。今回の松山訪問は、とても学びが多くたくさんの気づきがありました。お読みくださりありがとうございました。
道後温泉から車で約1時間北上し、しまなみ海道へしまなみ海道は、愛媛県(今治)から広島県(尾道)まで点在する島を結ぶ道路。愛媛側から大島⇒伯方島⇒大三島⇒生口島⇒因島⇒向島と通っていきます。しまなみ海道は、サイクリングできることでも有名で一度は行ってみたいところでした。しまなみ海道を通って広島県まで渡る途中、大島にある亀老山展望台に寄りました。点在するしまなみ海道の島を眺めることができる絶景スポット。山の上にあるのだけど、道路も整備されていて、展望台も現代風のデザインでしっかりした造りになっています。たくさんの観光客で賑わっていて、駐車場に車を停めるのは、椅子取りゲーム状態でした。360度絶景👇展望デッキ👇各島々をゆっくり回る時間がなかったので、それぞれの島の特色はわからないですが、以外に普通にスーパーや家電店など生活ライフラインが整っているように思えました。家電のエディオンがコンビニくらいの大きさだったのは、驚きました。【愛媛松山編】は、次で最後になります。最後は、樹齢3000年の木がある、日本総鎮守の神社についてです。過去、伊藤博文や、山本五十六も参拝しており、現在も海上自衛隊の幹部が参拝するなど、日本をここから守っている神社に参拝してきました。今日もお読みくださりありがとうございました。
今回の松山滞在の宿は、ホテル椿館でした。路面電車の始発駅「道後温泉」から歩いて商店街を通り抜け、道後温泉本館の少し先にあるホテル。スタッフの方々みなさんとても親切で気持ち良い接客です。ビュッフェの食事も美味しくて、たくさん食べました。温泉もとても良かったです。そして、夕食を食べ終わると館内アナウンスでもうすぐ太鼓ショーが始まるとのこと。温泉も入ったし、食事もしたし、見ていこうということで食後そのまま待っていました。太鼓ショーは、最高でした。身体にどんどん来る振動が最高に気持ちよくて感動的なショーでした。本当に素晴らしかったです。ホテル椿館 水軍太鼓ショー大好評の『松山水軍太鼓ショー』当館のロビーで行われる人気のショーロビーの天井がとても高いので、大きな音が響いて、大迫力!!演奏者の方々の真剣な姿にも感動するはず!不定期の開催にはなりますが、ぜひご宿泊の際は、温泉・お食事とあわせて『太鼓ショー』もお楽しみくださいね♫youtu.beこの太鼓ショーは、伊予水軍の太鼓ショーでした。瀬戸内海で水軍といえば、有名なのは村上水軍ですが、この伊予水軍は、河野水軍で村上水軍は、その配下にあった。伊予水軍は、源平合戦にも参加し、元寇の時も、蒙古軍を相手に勇猛に戦って勝利したとのこと。太鼓ショーでは、水軍が合戦に向かう時の様子を太鼓で表現しており、いにしえの戦の激しさをこの太鼓から感じることができたような気がします。素晴らしい体験でした。日露戦争での秋山兄弟の活躍のはるか前に元寇でも、ここ伊予の水軍が日本のために奮戦していたという。ホテル椿館👇道後温泉で宿泊・女子旅なら ホテル椿館 【公式】 (tsubakikan.co.jp)今日もお読みくださりありがとうございました。
松山城へ向かう前に宿泊先から歩いて、伊佐爾波(いさにわ)神社へ参拝松山城の固めでもあった。朱色と空の青のコントラストが美しい。ここから松山城が見えます👇山の上のお城ここでは算学が行われていたようです。車で移動し、松山城へロープウェイに乗る駅内に大きな秋山兄弟の絵がありました👇ロープウェイとリフトどちらにも乗れますが、リフトに乗りました👇リフト楽しい。山頂のお城の到着👇美しい城でした。当時そのまま残っているようなお城でした。すごく立派なお城で、江戸時代にタイムスリップした気持ちになれます。山の上なので見晴らしもよく、景色もきれい。ロープウェイがあるので、楽に上に行けます。天守閣に登る途中、刀や鎧の展示や鎧は実際に装着することもできます。天守閣からの360度の景色も美しかったです。ところが、なぜかお城で撮った写真が少ない。。。松山城を築城したのは、加藤嘉明。加藤嘉明は、淡路島の城主をして、のちに松山へ移った人。淡路島との縁もありました。松山城は、加藤⇒蒲生⇒松平と城主が変わっていきます。今日もお読みくださりありがとうございました。
