高校時代、放課後に部活をしていると
ある老夫婦が手を繋いで散歩しているところをよく見かけた。
 
白髪でご夫婦が同じくらいの背の高さ。
ゆっくりと歩く姿が今も記憶に残っています。
 
その人は、司馬遼太郎さんでした。
地元に司馬遼太郎さんが住んでおられることは名誉なことでした。
 
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』
主人公は
松山出身の3人の偉人
秋山好古、秋山真之、正岡子規。
 
今回の目的の一つ『坂の上の雲』を巡る旅。
 
坂の上の雲ミュージアムに行ってきました
 
その途中にあったのぼり👇秋山兄弟の生誕地
 
 
 
こちらが坂の上の雲ミュージアム👇
道後温泉駅から路面電車で20分ほど乗っていきました
 
 
 
坂の上の雲
三人の主人公
 
秋山好古👇
 
秋山真之、正岡子規👇
 
 
 
《坂の上の雲の冒頭》
まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている。
その列島の中の一つの島が四国であり、
四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。
伊予の首邑は松山。
城は、松山城という。城下の人口は士族をふくめて三方。
その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、
丘は赤松でおおわれ、その赤松の樹間がくれに高さ十丈の
石垣が天にのび、さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣が
すわっている。古来、この城は四国最大の城とされたが、
あたりの風景が優美なために、石垣も櫓も、そのように厳くはみえない。
この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、
ともかくわれわれは三人の人物のあとを追わねばならない。
 
 
👇秋山真之
 
秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、
勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
 
秋山好古👇
 
秋山好古は、日本の騎兵を育成し、
史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。
 
 
正岡子規👇
 
正岡子規は、
俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった。
 
 
1904年の日露戦争
 
兄の好古は、騎兵隊を率い
弟の真之は、海軍参謀で
ロシアを打ち破った。
 
もし、この兄弟がいなければ、
日露戦争での日本の勝利はなかった。
 
 
秋山好古のお墓👇
道後温泉近くにあります。
 
 
当時、ロシアに日本が勝つことは不可能に思われていた。
日本の勝利に世界が驚愕した。
 
この松山で、当時の日本人の丹力に少し触れることができた気がする。
 
 
坂の上の雲ミュージアムで
販売されていた司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君たちへ』
を購入した。
 
司馬遼太郎さんの字で書かれいてその思いが伝わる。
 
心に響いた文章があった
『私には21世紀のことなど、とても予測できない。
ただ私に言えることがある。
それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。
 
むかしも今も、また未来においても変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという自然があって、
人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、
それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。
(略)
人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。
(略)
自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。
そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。』
 
自然によって生かされているという自然をあがめ、おそれていた。
偉人たちの丹力の秘訣が、ここにあるのかもしれない。
 
 
今日もお読みくださりありがとうございました。

 

 

フォローしてね…