高校時代、放課後に部活をしているとある老夫婦が手を繋いで散歩しているところをよく見かけた。白髪でご夫婦が同じくらいの背の高さ。ゆっくりと歩く姿が今も記憶に残っています。その人は、司馬遼太郎さんでした。地元に司馬遼太郎さんが住んでおられることは名誉なことでした。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』主人公は松山出身の3人の偉人秋山好古、秋山真之、正岡子規。今回の目的の一つ『坂の上の雲』を巡る旅。坂の上の雲ミュージアムに行ってきましたその途中にあったのぼり👇秋山兄弟の生誕地こちらが坂の上の雲ミュージアム👇道後温泉駅から路面電車で20分ほど乗っていきました坂の上の雲三人の主人公秋山好古👇秋山真之、正岡子規👇《坂の上の雲の冒頭》まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている。その列島の中の一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。伊予の首邑は松山。城は、松山城という。城下の人口は士族をふくめて三方。その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、丘は赤松でおおわれ、その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にのび、さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっている。古来、この城は四国最大の城とされたが、あたりの風景が優美なために、石垣も櫓も、そのように厳くはみえない。この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかくわれわれは三人の人物のあとを追わねばならない。👇秋山真之秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。秋山好古👇秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。正岡子規👇正岡子規は、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった。1904年の日露戦争兄の好古は、騎兵隊を率い弟の真之は、海軍参謀でロシアを打ち破った。もし、この兄弟がいなければ、日露戦争での日本の勝利はなかった。秋山好古のお墓👇道後温泉近くにあります。当時、ロシアに日本が勝つことは不可能に思われていた。日本の勝利に世界が驚愕した。この松山で、当時の日本人の丹力に少し触れることができた気がする。坂の上の雲ミュージアムで販売されていた司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君たちへ』を購入した。司馬遼太郎さんの字で書かれいてその思いが伝わる。心に響いた文章があった『私には21世紀のことなど、とても予測できない。ただ私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。むかしも今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。自然こそ不変の価値なのである。(略)人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。(略)自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。』自然によって生かされているという自然をあがめ、おそれていた。偉人たちの丹力の秘訣が、ここにあるのかもしれない。今日もお読みくださりありがとうございました。
今回の旅の目的の一つ夏目漱石の小説『坊ちゃん』を巡る旅。👆『漱石 坊ちゃんの碑』小説の冒頭。夏目漱石の字と思われる「親讓りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を拔かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談に、」小説では、東京で生まれ育った坊ちゃんが学校卒業後に数学の教師として、愛媛松山の学校に赴任する。そこでの坊ちゃんの無鉄砲な言動で繰り広げられる人間模様を描いた小説。そこで出てくる登場人物は、意地悪で姑息で腹黒い人ばかり。かなり松山や松山の人をこき下ろしているのに今、松山には坊ちゃんにちなんだものがたくさんあって、人気者になっているのを不思議に思いました。坊ちゃん列車👇松山市内は、道後温泉を始発駅に路面電車が走っていて、それに乗れば、松山城や三越がある繁華街にも行けます。通常の列車の中でこの坊ちゃん列車も本数は少ないながら運行しているようだけど、今回は、時間があわなくて乗れませんでした。小説の中で、坊ちゃんは、退屈な松山で温泉に行くことだけが唯一の楽しみとなっていて、毎日学校終わりに列車に乗って、道後温泉に行っていた。道後温泉駅前にある時計台👇道後温泉駅から道後温泉に行くまでの道のりは、活気のある商店街があり、蛇口から出てくるみかんジュースのあるお店やお土産屋さん、雑貨屋さんが並んでいました。そして、坊ちゃんが温泉に来たら食べていた団子があちこちのお店で販売されていました。坊ちゃん愛があふれる商店街坊ちゃんカフェには坊ちゃん人形👇今治タオルのお店『伊織』もありたくさんの種類のタオルがおいてあり、テンションあがります。坊ちゃん手ぬぐい👇商店街の先にある道後温泉本館👇坊ちゃんは、数学の教師として松山に赴任したが、夏目漱石自身も英語教師として、松山に来ていた。夏目漱石は、大学で正岡子規と出会っており、友人であった。正岡子規は、ここ松山で育った人そして正岡子規は、秋山真之とここ松山での学友であった。歴史上の有名人たち。教科書では、個々別々に登場する人物が、松山という場所で交流している面白さ。坊ちゃんは、小説の中では松山をこき下ろしていたが当の漱石は、松山を愛していたのかもしれない。次回は、松山の偉人、正岡子規、秋山好古、秋山真之の3人のことです。今日もお読みくださりありがとうございました。
愛媛県の道後温泉は、ずっと気になっていた場所で、最近、愛媛との縁を感じることが立て続けに起き、行きたい気持ちが高まって、ついに行くことができました。なぜここに行きたかったか道後温泉だけではなく、松山城があり、しまなみ海道も近い。大国主と少彦名命のゆかりの地。そして、あの『坂の上の雲』の主人公たちが生まれ育った町である。たくさんあるけど、その一つは、夏目漱石の『坊ちゃん』の舞台だから。人生最初に読んだ小説が『坊ちゃん』だったので印象に残っていた。淡路島からは、200㎞。車で3時間。大阪からだとかなり遠いと感じていたが、淡路島からは、四国観光するのに立地が良くて四国の西端の松山も車で3時間で行くことができる。到着し昼食後にさっそく道後温泉本館に👇千と千尋の神隠しの舞台とも言われる道後温泉本館は、現在保存修理工事中。趣のある建物。日帰り温泉は入れるようになっていました。こちらは、道後温泉本館にある『玉の石』👇昔、少彦名命が、病になったときにこの玉の石のおかげで病が治った伝説。補修工事中で柵がしてあったけど柵の外側から見れるようにしてくれていました事前に、道後温泉のことを調べていたら、この道後温泉本館とあの手塚治虫のアニメ『火の鳥』がコラボしていました!その動画がこちらです👇「火の鳥”道後温泉編”」プロローグ~第1話「火の鳥"道後温泉編"」プロローグ「大国主と少彦名」 第1話「聖徳太子、来浴」明治の改築から125年を経た道後温泉は、重要文化財の公衆浴場としては日本で初めて、営業しながらの保存修理工事を行っています。松山市では、その期間中しか楽しむことが出来ないプレミアムなコンテンツを続々発信する道後REBORNプロジェクトを...youtu.beこのアニメでも『玉の石』のことが出てきます。なんで火の鳥が道後温泉本館とコラボするのかなと気になって調べても、その理由が見当たらなくて、でも現地に行ったらこれがあり納得👇道後温泉本館には、もともと鳳凰の絵があって、鳳凰に縁があるようです。道後温泉本館の工事は、今年の7月26日まで。道後温泉本館の隣は、山になっており、上ったところから撮影。現代の中に昔の建物があって面白い光景でした👇その山の上にある湯神社です👇昼食は鯛めしにしました👇その昔、伊予水軍がお椀に飯を盛り鯛の身を乗せて食べたのが始まりとのこと。ここの鯛めしは、生の鯛を使います。愛媛松山編①はここまで。愛媛松山編②では、『坊ちゃん』にフォーカスします。今日もお読みくださりありがとうございました。
畑を借りて畝づくりから始めた畑づくり一か月が経過しました草をノコギリ鎌でかり、スコップで溝を掘り、その土を畝に上げ畝を整えて草を敷く土を扱う作業が想像以上に体力を消耗する体力不足を痛感する一か月でした。ようやく畝が完成畝の高さや幅は、いろいろなのを作り、まったく耕さずに溝だけを掘った畝も。ノコギリ鎌での手作業に限界を感じ文明の利器、草刈り機を導入草刈り作業が圧倒的に楽になりました完成後の全体像はこちら👇ハーブ用の畝も作る予定。片隅にチューリップ夏には、ひまわりが咲くように種を撒いています。そして、先日、お会いした神戸在住の淡路島移住希望の方が、支柱用の竹をたくさん届けてくれました。なんともありがたい!現在、自宅では、夏野菜の育苗中トマト、バターナッツかぼちゃ、ナス、ズッキーニ、きゅうり、すいか、メロン、ししとうなどなど色んな野菜をこの場所で育てます。こちらは、バターナッツかぼちゃ👇バターナッツかぼちゃは、三年前、㈱マイファームの貸農園で作ったものを自家採取したものたくさん種をまいて、発芽率がほぼ100%全部植えたら、バターナッツかぼちゃ園になってしまうかも。今日もお読みくださりありがとうございました。
一か月半ぶりのブログ更新となります。この間、新しい出会いとチャンスや牡蠣にあたったり、、などなど凝縮した時を過ごしていました。その中で、念願が叶いました!このブログでも畑をしたいと書いていたのですが、畑を借りることができました。しかも400㎡という広い敷地です。この畑では、自然農で野菜作りをしていきます。農薬はもちろん肥料も使わない虫や草と共生するそんな自然農にチャレンジします。無農薬の野菜は、とても美味しいことはすでに体験ずみですが、自然農の野菜がどんな味がするのかとても楽しみです。たくさん収穫できることになれば農協などは通さずに、オンラインでの直接販売をしていきたいと思っています。そしてさっそく畝づくりから始めています。のこぎり鎌で雑草を刈りスコップと鍬で畝づくり手作業で土と草まみれになりながらやっています。これから自然農日記としてこのブログでも記録していきますのでこれからもよろしくお願いします。今日もお読みくださりありがとうございました。
以前も書いたことがありますが、畑がついている空き家を探しています。空き家はあっても、相続関係が複雑だったりでなかなか市場に出てこない。相続登記しないまま、代が変わっていくと相続人が数人や時に十数人にもなってとても相続人全員のハンコをもらえなくて売るに売れない家が多いらしい。そんな中で相続が明白な物件だけ市場に出てきます。先日、見に行ってきた物件は、築浅物件で、とてもこだわりを持って建築された物件。そして、敷地がなんと3万㎡。野球場2、3個分の広さ。もともと大地主さんなんでしょう。敷地内には、畑の跡地や👇山林👇平地と、畑、菌ちゃん農法も、養蜂も果樹もDIYも、人を招いたり、キャッチボールもやりたいことが全部できる場所。テンションだけ上がりましたが当然手が届かず。今日もお読みくださりありがとうございました。
淡路島へ移住する前、いつか自分のカフェをしたいと思って大阪でカフェスクールに通ったりしていました。カフェスクールだけではなく、ドリンクを制覇(?)しようと紅茶教室に通ったり、紅茶の本場のスリランカの紅茶園に行ったり、メディカルハーブコーディネーターの資格を取りました。その中でコーヒーの教室にも通いそこでコーヒー焙煎についても学びました。そこから6年ほどたちますが最初はなかなか満足いく焼き方ができなかったですが、最近は、コツをつかんだようでそれなりに上手に焼けるようになってきたと思います。大阪時代はイベントを開催してコーヒーを提供する機会がありました。ここ最近はなかったのですが、去年くらいから、コーヒーをご提供したりしているとこれがなかなか評判が良くて、喜んでいただいたりしています。さて、焼く前の生豆は、見たことがない人もいるかもしれませんが、こんな感じです。豆と言ってるけど、本当は、コーヒーチェリーという果実の種なんです。コーヒーチェリー👇(写真は拝借)これを焼いていきます👇だんだんと色づいていきます。こんな風に振ってまんべんなく焼きます👇この振り方のコツがわかるのに時を要しました。。焼けました👇焼きムラがありますが、こんなもんでしょう。ビフォーアフターです👇コーヒーは、ポリフェノールなどの栄養素がたくさん含まれていて、健康に良いものですが、焼いた瞬間から劣化が始まるので、焼いたら出来るだけ早め(1週間~10日以内)に飲むと美味しくて、健康成分も摂取できます。いつもお読みくださりありがとうございます。身体の不調改善はお任せ!インディゴ整体師👇インディゴ整体師の整体セルフケア・プライベートコーチ/身体と心を健康にインディゴ整体師の整体セルフケア/プライベートコーチのご案内サイト。長年の身体の不調を諦めていませんか?インディゴ整体師があなたのためだけのセルフケアメニューを作成、いつでもどこでも身体をケアすることができます。indigoseitai.hp.peraichi.com
今回の小豆島訪問でもう一か所行きたかった場所は、石門洞。といっても事前にはあまり調査してなかったのですごく期待高まって向かったわけではなかったのですが、その非期待を裏切る場所でした!石門洞の解説👇小豆島八十八ヶ所めぐり The Shodoshima Pilgrimage offiicial site - 小豆島霊場会reijokai.comそんなにすごそうな場所と思わないですよね??でもすごかった。車を停めてここから登ります👇結構上ります。息が切れます。実は、この先に駐車場があって、車で登って行ったら石門洞の近くまで行けたのでした。このあたりもごつごつと岩があります👇石門洞に到着👇岩の合間に石門洞が建ててあります👇但馬の方たちが建てた銅像。祖父が但馬の人で小豆島八十八カ所巡りに行っていたと聞いていました。但馬の人は、小豆島八十八所巡りに毎年団体で来られていたとのことでした。立派な岩の手水場👇石門洞に入っていきます👇中に入ると老紳士お二人が迎えてくれます。そして話しかけてくださり色々と話しました。お参りもさせていただきました。空海さんがここ小豆島で修業した記録が残っているわけではないけれど、空海さんの生まれた香川と畿内を船で行き来するときにその途中の小豆島に立ち寄って修行をされていたという話でした。確かに小豆島や淡路島に空海さんゆかりの場所がたくさんあるのは、船で行き来するときに立ち寄っていたというのはすごく納得いくことです。小豆島は、今は、オリーブなど他の観光名所ができているけど、もともとは、この石門洞あたりが、修行場で修行のために各地から訪れていたようです。このあたりは、紅葉がとてもきれいとのこと。そして新緑も特におすすめだということ。そして、ここのご本尊様は、初めて聞いた名前でした。勝軍地蔵さま仕事運をあげるのにすごく御利益を感じるお地蔵さまでした。堂内は撮影禁止ではなかったと思うのですが、あまりの厳かな空気感があり撮影していません。また新緑の頃に来ますとお約束して石門洞をあとにしました。そして石門洞の隣にある岩👇写真では伝わりにくいですがとても大きい。岩の真ん中に穴があいています。穴を通ってみました👇穴の向こう側から下をみました。行かなかったけど、あっちに神懸遺跡があるとのこと石門洞すごく魅かれる場所でした。石門洞からの帰りに天使のはしご👇淡路島日記今回が100回目の投稿になりました。いつもお読みくださりありがとうございます。身体の不調を取り除いてくれる整体師👇インディゴ整体師の整体セルフケア・プライベートコーチ/身体と心を健康にインディゴ整体師の整体セルフケア/プライベートコーチのご案内サイト。長年の身体の不調を諦めていませんか?インディゴ整体師があなたのためだけのセルフケアメニューを作成、いつでもどこでも身体をケアすることができます。indigoseitai.hp.peraichi.com
次に向かうは、『重ね岩(かさねいわ)』前回、行けなくてぜひ訪れたいと思っていた場所です。車を停めてここからあるきます。大坂城の石垣のための石を採石していた場所でもあります。ここから入って登っていきます👇きれいに整備された階段を上ります👇階段を上っている時に振り返るともうそこには絶景👇きれいな空と海。海に浮かぶ島々。淡路島にはこの風景はない。小豆島がたくさんの小さい島に囲まれたところにあるのがわかります。もうすぐ重ね岩👇急な崖があると書いていますが、本当に両脇は急な崖でした。ほんとうに美しい景色。見えてきました重ね岩。その姿から『大黒天の像』とも言われている。たしかにそう言われるとそう見えます。この脇は、まじの冗談抜きの崖です👇すごい場所でした。小豆島に住んでいたら、頻繁に訪れたくなっていたと思います。次回は、石門洞についてです。そして、今回が99回目の投稿で次回が100回目です。身体の不調を取り除き、魂本来の輝きを取り戻してくれる整体師👇インディゴ整体師の整体セルフケア・プライベートコーチ/身体と心を健康にインディゴ整体師の整体セルフケア/プライベートコーチのご案内サイト。長年の身体の不調を諦めていませんか?インディゴ整体師があなたのためだけのセルフケアメニューを作成、いつでもどこでも身体をケアすることができます。indigoseitai.hp.peraichi.com今日もお読みいただきありがとうございました。
年明けに小豆島へ。10月に行ってからまだ三ヶ月経っていないですが、前回行けなかった場所に行ってきました。到着してまず向かったのは、宝生院。宝生院は、前回も訪問していた場所前回のブログはこちら👇『淡路島日記80【小豆島編②】特別天然記念物の巨樹。龍と像と亀。宮本武蔵の軌跡。』今日は、小豆島編②です。小豆島編①はこちら👇『淡路島日記79【小豆島編①】 フェリーに乗って小豆島上陸』前回のブログで小豆島行きを計画していると書きまし…ameblo.jpそう宝生院と言えば、”龍”辰年なので、龍へお参りに行きます。まったく人の手を加えずに自然に龍が出ている巨樹。お堂の中には双龍がいるのでこちらにも👇このあと昼食に本当であれば、昼食は、前回とても美味しかった『野の花』に行きたかったのですが、年始のために空いていませんでした。前回の野の花の記事です👇『淡路島日記81【小豆島編③】創作料理『野の花』は、高まる期待を更に超えてくる名店』小豆島編③です。小豆島編①👇『淡路島日記79【小豆島編①】 フェリーに乗って小豆島上陸』前回のブログで小豆島行きを計画していると書きました。『淡路島日…ameblo.jp小豆島のパワースポット重ね岩へ向かいます。前回行けなかった場所です。次回へ続く。
元旦の伊弉諾神宮、安乎岩戸信龍神社に続き、1月2日は、おのころ島神社と護国寺に参拝してきました。おのころ島神社は、鳥居がとても大きくて、日本三大鳥居の一つです。ほかは、京都の平安神宮、広島の厳島神社写真に納まりきらない👇とにかくすごく大きい鳥居ですおのころ島神社は、古事記に登場する日本最初の国土『おのころ島』と言われている場所。主祭神は、イザナギノミコトとイザナミノミコト菊理媛姫命(くくりひめのみこと)も祀られている神社です。続いては護国寺に淡路島七福神巡りでも行ったことがある神社で、布袋さんへご挨拶に行きました。今回、布袋さんの写真を撮っていなかった。こちらのブログに布袋さんの写真をたくさん載せています👇『淡路島日記45 《七福神②》護国寺の布袋さんニコニコ。平松食堂の布袋さんもニコニコ。』今月から始まった淡路島七福神巡り。最初の「恵美酒太神」に続き二神目の今回は、「布袋さん」※前回の「恵美酒太神」はこちらのブログです👇『淡路島日記41 …ameblo.jp護国寺では、ホティさんというマスコットになっていて、四コマ漫画が貼ってあります。この四コマ漫画がとても深みがあって、うんうんとうなづくことばかりです。とくに心の響いたのがこちら👇早く行きたければ、ひとりで行け!遠くまで行きたければ、みんなで行け!たしかにその通り!次もたしかに👇今の時代、何をしても、目立つと非難される。非難されない人はいない。これは、行動するときの勇気になります。今日もお読みいただきありがとうございました。
新年あけましておめでとうございます。2024年も『淡路島日記』をよろしくお願いいたします。今年も淡路島で年を越しました。どうやって年を越そうかを決めていなかったけど、夜になって、初日の出を見に行くことにし早めに休んで早起きして行きました。日の出は、洲本城から見ることに。日の出スポットの洲本城の駐車場のある馬屋。たくさんの人たちがすでに集まっています。天気予報通り、雲が多いが。ピンク色に染まって美しい。雲が良い仕事をしている。綺麗な風景。日の出は雲に隠れているけど、海には反射で映っている。美しい。雲の隙間から日の光がもれ、鳳凰の尾のよう。少し場所を変えて、洲本城のところから👇洲本城。日の出を拝んだ後は、伊弉諾神宮の初詣に向かいます。その途中に安乎岩戸信龍神社👇初詣は、伊弉諾神宮と決めていたが、今年は、辰年。龍の神社を素通りはできないので、参拝してきました。伊弉諾神宮に到着。昨年も元旦に初詣。駐車場が、小学校を開放されているので、車を停めるのはスムーズでありがたい。たくさんの人で、長時間並ぶかと思いきや、皆さんすいすいと進んでいってさほど待つことなく参拝。淡路島は、元旦もストレス・レスですごせます。参拝の後、御祈祷が目に入ってきた。出来るのかな?どうなんだろうと思っていたらできるみたい。実はこれだけたくさん色々な神社に行っているのに御祈祷はしていただいたことがない。始めてしてみることにしました。御祈祷した人だけが飲めるお神酒。車運転の人は、飴がいただける。伊弉諾神宮の本殿内に入って商売繁盛の御祈祷していただきました。御祈祷のあと本殿に奉納するとき、重要な閃きがおりてきました。今年は、この閃きにしたがって活動することになります。御祈祷のあと、伊弉諾神宮参拝の時によく行く「カフェレストラン イザナ」に行ってみることに。空いてないかもと思いながら、ここのコーヒーゼリーが美味しいので、寄ってみると空いていました。cafe&restaurant izana(カフェレストラン イザナ)|淡路島・伊弉諾神宮の目の前鉄板のコーヒーゼリー👇コーヒーゼリーを食べながら、さっきの本殿での閃きを具体的に構想してました。元旦の淡路島日記は以上です。1月2日も神社仏閣を巡ってきました。それは次に続きます。そして、10月に行ったばかりですが、前回の忘れ物を回収するためにまた小豆島へ行ってきます。今日もお読みいただきありがとうございました。今年もどうぞよろしくおねがいします。
夢を語る場所。会社組織に属していないため、すべての行動は自分で決定できる。だから漠然と何もしないですごしたいときは、そうできる。でもそれは退屈なので、やりたいことを明確にしてそれに向かって行動する。そうしたらいつのまにか実現してしまう。全部ではないが。そのためには、まずやりたいことを明確にする。夢を形にする作業。小さいことからその時は、実現がなかなか難しいと思うようなことまで、とにかく書き出す。その時の自分が思う夢それを語る時間。それを半年に一度、あるいは三か月に一度。大阪にいる頃は、その作業を大坂城のスターバックスのテラスでしていました。A4の用紙を2枚、時には4枚つなげて、そこにしたいことを次々に付箋に書き出して、どんどん貼っていく作業。振り返るとかなりのことが実現している。全部ではないが、驚くくらい。その一つは、淡路島へ移住。大阪時代から淡路島移住と書いていました。いまは普通に淡路島で暮らしている。いまは、遠いので大坂城ではできなくなった。淡路島へ移住後は、『夢泉景』というホテルのラウンジを使わせてもらっています。綺麗に整備された庭👇空いていて静かでスタッフの方々も丁寧な接客をしてくれます。淡路島へ移住当初に書いていたこともすごいかなっている。夢泉景。夢が泉のように湧き出る風景ぴったりの場所です。古代イスラエルの遺跡があるという神秘的な場所でもあります。今日もお読みくださりありがとうございました。
今年も干し柿をする季節がやってきました。去年も上手にできたので、今年もやりました。去年の記事はこちら。『淡路島日記18 渋柿を干し柿に。旬の地元食材は美菜恋来屋で調達。』つるし柿を干す季節が来ました。去年は、移住前だったので、奈良の渋柿を買ってきて吊るしました。淡路島でも渋柿を置いているところがあるかな、こういうときは!…ameblo.jp去年は、10月末にしていたので、1か月近く遅れている。イングランドの丘の美菜恋来屋に行ったときにたくさん置いていなかったので、まだ時期じゃないのかと思っていたら、去年よりもかなり遅くなっていた。結局、マルナカ(淡路島のスーパーといえばイオン系列のマルナカです。)で徳島産の渋柿を購入しました。美菜恋来屋は、淡路島産のものなので、もしかして今年は淡路島は渋柿が不作??干し柿の淡路島日記流の作り方です。今回は二袋で16個ですまず水で洗います。洗ったら皮をむきます。子供の頃から果物の皮むきが好きでやっていたのが活かされます。二つを一組にして、ビニールひもで括ります。去年は、麻ひもでしたら、麻ひもは、濡れると弱ってしまい、つるしているうちに柿の重みで切れてしまうという大惨事になったので、今年はビニールひもにしました。二つ人セットずつ熱湯で煮沸消毒します。約7秒しました。あとは間隔を空けて吊るします。この後は、一週間ごとに手で柿をほぐして柔らかくしてあげる作業があります。雨の時は、濡れないようにしないといけないです。約一か月で完成です。今回は16個でこれじゃ多分物足りないので、またどこかで購入してきます。今日もお読みくださりありがとうございました。
この日は、神戸の湊川神社に参拝湊川神社は、楠木正成がご祭神。楠木正成は、大阪河内出身の鎌倉末期の戦国武将。戦にめっぽう強く、数倍の鎌倉幕府軍を少数の兵力で蹴散らした軍神。平和な世界を望み、後醍醐天皇を助け最後まで戦い抜いた。物流に重きを置き、各地を歩きまわってそこで横のつながり人脈を培った。ここ湊川の戦いで最後を迎え、徳川光圀の時にお墓を立派なものに建て替られた。神社になったのは、明治になってから。吉田松陰や坂本龍馬も楠木正成を慕い、お墓を参ったという。困難な中でも最後まであきらめず、奇跡のような戦いをみせた楠木正成の存在が明治維新の原動力になったのかもしれない。湊川神社南北朝時代の名将、楠木正成公をお祀りする神戸の名社。なんこうさんと親しまれ、安産祈願、お宮参り、七五三、厄除、家族の人生 の節目に訪れる祈祷者数は兵庫県内有数。楠木正成公のご事績、知られざる楠公景仰史、神社の参拝作法やご祈祷案内、神社の年間行 事などを掲載。www.minatogawajinja.or.jp湊川神社の正門を入った左手にオリーブの木がありました。これまで何度も来ていたのに目に入らなかったオリーブの木小豆島に行ってからオリーブの木への愛着がわいて注意が向きます。そして、立札をみると、『日本最古』と書いてあります。オリーブのメッカ小豆島ではなくなんとここ湊川神社に日本最古のオリーブの木がありました。神戸に訪れる方は、湊川神社にも立ち寄ってみられるといいと思います。今日もお読みくださりありがとうございました。